第05話 ザ・ハイアード・ハンド
泉を中心にして、背が高く四角い塔状の家屋が軒を連ねているのがマラカンドの街だ。
青い屋根と、日干しレンガの茶と赤と白からなる街はぐるりと、やはり日干しレンガと若干の石積みによって築かれた城壁に囲まれているのだ。この城壁は分厚く、私の眼から見ればマラカンドの防御は盤石であるように思える。が、この街の支配者として君臨しているおエライ人からすればまだ不足らしく、もう一枚の分厚い城壁が街の北部、小高い丘の周りを固めているのだ。
イーディスに連れられて、私とアラマがたどり着いたのは、そんな市内壁が南門の前だった。
私は高い門構えを見上げながら、イーディスに聞いた。
「宿に案内してくれるんじゃなかったのか?」
『無論そうだ。恐らくはだが、ここが御前の寝床になる』
イーディスは流し目気味にそう答え、独りスタスタと先に門を潜った。
……のこのこと彼女に言われるままついてきたのは、果たして失敗であったか。
この先は例の外国人の王とやらの住処の筈だが、そうホイホイと余所者が入っても良いものなのかも私には解らない。
だが、他に行く先のアテもないのも確かだ。
傍らのアラマが彼女には珍しく不安げに見つめてきたので、私は軽く肩をすくめてイーディスの後に続いた。
当然、両腰の得物のコルトに掛かった、撃鉄の留め輪を外すのは忘れない。
コートの裏で軽く銃を抜き差しして、感覚を慣らしながら私は歩く。
「やぁ」
『どうも』
『……』
門の傍らには番兵が何人もいたので、そのうちの一人に軽く会釈した。
市壁の門の番兵と違ってこちらは完全武装で、頭のてっぺんから足先まで、隙間なく鎧に覆われている。顔は兜に繋がれた楔帷子に覆われて、僅かに覗く双眸以外は全く隠されてしまっている。挨拶への返事もなく、怒っているのか笑っているのかすら、私には解らなかった。
穂先を上に槍を立て、ただじっと私達を見つめるばかりで、通れとも、通るなとも言わない。
しびれを切らした私は、番兵達を無視して門を潜った。
アラマは私の後に続いて、律儀に番兵達にもう一度会釈してから門を潜った。
城壁は分厚く、通り抜けるまで意外と時間が掛かった。
ようやく反対側に出た所で、日光の眩しさに眇めた眼に見えたのは、絢爛たる王宮だった。
私は思わず感嘆の声をあげ、アラマはもっとあからさまな感動のため息をはいた。
「へぇ」
『うはぁ』
まず最初に視界に入ったのは長大なスロープだった。
王宮は丘の上にある。目の前のスロープは丘の斜面を削って緩やかにし、その上に石を敷いたものだ。
両隣にそそり立つかつての丘の斜面の高さから、この坂道を造るためにどれだけの土を削ったかが一目で理解できる。この工事だけでも膨大な人手と費用が必要な筈だ。
既に先を進むイーディスの後を、サンダラーの手綱を引きながら追う。
今や道の両壁となったかつての丘の斜面の上には衛兵が立ち、歩む私達を見下ろしてくる。
落ち着かない。自然と、空いた左手はコルトの銃把にのびる。
背後のアラマも、緊張に体を固くしている気配が伝わってくる。
『そう気張る必要はない。私が先導している限り、不埒者と見做されることもない』
イーディスがふと立ち止まり、振り返りながらそう笑いかけた。
私は銃把に掛かった手の力を緩めた。余り殺気を振りまくのも、確かに礼を失する行いだ。
だが、グリップから完全に指を離すつもりもなかった。
「なにぶん田舎者でね。多少の無礼は容赦願いたいもんだ」
そう軽口だけ返して歩みを再開する。
暫時歩めば、坂道の上に小さく見えていた王宮が、いよいよその威容を私たちに見せつけた。
「……ありゃ岩でもくり抜いて造ったのか?」
『ご明察。丘の上の大岩を基礎に、穴を開け煉瓦で増築したのがナルセー王の宮殿だ』
口で言うのは簡単だが、実際には容易な工事ではない。
西部の荒野でよく見るような自然の大岩を削ぎ、掘り、磨き、ドームと方形が組み合わさった館とするなど、並大抵の工事ではないのだ。それをなさしめた王の権力を、来訪者に見るだけで解らせる仕掛けなのだ。
私は改めて銃把を強く握り、呑まれそうになる自分の心を落ち着かせた。
誰と対面しようと私のやるべきことは変わらない。それが敵ならば銃を向け、そうでないならホルスターに納めておくだけのことだ。
『チャカル、第三部曲が校尉、バラングのイーディス=ラグナルソン! まれびと殿を連れて参った! 王にお取り次ぎを願いたい!』
巨大な王宮正門の前まで至ったイーディスは、そう大音声を張り上げた。
絡み合う蔓草のレリーフを左右の門柱に備え、アーチの上には月と天使然とした二つの姿が彫られている。
そしてその上からは、血のような赤い色が塗られていた。
マラカンドの色である青に真っ向反する赤をその王宮の門に掲げる王とは、一体全体どんな王様やら。
『マズダの神の御心のままに! 予言に従いてまれびとを王の御前へ!』
王宮の中からそんな返事が戻ってくれば、白布に全身を包み眼だけだした異様な連中が私達を出迎えに現れた。アラマが私に小さく耳打ちした。
『マズダ神に仕えるマゴス達です。星辰を読んで、定命を見る者たちです。エーラーン人の王族の傍らには、必ず彼らの姿があります』
早い話が王様付きの占い師ということだ。
とりあえず無法者なりに礼儀を見せて、帽子を脱いで軽く頭を下げたが、向こうは何の反応も見せなかった。
まぁ「こちら側」の礼法なんぞ私の知ったことではないから、仕方がない。
『陛下は既にお待ちだ、まれびとよ。我らの後に続くが良い。馬は背後の者共に預けよ』
背後の気配へと振り返れば、占い師共と同じような格好の連中が掌を差し出している所だった。
私はちょっと躊躇ってから、サンダラーの手綱をそいつへと手渡した。
サンダラーが私を見た。私はしょうがないだろうという苦笑いを返しながらその鼻面を撫でた。
それで通じたのか通じてないのか、サンダラーは大人しくひかれて行く。
私はその姿が王宮に並べて建てられた家屋の一つに消えていくのを見届けると、振り返って返事した。
「それじゃぁ、行くとするかい」
私は占い師共の後に続き、イーディスとアラマはその後に続いた。
岩をくり抜いて造ったらしい王宮の廊下は長く、松明の灯りしかないために時間と距離の感覚が曖昧になる。
よく見れば両側面にも天井にもシンプルな線で何やらレリーフが彫られているのが解る。
それは異教の神だの天使だの魔物だのであるらしい。私は興味ひかれてそれらをよく見ようと思ったが果たせなかった。白覆面の占い師共の歩みが恐ろしく速く、追いつくのがやっとだったのだ。つま先までありそうな長いローブを着ているのに、よくあれでスタスタ歩けるものだ。「こちらがわ」のことだ。何かまじないの類でも使っているのかもしれない。
どれほど歩いたか解らないが、廊下は唐突に終わって、唐突に広間へと私たちは出た。
正方形の広間の上に、半球状の天蓋が載っかている構造で、丸天井には何箇所も天窓が開けられ、そこから雨のように陽光が降り注いでいる。
そんな太陽のなす光柱列の向こう、広間の最奥に設けられた玉座の上に、王は腰掛けていた。
黄金の玉座の上、マラカンドの王、エーラーン人のナルセーの第一印象は、一口で言えば『赤』だった。
金の刺繍が踊る赤い衣に、赤い外套。
癖のかかった長髪の上に載せられた金の王冠には赤い宝石が輝き、また王冠の両側面からのびた鳥の翼状の飾りもまた真紅に塗られている。ズボンはゆったりとした白だが、靴もまた赤い。
そして王の両眼。
その両の瞳もまた不可思議な赤色をしていた。
充血しているわけではない。恐らくは茶が限りなく薄くなった故の赤色だ。
こんな双眸の持ち主を、私は今まで見たことがなかった。
赤い王は玉座から立ち上がると言った。
それは静かな声であるにも関わらず、びっくりするぐらい良く通る声だった。
『まれびとよ。よくぞこのマラカンドに参った。我こそはロスタムが裔、エーラーン人ならびに非エーラーン人が王バフラムを父とし、マラカンドならびにレギスタンを治める者、ナルセーである』
王は玉座を降りて、ゆっくりと私達の方へと歩んできた。
気づけばイーディスは脱帽して跪き、アラマは完全に畏まった様子で平伏している。
私も何か礼を返すべきかと少々戸惑った。
しかし先住民の長を相手にする時同様、こちらの礼が相手には無礼ということもありうる。
私が判断しかねていると、王は手をかざし私を制した。
『汝はまれびと。こちらの礼に従う謂れはない。あるがままにあればよかろう。それがまれびとの定命なれば』
王はその胸元で腕を交差させその両手のひらをそれぞれ肩へと当てた。
それがエーラーン人やらの礼らしい。私は脱帽して軽く会釈した。
『あたかも兇状持ちが如きかんばせにも関わらず、良く礼を弁えているな』
ナルセー王は随分と失礼なことをぬかしたが、しかしこれが王の威厳のなせる技なのか、無礼な言い回しも洒脱な軽口に聞こえるのだから恐れ入る。だから私も軽口で応じた。
「貴方も王侯貴族にしては下々の者が使うような冗談に長けていらっしゃる」
周りの白覆面共がややざわつくが、王は意に介さないばかりかニンマリと笑った。
その笑いは、野良猫めいていて、全く油断がならない面だった。
『わしも元をただせば王族と言えど末子、その上母は蛮族の婢女よ。血筋の汚さで言えば、流れ者共と大差は無いわ』
王はからからと笑うと、私達を手招きしつつ王座へと戻った。
私達が続けば、白覆面達が椅子を持ってきて座るように促す。
私が腰掛ければ、イーディスも自然な様子でそれに続き、アラマが最後におっかなびっくり座った。
玉座に戻ったナルセー王は、半分奴隷の血が混じっているとも思えぬ威厳たっぷりの声で言った。
『さてまれびとよ。汝は汝がこのレギスタンに呼び出されたる理由を知っておるか?』
私は肩をすくめて首を横に振った。
「呼び出されて以来、隣の大ガラスのアラマと荒野を流離ったばかりで、皆目見当もつきませんな」
王の視線がアラマへと向けられた。
さすがの彼女も、普段の快活な様子がすっかり失せて、借りてきた猫のようになってしまっていた。
『そう畏れるな、大ガラスのアラマよ。その風体、ミスラの神に仕えるものであろう。我らがマズダの神と並び立つ不敗の太陽の徒とあらば、エーラーンの同胞にも等しい』
王様がそんな風に仰っても、当のアラマはいまだカチコチに固まったままだ。
そんな反応にも慣れっこなのか、王は自然体でアラマから視線を外し、私の方へと向き直る。
『汝には我が栄えあるチャカルに加わって貰おうと思う。詳しくはそこのラグナルソンめに聞くが良い』
『承ります、王よ』
……何やら私の意思を無視して話が進んでいるので、すかさず口を挟む。
「なんで俺が王様の家来にならにゃならんのだ? 俺は余所者、無頼の流れ者だ。この街の連中と違って、王様に忠誠を立てなきゃならねぇ謂れはないと思うがね?」
そんな私の当然の問には、イーディスが代わって答えた。
『まれびとの来る所、そこは必ず血の雨が降る修羅の巷となる。それが昔からのならいだ』
イーディスは、物騒な由来を告げた。
『シジューローの時もそうだった。私は片目とふた親を失くし、悪党どもは残らず彼に斬り捨てられた。御前にも必ずや、切った張ったの仕事が待っている。ならば、同じ手合と轡を並べるのも悪くはなかろう』
……成る程。エゼルの時と同じように、また何やら揉め事に巻き込まれるというわけか。それならば、背中を任せられる誰かが居るほうが、仕事はやりやすい――そんな風に、私が納得しかかった時だった。
『畏れ多くも、みどもは反対でございます、偉大なる王よ』
横からほざいたのは、白覆面共の中の一人で、唯一、その胸元に何やら仰々しい金の首飾りを下げている男だった。
『王の御傍には既に万軍にも等しい武威を備えしチャカルを擁し、加えて我らマゴスの徒がマズダの神の術を以てお仕えしております。そのまれびとの業前がどれほどのものかは知りませぬが、我らが神の御業と比ぶれば――』
白覆面はそう言って袖元から何やら曰くありげな杖状の何かを取り出した。
私はそれが何かをよく知っていた。例の、スツルームの三人組がそれと同じものを携えていたから。
――だからこそ、私の反応は素早かった。
「そうかい」
それだけ言い放って、私はホルスターからコルトを抜き撃ちにした。
流れるように牛革の鞘から銃身は引き抜かれ、一瞬後には照門は私の目の前にあった。照星が杖へと向けられ、照門との間に一本の線を描けば、引き金を弾く。
パッとマズルフラッシュが白煙を添えて閃けば、銃声が広間に反響し、細い木の杖は弾け飛ぶ。
『ひゃっ!?』
生娘みたいな情けない声を上げて、白覆面の手から杖の残骸が零れ落ちる。
突然の銃声に、アラマは眼をまんまるにする一方、イーディスとナルセー王の二人は、愉快でたまらないとばかりに犬歯をむき出しにして笑っていた。
「これでも、まだ不足かね?」
私が言うのに対し、異議を唱えるものは居なかった。
かくして私は、このレギスタンはマラカンドの地にて、新たなたずきを立てることになったのだった。