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前回から財部が妄執している「蛍子の魔法瓶」というのは、三巻に出てくるマテリアルで「一見ただの水筒に見えるけれど、その実本物の魔法の瓶で、なんだって吸い込むことができる」という設定のものです。その光景を財部だけが目撃している、という状況です。もうひとり、当事者として魔法瓶を目撃していた蛍子はというと、今は中学二年の時間軸に精神が飛んでいるのでこの場にはいません。
子供の時点で夢も希望もないと悟った中二蛍子と、大人になって夢も希望もなかったと悟った財部花梨。この二人の対峙がこのボツ稿の構成の核となります。
本サイトの方にも魔法瓶のエピソードがありますので、載せておきます。
坂東蛍子、魔法の瓶を掲げる―https://ncode.syosetu.com/n3941cj/
「行くわよ」
財部はスイッチを力強く押した。瞬目、鉄橋の脚が一斉に爆破される。山間に大きな音が木霊し、その大地の揺れときたら、神話の世界の蛇が足の下で蠢いているのかと錯覚するほどだった。三角コーンで封鎖された道路の前で立ち往生し、文句を言っていたドライバーたちも、崩れ落ちる橋を前にすっかり静かになった。
資材置き場に背を預けながら、財部も一緒になって橋の崩落を見ていた。彼女の瞳に迷いはなかった。自分のやった蛮行の意味するところは勿論分かっていた。退職届も書いて、懐に入れてきた。このまま続けたら失うのは職だけでは済むまい。
しかしそんなことは全く気にならなかった。
彼女は今、本当に久しぶりに、自分の人生を賭けられると豪語出来た。
何としてでもあの魔法の瓶を手に入れるんだ。ここはそのために誂えられた最適の舞台になるんだ。魔法少女が戦う、決戦の舞台に。
今日、私は本物の魔法少女になる。
「坂東蛍子!下りてきなさい!」
資材置き場の裏で作業服を脱いだ財部は、そのまま先頭車両の大型トラックによじ登り、荷台の上で仁王立ちした。女教師はスーツの代わりに魔法少女の衣装を着ていた。
「貴方の魔法瓶を頂戴しに来たわ!さっさと出てこないと、こうよ!」
ドカン。背後に舞う爆煙に心が震える。
財部は極限の緊張から来る一種の全能感に酔いしれながら、車から降りてきた人々の視線を一身に浴びた。今、財部花梨は完全に魔法少女になっていた。ふわりと傘のように広がるスカートや、パステルカラーのレースの襟首や、ハートマークのついたマジカルステッキが彼女を特別な存在へと押し上げていた。唯一、背中に背負った鋼鉄のバックパックだけが服装にそぐわず異質だった。
坂東蛍子は程なくしてやって来た。
バスから優雅に降り立つと、迷いのない足取りでこちらに向かってくる。巻き込まれた群衆の注目が一瞬の内に謎の美少女に移ったことで、魔法少女は少し気分を害した。そうでなくとも財部は蛍子が嫌いだった。「見つけた人間」の目をしているからだ。
互いに表情を目視出来る距離までやって来ると、車線を跨いだ蛍子が白ピンクの衣装を見上げ、訝しげに言った。
「あなた、何なんですか」
よくぞ訊いてくれたと言わんばかりに花梨がツインテールを揺らして一回転し、日曜の特撮番組さながらの決め口上を唱える。
「私の名前はフラワーリンリン!悪い魔女からこの・・・山脈一帯を守る、花の魔法少女よ!」
「山脈一帯て」と蛍子が呟く。「キツめの自然保護活動家ってこと?」
「そしてこっちが相棒の・・・」
フラワーリンリンは近くにいるはずの相棒を探してキョロキョロし、未だ資材置き場に隠れている少女を発見して激しく手招きした。金髪の少女が諦めてとぼとぼと歩み寄り、超人的な跳躍力でリンリンの待つトラックに飛び乗る。少女もまた特別な衣装を着ていた。リンリンとデザインが似ているが、テーマカラーとしてピンクの代わりに黄色が使われており、ヘルメットのバイザーを追加装備して目元を隠している。
「またやばいのが出てきた」と蛍子がつぶやく。
「改めて・・・相棒のジャスティスミンティよ!」
「相棒って、刑事じゃないんだから」
「最近の魔法少女は二人組なの!さあミント!自己紹介!」
「はあ!?今アンタがしたろうが」
リンリンがミンティに何事か耳打ちすると、金髪は態度を変え、徐に口を開いた。
「ジャ、ジャスティスミンティだ・・・関東平野を守るために目覚めた正義の、ま・・・魔法少女だ・・・」
「だからどういう世界観なの?」と蛍子。
「クソ・・・死にてぇ・・・」
常識と一線を画したその巧妙な変装から、まだ誰にも看破されていないであろうが、実はジャスティスミンティの正体は二年B組の不良転校生・桐ヶ谷茉莉花である。
茉莉花は担任である財部とそれなりの親交があり、放課後に彼女の実験の手伝いなどもしている。また、先日骨董品のオルゴールを紛失した直接の原因は茉莉花にあり、そのことで財部にうっかり負い目を感じてしまったがために、今日こんなことをやらされているのだった。
「おい、てめぇ、何撮ってんだ!しばっころがすぞ!」
渋滞で詰まった車から下りてきた家族連れで、周囲はすっかり人が溢れていた。皆、魔法少女と、それに対峙する美少女を少し遠巻きに囲んで眺めている。大多数は何が何だか分からないといった様子だったが、一部は勇敢にも写真撮影を敢行して、茉莉花に怒鳴られていた。
正直、財部はここまで簡単に茉莉花を懐柔できるとは思っていなかった。桐ヶ谷茉莉花は外見は不良だが、性格は至って真面目で、困っている人間がいたら自分から手を差し伸べられるような人物だった。そんな少女が公共物を爆破する計画になんて賛同してくれるはずがない。そう思い、財部は学会で発表出来るほどの理論武装をして茉莉花の説得に望んだが、彼女は解説の中途の時点であっさりと協力を承諾した。話している最中に感じたが、どうやら茉莉花は私がいかに本気であるかを理解し、その気持ちを尊重してくれたようだった。何より、茉莉花は正義の少女だったが、同時に不良でもあるのだ。世のルールを遵守するより守りたいものを守るタイプの人間だったのである。そんな茉莉花に財部は、敬意と感謝を込めて「ジャスティスミンティ」と命名した。茉莉花は心底嫌そうな顔をしていた。
「なんとなく分かってきたわ」
それまで慎重にこちらの様子を窺っていた坂東蛍子が口を開いた。
「さすが夢、何でもありね。設定としては“コスプレを強制するネイチャー系洗脳宗教団体”ってところかしら。嫌いじゃないわよそのノリ。ちょっとキモいけど」
「うふふ、なんだか誤解があるみたいね」
フラワーリンリンは口元に手を当て微笑した後、表情を引き締めた。
「私は今日、邪悪な魔法を使う貴方を滅殺するためにやって来たの」
「は?」
「つまりね、要するに、貴方の使う魔法瓶が放つ邪気はCO2を生んでオゾン層を破壊することがわかったのよ。自然を破壊してるの。そんなの花の魔法使いが見逃すわけないってこと」とリンリンが指を指した。「大人しくその瓶を渡しなさい。そうすれば命だけは助けてあげる」
「こじつけは意味不明だけど、セリフが悪役だってことはわかった」
まあ、夢なんてそんなものだ、と蛍子は思った。ほとんどが意味の通らない混沌の中で、なぜかやるべきことだけははっきりと頭の中に浮かんでいるものだ。これからあの二人組相手にストレスを発散できるということ、それだけははっきりとわかる。
坂東蛍子が浮かべた不敵な笑みに、財部は一瞬おののいた。蛍子の普段からは想像もできない顔だったのだ。
「良いわよ。やってやろうじゃない。あんた達ぶっ飛ばした後、オゾン層破壊しまくってやるわ」
「おいおい悪役だらけかよ」と茉莉花。
蛍子が前置きも予定調和の決め台詞もなく、大きく一歩前進した。ずんずんと財部との距離を詰めていく。女子高生とは思えないその迫力に財部花梨は後ずさりそうになり、脚を鼓舞した。
やってやる。やってやるんだ。そう決めたじゃないか。私は私の生徒を傷つけることを心に決めてここに立っているはずだ。私自身の夢を形にするために。科学教師は深く息を吸い、背負った鋼鉄のバックパックへと手を伸ばした。
「茉莉花が財部の実験に付き合い、また弱味も握られている」過程の話は二巻二話、学校の怪談編をご参照ください。