少年
……ォォォ。歩道を歩く二人は、何かの気配に振り返る。
「お母さん!」
娘が叫んだ。
その声は、一瞬にして消されてしまった。後方からの直進車両が歩道に乗り上げ、二人をひいたのだった。車両は、電信柱に激突し、急停止していた。一方、母と娘は出血し、地面に倒れている。 車両のハザードランプは、点滅を繰り返している。
「大変だ! 警察へ!」
秘書が携帯端末を取り出す。
「待て」
それを運転席の都議が制止する。
「え?」
腕を掴まれた秘書は、一瞬、青ざめる。すると、その後、都議は車両を発進させた。
「どこへ行くんですか!? 警察に。いや、救急車を」
秘書は、慌てる。
「もう、死んでいるだろう」
「どういう事ですか!?」
「墓場まで、持って行け。この事故の犯人は私だという事を」
秘書は、自身の身の危険を察知した。
「……」
次の日。警視庁内。
「警視庁より各局。警視庁より各局。南バイパスを窃盗容疑者が北へ逃走中。ガードレール係、出動せよ」
ガタッと音を立て、藍花は立ち上がる。
「課長! 行ってきます!」
羽紀は藍花の後に続く。
「ちょっ、ちょ、……」
――まだ指名していないんだけどな。
真狩砂雪課長は呆れた。
ゴォォォとエンジンがうなる。そして、タイヤの滑る音がした。
「らちがあきませんね」
捜査三課の刑事、宇梶学が呟いた。
――ガードレール係、早く。
ゴォォォと轟音が近づいて来た。
「あ。やっと来た」
宇梶学は後ろから来たガードレール係の車両に気付いた。
「よそ見をするな」
同じく捜査三課の瀬戸弓弦は彼を少し叱る。そして。
「あいつらに続くよ」
「はい」
宇梶学は返事をした。
ガードレール係は逃走車両の真後ろについた。そして、藍花はハンドルの横のボタンを押した。すると、車両の前方から強制停止用の鎖が飛び出す。その鎖は前方の逃走車両の後方タイヤに命中し、絡まり、停止させた。
キィと停止音。タイヤ痕がアスファルトに続く。捜査三課の警察車両が逃走車両の後ろへつけて停止した。
バタンッ、バタンッと二つのドアの音。捜査三課刑事、瀬戸弓弦と宇梶学が警察車両から降りて来たのだ。
「くそっ」
逃走犯が車両から出て来た。
「墨田洋治、窃盗の容疑で逮捕する」
彼は手錠をかけられた。
藍花と羽紀は遠くからそれを見ていた。
「一件落着。帰ろ」
「あぁ」
警視庁交通課ガードレール係待機室。窓の外は今日も晴れ。
「あー。疲れた」
藍花は伸びをする。
――またクロスワードしか、してないし。
羽紀は横で呆れていた。
すると、ピピピッと音がした。
「?」
ぼわっと電子音。そして、彼が姿を現す。
「こんにちは。メールです」
槻真冬が立体映像で姿を現したのだった。
「あ」
二人は彼の方を見る。彼は微笑む。そして。
「それでは、失礼」
ヒュっと姿を消していった。ピっと音が鳴る。藍花がタッチパネルのパソコンのメールを開いたのだ。
『高津光輝 27歳 交通課鑑識係所属 N-システムの映像の紛失とこの捜査員の因果関係を調べて下さい』
「誰からだ?」
『From槻真冬』
「Nooo!!」
藍花は叫ぶ。
「これは、また例の無作為抽出メールだな」
「何で!?」
人工知能、槻真冬は警視庁の建物と一体化したスーパーコンピュータを本体とする、警視総監の補佐官である。そして、警視庁に所属している捜査員を無作為に抽出し、メールを送りつけ、上層部に内緒で気になった事件を調べ直している。
ガタッ。と音が鳴る。藍花が立ち上がり、課長へ宣言する。
「パトロール、行ってきます」
「えっ、ちょっ」
――ここは、出動待機部署なんだけど。
課長は反論も出来ず、固まった。
ゴォォォ。エンジンがうなる。タイヤも高速で回転する。
「槻真冬」
ぼわっと電子音が鳴る。彼は立体映像で姿を現した。
「はい」
藍花が彼に尋ねる。すると。
「事件の詳細を教えて?」
……。
「ん?」
沈黙が流れた。
――なぜ?
「ところで……」
槻真冬は尋ねる。
「どこへ向かっているのですか?」
「どこも?」
――え?
「何だよ。それ」
羽紀は呆れた。
「交通課のみんなの前では、話しにくいのかなと思って」
「ありがとうございます」
――ん?
羽紀は固まる。
「今回は特に、極秘に進めたかったので」
「被害者は42歳。1人の娘をもつ高橋明美です。即死でした。その時、一緒にいた13歳の中学1年生の娘も巻き込まれて、重体です。現在は、意識が戻っております」
槻真冬は説明をした。
「そっか」
――娘さんは、生きてた。
「それで、その娘の高橋未亜さんは、意識を失う前に自分たちをひいた車両の車種を見ていました」
「!」
「しかし、担当の捜査員たちはそれを捜査の手掛かりにはしましたが、N-システムで、その車両がある人物の所有物の可能性が浮上すると、証拠としては扱いませんでした」
「誰?」
「都議の小鳥遊達也氏です」
「!」
「なので、探して下さい。N-システムの映像を。その映像を証拠として、裁判所へ捜索令状を申請したいのです!」
それを聞き、藍花の瞳が輝いた。すると。
「分かった。がんば……」
「今日中にお願いします」
槻真冬に声を遮られ、ぴしゃりと言われてしまった。
「……はい」
羽紀は隣の助手席で呆れていた。
警視庁前。藍花と羽紀の二人はスタスタと玄関口へと向かっていた。駐車場から警視庁内へと入ろうとしていたのだ。すると。
「あの! 俺、昨日のひき逃げ事件の証言をしたいんですけど!」
ある一人の少年が二人に話しかけて来た。彼はどうやら中学生のようだ。黒い学生服を着ていた。
「え!?」
「小鳥遊達也都議が俺の同級生の高橋未亜をひき逃げしたんだ!」
「!」
警視庁少年課。藍花と羽紀の二人はその部屋の端に立ち、話を聞いていた。
「名前をうかがいたいのですが?」
「東翔です」
少年課の担当刑事、香鞘由紀の問いに彼は答えた。彼は高橋未亜と同じクラスの男子学生であった。
「歳は?」
「13です」
彼は少年課の刑事を力強く見ていた。
取調室の外。マジックミラー越しに刑事たちは彼を見ていた。
「これで、裁判所からの令状がおりるんじゃないか?」
園馬進は隣の手石市治に話しかけた。
「そうですね。でも、大丈夫でしょうか? 僕たちが人工知能に味方している事がバレたら……」
手石市治の語尾が小さくなる。
「いやなのか?」
園馬進は尋ねる。
「そういう意味じゃ、ないですよ」
「俺は、今回の圧力の仕方が気に入らない」
「まぁ、僕もです」
手石市治は同調した。
「……」
藍花と羽紀は遠くから見つめていた。
「どう思う?」
藍花は羽紀に尋ねる。
「別に」
羽紀は一言そう言った。すると。
「裏付けが取れたら、裁判所へ家宅捜索の令状の申請だ。行くぞ」
「はい」
タタタっと走り出す。藍花と羽紀の二人は走り去る園馬進と手石市治の後ろ姿を見ていた。
交通課前の廊下
「N-システムの映像ってどうやったら、紛失出来るんだろう」
藍花が呟く。
「今じゃ、紛失の方が難しいはず」
「たった1人、しかも交通課の鑑識係だけでは……」
藍花は考え込んだ。
――そういえば、今回はいつもより極秘にと言っていた。要するにもう既に、人工知能のあいつには上層部からの圧力がかかっていたんだ!
――槻真冬は、警視総監の補佐。という事は、あいつに圧力をかけられるのは、ただ1人。その警視総監。失敗したら、人工知能の解体になってしまう可能性が!
ガタッ、ガタンッ。二人は自分の席に座る。そして、藍花が口を開く。
「どうする? N-システムの映像にこだわる? それとも」
「違う証拠をあげた方がいい。人工知能の手先が全滅する前に」
羽紀は冷静に答える。
「そうだね」
「どこへ?」
「修理工場へのパトロール」
藍花は真剣に答える。
「なるほど」
ゴォォォっとエンジン音がうなる。二人は今、走る車内だ。
「まずは、都議の自宅の近くから。ここがそうだよ」
藍花は運転をしながら、答える。
「そうか」
羽紀は辺りを見渡している。
「どうしたの?」
藍花が尋ねる。
「意外と学生や年齢の若い人が多いな」
「レジャー施設があるからでしょ?」
「そうかもな」
羽紀は再び黙った。
「何か、御用ですか?」
二人はとある修理工場に来ている。
「警視庁交通課の者です。昨日から今日にかけて修理に出されてきた車両を見せて欲しいのですが」
藍花は丁寧にお願いをする。
「あの、もう既に警察に押収されているのですが」
修理工場に作業員が答える。
「どこの部署ですか?」
「えーっと、何処だったかな? でも、私たち本部が確保しましたって、電話していたのは覚えています」
――圧力。
羽紀は話を聞いて、そう思った。
羽紀は辺りを見渡す。
「この一帯は、防犯カメラが多いですね」
「えぇ、私の働いているこの工場にもいくつか外へ向けての防犯カメラもあるぐらいですからね」
「外側……」
藍花はひっかかった。
――ここは、小鳥遊達也都議の自宅とひき逃げ現場をつなぐ動線。という事は、この前の道路を通っている可能性が!
「その防犯カメラの映像も見せてもらえませんか?」
「はい。いいですよ。案内します」
「ありがとうございます」
二人は、修理工場の作業員の後をついて行く。
修理工場防犯カメラ管理室
「……」
二人はじぃぃぃと画面を見つめる。
――まだ、来ないなぁ。
すると。
――この学生。もしかして。
「ストップ」
羽紀が指示を出す。すると。
「はい」
作業員の男性は映像を止める。
「どうしたの?」
藍花は羽紀に尋ねた。
「ここに映っている学生見てみろ。警視庁前で声をかけて来た」
羽紀は指で指し示す。
「あ! 目撃者の少年。何で!?」
「この防犯カメラに表示されている時刻から計算しても、この少年がひき逃げを目撃することは、出来ない」
「どうしよう。令状申請の証拠がなくなっちゃった」
「交通課の方も大変ですね。私たちの工場も昨日、捜査三課の刑事さんたちのお世話になってしまって」
作業員の男性は空気を変えようと、別の話を振ってきた。
「え?」
「昨日、私たちの従業員から金属部品の窃盗犯が出まして、車での逃走劇の末に逮捕になったのです」
「!」
「昨日の逃走劇……」
羽紀は呟く。そして。
「あいつだ。売りさばく前の金属部品が押収されている。戻ろう」
「うん!」
警視庁捜査三課。藍花と羽紀の二人は走って来る。
「こんにちは! 瀬戸弓弦さんいますか!?」
――うるせぇなぁ。
「何でしょうか?」
彼は心の中で叫びながら、笑顔で対応した。
「昨日、逮捕した窃盗犯から押収した金属部品ありますか?」
藍花はそう尋ねる。
「閲覧理由を明確にしてください」
瀬戸弓弦は笑顔で対応。
「えーっと、槻真冬君に聞いて」
藍花はきょとんとする。
「あぁ! またかよ!」
彼は怒った。
「先輩……」
部下の宇梶学が間に入る。
「……、しまった。つい」
瀬戸弓弦は溜め息をつく。
「仕方ない、ついて来い」
彼は歩き出す。
「ありがと!」
藍花は笑顔になり、彼のあとを羽紀と共についていった。
証拠品保管室3
「人工知能のあいつの依頼なら、持って行ってもいいよ」
「いいの?」
「まぁ。私も最近の警察の威厳が嫌いだし」
瀬戸弓弦は目を伏せて微笑む。
「ありがとう! じゃ!」
藍花は羽紀と共に鑑識課の方へ走り去って行く。
「人工知能の駒も悪くない」
瀬戸弓弦は二人の後姿を微笑んで見ていた。
警視庁交通課鑑識係
「藍花さん、待ってました!」
鑑識課の彼女は笑顔で手を振る。
「え!?」
藍花は驚く。
「槻真冬さんから、聞いてます。すぐに鑑識作業に取り掛かりますね。今日中の申請に間に合わせるように言われていますので」
「ありがとう」
藍花は微笑んだ。
1時間後
「ガードレール係さん! 一致しました! 被害者の上着と部品の《擦れ》の跡!」
すると、立体映像で人工知能、槻真冬が現れた。
「ありがとうございます」
「あ!」
藍花が指を指す。
「この証拠ならば、逮捕状がおります」
「良かった」
藍花は笑顔でそう言う。
「では」
槻真冬は少し微笑むと、姿を消していった。
――これで、解体されずに済むかな?
羽紀は口角を少し上げた。
都議自宅前。小鳥遊達也都議は秘書を助手席に座らせて、自動車で敷地から出て来る。捜査一課の刑事たちは逃走を防ぐため、覆面パトカーで包囲する。
「小鳥遊達也都議、ひき逃げの容疑で逮捕します」
「そうか。今から出頭しようと思っていたんだがな」
ガチャ。小鳥遊達也都議は手錠をかけられた。
警視庁交通課ガードレール係待機室。そこにアナウンスが流れる。
「警視庁から交通課ガードレール係。出動命令。高津光輝の乗った逃走車両を強制停止させなさい」
ガタッ、ガタッ。
「行ってきます!」
藍花と羽紀の二人は自分の席から立ち上がり、出動していった。N-システムの映像を紛失させた犯人を確保するために。
ゴォォォっとエンジンがうなり、タイヤが回る。捜査一課の刑事たちは逃走車を必死に追いかけていた。
キィィっとブレーキ音が辺りに響き渡る。しかし。
「くそっ! 逃がした!」
再び、アクセルを踏む。そして、急加速で追いかける。すると、後方から轟音が聞こえて来た。
「?」
「あ、来ました! ガードレール係」
手石市治が窓越しに振り返る。 それと同時にガードレール係の警察車両は彼らの車両を抜き去った。
そして、藍花は運転席のボタンを押す。すると、強制停止用の鎖が、すぐ前の逃走車両のタイヤへまとわりついた。
キィィィ。ブレーキ痕がアスファルトへ伸びて行く。逃走車両は強制停止された。
バタンッ、バタンッっと車体のドアを閉める音が鳴る。園馬進と手石市治が車両から降りて来た。
「公務執行妨害で逮捕する」
「……」
藍花と羽紀の二人は遠くからそれを見ていた。
高津光輝は、N-システムの映像が入ったコンパクトディスクを持ち出して焼却していた。そして、デジタル保存されていたデータの方は、自宅のパソコンからサイバー攻撃を密かに実行していた。攻撃の足跡を消すプログラムが組み込まれていた為、発見が遅れたらしい。
被害者の娘の高橋未亜は、無事に病院を退院した。そして偽目撃者の少年、同級生の東翔は、少年課で厳重注意された。
警視庁交通課ガードレール係待機室。ぼわっという電子音の後に、槻真冬が立体映像で姿を現した。
「今回は、ありがとうございました。おかげで解体を免れました」
「そっか、良かった」
藍花は笑顔で答えた。
「ところで、メールです」
槻真冬は真顔な顔になり、話題を変えた。
「え?」
二人はきょとんとする。
「では」
彼は一旦、笑顔になると、そのまま、姿を消していった。
「ちょっとー!」
――また、抽出捜査。
羽紀は呆れた。