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 しょうらいのゆめ 一ねん一くみ たからべかりん

 わたしは、大きくなったら、まほうしょうじょになりたいです。なんでかっていうと、かっこいいし、かわいいからです。わたしはまほうで、みんなをいっぱいしあわせにしたいです。それで、おとなになったら、まほうしょうじょになりたい子に、まほうをおしえる先生になりたいです。そして、もう一回、みんなをいっぱいしあわせにします。




「間に合った!」

 坂東蛍子は谷底へ滑落するフラワーリンリンの腕を何とか掴んだ。引きずられながらも、傾いた道路標識にしがみついて大人の体重を必死に支える。標識は地すべりの斜面から突き出している状態で、いつ根本から引っこ抜けてしまうかわからない状態だ。

 車上にいた二人は化物の尾に車ごと薙ぎ払われ、空中に放り出された。幸い信号機に引っかかった蛍子は、素早く地面に下り、為す術なく崖の向こうに消えていくリンリンを捕まえるべく駆けたのだった。

「いーい!?絶対離すんじゃないわよ!」

 蛍子が魔法少女を励ます。橋の爆破と地鳴りによって谷間はいまも斜面へ傾れ、地崩れが続いている。たとえ蛍子の筋力が保っても、このままでは足場が先に崩落しそうだ。

「引っ張り上げるから!両手で掴んで!ねぇ、聴いてんの!?」

 フラワーリンリンと名乗る女は俯いたまま顔を上げない。握力はあるので気を失っているわけではないはずだけど、と蛍子が訝しむ。砂巻く音に紛れて何やら呟きが聞こえ、蛍子は傾聴した。

「・・・離して」

「はあ!?」

「離しなさい!」

 リンリンは今度は強く声を張った。窮地に気づいていないかのように凄み蛍子を脅す。

「今ふざけてる場合じゃないでしょ!死にたいの!?茶番はもうおしまい!」

「茶番じゃない!」と女が叫んだ。「茶番じゃないわ!私は人生を賭けて臨んでいたの!」

「魔法瓶なんかに人生かけないでよ!」

 蛍子は呆れたが、女は真剣な顔をしていた。棺桶のような目で蛍子を見返している。

「・・・もっと人生、賭けるものあるでしょ」

「そんなものなかったからこうなったのよ」

 女は断言した。

「生きることに価値を見いだせなかったから、こうなったの」

 坂東蛍子は何も言い返さなかった。少女は中学二年にして既にこの女の発言の意味を汲み取ることが出来た。女が再び口を開く。

「生きることは、辛いことでしかない。これが私が生涯を通して理解した事実。欲しいものだけがどんどん大事さを増していって、それを眺める時間だけがどんどん重なっていく。でも絶対触ることは出来ない。だって私が欲しいものはこの世には存在しないんだから」

 そう言うと、女が今度は明るい表情を浮かべた。

「でも今日は違ったわ!二十九年間で、こんなに欲しいものに近づいた日は一度もなかった!貴方の持っている魔法や、魔物を召喚した魔法、いえ、そういう次元じゃない。これだけの大惨事にもかかわらず非難もない異様な空気!解放感と、全能感と、全てが私に味方しているようなこの状況!」

 女が再び表情を消す。蛍子にはその顔に諦念が混じっているように見えた。

「今日こそ魔法を手に入れる時なのよ。今日を逃したらもう一生手に入らない。二度とこんな日は訪れない。私には、今日が全てなの」

 蛍子ははっとして女の手首を強く握った。握り返している女の握力が、少しだけ、しかし確実に弱まったのを感じたからだ。やっぱりさっきの悲しい顔は、私の想像した通りのことを考えてる顔だったんだ。この人、手を放す気だ。

「今日が全て・・・未来がないということじゃないわ。私には過去すらないの。二十九年間、青春の一切を捨て、友情や恋愛に傾ける情熱の全てを夢に注いだ。参考書に齧り付いて、嘘臭い笑顔を作って、湯船の中で頭を抱えた。ちゃんと泣くことすら経験出来なかったわ。それでも何も手に入れられなかった。何もないまま、私の大事な時間は全部終わってしまったのよ。だから、私は今日初めて生を実感した」

「そんなの、知らないわよ」と蛍子が呟く。「私、まだ十四だもん」

 握る手が震える。少女の握力には限界があった。蛍子が息継ぎし、言葉を繋げる。

「あんただって、まだ二十九じゃん。未来、まだまだあるでしょ」

「いいえ。私の夢も、失ったものも、老いたら手に入らないものなのよ」

「でも!今日みたいな一日があるって分かった!私、今日はすっごく楽しかったわ!」

 少女が頬を上気させ、呼気を温めた。

「生きてみてもいいって、私はそう思ったよ」

 いつの間にか、相手に向けたはずの言葉は蛍子の方にも向いていた。蛍子は本当に今日を迎えられて良かったと思っていた。たとえ夢の中でも、私の心を満たしてくれた。つまらなくても生きていて良かった。

「あんただってそうでしょ。自分でも言ってたじゃん、今日は生きてる実感あったって」

「・・・・・・」

「たとえ今日一日でも、二十九年かけてたった一日でも、見つけられたらこっちのもんじゃない!楽しい時間があるって分かったんだからさ!ほら、二十九年周期なら、死ぬまでにもう一回ぐらいはこういう日があるってことよ!」

 女は黙って聴いていた。蛍子は言葉を続ける。

「あんたの欲しいものは、流星群やハレー彗星みたいに、普段は見えなくったってちゃんと何処かにあるものなのよ」

「ちゃんと、ある・・・」

「そう、あるわ!」

 うん、あるんだ。

「あんたの欲しいものは何処かにちゃんとある!」

 私の欲しいものは、ちゃんとあった。まだ知らない何かは、私を楽しくさせてくれる誰かは、私の近くにちゃんと隠れてた。

「そして今日みたいにまた会える!だったらさ!もう一度今日を探せば良いじゃん!」

 幾らでも探せば良い。少しぐらい我慢して、もう一度今日を待てば良い。だって私には、まだ時間がいっぱいあるんだから。蛍子は同意を求めるように女の目を見た。女は優しく微笑みを返して言った。

「あるかも分からない一日のために生きるなんて、辛すぎるわよ」

 握り返す女の腕から力が消え、蛍子の腕の中をするすると滑り落ちていく。五指が少女の白い手首を懐かしむように撫で、掌をなぞり、最後に重なる指先を解いた。

「・・・・・・!」

 蛍子は空になった右手を、しかし実感する間もなく思い切り振り上げた。反動を使って身体をひねり回転させ、手放した道路標識に片足を引っかけ直す。逆様になって丈を稼ぐと、空中ブランコのように手を伸ばし、落下していく女の腕を改めて掴んだ。

「しょうがないでしょ。生きるってのは辛いことなんだから」

 坂東蛍子は穏やかに言った。左手で女の腕を強く握り込む。

「よくさ、幸せになるために生まれてきたとか言うじゃない?赤ちゃんとかに。それってたぶん本当なのよ。私たち、幸せになるために生まれてきたの。だったら初めから幸せなわけないじゃない。これから幸せになるってことは、今は幸せじゃないってことなんだから」

 口調は穏やかだったが、表情は失われている。それは結城満が「つまらなそうな顔」と称する、見る者の気持ちを苦しくさせる顔だった。

「不幸なのよ。生きるってことは本質的に不幸なのよ。不幸というレールについた名前こそが“人生”なんだもん。だから私たちは不幸な自分を幸せにしようともがいて、合間合間にたまに幸せを掴んだりしながら、ずっと不幸に生きていくしかないの」

 女は黙っていた。

「私たちは死ぬまで一生不幸なのよ」

 坂東蛍子は少し笑った。

「そういう生き物なのよ」

 束の間の静寂だった。命の気配のない時間だ。土砂も気を遣って音を潜め、夏の日差しも無言で二人を見下ろしていた。間に漂う空白を、今度は女が埋めるべく口を開く。

「だから辛いのも当然で、死ぬ理由にはならないって?私より達観したこと言って、私のプライドでも煽ろうって魂胆かしら」

 女が嘲るように吐き捨てた。

「それ、暴力よ」

「・・・・・・」

「今自殺するな、夢見てゆっくり自殺しろ、人生は自殺だ。要するに貴方が言っているのはそういうこと。そんなこと言われて手を離さない人間は死のうとなんてしないわ」

 蛍子は特に何も言い返さなかった。それから女は蛍子の瞳を長いことじっと見つめた。蛍子も彼女の目を見返した。言葉も表情もない、惰性の人生を延長するような二人のささやかなコミュニケーションだった。女が最後の言葉を放つ。

「ただ、教育者としては、そんな悲しいことを言う生徒の手は、離せないわね」

 そう言うと、女は少し笑って、蛍子の腕を両手で掴み返した。




 崖の上まで戻ってくると、坂東蛍子は草臥れて地面に座り込んだ。崩落を警戒して避難している観衆が遠くに見え、少し手前に馬頭が立っている。他の二人のヒーローの姿はない。まだ闘っているのだろうか。それとも一通り片付いて、二人で空でも見ているのだろうか。今の私たちのように。

「思い出したのよ」と女が言った。

「そういえば私には夢が二つあったんだったなぁって。欲しいものを手に入れることと、欲しいものを与えることとね」

「それって結局は同じことじゃないの?」

 私もそう思ってた、と女が笑った。



投稿サイトの仕様で、エピローグが一時間後に投稿されます。

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