第07話 ザ・ストレンジャーズ・ガンダウン
マラカンドの街の外、市壁の外側には葡萄――風の果実がなる畑に、西瓜――風の実が連なる畑が連なり、また市の中に入ることが許されない食い詰め者や流れ者の掘っ立て小屋が並んでいる。
マラカンド王ナルセー直属親衛隊、チャカルの演習場はその傍らにあった。
演習場と言っても、何ら特別な造りの場所ではない。ただ柵で囲われた砂地が広がっているだけの場所に過ぎないのだ。
私はその砂地の一角に立ち、手には西瓜状の果実を手にしている。
手提げ網に入った、西瓜然として緑に黒の縞模様の球体には、白い塗料で人の顔が描いてあった。他でもない私の筆になるもので、子どもの落書きのような簡素な面相であったが、まぁ、どの道銃弾を受けて粉々になる顔だ。絵かきのように手を凝らせる必要は皆無だろう。
『……』
『……』
『……』
『……』
『……』
『……』
『……』
『……』
『……』
数多の視線が私へと突き刺さる。
清國人めいた視線が、北欧人めいた視線が、無頼な視線が、無法者然とした視線が、戦士の視線が、兵士の視線が、流れ者の視線が、狼の視線が、蜥蜴の視線が、ありとあらゆる視線が私を見つめている。
チャカルに属するものは多種多様だ。だが今はどいつもこいつも同じ眼で私を見てる。
好奇の眼、見世物を眺める眼、私の腕の程を探る注意深い眼で私を見ているのだ。
『……』
『……』
イーディスが緑の隻眼で私を見つめていた。
お手並み拝見、「まれびと」たる私の腕前を試したくてしょうがないと、うずうずした視線を私に送っていた。
アラマが、、例の不思議な金色の双眸で私を見つめていた。
興味津々、「まれびと」たる私の摩訶不思議な技を見たくてたまらないと、子どものようなわくわくした視線を私に送っていた。
(……はぁ)
心の内でため息を漏らしながら、私は西瓜もどきを携え砂地に足跡を刻む。
だだっぴろい演習場の、端から端まで歩き、そこからさらに柵を越えてなお歩く。
目指すは、少し土が盛り上がった丘の上に立つ、かつては青々茂っていただろう、太い幹の枯れ木の所だ。
枯れ木まで辿り着いた所で、何本か残っている枝の中から、目当ての物を見繕う。
まだ根本がしっかりとしていて、容易には折れそうにない一本を見つけると、私は上着の内側からナイフを取り出した。今日日はやりの飛び出しナイフというやつだ。折りたたみ式の刃がスイッチひとつで飛び出すアレだ。
パチンッといい音を立てて刀身が飛び出せば、私は逆手に握って思い切り枯れ木の枝へとナイフを突き立てた。
何度か柄を揺さぶってしっかりと刺さっていることを確かめると、手提げ網をそこに引っ掛け吊るした。
ふざけた白い目鼻の緑の面相が、微かに風に揺れていた。
踵を返し、イーディス達の元へと戻りながら私が考えるのは、ここに至るまでの顛末だった。
大勢のチャカル達の前で私が「見世物」を披露することになった発端は、そもそもイーディスにあるのだ。
『諸君、紹介しよう! 今日から我らチャカルの一員として共に轡を並べることとなった男だ!』
つい先程までグラダッソとロンジヌスが仕合っていた広場には、チャカルの戦士たちが肩が触れ合うほどの密度でひしめき、その目の前でサーカスの熊のように突っ立っているのが私だった。
イーディスは新商品のライフル銃でも紹介するような口ぶりで、連中に私を紹介する。
ロンジヌスは髭の端をもてあそびながら、値踏みする視線で私を眺めてる。
他のチャカルの戦士たちの多くは、大男と同じ種類の視線で私を見ていた。
一方グラダッソのほうは、殆ど興味ないといった様子でぼんやりと眼だけ向けている感じだった。他にも何人かこの小男と似たような調子なのがいたが、御伽噺の魔法使いのような格好をした爺様や、弩を肩に負ったエゼルのような長耳の色男など、グラダッソ同様に変わり者か偏屈そうなやつらばかりだった。
『聞いて驚け! 見て戰け! この男は「まれびと」だ! 神々の導きに従いて、マラカンドへと至りし「まれびと」だ!』
まれびと、という単語を耳にすれば連中の私を見る目は俄に変わった。
ある者は驚き、ある者は訝しみ、ある者は好奇の目で、ある者は猜疑の目で私を見た。
『知っての通り、「まれびと」ある所に戦いありだ! 来るべき神々の敵を討ち滅ぼすべく、まれびとは遣わされる! 諸君らもここの所は戦の種もなく、無聊をかこつ日々が続いていたであろうが、それも終わりだ! この異邦人の戦士と、轡を並べる時が来たのだ!』
イーディスは熱っぽく大声を張り上げて言うが、チャカルの男どもは今ひとつ乗ってくる様子はない。
コイツラは畢竟、一握りの報酬の為に戦う用心棒共に過ぎない。つまり、私と同じ穴の狢だ。
たまたま同じ飼い葉桶の麦を喰らうことになっただけであって、仲間意識などあるわけもない。肝心なのは、自分の背中を任せるに足る「腕」を持っているかどうかだけだ。
無論イーディスも、そのことは誰よりも良く解っている。
『「まれびと」は各々、「まれびと」ならではの異邦の技を操ると聞く! ひとつ、それを拝見させてもらうとしよう!』
だからこそ、そう唐突に私に見世物になれと振ってきた訳だ。
私が目を細め傍らを見れば、イーディスも口角を釣り上げながら私を見返した。
腰帯に差した異邦の曲刀の、変わった意匠の柄頭を、その指先で撫でながら。
私は大きく鼻から息を吐いて、一歩進み出てチャカル達の正面に立った。
(……さて)
目深に被った帽子の下から、この男どもが私を品定めするように、逆に私のほうから男どもを品定めする。
最初が肝心だ。普段のガンマン稼業では目立つのは厳禁だが、用心棒ならば話は別だ。腕っ節を見せて相手をビビらせ畏まらせなくちゃぁ話にならない。そのためには、体のいい当て馬噛ませ犬を探す必要がある。
誰でも良いわけじゃない。腕のそこそこに立つ相手でなければ、当て馬は務まらない。
(……アイツだな)
グラダッソの摩訶不思議な技を見せられた後だ、この連中も生半可な出し物では満足しないだろう。だとすれば拳銃の方ではなく、私ならではの、遠い間合いでの腕前を見せたほうが良い。
私は、クロスボウを肩に負った色男を指差し訊いた。
「そこのお前、お前だお前」
『……俺か?』
「そうだお前だ。これ見よがしに弩を背負ったお前さんだよ」
胡乱な目で見てくる色男に、私は続けて問うた。
「お前さん、その弩でどれぐらい遠くの的を狙い射れる?」
色男はちょっと考えてから答えた。
『動く的なら半スタディオン、動かぬ的ならば1スタディオン先の的も射抜いてみせる』
色男が静かに述べた言葉には、周りの連中が頷き返すのが見えた。
イーディスに目をやれば、静かにどこかを指差した。宿舎の陰から覗く、丈の高い建物の青い屋根だ。私が目測するに200ヤード(約180メートル)程はある。成る程、1スタディオンはだいたい200ヤードか。確かに、弓で狙うには名人芸が要る間合いだろう。見立通り、良い射手であるらしい。
「成る程、大したもんだ」
私は大仰に感心して見せた。
これは半ば本音だった。同じ遠間の戦いを行う者から見ても、賞賛すべき腕前なのは事実だ。
だが、続けて私はこう付け加える。
「惜しいかな、今やその腕前もチャカルの二番手だ」
『なに?』
色男が睨みつけるのに、私はこう返したのだ。
「俺ならば、4スタディオン先の的にも当てて見せる」
――などと回想に耽っている内に、私はイーディス達観衆の元へと戻り終えていた。
さて、いよいよショーの始まりと言うわけだ。
私はサンダラーの元へと歩み寄ると、その鞍の横側に吊り下げたもの、何やら革布を巻いて紐で縛ったような代物へと手を伸ばした。このロールケースの中には、身につけて持ち歩けないような長物の仕事道具が仕舞ってあるのだ。私が留め金を外せば、ロールケースが開き、三丁の長物の姿が露わになった。
一丁はレミントン・ローリングブロック・ライフル。普段、遠間の仕事を片付けるのに使う得物だ。
もう一丁はハウダーピストル。逆に、間近の仕事を片付けるのに使う得物だ。
そして最後の一丁、こいつが今度の仕事の得物なのだ。
ロールケース内にあって、さらに別の革ケースに厳重に包み込まれた得物を私は取り出した。
「……よし」
手袋を嵌め、革ケースを取り外せば、中から姿を現したのは古びた一丁のマスケットライフルだった。
パッと見、何ら奇妙な所はまるでない、平々凡々な古びたライフル銃に過ぎない代物だが、私はこの銃を手にするたびに、思わず笑みを浮かべずにはいられない。
「前の戦争」の頃、この銃を手にできたのは限られた者だけだった。
本物の選抜射手と見做された者だけが、この銃を手にすることが出来た。
私の師匠は、これを手にする資格はあったが、そうなる前に北軍に撃たれて死んだ。
私がこれを手にするほどの腕になった頃には、戦争は既に終わっていた。
だから道すがら立ち寄った店のショーケースにこの銃を見つけた時は、碌に信じてもいない神の思し召しと想って十字を切った程だった。
「~♪」
今は亡くなった国の軍歌を口笛で奏でながら、私は真鍮の輝きも眩いスコープを取り出し、マスケットライフルへと装着する。軽く覗き込んでレンズの調子を見るが、委細問題ない。
続けてサドルバッグから火薬入れのフラスク、火薬計量器などを取り出し、最後に麻布に包まれた弾丸を引っ張りだす。今度の得物が使う銃弾は、少々特殊なもので、作る時も専用の道具が不可欠だ。だから多少作り置きをしてあるのである。
包みを開ければ、それを用いる銃の見た目とは正反対の、極めて奇妙な銃弾があった。
先端は丸みを帯びた円錐形と至って普通だが、問題は銃弾の側面の形状である。
六角形なのだ。
小さな六角柱の上に、緩い円錐が載っかっているという、そんな形状なのだ。
私はこんな奇妙な銃弾を他に知らない。そしてこんな銃弾を用いるために、六条のライフリングが刻まれた銃もまた、私の手の内のもの以外に見たことはない。
――ホイットワース・ライフル。
1857年から1865年までの8年間、イギリスにて製造された狙撃銃だ。
1860年、女王陛下の名のもとに開かれた射撃大会では400ヤード先の標的の真ん中を撃ち射抜き、前の戦争の時には少なくとも二人、名のある北軍の将軍を撃ち殺している。
まさに殺し屋のための銃だが、こいつを授けられた南軍の兵士の数は僅かだった。
なぜなら、その高精度を実現させる六条のライフリングと、銃身とがっちり噛み合う六角形の銃弾の相性は抜群で、抜群過ぎるが為に銃身への負担や摩耗が恐ろしいほどに大きい。銃身の細工自体も手間がかかり、それだけにこの銃は高価だった。だからこいつを任されるのは、確実に標的を仕留められる、選ばれた者達だけだった。
戦争は随分前に終わったが、何の因果か、今あの時に欲しかった最高の銃が、私の手の中に収まっている。
「~♪」
口笛を奏で続けながら、私は着々と準備を進める。
計量器で800ヤード先を狙い撃つのに適した火薬を量り取り、銃身内へと注ぎ込む。
六角形の銃弾を六条の施条へと合わせると、槊杖で奥まで押し込んだ。
手筈は整った。後は仕上げを御覧じろ。
「おもしれぇもん、見せましょう」
観衆たちへとそう告げて、私は帽子を脱いだ。
上着のポケットからハンカチを取り出し、風の向きと強さを見る。
北北西から斜めの向かい風、されど微風につき委細問題なし。
私はライフルを構え、スコープを覗き込んだ。
スコープの倍率に若干の調整を加えながら、私はゆっくりと呼吸を整える。
まず、肩に当てられた銃床の感触が消えた。
次に、左手の上の銃身の重みが消えた。
最後に、スコープと瞳の間の空間がゼロになる。
銃と私とが一体化し、周りの音が耳に入らなくなる。
スコープの十字線の向こうに、西瓜に描かれた白い目鼻がくっきりと浮かび上がる。
僅かに、揺れている。
その揺れの強さを、彼我の距離を思い、銃口の僅かな向きを、銃身の僅かな傾きを変える。
瞬間、私の眼には一本の直線が見えた。
私と標的との間の、一本の赤い線。私と標的とが、まっすぐに結ばれている。
『――』
いつまでも撃ち始めぬ私に、チャカルの誰かが野次を飛ばした――ような気がする。
聞こえたか聞こえなかったかも解らぬその声が、合図になった。
私は、引き金を弾いた。
最初に音が来た、次に衝撃が来た。
最後に、スコープの向こうで、ふざけた顔をした標的が、木っ端微塵に弾け飛ぶのが見えた。
赤い果肉が、緑の分厚い皮が、四方へと飛び散るさまが見えた。
「――」
私は銃を肩から外し、声もなくため息をついた。
急に広くなった視界を巡らせれば、唖然としたチャカルの連中が、獣みたいな会心の笑みのイーディスの顔が、そして両眼をキラキラ輝かせ、自分のことのように快哉をあげるアラマの姿が目にうつった。
――かくして、私はチャカルの一員として真に迎え入れられることとなった。
『いやはや! 流石はまれびと殿! 大ガラスのアラマ! 改めて感服しましたよ感服!』
周囲の喧騒にも負けない大声で、アラマがそう囃し立てるのを伴奏に、私は目の前の料理を口に運んだ。
昼間もアラマと共に入った宿屋兼飯屋は夜も繁盛していて、客がひしめき合っている。
灯りは蝋燭にランプに、あと何やら輝く石のようなものが天井から吊るされている。
昔、アーク灯なる電気――雷の正体がコイツだと誰かに聞いた――で光るランプを一度だけ見たことがあるが、あれにこそ負けるものの、蝋燭やオイルランプに比べればびっくりするぐらいに明るい。
西部の薄暗い街の灯りや、荒野の闇のなかに微かに灯る月明かりと星明かり、焚き火の柔らかい赤光に慣れた私には、少々眩しすぎて目がくらみそうだった。
マラカンドの街は夜も明るい。少なくとも、西部の俄仕立ての町や村とは比べ物にならないぐらいに。
『新たなる驚異を目の当たりにして、またも知識の階梯をひとつ上った心持ちです! この無知に覆われたる荒れ野に知識の梯子を立て、天にまします真実、すなわちミスラへと至らんことを! 』
アラマも私と同じ料理に手を伸ばし頬張りながらも嬉しそうにくっちゃべっている。
静かにしていれば劇場で女優でもできそうな顔立ちなのに、まるで牧場のじゃじゃ馬娘だ。口元に食べかすがついているので実に台無しだ。
私達が食べているのは、小麦粉で作った皮に似た白い生地で、挽肉に豆や野菜を潰したものをこねたものを包んで焼いた料理だった。そのまま食べてもよし、付け合せの赤く香ばしいスープに浸してもよし。アラマの言うとおり、このマラカンドの街の料理は実に美味だ。
チャカルの兵営で野郎どもに囲まれての晩飯も華が無い。
イーディスも所用で席を外していたから、私はアラマを連れて街で夕食をとることにしたのだ。
私は紙幣が信用できないたちなので、ドルは基本的に銀貨で持ち歩くようにしている。この選択は正しかった。描かれた図像や文字の意味は解らずとも、銀の輝きと重みは世界を跨いでも変わらない。むしろ店主は喜んで私のドルと引き換えに上等な料理を出してくれた。合衆国バンザイ。クソッタレのヤンキー大統領にバンザイだ。
『それにしても不思議なのはまれびと殿の煙吹く鉄筒火箭もですが、真鍮仕立てと思しき筒のほうです! 水晶を用いて遠くを近くの如く見る術は知ってはいますが、さりとて4スタディオンもの間合いを狭める術は大ガラスのアラマ、不覚にも知りはしません! 』
アラマは賢い。そして知識がある。それは短い付き合いの中でもよく解ったことだ。
テレスコープの機能についても早くも当たりをつけてきているが、私は料理を頬張って何も返さなかった。
私は所詮は余所者、異邦人だ。余所者が余計な口を挟みすぎると、ろくなことにはならない。エゼルにエンフィールドを託しはしたが、あんな真似をしたのは特別なことなのだ。
「話もいいが、今日は飲め。久々に寝床でぐっすり寝られるんだから」
『ああこれはどうも!』
私は素焼きの水差しに入った、赤紫色の酒をアラマの木杯に注ぎ込んだ。
その匂いは何度嗅いでも葡萄酒のそれで、それも中々に良い葡萄を使っているに違いない芳香だった。
『……先程から私ばかり飲んでいますが、まれびと殿はよろしいのですか?』
「俺は飲まないよ。飲むとすれば誰一人いない、遮るもののない荒野の真ん中でだけだ」
『何故ですか?』
アラマが問うのに、私は右手で料理を手づかみにしつつ、その陰で左手を懐に入れながら答えた。
「酔うと指先が鈍る。そうなると良くない。命取りだ。特に――」
私は短銃身のコルトを何気ない動作で抜きながら言った。
「こういう手合がいるような場所では」
『……え?』
私がソイツのほうも見ずに銃口を向ければ、アラマは唖然として銃口の先へと視線を滑らせた。
そしていよいよもって驚いた。
喧騒の酒場にあって、その男はまるで気配のない、幽霊のようなやつだった。
庇の大きな黒帽子の下には、黒い肌をした相貌がひとつ、闇の中に白目と黒目がはっきりと色分けされた双眸がふたつ備わっている。 メキシコや南米でインディオ達が着るような、ポンチョめいた外套に身を包み、その下に何を隠しているかは全く解らない。確かなのは、酷く剣呑とした気配を背負った男だということだ。
『まれびとだな』
黒人は、銃口を突きつけられているにも関わらず、全くの落ち着いた声で言った。
私は掌に汗が浮かぶのを感じた。コイツはなかなかに手強い相手だ。ポンチョの下に何を隠しているか知らないが、とにかく油断がならない。
黒人は、私やアラマの動きや様子など意に介さないとばかりに、一方的に告げた。
『スピタメン家のロクシャンがお前を、お前たちを呼んでいる。付いてきてもらおう』
どうやら、一難去ってまた一難らしかった。