緊急車両
ゴォォォ。轟音と共に車両が電信柱へと衝突する。白煙が音もなく、上昇していく。運転席のマットレスには、血液が滴り、にじみを拡大していく。
……ゥゥ……ゥゥ。
遠くからは、通報を受けた救急車らしき音が次第に聞こえて来た。
三ヶ月後
「警視庁から各局。警視庁から各局。渋谷区にて死亡ひき逃げ事件発生。ひき逃げ車両は、北へ逃走中」
警視庁内にアナウンスが響く。アナウンスをしている彼女は、警視庁の建物自体と同化している人工知能たちの一人だ。主に、警視庁内の情報伝達と管理を任されている。
「よし!」
亜澄藍花が音をたてて、勢いよく席から立ち上がる。
「羽紀! 行こう」
「え!?」
いつもの事ながら、彼、須玖羽紀は、今回も驚いた。そして。
「羽紀、早く!」
彼は、藍花に右手を引かれて強制的に現場へ出動させられていた。
「ちょっ、おい!」
彼らは、警視庁交通課ガードレール係。警視庁に試験的に設立された、逃走車両を強制停止させる為の部署である。今までの、事故を避ける為、逃走車両を深追い出来ないというものを解消する目的で設けられた。
警視庁前。勤務している職員全員に振り返られた二人は、警察車両の止まっている駐車場へ向かう。
藍花は、まだ羽紀の手を引き、走っている。
「おい! あの逃走車両を追いかけるつもりなのか!?」
「その、まさか!」
彼女は、笑顔で答える。
「俺たちは待機部署だぞ!」
羽紀は戸惑う。しかし。
「いいの!」
彼女は、振り返らない。そして、そのまま突き進む。
――ったく。
二人の乗せた車両は、現場へと突撃して行った。
……ォォォ。
逃走車両がポイントへと近づいてくる。複数の警察車両が逃走車両の行く手を塞ぐ。しかし、逃走車両は、警察車両たちの隙間を抜けていく。
「ちっ。これで2回目だぞ」
捜査本部の刑事、園馬進は舌打ちをした。
「あの犯人、運転上手いですね」
一方、同じく刑事の手石市治は感嘆する。
「感心している場合かよ」
――これは、ガードレール係の出番か。
園馬進はハンドルを強く握った。
警視庁交通課。課長の真狩砂雪は、無線を手に取る。
「警視庁から特別501車両。ガードレール係、正式な出動命令だ」
「分かりました!」
藍花は、無線をすばやく切る。
「聞いてた?」
「もちろん」
助手席の羽紀は、言葉を返す。
捜査本部の刑事たちの乗った警察車両、要するに覆面パトカーは、道路の接地面から轟音を上げる。逃走車両もしかりだ。
――今度で3度目!
その時。
――あれ? 後ろから何か。
手石市治は、助手席の窓に両手をつけて、後方を確認した。すると、遥か後方から、次第に轟音となるかのようなうなり音が聞こえてきた。
「え?」
園馬進も気付いた様だ。
――来た。
……ォォ。
そのうなり音が確実に聞こえる程になったかと思うと、次の瞬間には、運転席の窓が振動した。後方からの音の主、ガードレール係の車両が高速で彼らを抜き去ったのだ。
――このままだと!
逃走車両の犯人は焦る。
この試験的に導入されたガードレール係というシステムは、仮設置のようなものなのだが、成果がかなり出ていた。
「作動」
強制停止の準備は完璧だった。藍花は、ハンドルに付いた、ボタンを押す。
ヒュ。
ガードレール係の車体の前方から鎖のつながった矢が飛び出し、逃走車両の後方タイヤに巻き付いた。
……ィィィ。
逃走車両がタイヤを滑らせ、地面に痕を残していく。
バタンッ。
園馬進と手石市治、そして、ガードレール係の二人、藍花と羽紀もそれぞれの警察車両から出てくる。
白い煙が少しだが、上がる。逃走車両のタイヤのゴムが焦げたのだろう、少し嫌なにおいがする。
「……くそっ!」
その逃走車両の運転席で、犯人がハンドルに顔を伏せていた。藍花は助手席側から覗き込む。羽紀は、逃走車両の後方タイヤを確認していた。専用の鎖が絡まり、固定されていた。
「十四時三十二分。逮捕」
園馬進が犯人の男性、飯成譲に手錠をかけた。
翌日。警視庁内では、いつものように日光が窓から差し込んでいた。
「あー……疲れた」
藍花は自席の机に顔を伏せる。
――クロスワードしかしてないし。
羽紀は、隣の席から呆れていた。
「こんにちは。メールです」
ぼわっと彼が姿を現す。槻真冬だ。
彼は、人工知能。警視庁の建物に彼も同化している。しかし、彼の担当は、情報管理でも、人事判断でもない。捜査だった。彼は、警視総監の補佐である。
――立体映像!
藍花は驚く。
「もう一度言います。メールです」
彼、槻真冬は復唱する。
「ありがとう」
藍花は微笑む。しかし、苦笑い。
「どういたしまして」
槻真冬も笑顔を返し、立体映像をたたんで消えていった。すると、藍花はパソコンのファイルを開く。
「!」
『昨日のひき逃げの犯人について 名前:飯成譲 年齢:35歳 経歴:救急車の運転手 備考:国会議員の真梶勝氏の預貯金の一部が彼へ移されている』
「誰からだ?」
『人工知能 槻真冬』
――Noooo!!
彼女は、心の中で絶叫した。
「ったく、何でだよ」
人工知能の彼、槻真冬は、様々な部署の様々な警察官に、様々な捜査指示のメールを送りつける事で有名だ。が、それに上層部は気づいてはいない。資料だけ見ていると、現場の捜査員たちが協力し合って事件を解決しているように見えるのだ。
「この議員さぁ、三ヶ月前に自分の乗った公用車が交通事故起こしているんだよね」
藍花が呟く。
「それが?」
羽紀はきょとんとする。
「運転手、死亡しているんだよね」
「だから?」
――むっ!
「人工知能って、理論が完成するまで理由言わないからね」
「俺たちで調べろって? ……、そうか」
羽紀は一人で納得する。
「真狩課長、パトロールしてきます」
藍花は彼、真狩砂雪に敬礼をする。
「ちょっ、ちょっ、この部署は、出動待機部署!」
課長が叫んでも彼ら二人は、止まらずに立ち去ってしまった。
――聞いてないね……。
彼は少し困り気味で固まっていた。
警察車両内。二人の間には沈黙が流れていた。しかし、車外ではタイヤが激しく回転している。
……ォォォ。
「槻真冬」
藍花が彼を呼ぶと、カーナビゲーションシステムの中央から立体映像が現れた。
「はい。どうしましたか?」
「今の時間帯、議員はどこへ?」
藍花が尋ねる。
「言えません」
槻真冬は、きっぱりと答えた。
「え?」
羽紀はきょとんと困る。
「議員には、接触しないで下さい。今、ある可能性を捜査一課が調べています」
「ったく」
羽紀は呆れて、助手席の窓から外を見た。運転は藍花だ。
「それじゃ、どこへ聞き込みに行こうか?」
藍花は半ば、独り言のように羽紀へ言葉を向ける。すると。
「私にも聞き込みをしてみては?」
槻真冬が毎度ながら、厄介なことを言い始めた。
「何でそうなる?」
羽紀が窓から視線を戻す。
「言えません」
……。沈黙が流れた。
「分かった。羽紀、適当に何か聞いといて」
「お前は?」
羽紀は疑問をぶつける。
「運転」
彼女はきっぱりと理不尽さを現す。彼女は少しいじわるだ。
――どいつもこいつも!
羽紀は、窓に額を軽くぶつけた。
「早くしてください」
槻真冬の言動も理不尽さに拍車をかける。
――ゔ。
槻真冬は、鋭く羽紀を見ていた。
「それで? お前の考えは?」
羽紀は、仕方なく人工知能の彼に聞き込む。
「だから、言えません」
……。再び、沈黙が流れる。
――え? じゃあ、なぜ、自身に聞き込みをしろと?
羽紀は少し戸惑った。
「じゃ、議員の情報は?」
「まず、真梶勝議員と飯成譲容疑者は、小学校時代の同窓生であり、三ヶ月前の交通事故で再会をしている」
「再会?」
「誰が調べたんだ?」
藍花と羽紀の二人はそれぞれ尋ねた。
「生活安全課のある刑事に捜査依頼しました」
「へぇー……」
「それで、続きは?」
「次に、三ヶ月前の交通事故について」
槻真冬は淡々と続ける。
――ん!?
藍花は少し気になる。
「真梶勝議員は、その時に可決されようとしていた自衛隊に関する法案の賛成議員です。その事件を起こした灰仁爾は、反対意見をSNSにいろいろと書き込んでいました。しかし、直接、犯罪を起こすような言動はありませんでしたが」
「言動? これは、誰が?」
「地域課のある若手の巡査に調べてもらいました」
――やっぱり、……ランダムに捜査員を抽出しているのか。
「そして、これは警視総監からですが、この事件を交通事故にしろという圧力がかかりました」
「ふーん」
「で? 俺たちは、何を?」
「はい。あなたたちには、ある可能性を潰してほしい」
「可能性?」
「灰仁爾は、交通事故を起こす前に真梶勝議員に謝っていたというのです」
――え?
「飯成譲は、救急車の運転手をしていました。その時、会話を少し聞いていたようでした」
――なるほど。
藍花は頷く。
「確かめて下さい。三ヶ月前の事故に主犯がいるかどうか」
……ゴォォォ。藍花は、エンジンをうならせる。
「それで、どこへ向かっているんだ?」
羽紀が尋ねる。
「議員の事務所」
藍花はきっぱりと答えた。
「え!?」
羽紀も驚いた瞬間。
「どうしてですか?」
彼、槻真冬が立体映像で現れた。
――聞いてたのか。
羽紀は呆れる。
「先ほど、接触しないで下さいとお願いをしたはずです」
「その灰仁爾を運転手にすると、最終的に誰が選んだのかを、聞く為」
「議員なら?」
「分かんない」
「議員以外なら?」
「その人が関わってる!」
「……」
ピー……。
「……」
槻真冬は黙る。そして。
「?」
二人はきょとんとする。すると。
「話は変わりますが、真梶勝議員の任意同行に協力して下さい」
――おいっ。
羽紀は呆れて、心の中でつっこむ。
「たった今、刑事部捜査一課からデータが送られてきました」
――なんだ、報告があったのか。
「何て?」
「昨日のひき逃げ現場の直前のN-システムに真梶勝議員が映っていました。ガードレール係も出動して下さい。捜査一課の方々には、家宅捜索の令状を申請するように伝えます」
そう言うと、彼の立体映像は収納されていった。
「……ん?」
藍花はきょとんと考える。
「あの飯成譲って、身代わり、か……」
羽紀は呟く。
「あ、だから預貯金が?」
藍花は前を見ながら、羽紀へ話しかける。
「……槻真冬って、情報くれないよね? 全体の……」
「俺たちは、一介の警察官だからな」
羽紀は少し呆れながら答えた。
「ちなみに槻真冬って、身代わりの可能性も考えていたのかな?」
「思いついてはいたんだろ? 可能性は全て潰していくしかないし」
藍花はなるほどと頷く。すると。
「ということで、追いかけよう!」
彼女は明るく、気持ちを切り替える。
「あぁ」
――捜査一課に調べさせていた事は、この事か。
羽紀は遠くを見た。
……ゴォォォ。
藍花は、警察車両の速度を上げた。すると、無線が入る。
「真梶勝議員の公用車を発見、北へ追跡中」
航空警察からだった。
――見つけた! データによると、もうすぐ。
……ゴォォォ。
「あ!」
「見えた!」
ガードレール係の警察車両は、公用車の前で停止する。すると、公用車はもちろん、後方からの捜査一課の覆面パトカーも停止した。
バタンッ。バタンッ。警察車両の両ドアが開き、閉じられた。警察車両から園馬進と手石市治が降りて来て、公用車の方へと歩み寄って行く。
「真梶議員でしょうか? 警視庁捜査一課の者です。先日のひき逃げ事件の捜査をしているのですが、署までご同行できますか?」
「いいだろう」
真梶勝は、捜査一課の車両へ乗り込んだ。
ガードレール係の二人は、遠くから、それを見ていた。
「……」
ぼわっ、と音がした。
ガードレール係の車内の機器から立体映像が、外にいる二人の元へ伸びてきた。槻真冬が姿を現したのだった。
「議員に聞いて下さい。先ほどの事」
彼は少し焦っている様子だった。
「そうだった!」
藍花もそれに気付き、つられて焦る。
「真梶議員!」
真梶勝議員が振り返る。
「お尋ねしたいことがあります」
「何だ?」
「三ヶ月前の交通事故を起こし死亡した、あなたの公用車の運転手は誰が雇ったのですか?」
「根賀光第一秘書です。確か、元タクシードライバーを雇ったと言っていましたね」
「分かりました。ありがとうございます」
「さ、行きましょう」
園馬進が車両内へと誘導する。真梶勝が車両へ乗り込むと、園馬進はドアを閉め、自身も運転席の方へと乗り込んだ。
バタンッ。バタンッ。そのドアが閉まる音の直後、エンジンがかかる。すると、運転席のパワーウィンドウが下がった。
「殺人なのか?」
園馬進は近くの藍花へ話しかける。
「まだ、分からないよ」
藍花は口角を上げる。
「そうか。じゃ」
覆面パトカーは、走り去って行った。
「さて、次は……」
「ご協力ありがとうございました」
――え?
後方からの声に振り返る。
「この先の捜査は、また別の部署へ依頼します。では」
槻真冬はそう言うと、立体映像を収納していった。
「ちょ……と……」
藍花は言葉が出てこなかった。
槻真冬は、藍花たちから必要なだけの情報を受け取ると、別の部署の人材へと捜査を依頼する為、消えて行った。この一連の事件の捜査から、手を引くようにと伝えてから……。
「藍花、行こう」
「え? どこへ?」
藍花はきょとんと羽紀を見る。
「タクシー会社だよ。何か証言とれるんじゃないか?」
「……」
藍花は、黙っていた。
「おい、早く」
羽紀はそう言いかける。すると。
「行っちゃダメだよ」
彼女はそう言った。
「え?」
「槻真冬の邪魔はしない方がいいよ」
「どういう意味だよ?」
「槻真冬は、人工知能だけど警視総監の補佐だよ?」
「だから?」
羽紀は少し食って掛かる。
「彼の思う様にさせた方が、日本はよくなるよ」
藍花は、笑顔を見せた。だけど。
「俺は、そう思わないけど」
彼は不服そうだった。
「え……っと」
藍花は、少し困った。
「機械の駒にはならねぇよ。じゃ」
羽紀は、ここまで乗って来た警察車両にも乗らずに、徒歩で立ち去っていった。
――あ~あ。怒っちゃった。少し放っておこう。
藍花は、羽紀の立ち去る様子を見ていた。
タクシー会社前。
「……」
羽紀は、黙ってタクシー会社の建物を見上げる。その建物自体は、逆光で少し見えづらかった。
羽紀は建物内へ入ると、受付へと進む。受付の女性が笑顔で頭を下げていた。すると、羽紀は警察手帳を見せて、聞き込みを開始した。
「元社員の灰仁爾氏についてお尋ねしたいことがあるのですが」
「……警察の方ですか?」
彼女は、思わず聞き返してしまった。
「はい」
それに淡々と答えた。
「今、担当の者にお伝えしますので、エントランスホールでお待ちいただけますか?」
「はい」
その後、担当部署の女性が現れた。
「何か、問題を起こしていたとか、気になる事はありましたか?」
「えぇ、はっきりと覚えています」
「何をですか?」
「彼は、横領をしていました」
羽紀は驚いた。
「でも確か、女性の方が現金で返還してくれたので、別に大ごとにはならなかったみたいです」
「その女性は、この方ですか?」
「はい」
「ありがとうございました」
彼は、頭を下げた。
「いいえ」
彼女の方も頭を下げた。
羽紀は警視庁へと急いだ。警察車両は藍花へ任せてしまっていたので、全力でバス停まで走る。
――あの秘書が、灰仁爾氏を金銭で動かしていたんだ! あの人工知能の仮説はこれだったのか!
すると、無線が音を立てた。
「須玖羽紀巡査部長、江詰空港まで向かいなさい」
槻真冬だった。
「あ!?」
「須玖羽紀巡査部長、あなたが一番早くなる」
「今更、うるせー! 人工知能!」
「お願いします」
「ちっ! 分かったよ!」
彼は、無線を切った。
羽紀は全力で走って行った。
「……」
藍花は、黙って無線のやり取りを聞いていた。
「聞いていましたか?」
槻真冬が現れる。
「はい」
「亜澄藍花巡査部長。根賀光秘書の車を強制停止させて下さい」
「え!? 秘書はもう既に空港じゃ!?」
「もう一人の共犯者です。事件の真相は、強制停止後に」
彼は消えた。
ガタッ。藍花は席から立ち上がった。
「行くのか?」
真狩砂雪課長は彼女へ尋ねた。
「はい。その前に……」
「何だ?」
「この半紙に習字を一筆書いて下さい」
彼女は半紙を一枚差し出した。
「別にいいが。何て書くんだ?」
藍花は笑顔で答えた。
……ゴォォォ。
――見つけた! あの車両だ!
課長の一筆を助手席に置いたまま、藍花は強制停止へと向かう。
バンッ。強制停止用の鎖が相手の後方タイヤに絡まる。
――よし。
藍花は、パトカーから降りると、根賀光秘書の車の運転席ドアを開けた。
「え!?」
真梶勝氏の妻、真梶ユリが1人、運転席にいた。
「議員の……?」
江詰空港内
――ここで高飛びさせてたまるか!
羽紀は、空港内を全力で走り抜けていく。素早く後方へと流れていく周りの景色の中、人物を確認しながら、進む。
――あれは……、いた!
彼は、とうとう根賀光秘書を見つけた。
「根賀光秘書!」
彼は、彼女を呼び止める。根賀光は、思わず振り返った。
「署まで、同行願います」
羽紀は、警察手帳を見せる。すると。
――警察!
彼女は、走り出した。
「待て!」
彼は追いかける。
ガッ。羽紀が根賀光の腕を掴んだ。彼女は、羽紀の手を振り払う。すると。
――痛っ!
根賀光の手の爪が羽紀の頬に当たり、彼の頬に血がにじんだ。
――公務執行妨害!
しかし。
カシャン……。羽紀の持っていた手錠が地面に落ちてしまった。
――こんな時に!
ガチャ。
――え?
羽紀は一瞬止まった。
「十五時五分、公務執行妨害で逮捕します」
藍花が手錠をかけた。後方からは、園馬進と手石市治も走って来ていた。
藍花は羽紀へ笑顔を見せる。
――笑顔?
「このコンビ最後の仕事」
彼女は笑顔を崩さなかった。
――何!?
羽紀は焦った。すると。
「行きましょうか」
園馬進と手石市治が根賀光を連行する。
「……」
藍花と羽紀は、それをじっとしばらく見ていた。その会話のない空気を変えたのは、羽紀だった。
「……なぁ」
彼は少し聞きにくそうに下を向いていた。
「ん?」
藍花の方は彼を見ていた。
「お前、怒っているのか?」
「え?」
「俺が機械を下に見ているような発言した事」
「何で?」
「コンビ、解消したいんだろ? さっきコンビ最後の仕事だと……」
藍花の方を見る。すると。彼女は笑顔で、背を見せた。
彼女の背中には、《前言撤回》の文字が書かれた半紙が張ってあった。課長の習字だった。
「お前はーーー!」
羽紀は顔を赤くして、少し小さめに叫んだ。
青空の下、空港の駐車場。二人は、離着陸する航空機を眺めていた。
「あいつ、どうやって真梶ユリの情報を手に入れたんだ?」
羽紀は疑問に思った。
「確かに」
藍花も頷く。すると。
「私がお答えしましょう」
人工知能の彼、槻真冬が姿を現した。二人は、振り返る。二人の背後に駐車されていた警察車両内の機器から立体映像が浮き上がっている。
「事故を起こして、死亡した灰仁爾は家族に遺書を残していたそうです」
槻真冬は淡々と話す。
「今頃?」
藍花はきょとんと首を傾げる。
「遺産の放棄期限は、原則三ヶ月以内です」
――あ。
「遺品が貸金庫にまであったそうです」
――確認が遅れたのか。
羽紀は、再び航空機の滑走路を見る。
――家族にだけは、真実を伝えておこうとしていたとは。
どうやら、遺書に全てを告白していたようだ。
事件の真相は、根賀光秘書は仕事の一環で出会った議員の妻、真梶ユリと共謀し、議員を殺害しようとしていたのだ。
実行犯の運転手、灰仁爾は根賀光がネットの掲示板で見つけて来た、金銭の必要な人物だった。
妻、真梶ユリの方は実の父親の地盤を継いだ夫が、自分以外の女性と再婚する為に自身を殺そうとしていたことに気付き、逆に殺そうとしていたのだった。
犯行動機としては、議員にはいくつもの保険会社の保険がかけられていた。秘書はその半分を妻から受け取るということになっていた。根賀光の自供は取れなかったが、捜査によって得られた物証で検察は起訴した。
航空機が三人の頭上を通り過ぎる。
「でも、何で妻の真梶ユリは秘書の車で逃走していたのかな?」
「お答えします」
槻真冬は、再び二人の方へ向く。
「真梶勝議員の所有する全ての車両はマニュアル車両でした。しかし、妻の真梶ユリはオートマチック車両用の運転免許しか持っていなかったのです。よって、秘書の所有していたオートマチック車両の車で逃走していたそうです」
「ふーん」
「で? なぜ秘書は一人で空港にいた?」
羽紀は槻真冬を横目で見る。
「根賀光秘書の目的は、あくまで金銭です。妻の真梶ユリを真梶勝議員から逃がそうとは、考えていません」
――利用されただけか。
翌日、警視庁交通課の一室。
「交通課ガードレール係へ。ただ今、麻薬保持者の逃走車両が南へ逃走中。急行せよ」
「行ってきます!」
藍花は、勢いよく立ち上がる。
――まだ指名してないのに。
真狩砂雪課長は、再び固まる。
「行ってきます」
羽紀も立ち上がる。
「え!?」
「失礼します」
真狩砂雪課長は、淡々と話されて、何も言えなかった。
藍花と羽紀の二人は、自分たちの警察車両の元へ走って行く。
「ガードレール係、急ぎなさい」
立体映像が現れた。いつも通りの立体映像による指示。槻真冬だ。
――しつこい。
羽紀は少し呆れた。