(10)
「行け!ミンティ、ヘルメット壊せ!」
「れっど、クルクルってやつ、もう一回やって!」
子供達はそれぞれ気に入ったヒーローに声援を送っている。大人たちは顔が真っ青だったが、子供からしてみれば「ヒーロー」は「ヒーロー」でさえあれば、中身は特に気にしないようだった。その点で言えば、いま彼らの前を乱舞する四人は、一級のヒーローショーでもお目にかかれないど派手なアクションと命がけの戦いをする、正真正銘のヒーローであった。
落ちた橋の前で繰り広げられる活劇はすっかり大盛況で、遠巻きに人だかりが出来ている。和馬もそれに加わり、歓声の中心へ目を向けた。どうやら財部花梨がまた大技を繰り出そうとしているようだ。黒い輸入車の背中にチョークで魔法陣を書くと、バックパックから白い粉を大量に滑らせ、魔法陣にうずたかく積もらせた。
「出でよ!我が忠実なる悪魔の下僕よ!」
財部がステッキを捻ると、先端から火が噴き出した。可憐に一回転した後、そっと火を当てる。すると白い粉の山から、黄土色の触手がニョロニョロと生え、イカの手足のように蠢き出した。大量の触手は次第に結合し、野太い幹のようになっていき、車上から地面に這い下りてくる。この世のものとは思えない不気味な光景に子供はおろか、大人すらも息をのんだ。
この異様、カズホースは財部の科学の授業で見たことがあったので特に動じなかった。前に見た時は灰色の細い触手だったけど、これも似たようなものだろうなぁ、やっぱ科学って面白いなぁ、と数本の巨大触手を見守る。楽しんでいたのは和馬だけではなかった。財部花梨も、また坂東蛍子も実に生き生きしている。
川内和馬の見る限り、はじめは坂東蛍子が魔法少女の茶番につき合わされるような形だったが、次第に蛍子が乗ってきてからは、今度は財部の方がつき合わされているようだった。どんなに手を打っても無傷で涼しい顔をしている蛍子に、財部は直にムキになった。遠目に見ていても憎悪や絶望すら垣間見せる感情的な攻防があったが、そういったやりとりも時間と勢いが押し流していったようで、いつしか、財部自身も蛍子との掛け合いを楽しみはじめた。それは表情でわかる。
たしかにこの場自体、ヒーローショーさながらの盛り上がり方をしていたが、しかし二人は二人で、二人にしかわからない別の何かを共有し、戦いでコミュニケーションをとっている。和馬にはそのように感じられた。そしてそんな彼女らの無邪気で向こう見ずな態度が、より周囲の人々の視線をとらえて離さず、結果として混乱や不安を抑え込むことにも繋がっていた。
居心地がいいな。それが和馬の率直な感想だった。休み時間みたいだ。いつか終わるけど、できれば終わってほしくない。そんなある日の休み時間だ。
「坂東さん!気をつけて!」
和馬は召喚魔法がただの化学実験に過ぎないことを知っていた。つまり本命は別にあるのだ。財部先生は油断を誘っているに違いない。
「召喚魔法は本物じゃ――」
その時、突如凄まじい地響きが大地を揺らした。
音は徐々に大きくなり、その音の出所が橋の架かっていた崖の方だと和馬が理解した頃には、すでに手遅れな事態となっていた。
財部が背にしていた崖から、実験のそれよりも更に太く、黒く、ヌメヌメと光る触手が現れ、谷間から徐々にその身体を引きずり上げる。それは巨大な何かだった。地球上の比喩表現では形容しがたい何かである。ちょっとした観覧車ぐらいの大きさのそれは、黒光りし、無数の触手が生え、目玉も沢山あった。ナメクジのようでもあり、蜘蛛のようでもある。精神的な被害を被りかねないのでこれ以上の形容は控えよう。想像したい場合はモザイクの塊を思い浮かべてもらいたい。恐らくここが現代日本でなく、悪魔が信じられていた中世西欧世界なら、ここに居る何人もの人々が発狂していただろう。ファンタジーを心から信じていたり、巨大な舞台装置だという常識で割り切っていなければ到底直視できない。そんな姿だ。
さすがの観客たちもこれには一斉に逃走を開始した。よく分からないがとりあえず距離を取ろうという算段のようである。カズホースはリンリンやレDと共に呆然と巨大生物を見上げている。
「あんた・・・ほんっとうに最高ね・・・」
坂東蛍子がぽつりと零した。和馬の所からは表情は見えないが、和馬は彼女の嬉しそうな顔を想像出来た。
「ウワ、ヤベェナ、人メッチャインジャン」
巨大生物がくぐもった声を出した。巨体を揺らして周囲の車を蹴散らし、首下の傘から滴る何かがバンパーを溶かしている。まさか日本語を話すと思っていなかった和馬は思わず尻餅をついた。なんなんだこの生物は。作り物じゃないのか。というか日本人なのか。
少年に気づいた巨大生物が彼の方に目玉の向きを揃える。たくさんの目の内の八つほどを、ぎょろりと。
「ン?ソノ生体反応、カズマックスジャネ?」
「え?」
そんなあだ名で自分を呼称する人物を、彼は一人しか知らなかった。
「・・・ジョッカワさん?」
黒い塊が触手を上下させる。頷いているのだろうか。
ジョッカワさんというのは和馬が所属する美術部の仲間・大城川原クマのことである。
「え、ジョ、え?」と和馬が混乱を抱えつつ起き上がる。「どういうこと?エキストラ?」
「エ、ナニ、トリアエズコッチガ訊キタインスケド、皆林間学校行ッタンジャナイノン?」
巨大モザイクと和馬を交互に見比べている蛍子の脇を通り抜け、和馬がクマと目される何かに接近する。
「いや、橋落ちちゃって立ち往生してて・・・いやいやそんなことよりさ」
「アア、コノ姿ッスカ?ナハハ、イヤー、チョット・・・」
大城川原クマは宇宙人である。銀河連邦からの勅命で、先日この近くで行われた宇宙人水着コンテストに大マゼラン雲枠で出場したところ、予想以上に勝ち上がってしまい、帰省延期と林間学校欠席を余儀なくされてしまっていた。決勝戦での死線をくぐり抜けた結果、クマは水着を失い、ありのままの姿で(人間体でない方の、ありのままの姿で)県境の谷間に放り出されることになった。
「ツ、ツマリ・・・”えきすとら”?的ナ」
「なんだ、やっぱそうなのか」
和馬がホッと一息吐き、から笑いしながらクマの身体をつついた。
「ウオ、イキナリソコハ大胆スギル!」
「しかし本当に良く出来てるなぁ、この着ぐるみ。この謎の弾力はなんなんだ。先生は科学に工学につくづく何でも囓ってるよな」
「チョ、指溶ケンゾ!ソンナコトヨリ着替エタインスケド!」
「え、もう出番終わりなの?財部先生?」
フラワーリンリンは車上に座り込んだまま黙っている。腰を抜かしているように見えた。その傍らで3DレDが威嚇するようにシャドーボクシングをしている。少女に絡まれたら面倒くさいことになると気づいた和馬は、クマを近くの山林に誘導することにした。巨大な化物を先導しつつ、遠巻きに見守る子供達を安心させるためにガッツポーズを向ける。しかし、それを何やら勘違いした子供が数名こちらに駆け寄ってきてしまう。
「やばい!ジョッカワさん、派手で怖い感じのして!あの子を立ち止まらせてくれ!」
「ウィーッ」
大城川原クマは全身の触手を伸ばし空を覆い尽くした後、長大な身体を一捻りして周囲の車両をなぎ払った。地響きの中で無数の目玉が蠢き、断末魔に似た凄まじい咆哮が車の窓硝子を粉々にする。
辺りが悲鳴に包まれた。
怖すぎだろう、と和馬は馬の被り物の中でちょっとだけ泣いた。
とりあえず後のことは坂東さんたちに任せるしかない。彼女たちならまた元気に跳ね回って、観客の心を落ち着かせてくれるはずだ。
和馬は振り返った。彼の後ろには何一つ残っていなかった。全てがクマの身体に薙ぎ払われ、谷底へと消えていた。
「嘘だろ」
悲鳴と混乱と絶望がヒーローショー会場を埋め尽くす。
大城川原クマの宇宙人性の出典はクトゥルフ神話にある、という本編で語られない情報が一番浮き彫りになった回でした。
次回最終回、更新は18日です。




