(8)
およそ魔法少女らしからぬ笑みを浮かべ、フラワーリンリンは右腕を天に掲げた。
自然と皆の注目が頭上に集まる。その隙に手袋についたスイッチを押すと、背後で待機していた三機の小型ドローンが起動して、リンリンの上空を緩やかに旋回し始めた。レコード盤ぐらいの大きさで、正面から見ると換気扇のようなデザインだが、これはリンリンなりに花を象っているつもりである。
「行きなさい、フェアリー達!火炎魔法!ファイアーフラワー!」
フェアリーことドローンが三機一斉に火柱を噴射する。蛍子は慌てて腰を落とし豹のように手をついて躱したが、翻った髪の先が少し焦げた。
まずは鉄板、「火の魔法」である。フェアリーたちはインドネシアの焼き畑農家から入手した火炎放射器を小型化し、揮発性のオイルを組み合わせ噴射するように改造した、リンリン渾身の一作である。
「ちょ、いきなり飛び道具とか、卑怯じゃない!」
「持っているものを活かすことのどこが卑怯なのかしら。才能、権力、財力、人はよくこういったものと相対した時さもそれが悪いもののように主張して貶めようとするけど、それってどんなに言葉を重ねても結局は醜い嫉妬に過ぎないわよね。世界は不平等に出来てるってことを受け入れられない子供の戯言よ。それどころか、発展を促す先駆者の脚を無力な人間が引っ張ってるという最悪のルサンチマンじゃないかしら」
ついいつもの指導癖が出てしまった。リンリンはハートのステッキを振って誤魔化す。
周囲の人間は避難していたが、時折車が炎で炙られるたび、庶民的服装の成人男性から悲痛な叫びが漏れた。
「確かに、才能は活かすべきよね!だから正義の味方は勝てるんだし!」
リンリンは目を疑った。蛍子は火炎放射を悉く躱していた。紙一重どころか、すでに完全に見切って、少しずつリンリンに近づいてきている。財部花梨は坂東蛍子の身体能力を過小評価していたつもりはなかった。しかし事実として、目の前にいる女子は想定を越えてきているのだ。
「くっ、直線の動きで間に合わないなら・・・もっと速度を増すまでよ!」
リンリンはハンドガンを取りだした。バックパックと管で繋がっており、弾薬の収まるべき部分が卵形に膨らんでいる。
「これは古代秘跡から私の魔力に呼応して蘇った魔道具、ウォーター・ピストーレよ」
水鉄砲である。もちろんただの水鉄砲ではない。内部機構には水圧で金属をも切断するウォーターカッターが採用されており、たった今バイクのハンドルが両断されたのを見ても分かる通り、当たったものは二度と元には戻れない。切ない過去のように深い傷を残すのだ。同時に、火炎放射ドローンの被害も消火出来る。
不慣れな姿勢をとって狙いを定め、撃つ。
両手で持ち直し、もう一度。
反動に負けずまだ撃った。
それでも蛍子には当たらなかった。いったいなぜ?何が起きてるの?
当たり前の前提として、火炎放射も水鉄砲も、蛍子に当てるつもりで用意してはいない。流石に当たっては洒落にならないので、脅しと演出のためだけに使おうと用意したものだった。しかしどんなに撃っても命中の予感は抱けず、いつしか財部は無意識に狙いを定めていた。にも関わらず、坂東蛍子は引き続き三つの火炎放射を躱しながら、音速の水圧カッターを発射前の銃口の向きや、財部にかかる反動を計算して的確に躱し続けていた。少女はまるで湖を跳ねる妖精のようだった。適度に優雅で独善的な、いたずら心を感じる回避だ。この期に及んでどこか余裕が垣間見えるのである。
(水蒸気爆発を狙うか。いや、運に左右されるしその間に距離を詰められる)
「チッ、仕方ない、次よ!」
バックパックからアンテナが伸びる。同時に三機のドローンが集合して一つに組み合わさった。合体ドローンは回転を速めながら蛍子の頭上に付き纏う。蛍子は自分の真上から何とか離そうと逃げ回るが、ドローンはロックオンしたターゲットを決して逃さなかった。回転に凄まじい唸り声が混じり始めたところで、ドローンが放電し始める。ここだ、とフラワーリンリンは疲れた腕を振り、お手製ステッキを蛍子に向けて宣言した。
「くらえ!一度きりの雷魔法!フェアリーボルト!」
ドローンが発光の中に身を隠すと、強烈な爆発音と共に電撃を真下に向けて放出する。疑似落雷だ。ドローンが内に溜め込んだ放電を一気に打ち出すその様は、まさに雷である。これを食らえばどんな正義の味方だって一溜まりもない。エネルギーは調整してあるものの、実際に試したことはないから、人間の体が内側から焼けて絶命する可能性だってある。
そう。殺人攻撃なのだ。
リンリンはわなわなと震えた。己の行動の愚かさと、それを許容している自分自身の異常さにおののいた。そしてそこまでさせる夢の狂気を、いま改めて強く自覚した。
(世界は不平等に出来てるってことを受け入れられない子供の戯言よ)
人工魔法の煙が視界で揺れる。機械のドローンがショートして落下する。煙の向こうに広がるのは、自分がどうしても決別したい無様な現実たちの姿だった。飛べない人間たちが作る、魔法少女の居場所が用意されていない、失敗だらけの世界。何もかも無様だ。誤りだ。唯一人、不自然なほど美しく凛と咲いていた蛍子の姿も、今や――。
「いない!?」
自壊し墜落したドローンの真下に蛍子の姿はなかった。エコカーが夏の日差しを受け煙を噴いているのみだ。
リンリンは目を凝らし、車中で何かが動くのを見る。
「車の中に飛び込んで避雷針代わりにしたの!?あの一瞬でそんな判断を!?」
坂東蛍子は車の運転席で、観戦していた少女のお絵かき帳にサインを書いていた。時間をかけて下りてくると、唖然としているリンリンに改めて向き直る。二人の距離は既に三メートルを切っている。
蛍子が大きく伸びをして破顔した。
「ああ!一度で良いからこんな風に暴れ回ってみたかったのよね!全部滅茶苦茶にしちゃいたかった!ありがとう。このまま二度と目覚めたくないぐらいよ」
3DレDは腰を落とし、腕を引いて、懐から小型のナイフを取り出した。ペーパーナイフのように見える。ナイフを逆手に構えると、少女はその赤と青のレンズの向こうで、悪の炎が揺れる狂気の瞳を煌めかせた。私みたいな目だ、と財部は思った。どうやら彼女もまた、あらゆる無様に憤っているようだった。
怯えた魔法少女の指先に力が入る。思わず小型ボーガン装置の弦が引かれ、物理魔法の矢を射出した。
矢が三本、風を裂く。少女の手に握られたペーパーナイフによって容易く弾かれた一本、二本目とは別に、軌道の逸れた三本目は蛍子の脇腹に一直線に向かう。蛍子はとっさに体を曲げ、提げていた水筒を盾にした。
矢は魔法瓶に突き刺さり、貫通する。
「そんな、そんな!」
財部が悲痛な叫びを上げた。
「魔法の瓶に、何でも吸い込む魔法の瓶に、穴が!うわぁーっ!」
何でもは吸い込まないでしょ、と蛍子が眉間に皺を寄せ、水筒の蓋を開けて中を見せた。水筒は本当に何の変哲もない水筒のように見えた。
そんな馬鹿な。そんなはずはない。だってその草臥れた魔法瓶は、たしかに爆炎を吸い込んだあの瓶に相違ないのに。
「そ、そうだ、偽物ね。替え玉でしょ!あるいは巧妙に魔力を隠してるとか!」
「そんなに気になるなら確かめてみれば?」
坂東蛍子が水筒を下ろし、財部の方に放り投げた。
カラカラと金属音が響く。
「・・・嘘よ・・・」
触れても、叩いても、覗き込んでも、その水筒は、ただの水筒であり続けた。頑なに財部の願いを否定するように、冷たい手触りだけを返した。
お願いです、私の心が読めるなら温かくなってください。私の考えてることがわかるなら――私の考えてきたことのその積み重ねと苦痛が見えるなら、物語に登場する数多の報われない少女たちにそうしたように、どうかたった一つのこの願いを叶えてください。
「・・・」
「先に言っとくけど」
財部の感傷を引き裂くように蛍子が再び腰を落とし、ショーの再開を要求する。
「私の必殺技はあんたのと違って相手を一撃で仕留めるわよ。つまり、あんたの所まで辿り着いたら私の勝ちってこと」
へたりこんだ魔法少女が顔を上げる。そしてこちらに影を伸ばす巨悪の言葉に身震いした。
「もちろん気づいていたわ。この蛍子さまが気づかないわけがない。アイテム、対立構造、傷つけあいのスケール。やっぱりこの夢、私が人を殺すように設計されてるでしょう。タブーを詰め込むことで、私の意識下が私にストレス発散を要求してる。その最後の締めに用意されてるのが、私の高揚感と、手に持ったナイフと、怯えるあなた・・・ねぇ。私って本当に最低だよね。心の奥ではこんな光景を見たいとか思ってたってことなんだよ・・・でも、じゃあ、あなたは何者なの?あなたは何をするためにこの場にいるのかしら」
私がこの場にいる理由。それは魔法少女だからだ、と財部は思った。私は魔法少女であるためにこの場に来たのだ。
「まあ良いわ。立ちなさいよ。あなたが何者だろうと、この夢の舞台に登場してる以上は、最後まで私に付き合う義務がある」
夢の舞台か。そうだ。私にとっては、どちらにせよ今日が最期なんだ。もうすぐ全てが終わるんだ。だから終わるまではせめて、私の夢を具現化させたこの舞台で、魔法少女を続けなければ。
(夢を証明するんだろう、財部花梨。まだ終わってないじゃない。諦めるには早い。だって魔法は、頑張った主人公のもとに最期に訪れる、前触れのない奇跡なんだから)
財部が立ち上がり、バックパックに手を伸ばす。
「そうこなくっちゃ」と蛍子が笑んだ。
いよいよ終盤に入っていくので、次回の更新は一週間後、以降は二日おきに更新していきます。