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第18話 スリー・バッド・メン





 酒場は床がやや高くなっていて、木製の低い階段が扉の前には備え付けてあった。

 キッドは銀拍車を鈴のように奏でながらゆっくりと下りてくる。

 帽子も茶色のレザージャケットも脱いでいるらしく、細い白線が黒地を縦に数本走ったシャツがあらわになっている。……いや、あらわになっているのはシャツだけじゃなくてヤツの胸元もだ。ボタンはだらしなく外れ、赤いスカーフもただ首元に巻かれているだけでお洒落もへったくれもない。

 無精髭だらけの面相は真っ赤に染まっており、吐く息は距離がある筈の私達のところまで酒の臭いが漂ってきている。相当に飲んでいるらしいのは、ヤツの妙に据わった青い瞳からも窺い知れた。


 ――私からすれば拳銃遣いが朝っぱらから酔っ払うなどあり得ないことだった。


 私とて酒は嫌いではないし、飲めない質でもない。それでも敢えて酒を避けるのは、アルコールで指先の感覚や反応速度を鈍らせないためだ。いつ背中から撃たれるとも解らない稼業に身を置く以上、長生きのための用心はしすぎることはない。

 だが、キッドにとっては違うらしい。ふと思い返せば、つい先日アウトロー三人を撃ち殺した時も相当に酔っ払っていたと新聞に書いてあった気がする。その状態で相手に抜く間も与えずに三人まとめてしとめたのだとしたら、どうもやっこさんは私とは体の作りが違うらしかった。

 実際、ヤツの腰元のコルトに目をやれば、撃鉄留めのリングはとうに外され、さらには僅かにだが既に抜かれた銃がホルスターより浮いていた。言うまでもなく、早撃ちのための細工だ。酔っていながらあれだけできるのだから、実際大したものである。自慢の真鍮仕立てのバックストラップは陽光浴びて偽りの金色に輝いているが、よく見ればホルスターの位置を工夫して、相手にリボルバーの輝きを印象づけしやすいようにしているのが私には解った。


「よぉ、お二人さん」


 キッドは私達に気がつくと、軽く左手をあげて挨拶をした。私達に視線は向けつつ、しかし右手はコルトのグリップに這わせたまま。やはりも21人も殺ったという噂は真実であるらしい。しかもそれは本人曰く黒人とメキシコ人を勘定に入れないでの話なのだ。


「よぉ酔っぱらい。朝からえらい騒ぎだな」

「ああ、とんだ騒ぎだぜ」


 私が敢えて皮肉っぽい調子で言うのにもキッドは平然とした様子で、ゆっくりと地面の上でうごめく大男へと歩み寄っていく。

 男はようやく体勢を立て直して立ち上がろうとしている所であった。


『テ、テメェ――』


 キッドを殺意の込められた眼で睨みつけながら、男はなにがしか毒づこうとした。したが、その言葉は半ばで断ち切られる。理由は簡単、無言で振るわれたキッドの爪先が、その側頭部、こめかみの辺りに突き刺さったからだ。


『――』


 声にならない短い呻きを残して、太っちょの体は糸の切れた操り人形のように倒れた。

 完全に白目をむいて泡を吹いている。死んでこそいないが、あれは起きた後も暫くは地獄の苦しみを味わうことは間違いなしだ。


『こ、このやろう!』

『よくもソルドを!』


 叫びながら新たに酒場から飛び出してきたのは、こ汚い格好の、やはり真っ赤な顔をした酔漢が二人。先に倒れた太っちょの仇討のつもりが、怒りに頬をさらに紅潮させて、殆ど二人同時にキッドへと襲いかかる。


「……」


 しかしキッドは振り返りもせず、僅かに体を左に傾かせた。さっきまでキッドの頭があった場所で酔漢一人目の拳が空を切ったのと同時に、拳銃遣いの裏拳が男の鼻っ柱へと叩き込まれる。酔漢一人目が鼻血を撒き散らしたたらを踏めば、僅かに遅れて迫る二人目とぶつかった。


「ハッ!」


 襲撃者達の動きが止まった所を、すかさず放たれたのはキッドの回し蹴り。一人目の胸板へと、殆ど刺さらんばかりの勢いで踵は叩き込まれ、二人まとめてもつれ合うように横転する。


『すごいです! 今の蹴り見ましたか、まれびと殿! 一撃で二人ですよ二人です!』

「ああ」


 私は無邪気にはしゃぐアラマに生返事をしながら、半ば無意識的に右手をコルトの銃把に這わせていた。

 ――洗練された動きではない。だが、それだけに恐ろしい。

 キッドは素手の喧嘩にもかなり手慣れている。いや、その気になれば素手で相手を殺すこともできるのだろう。体に染み付いたガンマンの性とでも言うべきものが、少なくとも今は敵では無いはずのキッドへと向けて銃をとらせようとする。私は意識的に指をグリップから離し、何度か掌を握ったり閉じたりして緊張を解す。……臆病者と笑わば笑え。だが荒野で長生きできるのは、勇気ある臆病者か狡知あるけだものだけと相場が決まっているのだ。無論前者は私で、後者がキッドだ。


『こ……この野郎! もう我慢ならねぇ!』


 悶絶した相方を押しのけて、最後の酔漢は立ち上がりながら懐に手を突っ込んだ。当然のように、飛び出してきたのはナイフだ。博打打ちが良くブーツなどに忍ばせる、細身で短いナイフだが、それでも人を一人地獄に送るのは充分な凶器だった。


「……」


 しかしキッドは身構えるでもなく、銃を抜くでもなく、ニヤニヤと得体の知れない微笑みに口の端を釣り上げるばかりで、両手はやる気なくだらりと下がっている。それは、酔漢がナイフの持ち手を左右に替えながらジリジリ迫ってこようと変わらない。これには逆に、酔漢のほうが戸惑い始めた。


『テメェ! 何が可笑しくって笑っていやがる!』


 キッドは表情を変えることもなく、ただ右手を軽く挙げて酔漢の背後をちょいちょいと指さした。

 そんな古典的な手に引っかかるかと逆に酔漢はキッドを嘲笑ったが、肩に背後から手を置かれ、ギョッとして身を翻す。


『やぁ』


 音もなく気配もなく、そこに居たのは男装の麗人。

 人好きのする満面の笑みと共に、イーディスは拳を振り抜いた。

 良いパンチだった。キッドのアウトロー丸出しの荒業と違い、相手の顎先を綺麗に捉え、一撃で意識を刈り取る。酔漢はナイフを掌から零しつつ、ぐにゃりとその場に崩れ落ちた。


『加勢するぞ』

「……サンキュー、レィディ。だがお嬢さんの手を煩わせるまでもなかったぜ」


 キッド達が出てきたのと同じ酒場から現れたイーディスは普段と違い、外套も帽子もなく上はブラウスひとつ、下は黒く膝丈のズボンに灰色の厚手のソックス、黒い短靴を履いていた。ただ腰にはカタナを差すことだけは忘れない。


「……おたくらは朝っぱらから何してたんだ?」

『いやなに。そこのキッドが貰いたての金貨銀貨でひとつちに行きたいと言うからな。手頃な所まで案内したまでだ』


 私が呆れながら尋ねれば、イーディスは例の獣染みた笑顔と一緒に答える。

 腕っぷしさえあれば前歴は問わないというのがチャカルの方針であるらしく、ナルセー王はキッドの姿をみとめるや野郎を己の傭兵隊の一員へと誘った。雇い主に先に去られたキッドにはこれを拒む理由もなく、手付金も貰えるとの言葉が付け加わればあとは即答だった。かくして実にあっさりとこの新たなまれびと二号は私達の同僚となったわけだが、やっこさん、街に来て早々何をするかと思えば手付金片手に博打とは、実にアウトローらしいアウトローだ。


『まぁそこでどんな手を打つかと思って見物していたらな、やはり私の見込み通りでね。早速イカサマをかましてくれた訳だ。実に良い手際だったが、新参者が馬鹿勝ちするのを見逃してくれる博徒はいない』

「それでご覧の有様と」

『そういうことだ』


 イーディスは愉快でたまらないと声に出して笑う。

 だがキッドは不服なのか唇の端を歪めて抗議の声を横から挟んでくる。


「してねーよイカサマなんざ。連中の難癖だよ難癖。俺は君子だからズルなんてしないのだ」

『袖口から出したカードを、掌の裏側に張り付くように持つ技は見事だったな』


 おい目をそらすな。口笛を吹くな。バッチリ見切られてるじゃねぇかこの野郎。


「バレなきゃイカサマじゃねぇ。連中は実際、俺の業を見破れなかった。見破れなかったのならやっぱりイカサマじゃねぇな」


 何か言い出したぞコイツ。

 別に私が咎めたわけでもないのに、勝手に屁理屈を捏ねだすキッドの姿に、イーディスはさらに愉快と呵々大笑した。












 店を改めてもう一席勝負して、今度こそ鴨を狩ると息巻くキッドたちと別れ、私とアラマは再度街路を行く。


『まれびと殿は賭け事はなさらないですか?』

「手慰みに嗜む程度だよ。むしろ負けた博打打ちを相手にすることが多いな」

『なぜなのですか?』

「あちこち移動するから情報通だし、何より負けた博徒はビール一杯でも奢って銀貨をちらつかせれば口が軽くてな。よく喋るんだ、これが」

『なるほど! 流石はまれびと殿なのです! 慧眼なのです!』


 他愛もない会話をしながら、朝の眠りから覚め始めた街を私達は歩く。

 街商は筵に茣蓙、あるいは絨毯をひいて商品を並べ、商店は戸板を外して見世棚の準備を始めている。

 もう暫くすれば朝の市が始まり、売り子の声に家畜の鳴き声、商談、喧嘩、詐欺、あるいは意味のない雑談で道はたちまち戦場のように騒がしくなる。マラカンドは豊かな街であり、活きている街であり、特に商売は盛んで、揃わないモノはないと言って良い。唯一足りないのは落ち着きだが、だがこの早朝の時間帯ならば雑踏のいない普段見ないマラカンドの姿を見ることができるのだ。


「……ん」


 私の注意を引いたのは、そんな早朝から、他の商店に先駆けて開いてある店が見えたからだ。

 立ち止まって扉の上の看板を見るも、生憎、私は喋ることはできても「こちら側」の文字が読めない。


『ああ、鳩屋さんですね』

「鳩屋? 鳩を食うのか?」


 しかし鳩の肉を売る店ならば、わざわざそこが早く開いている理由も良くわからない。首をかしげる私に、アラマはすかさず講釈してくれた。


『鳩屋といっても鳩の肉や料理を売っている訳じゃないのです。鳩を使って、遠くまで手紙を届けたりするのに使います』


 なるほど、要するに「伝書鳩」のことか。実物は見たことはないが、特別に仕込んだ鳩は電信や郵便の代わりに使えるという話は聞いたことがある。最も、電信が普及した今となっては、重要度は落ちたとも聞いたが。


『それに鳩屋の鳩は食べれません。黒鉄くろがねで出来ていますから』

「へぇ、黒鉄で出来た鳩ねぇ……」


 ――ん?

 今、アラマは妙なことを言わなかったか?


『ウルカヌスの徒は素晴らしい仕事をします。歯車とばねの組わせで、鉄の絡繰りに仮初めの命を吹き込むのですから』


 ……何だかとんでもないことを言っているような気がするが、私はそれを聞かなかったことにした。

 御伽噺が現実となるのが当たり前。「こちら側」で生活していくためには、些細な怪異にいちいち驚いていると身がもたない。


『ズグダ人の鳩屋は評判が良いのです。なにせズグダ人は千里の果てであろうと、そこで商売が成り立つならば繰り出していきます。今やズグダ人の商館長サルトポウの居ない街を探すほうが難しいくらいです』

「ズグダの連中が居る所なら、どこでも鳩が飛んでくるって訳か」


 だが私には生憎、今すぐ連絡をとりたい相手もいないので、鳩屋に用事はないだろう。

 一瞬、エゼルの顔が脳裏を横切ったが、あの年若い相棒の住む村には、生憎ズグダ人の姿はなかった筈だ。


「お」

『あ』

『げ!』


 物思いにふけりながら店を通り過ぎようとした所で、扉代わりの布をめくって現れた色男とばったり出くわした。

 鳩屋から出てきた所を見られたのがそんなに嫌だったのか、道端で馬車に轢かれた鼠の死骸でもみつけたような面をしている。失礼な野郎だ。


「故郷に手紙でも出したのか?」

『……仕送りだよ。銀貨を直接送るのは危ういが、手形ならばまぁなんとかなる』


 私がやっこさんが傭兵稼業に身をやつしている理由を知っているだけに、色男は観念したように何をしていたのかを話した。それにしても手形まであるとは、こちら側は私が思っていた以上に進んでいるらしい。


「家族か?」

『妹だ。土地はとられたが、街の屋敷だけは守った。尤も、屋敷と呼ぶのもおこがましいあばら屋だがな』

 

 説明は充分だろうと色男は首を左右に振ると、わざわざ私とアラマの間を通って反対の道を歩き出す。


『……妹に春を売らせるような破目になるのだけはゴメンだ。まれびととて、それぐらいは解るだろう』


 天涯孤独の身の私が、色男の心情だけは心底理解ができた。















 あっという間に陽が高くなり、昼が来て、そして夕方がやってきた。

 しかしマラカンドの街には夜はない。不可思議な術で灯る人工の明かりに照らされて、夜通しこの街では商売が続く。静かなのは早朝だけなのだ。


「なかなかイケるなこれは」

『はひはにほひひひふぇふ』


 私が食べているのと同じ串焼きで頬をいっぱいにしながら、アラマがわけのわからない言葉を返してきた。

 何やら鶏肉に似た味のする肉をつくねにして串を刺して焼いたものだが、表面に塗られた赤く辛いソースが実に絶妙で、舌をひりひりさせつつも、目がさめるような爽快感がある。これで酒があればなお楽しい所だが、職業柄我慢をする他はない。

 結局、今日はマラカンドの街をぶらぶらとアラマと肩を並べて歩き回っているだけで終わってしまった。

 まぁ、一戦終えたあとの休暇なのだ。たまにはこんな日も悪くはないだろう。

 アラマと一緒に呪いの道具とやらの市を見て回ったのはなかなかの体験で、とても一口で感想を言うことは叶わない。まぁ、おいおい時間があったら語ることにしよう。


『……ふぁれひほほほ! ふぁれひほほほ!』

「口の中を空にしてから喋れ」


 アラマはつくね肉を飲み込むと、すっかりあらわになった串の尖った先で、街の一角を指し示した。


『あそこにおられる方は、もしかして』


 言われてみてみれば、確かに見覚えのある姿がそこにある。

 グラダッソだった。例の清國人めいた格好をして、街の片隅、人混みの向こうに確かにグラダッソの姿が見える。

 ただ、やっこさん、一人でいるのではなかった。

 子供と、その母親らしき姿が、その傍らにある。

 浅黒い肌をした、可愛らしい男の子に、その男の子と目元がよく似た、中々に美人の母親がそこにいる。

 母親は、その格好から察するに商売女であるらしい。グラダッソが子どものために、何やら笛を吹いているのを横から見聞きしながら、温かい表情で二人を眺めていた。


『……イーディス殿から聞いたのですが』


 アラマは三人の姿を見ながら、ふと思い出したように語りだした。


『グラダッソ殿は皇帝の近衛隊の武術師範をしていたそうです。しかし、その正義を重んずる性根故に、賄賂で近衛隊の席を買おうとする輩を手厳しく断ったそうなのです』


 私が眼で促せば、アラマは続きを語る。


『しかしそうして突き放した相手の中に、皇帝に仕える重臣のご子息がいたとか。それを恨みに思った重臣は皇帝に讒言し、グラダッソ殿は謀反の疑いをかけられて国を追われ、そして流浪のはてにマラカンドに辿り着いたそうです。ですが――』


 アラマは一瞬言い淀んだが、結局最後まで聞いた話を語った。


『グラダッソ殿が家族と共に逃げるために屋敷へと駆けつけた時には時既に遅く、奥方も、ご子息も、既に重臣の手の者に……』


 アラマの話を聞いた後となると、もう微笑ましい眼で三人の姿を眺めていることは出来なかった。

 私は、アラマと連れ立って立ち去りながらふと思った。

 グラダッソほどの技を持ちながらも、それでもなお抗し難く、げに恐ろしきは宮仕えよ。

 例え荒野にいずれ塵と消えると知りつつも、やはり自分にはこの生き方しかないのだと。








 完全に陽が落ちる頃には、私達はチャカルの兵営へと戻っていた。

 一日の疲れを癒やすべく、着替えもそうそうにアラマ共々床に入る。

 私達より先に街へ戻ってる筈の、ロクシャン達の動きは今日も見えなかった。ああもあからさまに街中を歩き回っていたと言うのに。

 まぁいいさ。後は相手の出方次第だし、政の話となれば雇い主の王様に丸投げすればいいだけのこと。

 ともかく、今日はなんだかんだで良い一日だったと、そんなことを思いながら私は眼を閉じた。

 無論、拳銃を枕の下に忍ばせるのは忘れずに。

































『ようこそおいで下さいました。このロクシャン、待ちかねましたぞ』

『まれびと二人に加え、先生にお越しいただいたとあれば百人力、いや千人、いや万人力です』

『頼りにしておりますぞ、偉大なる大魔法使い』

『スツルーム第一の使い手、屍使いのリージフ殿!』

 


 

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