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第27話 ラン・マン・ラン



 何度も障害物を飛び越え、何度も路地を曲がる。

 何度となく数多の死体を見送り、一度たりとも振り返りはしない。

 努めて私は心を静かに研ぎ澄まし、ただマラカンドの外に出ることだけに集中した。

 手綱を引き、サンダラーには拍車をかけて、全力で出口へと駆けさせる。


「……」

『……』


 私も色男も、無駄口一つ漏らすことはない。

 私は前のみ見て脱出路を目指し、色男はクロスボウを手に追撃を警戒する。


 今、自分たちがすべきことは市外に出てキッド、イーディス、ナルセー王らと合流すること。そして――然る後に報復することだけだ。


 リトヴァのロンジヌスを想え。


 イナンナのことを想え。


 無残に殺された、マラカンドの人々のことを想え。


 大勢の命を、戦場のみならず戦後の荒野でも奪ってきた、私の言えた口ではないかもしれない。

 それでもなお――復讐するは我にあり。スツルームの糞ったれ魔術師に、ヘンリーとバーナードの二人には、落とし前をつけさせねばならない。慈悲深き神すらもこれを認めるだろうし、仮に認めないのなら、聖書を捨てて銃を手に取るまでだ。


 バーナードを撤退に追い込んだ甲斐もあってか、妨害らしい妨害もない。

 スツルームの糞っ喰らえ魔法使いの術の範囲から抜け出たのか、屍人どもが立ち上がることもない。


 生きる人なき街路を走るは、男二人に馬一匹。

 言葉もなく、迷いもなく、ただ出口目掛けて駆け抜ける。


 頭の上に覆いかぶさるような、マラカンドの白く四角く背の高い家々の間からは、皮肉なほどに青い空が覗く。

 既に見慣れた、商人あきんどの街の通りの賑わいが、幻となって視界を過る。耳には、多種多様な言葉が、途切れなく交わされる音が響き渡る。

 だが実際に見えるのは、屍体ばかりで、街は恐ろしく静かだった。


 ならばこそ遮るものもなく、私達は思いの外あっさりと、死都と化したマラカンドより逃れ出ることができた。


「よぉ」


 暫し進めば、道端の岩に腰掛けた、キッドが手を振るのが見えた。


「生きてたか」

「まぁネ」


 レザージャケットの裾を叩き砂埃を払いながら、青い目のガンマンは立ち上がり私達を出迎えた。

 やや道の向こうには、愛用のカタナにこびりついた血と脂とを拭っている様や、馬を休ませたり、傷ついたものの手当をしているナルセー王の近衛兵達の姿も見える。王自身は馬に跨ったまま、ジッと街の姿を目を見開いて眺めていた。まるで己が瞳をして写真の銀板のように、自らの武力で勝ち獲り、今や滅びようとする都の姿を焼き付けんとしているかのようであった。


「……顔ぶれが変わってないが、他に生き残りはいなかったみたいだな」


 私が言えば、イーディスとキッドは互いに顔を見合わせ、どちらも気まずさに満ちた表情になった。


「嫌なニュースか?」

『グラダッソが死んだ』


 答えたのはイーディスだった。

 なるほど、確かにそれは悪いニュースだ。悪いニュースではあるが――。


「嘘をつけ」

『まことだよ』

「あの化物がそう易易とくたばるかよ」


 全くもって、私には信じることができなかった。

 数多の蝗人マラスを、素手で屠った様は、忘れたくとも忘れられない。

 あんな怪物めいた男が、のろまな屍人ごときにられるとは考えにくいし、ヘンリーやバーナードですら、グラダッソには手を焼くに決まっている。


「……女子供なんざかばうからさ」


 キッドが、諦念を交えながら呟いた言葉に、私は瞬時に納得した。

 一流の戦士がしくじる原因というのは、酒か女か博打と相場が決まっている。


 商売女と、小さな子供。

 その傍らで、笛を吹くグラダッソ。


『……イーディス殿から聞いたのですが。グラダッソ殿は皇帝の近衛隊の武術師範をしていたそうです。しかし、その正義を重んずる性根故に、賄賂で近衛隊の席を買おうとする輩を手厳しく断ったそうなのです』


 脳裏で再び響き渡るのは、前にアラマから聞いた、あの男の過去。


『しかしそうして突き放した相手の中に、皇帝に仕える重臣のご子息がいたとか。それを恨みに思った重臣は皇帝に讒言し、グラダッソ殿は謀反の疑いをかけられて国を追われ、そして流浪のはてにマラカンドに辿り着いたそうです。ですが――グラダッソ殿が家族と共に逃げるために屋敷へと駆けつけた時には既に遅く、奥方も、ご子息も、既に重臣の手の者に……』


 ならばこそ、護らずにはいれなかったのだろう。

 だが、傭兵には家族は弱みにしかならないのだ。


『親子を庇うようにして、死んでいた。残念ながら、命を賭しての望みは、叶わなかったようだが』


 イーディスの言葉に、私は思わず天を仰ぎ、続くキッドの言葉で逆に視線を落とした。


「心臓に……一発さ。殺ったのはバーナードのほうだろう」


 ――いよいよもって、連中を生かしておけない理由ができた。

 私は、静かに胸の内で殺意を膨らませた。


 そんな私の殺気に反応したわけでもあるまいが、ナルセー王がこちらを向くのと眼があった。

 その赤い瞳には、私の胸のうちにあるのと、同じ想いが渦巻いているのが見えた。


『――アフラシヤブに戻る』


 王は静かだがよく通る声で命令を下した。


『あそこにはマゴスどもがまだ生き残っている。術士には術士だ。策を練り、しかる後、マラカンドを取り戻す』


 言い放てば手綱を引き、真っ先に北へと向けて駆け出した。

 近衛兵たちは慌てて馬に跳び乗り、ナルセー王のあとに続く。


 イーディスはと言えばゆっくりカタナの手入れを済ませてから、やおら立ち上がり、馬に跨がる。

 キッドは彼女に続いて、馬に跨ると、私のほうを流し目に見た。


 私がため息を返せば、傭兵二人とまれびと二人は雇い主を追いかけ駆け出した。

 最後に一度だけ、マラカンドを振り返る。


 青空の下の街は、初めて見たときと変わらず美しかった。

 もうすでに、死都と化しているにも関わらず。






 


 砂塵を巻き上げながら、私達は走る。

 

 走る。

 駆ける。

 駆け抜ける。 


 野兎のごとく、野鹿のごとく。

 息を切らせ、汗を吹き出しながらも走り続ける。


 憤怒か、あるいは復讐か。

 忠義か、あるいは報酬か。


 想いは各々異なれど、目的は皆同じ。


 今は走れ、生き残るために。

 そして戻ろう。あの忌まわしい男たちを殺すために。


 砂塵を巻き上げながら、私達は走る。








 日が落ちる前に、私達はアフラシヤブの丘へと舞い戻ることができた。

 

『 ま れ び と ど の ー !! 』


 私の姿を認めるや、砂埃を上げながら駆け寄ってくるアラマの姿に、思わず私は安堵の笑みを漏らすのだった。




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