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第21話 スカイフル・オブ・スターズ・フォー・ア・ルーフ








 すぐさま呼ばれた人夫達によって壁は残らず取り壊され、隠し部屋のその全容がようやく明らかになる。

 狭い部屋だった。

 形は正方形、1辺の長さは6~7メートルといった所。天井は高めに造ってあるが、踏み台一つでもあれば私でも手が届く程度の高さでしかない。

 しかし私達の目を奪うのは、そんな部屋の間取りのことではない。


『……凄いな、コレは』


 ナルセー王が顎髭を撫でながら、呟くのに私も内心同意した。

 あるいは巻物、あるいは本、あるいは板切れ、なかには石版まで。

 およそ「書物」の名で呼ばれるもので、無いものはないと言えるほど、天井のギリギリまでうず高く文書が積み上げられている。殆ど部屋は書物で埋まっていて、足の踏み場もない。おおざっぱにその数を推算してみると、数千――いや数万の書物がここにはある。


『まさしく! まさしくコレはマート・アッシュル王ナブー・バニ・アプリが築きし大図書館の蔵書の数々に違いありませぬ! よもや、よもやこんな所に移され、隠されていたとは!』


 王の隣のマゴスも、白覆面の間から覗く両眼を餌を前にしたコヨーテのようにギラギラとさせながら、今にも書物の山へと飛び込みかねない有様だ。それは私の傍らのアラマも同じで、その両肩に手をかけて、彼女が実際に飛び込もうとするのを抑えなきゃならない程だった。


『わしとしてはもう少し解りやすいモノに出てきて欲しかったのだがな。まぁ良い。中身を調べれば金銀に……いや万軍に値するものも出てこよう』


 「私達の世界」であれば、古文書の山が出てきた所で、喜ぶのは学者連中だけだ。

 だが、魔法魔術、妖術呪術が実在するのが「こちらがわ」だ。となれば、この手の文書の価値も変わってくるのだろう。ナルセー王は若干期待はずれといった調子を漂わせつつも、一方でまんざらでもないと口の端を釣り上げている。



『ふぅむ』

『……』


 イーディスに色男はと言えば、確かに驚いてはいる様子だったが、それは言わば見世物小屋の珍獣を目の当たりにした客の驚きで、さして興味はなさそうだった。イーディスは女だてらに武骨者であるし、色男は出稼ぎの傭兵なのだから、当然といえば当然だ。


「“哲学なんざクソ喰らえだ! 哲学でジュリエットがつくれますか?”……ただジュリエットにはどう頑張ってもこの哲学の山はつくれんよなぁ」


 意外なのはキッドの野郎で、また何やら良くわからない引用を交えながら、好奇の瞳で書物の山を眺めている。

 両掌を忙しなく開いたり閉じたりしているのは、書物の山から一冊手にとってみたいのを、我慢している心のあらわれか。キッドという男についての、私のなかの謎が深まるばかりだ。少なくとも、ただの見た目通りのアウトローなどではないのは確か。

 

『……だが、万軍に値する宝を探すには、ここはちと狭すぎる。まずは、この膨大なる知識の山を崩し、その砂土を陽の下に運び出さねばなるまい』


 私はキッドから王へと視線を移し、彼が私達のほうをニヤニヤと眺めているのに気がついた。


『当然、汝らにも手伝ってもらおう。その分だけの駄賃は与えておる故に』


 かくして私達はしばし、人夫仕事に従事する破目になった。












「……くたびれた」

「まぁな」


 落ちつつある夕陽を前に、兵糧用の穀物が入っているらしい麻袋へと背を預け、私とキッドは揃って溜息添えて呟いた。たかが巻物、たかが板切れでも、それが千万にもなれば話は変わってくる。そこに石板も加わるのだからなおさらだった。ナルセー王の親衛隊の兵士たちや白覆面のマゴスたちも加わったとは言え、書物を傷めぬようにと少しずつしか運べないし、何より大勢が作業をするには隠し部屋も、それに神殿自体も狭すぎる。作業はだらだらと続き、気がつけばもう時は夜へと向かおうとしている。


『――』

「あっちのお嬢さんは随分と熱心なのね」

「……いつものこった」


 エーラーン人の兵士たちが夕餉の支度をする音に混じって微かに聞こえてくるのは、何やら小さな声で独り言を紡ぎながら、一心不乱に一冊の書に没頭するアラマの声だった。ナルセー王から借り受けた、例の光る石の大燭台の下に座り込み、背を丸め、食い入るように読んでいる。彼女の頭上より注ぐ光に、文字を成す金は金色に輝き、金の刻まれたエメラルド色の不思議な金属板は、深い翠の彩りを見せている。

 アラマが夢中になっている書物は、実に奇妙で不可思議なものだった。

 エメラルド色の、私には全く未知の金属の板切れ数枚を、錆止めを塗った鋼の輪で綴って本状にしたもので、金属製のページ一枚一枚には裏表びっしりと、金で蛇ののたくったような、くねくねとした文字が刻み込まれている。素人の私からすれば、見るからに価値のありそうなものと見えるが、ナルセー王配下のマゴスたちの態度は冷淡そのもので、全くコレを無視して古そうなボロ布の巻物を宝石かのように丁重に扱っていた。故にアラマが、奇妙なエメラルドの本を持ち出したときも、誰一人咎めるものはいなかった。


『それは、これがアパスターク文字で書かれているからなのですよ』


 アラマが言うには、一見高価で貴重そうにも見える、この翠玉の碑板エメラルド・タブレットの本は、実のところ他の巻物や板切れに比べると時代の新しいものであり、マゴス達から見れば無価値に等しいのだという。


『アパスターク文字は、それまで口伝されてきた神々の神秘を書きあらわすため、新たに作り出された文字なのです』

 

 要するにあの神殿遺跡を造った時代に近いほど、マゴス達にとっては価値のあるものとなるので、新しいものには興味がわかないということらしいのだ。

 だとすると謎になってくるのは、何故マゴス達が無価値とみなしたこの妙な本を、アラマは食い入るように読んでいるかということだ。


『我らミスラの徒の伝え聞く所によると、我らの探し求める「天路歴程アドノス」は当初口伝されたもので、後の時代になってアパスターク文字で書きまとめられたとのこと。さらにある古老が伝え聞いた話では、それは石でもなく、木でもなく、紙でもなく、布でもなく、粘土でもないものに金の字で刻んだというのです!』


 ――とまぁ、そんなわけで、彼女はあの妙な本が探し求めたものかもしれないと、一心不乱に読み解いているわけだ。


「……良いよなぁ」


 ふと、キッドが言った。

 恐ろしい速さで沈みゆく陽と、それと対称をなすように深まっていく宵闇のなか、キッドの横顔は葉巻の火に照らされて朧に見える。


「何がだ?」

「あの娘さ」


 訊けば、意外な答えが返ってきた。

 てっきり良くつるんでいるものだから、イーディスのような男勝りで毅然とした女が好みかと思っていたのだが。


「……違う、女としてじゃねぇよ」


 ガンマン特有の勘の良さでか、キッドは手を振って私の考えを否定してみせる。


「ああいう風に、自分のやるべきことがわかってて、それに一直線なのは羨ましいなぁって話さ」


 これまた妙なことを言いやがる。

 気ままに好き勝手に生きているとしか思えないキッドが、夜の風にあてられてか、妙に感傷的な物言いだ。


「……アンタは怖くないのか?」

「何がだ?」


 センチメンタリズムに満ちた調子はそのままに、今度はキッドが私に訊いてきた。

 若干身構えながら、訊き返す。


 「現状さ。わけもわかんねぇまま、こっちにきて以来流されるばっかりだ。自分の立ってる足場も見えなければ、行くべき道も見えてこねぇ。地図もなく、磁石もなしに荒野の真ん中に放り出されたみたいなもんさ。アンタ、怖くないのかい?」


 ……つくづく、この男は解らない。

 いざ撃ち合いとなれば、歴戦のアウトローらしい獣そのものな顔を見せる。酒をくらい、博打にうつつを抜かし、深い理由もなく喧嘩に興じる。かと思えば芝居を楽しみ、恐らくは小難しいだろう本から引用し、こうして歳相応の若さを見せたりもする。妙な奴だ。本当に妙な奴だ。


「理由も分らずに神様に押付けられたものを大人しく受取って、理由も分らずに生きて行く……もともと人生なんてのはそんなもんだろう」


 神は父を奪い、故郷を奪い、信念を奪った。

 かつて若き日の自分が拠って立っていた全ては失われた。

 残されたのは命と銃だけ。これを頼りにただ生きるために生きる。

 それが今の私だ。どこにいこうと、それが西部の荒野でも、メキシコの曠野でも、「こちらがわ」の砂漠の真ん中でも何も変わりはしない。

 むしろ、こっちがわのほうが私はやりやすく、好ましいと感じているような気がする。

 エゼルの村で私が学んだのは、まれびとがこっちに来るのには理由があるということ。その理由は今は解らずとも、いずれ明らかになるだろう。自分のなすべきことが決まっている、そんな事実が流れ者の一匹狼には却って心地よかった。それは、暗夜行路の果てに、灯台のあかりを見つけた船乗りの気持ちにも似ているかもしれない。


「だが、こっちではいずれ解るよ。俺たちに押し付けられた理由ってやつが。それは間違いない」

「……えらく断定的じゃないの」

「そりゃ、こっちに来るのは二回目だからな」


 キッドが、驚いて吹き出し、葉巻を吐き出した。

 煙を変な風に吸い込んだのか、むせ返っている。

 私はそんなキッドを意に介することなく、早くも空に溢れ出した星明りを眺めていた。

 半ば朽ちた屋根にかかる、空いっぱいの星。

 あの星の一つ一つが、実は天使の姿なのだと、そう語って聞かせてくれたのは誰だったろうか。

 だが相変わらず天使は私には何も語ってはくれない。少なくとも、今は、まだ。


『……いったいどうした?』


 私達のぶんの夕飯をわざわざ持ってきてくれたらしいイーディスが、怪訝そうにキッドを見ていた。


「いや、なんでもない」


 私はキッドとの話を打ち切って、夕食を受け取るべく立ち上がろうとした。

 ――ふと、何とはなしに背後を振り返った。


『どうした?』

「いや、なんでもない」

 

 私は再び、イーディスにそう答えた。

 一瞬、背中越しに赤い光がのぞいたように感じたのだが、どうやら気の所為であったらしい。

 私はアラマの背中に声をかけて、ともに夕食をとる支度を始めるのだった。


























 ――私の感じた光が、気の所為でもなんでもなかったと知ったのは、少し後のことだった。

 




























 ――見えざる眼で、フラーヤは見る。

 見えざる瞳で、フラーヤは捉える。眼下の風景を。見慣れた、しかし彼女にとっては見慣れぬ景色を。

 その日々ありふれた景色が、決定的に変わりつつある様を。


 盲目の魔女は、両手を夜空に掲げて、歌うように叫んだ。


『炎よ疾走れ! 硫黄よ注げ! 人は塩となり、街は芥に変ず! 死を伴って駆けめぐれ! 全てを、夜のしじまに覆うべく!』


 盲目の魔女は、両手を夜空に掲げて、歌うように叫んだ。


『いでよ悪魔ダエーワ! いでよ食屍鬼グアール! 集いなせ集いなせ、アルズーラの首において!』


 盲目の魔女は、両手を夜空に掲げて、歌うようにさらに叫んだ。


『其は時を越えるもの! 其は生を超えるもの! 其は死を超えるもの! 其は理を超えるもの! 陽は沈み、燈火は途絶え、夜が昇り、闇よいずる! 汝呼び覚ませ、かのアリマニウスを! 汝呼び覚ませ四界の王を! 汝呼び覚ませ翼を持つものを! 汝呼び覚ませ、黄金の獅子を! 汝呼び覚ませ絡みつく蛇を! 』


 盲目の魔女は、両手を夜空に掲げて、歌うように絶叫した。


『汚れたる淫都バビロンを生贄に! 捧げられし命を糧に! 汝呼び覚ませ!』


 「文字の館」の屋根の上で、フラーヤは叫ぶ。

 眼下でマラカンドの街が燃え盛る音と、伴奏の阿鼻叫喚に合わせて。

 そんな彼女の背後に控えるのは、長い嘴をもつ鳥の顔のような灰色の仮面に顔を隠した、黒く庇の広い帽子にケープ付きの黒外套の怪人。そして、あからさまに「こちらがわ」とは異なった装束に身を包んだ、二人の男の姿。それらは間違いなく、あと二人の「まれびと」の姿だった。



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