喧しき饗宴
「あ、夜か」
いつの間にか部屋にいるそれを、君は見る。見る。目を逸らす。まだ知りたくない。
「夜。よる。ヨル」
「五月蠅い」
夜の牙が伸び、君は裂かれ、死ぬ。死んだので、消え去る。徐々に薄れて、いつとも知れず、見えなくなっている。血は流れない。血は穢れ。
君がいなくなって快適になった空間に、夜はまだ依然として存在している。こちらの様子を窺っている。その口元に笑みが浮かんでいたりはしない。夜に口はない。存在しかないのだ。
夜が声を発する。何と言っているのかは分からない。夜は言葉と何かを使い分ける。何かが何なのかは、僕には分からない。いずれにせよ僕には関係がない。
ただ僕はこの部屋に潜む。この部屋の主は僕だが、僕は潜まなければならない。そこに理由などない。何事にも理由を求めるのは愚かだ。この世界の空間の殆どが、理由や根拠といったものを超越している。あるのはただ存在と、魂の座。魂とは何か。知らない。
暗かった部屋に、火が灯った。点けたのは僕ではない。無論、夜でもない。知ったところで何になるというのか。
点いた火は、蝋燭のそれに似ていた。僕が以前見た蝋燭。いつ見たのかは覚えていない。
ぼんやりと明るくなった部屋の中で、夜は物陰に身を寄せる。火は夜の存在を脅かす。火に意思はない。夜は物陰から爪を伸ばし、火を掻き切った。火は驚いたように揺れ、のらりくらりとのたうち回り、やがて元通りになる。夜も物陰に戻っている。何ら変化はない。
突然に、火が消える。消したのは僕ではない。無論、夜でもない
僕は微かに名残惜しさを覚え、それを察したかのように夜がこちらを向いた。ような気がした。
夜が声を発する。何か、ではない。
「寂しいか」
僕は返事をしようとした。しかし、声の出し方を知らない。そもそも僕が夜のように話せるのかは定かではない。
仕方なく僕は首を横に振る。それきり物音はしない。
部屋の壁の一部分が、次第に明るくなっていく。僕はそれが窓だと気付いた。が、窓という存在を知った時のことは全く記憶にない。
窓からの白い光が部屋を埋めていく。いつの間にか、夜はいなくなっている。存在する場所が無くなったからに違いない。もはやこの部屋には、闇と呼べる場所は存在しない。
僕は窓に近付き、手を延べる。そこには何も嵌まっていなかった。僕は窓に足をかけ、飛び降りた。
窓の外に地面は無かった。
無限に落ちていく僕。髪が暴れる。どこまで行くのだろう。考えたところで知る由もないので、僕は考えるのをやめる。
気付くと僕は地面に立っていた。背中に何かを感じ、振り向くと、窓があった。先ほど僕が飛び降りた窓だ。よく分からないことが散乱していたものの、特に不快感もないのでそのままにする。
改めて前を見ると、つい今まで何も無かった場所に君が立っている。君かは分からない。君によく似た何かかも知れない。そうだとしても、それが僕にとって君との違いを認知できないものであれば、それは僕にとって君以外の何物でもない。よってこれは君だ。
君は僕の腕を摑んで、引っ張り、歩き出す。摑まれた感覚はない。取り敢えず君に導かれるままに、僕も歩き出す。
しばらく歩くと、何も無かった地平線に、一つの点が現れた。徐々にそれは大きくなり、僕はそれが建物だと気付く。四角く、何の装飾もない。ただ扉が一つあるだけの建物。装飾があったところで、この建物の一体どこが良くなるのだろう。僕には思い付かない。
君は僕の手を引いたまま、扉を開けて建物に入る。
中には、来た扉とは別の扉が一つだけあった。君は手を離し、僕をその中へ促す。ぼくは為されるがままに、扉の中に入る。
そこは真っ暗な部屋だった。僕が後ろ手に扉を閉めると、完全に何も見えなくなる。
不思議に思い、ドアのあった場所を探るが、触った限りそこはただの壁と化している。
出られない。
しかし特に出る必要も無いので、座り込んでじっとしていると、暗がりの中から声がした。聞き慣れた声。まごう事なき、夜の声。
「また会ったな」
その声には感情がない。僕は返事をしようとしたが、やはり声は出ない。
沈黙が流れる。快い静寂。
やがて夜が立ち上がる気配がした。こちらに近付いてくる。
近付いてくる。
近付いてくる。
さらに近付いてくる。
もう触れているはずだが、感覚はない。
夜はさらに僕に近付く。僕の核心に。
夜は僕に踏み込み、そして。
僕は、夜は、僕に、夜になった。




