追放された元男爵令嬢ですが、今はマタギやっています
…迂闊だった。気付いた時には既に6,7匹の狼のような魔物に完全に囲まれていた。すぐに飛び掛かって来る様子もなく、唸り声をあげ威嚇しながら、じりじりと少しずつ距離を詰めてきている。王国の近衛兵としての対人戦闘訓練は十分重ねているが、同時にこれだけの魔獣を相手にしたのは生まれて初めてだ。体中から嫌な汗が噴き出して、口の中はすっかり乾ききっている。俺の命もここまでかと、諦めかけたその時だった。
「伏せてっ」
突然、聞き覚えのある声が辺りに鋭く響いた。本能的にその指示に従い、その場に這いつくばった瞬間、頭上を掠めるように次々と七条の赤い閃光が迸った。髪の毛が焦げたような嫌な臭いが辺りに充満する。恐る恐る顔を上げると、先程まで涎をたらして血走った目で俺を睨んでいた魔獣の頭蓋は無惨にもすっかり…止めておこう。とりあえずしばらく肉料理は食べられそうにない。
「は~間一髪で間に合って良かった。あら、近衛兵のゴードン様じゃないですか。お久しぶりですね!私、王国から追放されたルイズですけど、覚えていらっしゃいますか?今はマタギをやっているのですが…」
国外追放された俺の尋ね人が、聞いたこともない職に就いていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
私の名前はルイズ・ジビエール。元々は只のルイズだったのですが、16歳の時にジビエール男爵家に引き取られることになりました。母はジビエール家の長女だったのですが、駆け落ちして猟師の父と夫婦になり暮らしていました。元々病弱だったようで、私が6歳の時に亡くなりました。それでも記憶に残る母の姿はいつでも明るく幸せそうでした。狩猟に出掛けた父の帰りを二人で待ちながら、父と母との運命的な出会いや、こっそり屋敷を抜け出して楽しんだという夜のデート、そしてスリル満点の駆け落ち話を聞かせてもらうのが、とても楽しみだったのを覚えています。
母が亡くなった後、一人で留守番をするのが寂しかった私は、父の狩りに同行させてくれるよう何度も頼みました。当然、父は危険すぎると猛反対しましたが、最後の手段として母直伝の『もう知らない!!お父さんなんか大っ嫌い!!』をお見舞いすると、魂が抜けたように膝から崩れ落ちて、比較的安全な魔獣退治の見学を渋々させてくれることになりました。
父は非常に珍しい魔獣専門の猟師です。普通の猟師が標的にするのは狼やイノシシ、クマなどの動物で、本来魔獣を退治するのは冒険者や騎士の仕事です。ですが、父に言わせると彼らの戦い方はてんで話にならないそうです。
「あいつらは、名声や腕試しのためだけに魔獣を倒そうとする。何も考えずに力任せに剣を振り回して、手当たり次第に魔法をぶっ放すだけで、しょっちゅう返り討ちに遭ってやがる。あれじゃあ下等なEランクの魔獣以下だ。奴等にも知性があるし、種族ごとに習性も全く異なる。驚いたことに一匹ごとの個性だって持っている。連携しつつ集団で狩りをするものもいれば、狡猾に気付かれないよう罠を張って待ち構えるものもいる。そういった奴らの習性を学び、利用し、生きるために狩りをするのが俺達猟師だ」
事実、父の狩りは息を呑むほど見事なもので、その熟練の技術にいつも圧倒されていました。かすり傷一つ負わずに、狙った獲物の急所を狙い、確実に仕留めていくその姿は、まさにプロのハンターでした。私もそんな父の類稀なる才能を確かにこの血に受け継いでいたらしく、教わった知識と技術をみるみるうちに吸収して、いつしかパートナーとして共に狩猟を行うようになりました。
だからこそ、父が突然行方不明になって数日後、ボロボロに引き裂かれ、血に染まっている見慣れた上着を見つけた時は、思わず自分の目を疑ってしまったのです。
大規模な捜索が行われましたが、結局父の遺体は見つかりませんでした。恐らくその時にはもう既に魔獣によって………。大好きだった両親が二人ともいなくなってしまって頭がおかしくなるぐらい悲しかったですし、涙が枯れ果てるまで泣きました。ですが、常に死と隣り合わせの生業である以上、覚悟はできていました。少なくとも父から受け継いだ技術のおかげで、一人でも生きていける自信はありましたし。父に負けない猟師になると決意を固めていた私のもとに、突然母の実家であるジビエール男爵家から養子の誘いが来たのです。
最初は、今更何を言っているのかと思いました。産まれた時から平民として、しかも猟師の娘として16年間生きてきた私が、貴族の令嬢としての生活なんてできる訳が無いと。でも私だって年相応に華やかな暮らしや煌びやかな社交界への興味がないわけではありませんでした。何より母から何度も繰り返し聞いた父との甘い恋物語への憧れが、いつになっても私の頭からこびりついて離れなかったのです。散々迷った挙句、その申し出を受けることにしました。
ジビエール男爵家での生活は思ったより快適でした。私は、てっきり彼らに政略結婚の道具として扱われるのではないかと警戒していました。けれども、生まれて初めて顔を合わせた男爵夫妻は、誰がどうみても優しく穏やかな、どこにでもいる、ただ娘の忘れ形見を溺愛する祖父母の表情をしていました。父の両親は早くに亡くなっていましたので、私も彼らの孫として思う存分甘やかされることに決めたのです。
学園に編入することになっていた私は、淑女としての作法や振舞いについて彼らにしばしば尋ねてみたのですが『あなたはそんなこと気にしなくていいの、私達の可愛い天使さん。あなたの可愛さこそが、正義であり法でありルールそのものなのだから』と訳の分からないことを言うばかりでした。
学園生活が始まると、たくさんの殿方から声を掛けられるようになりました。そもそも父以外の男性とほとんど接してこなかった私は、一体彼らとどう接していいか分からず赤面してしまい、もごもごと返答していたのですが、そのような初心な反応が珍しかったのでしょう。余計にアプローチを受けることが増えました。
何より驚いたのがアラン第一王子殿下から声を掛けられたことです。流石、やんごとなき血筋というだけあって、彫刻のような整った容姿に加え、立ち居振る舞いや言葉使いの一つ一つから高貴な品格が漂い、思わずうっとりしてしまうほどでした。ただ難を言えば、体格がほっそりとしていて、なんともひ弱そうなことだけが残念でした。もしワーウルフの得意技である鋭い前蹴りを食らったら、簡単に首の骨が折れてしまいそうだわ…などといつも隣でお話しする彼の細首を眺めながら考えておりました。
そんな順風満帆な学園生活は突如として終わりを迎えました。あろうことか卒業パーティーという公衆の面前でアラン様が婚約破棄を宣言したのです。それがとんでもなく常識外れな行動であることぐらい世間知らずの私にも分かりました。ドン引きして呆然としていると、王子は突然私を名指ししました。
「そしてルイズ嬢こそが私の真実の愛を捧げる相手だと分かったのだ!」
何それ怖いです。私あなたから告白すらされた覚えがないのですけど。後から思い返すと、あの瞬間に呆然とするのではなく、声をあげてはっきり断ることが出来ていれば良かったのかもしれません。
王子の独り善がりな演説が終わった後は、すかさず婚約者であるイザベラ公爵令嬢様のターンでした。将来国を背負う立場でありながら、軽率に王家と公爵家間で結ばれた婚約を破棄しようとするアラン様を非難し、事前に国王陛下より賜っていたという勅書を堂々と読み上げられました。それによると彼は廃嫡され、私と共に国外追放されるとのことでした。……いや、王子はともかく私も一緒に追放なのですか?ただ軟派王子に絡まれただけの純然たる被害者なのですが。
気付いたら国外へと向かう馬車に揺られていました。必死に頭を下げて懇願したおかげで何とか平民暮らしをしていた頃に住んでいた小屋へ立ち寄らせてもらい、狩猟道具をいくつか持っていくことだけは許可してもらえました。馬車の中では元王子が恨み言を延々と呟いています。
「なんで俺がこんな目に…くそっ…全てお前のせいだ…たかが男爵令嬢なんかに篭絡されてしまうなんて…」
私から誘惑した覚えなんて勿論一度もありません。自分が勝手に巻き込んだくせに被害者面をするとは。さすがにプチンと堪忍袋の緒が切れた音がしました。
「はあ!?グチグチとうっせぇですわ!!!」
語尾に形ばかりのお嬢様言葉を付けつつ、鳩尾に強烈な掌底を一発お見舞いすると、元王子はすぐに大人しくなりました。
国境まで私達を運ぶと、そのまま馬車は全速力で引き返し去っていきました。国境付近の森は凶暴な魔獣の出没地帯だと噂になっていましたから、実際は極刑に近い処分が下されたということでしょう。ですが、それこそ私の望むところでした。何しろ、いくら狩猟の腕があったとしても獲物がいなければ生活できないのですから。私は迷うことなく森へ向かいました。後ろから元王子がとぼとぼとついてきましたが、流石に拒絶して野垂れ死にされても夢見が悪いのでそのまま放っておくことにしました。
最初に私達目掛けて襲ってきた魔獣は予想より遥かに簡単に討伐できました。アラン(既に敬意の欠片も持ち合わせていなかったので、名前で呼び捨てることにしました)は腰を抜かして動けなくなってしまいましたが。王国でもっとも危険な魔獣の生息地に、産声を上げた時から暮らしていた私にとっては、そこら辺のクマや狼を相手にするのと大して変わりがありませんでした。鮮度が落ちる前に速やかに解体処理を始めましたが、作業をするたびに隣で見ているアランが一々情けない声を出したり、吐き気を催したりするので、鬱陶しくて苛立ちました。
森林を探索するうちに、おそらく魔獣の出没により使われなくなった掘っ立て小屋を見つけたので、そこを住処とすることにしました。それからしばらくは生きるためにひたすら魔獣を狩る毎日でした。相変わらずアランは全く狩りの役に立ちませんでしたが、日が経つごとに少しずつ彼の態度も変わっていきました。解体の際には時折目を背けながらも必死で手伝うようになり、罠の設置の仕方を見様見真似で覚えようとしました。すぐに音を上げると思っていた私はアランのことを少し見直しました。
同時に別の問題が気になり始めました。年頃の男女が二人きりで、しかも一つ屋根の下で暮らしているわけです。この森の暮らしのせいかアランも少しずつ鍛えられて男らしい体つきになってきましたし。私も自分で言うのはなんですが、それなりに可愛らしいうら若き乙女です。…そのうちに、そういったことも起きるのではないかと密かに胸を高鳴らせていたのですが…
「ルイズ姐さん!見て下さいよ!練習した甲斐あって、こんなに綺麗に毛皮を剥がせました!」
「すみませんが、血抜き処理の仕方をもう一度教えてもらえませんか、姐さん?なかなかコツが掴めなくて…」
「ああ…やっぱり姐さんの無駄一つない洗練された狩り姿はいつ見ても惚れ惚れします…素敵です…」
私のことを彼が姐さんと呼び始めた時点で、甘く切ないラブロマンスについては期待しなくなりました。目を輝かせて教えることを必死に覚えて実践しようとする姿は、まるで出来の悪い弟を見ているようでほんの少し可愛いかもしれないとは思いましたけど。意外と彼も貴族より猟師の方が性に合っていたのかもしれません。
そんな生活を続けていると、突然隣国の王立研究員が訪ねてきました。森に得体の知れない魔獣退治のプロが棲みついていると噂になっていたらしいです。確かに奴等に襲われそうになっている冒険者や騎士達を何度か助けていましたが、そこまで大事になっているとは思いませんでした。
彼らの目的は私の技術や知識を活用し、魔獣に対策できる有効な武器や防具を作製することでした。私も手持ちの狩猟道具にガタがきつつあったので、彼らに協力することにしました。かくして私は『魔獣対策技術開発長官』略称『マタギ長官』の役職を拝命することになりました。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「…それで今に至るのですが、ゴードン様はどうしてこんな所へ?」
「おい!先に言っておくが、俺も姐さんも国へ帰るつもりはないからな!」
アランが突然会話に割り込んできました。…ひょっとして…ゴードンさんに私を取られると思って慌てているのかしら…。てっきり脈なしかと思っていたけど、これはまだ可能性があるかもしれないわね。
「事の発端は、二週間前に発覚したイザベラ王太子妃の三股不倫事件でした」
「「さ、三股不倫事件ですって!?」」
驚きのあまり見事にアランと声が揃ってしまいました。確かアランが追放されたことにより、クリス第二王子とイザベラ公爵令嬢が婚約することになったはずですが。
「ええ。イザベラ王太子妃があろうことかダニエル近衛兵長とエレン辺境伯の二人と密通していることが明らかになったのです」
ああ、確かにそのお二人は学園内でもことあるごとにイザベラ様に熱視線を送っていましたけれど…私を無実の罪で追放しておきながら、自分は三人もの容姿端麗な殿方達と、退廃的で爛れた日々を送っていたなんて……何て羨ま……はしたないことでしょう。
「今、王宮はまさに大混乱状態になっておりまして…ですからこのタイミングならばお二人が密かに国に帰還されても、まず見つからないのではないかと」
「密かにって…もしも発覚してしまったとしたら、今度こそ極刑は免れないのでは?特にアランは国中に顔を知られているのですから…」
「私が命に懸けても守り抜いて見せます!というより、帰還なさるのは、ルイズさんだけでも構いません。それともお二人は何かそういう関係なのですか?」
ゴードン様が、その綺麗な蒼い瞳で私を真っ直ぐに見据えて真剣な声音で尋ねました。えっ…これってそういうこと?…まさか…この私にもついにモテ期がやって来たというの!?
「俺はルイズ姐さんの舎弟だ!姐さんが行くところなら地獄の果てでもどこへでも付いていくぞ!」
あなた、いつの間に私の舎弟になっていたの…まあ、慕われていると思えば悪くないけれど。初めての恋愛がちょっと歪な三角関係だなんて、トリッキーだけど興奮するわ。今度こそ私の薔薇色に輝く青春ラブストーリーが幕を開けるのね…
「分かったわ!マタギの仕事も一段落ついたし、この国にもそれなりに貢献してあげたのだから、少々勝手だけど今日で辞めさせてもらいましょう。国外追放されたってすぐに居場所を作れることは分かったし、怖いものなんて何もないわ!さあ、いざ故国へ帰りましょう!!」
私は意気揚々と宣言した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
はあ…取り敢えず言うことを聞いてくれてよかった。アラン元王子とは何だかよく分からない師弟関係が芽生えているようだが、男女の仲でないのなら問題ない。
…もしそんなことになっていたらあの化け物親父に殺されてしまうだろう。
王都が三股不倫事件で大騒ぎになり始めた頃、突然非番で家にいた俺のもとに一人の男が訪ねてきた。奴はルイズ嬢の父親だと名乗った。そして次の瞬間には、気付けば猟銃をこめかみに突き付けられていた。これでも近衛兵として過酷な訓練を積んできたのだが、全く反応することができなかった。そういえばルイズ嬢の父親は凄腕の猟師だと聞いていたが、確か魔獣に襲われて死んだはずでは…あと、よくよく見たら何故か全身返り血だらけで滅茶苦茶怖いのだが。
「畜生め…クソ男爵家からの養子の誘いなんてやっぱり断ればよかったんだ。ルイズに華やかな暮らしをさせてやるチャンスだと思ったが…俺がいたらアイツも気を遣うだろうから、わざわざ魔獣に喰い殺された偽装工作までしたっていうのに。俺の可愛い娘を国外追放するだと…ふざけんじゃねえぞっ!」
男が怒声を上げると空気がビリビリと震える。本当に小便漏らしそうなので止めて下さい。
「王宮の貧弱な兵士どもは片っ端からボコボコにしてやったが、そのせいで使い物になりやしねぇ。あんなヘボ野郎共が君主を守る近衛兵とは笑わせるぜ。…おい、お前!一週間以内に娘を無事にここまで連れて帰れ。もし傷一つでもつけてみろ。生きたまま魔獣の餌にするぞ!」
自分で見つけて連れて帰るのが一番確実だろうと思ったのだが、どうやら死んだふりをして騙した手前、いきなり会うのが気まずいらしい。俺はそんなふざけた理由のために国外まで娘探しをさせられるのか。どうしようもなく腹は立ったが、俺だって命が惜しい。王宮選りすぐりの近衛兵全員を無傷で叩きのめすような怪物に立ち向かうほど無謀じゃない。聞き込みをしつつ国境付近の森に辿り着いたのだが魔獣に囲まれて…
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「…ちなみに先程ワーウルフに使った魔導熱線式猟銃は、彼らが群れの中で交信するのに使っているのと同じ周波数を出す機能もついているのですよ!おかげで混乱している隙に狙い撃ちしやすくなるのです。以前は木彫りの狼笛を使っていたのですが、効果も段違いですし、とても便利でしょう?改良点があるとすれば、最高の珍味である脳味噌まで全て焼き尽くしてしまうことでしょうか…それから…」
先程からマタギとしての研究成果について滔々と熱弁しているルイズ嬢。まさに似た者父娘といった感じだ。王宮の大混乱状態の9割がたの原因は彼女の父親なのだが、まだそのことは黙っておこう。取り敢えず俺の仕事は、このルイズ嬢を連れて帰るだけ。後は、とっとと逃げ出すしかない。万が一、勃発した親娘喧嘩に巻き込まれたりしたら命がいくつあっても足りないだろうから…
元男爵令嬢の元マタギと元王子の現舎弟とパシリの近衛兵である俺達は、かつて追放された王国の俺の家で待つ、凄腕魔獣ハンター兼凶悪モンスターペアレントの元へと向かうのだった。