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第17話 ゴーキル・アンド・カムバック





 木匙のなかの細長い米は、何とも言えない複雑な香りを放っていて、実に食欲をそそる。

 鉄の大釜で米を炒めた後に、肉や豆、野菜と共に炊き込んだ料理だ。こっちの香辛料を混ぜてあるのだろう、肉や野菜の汁の匂いが引き立ち、香りだけで胃袋がいっぱいになるほどだった。

 肉は羊に、豆はヒヨコ豆に、野菜は人参に似ているが、私の知っているものと同じかは解らない。いずれにせよ旨い料理であるし、ここまで旨いものが毒である筈もない。


『……』

「いつまでもむくれてるなよ。旨い飯もマズくなるぞ」


 しかし向かいあって同じく飯をかっこむアラマがふくれっ面をしているのでは、妙なる味も半分以下になる。

 揚げた豆に干しぶどうを左手に、右手でマラカンド名物の分厚いパンを千切っては頬張り、千切っては頬張り。健啖なることこの上ないが、だが頬が膨らんでいるのは半分は怒りのためだった。明るく快活な少女であるのに、今は珍しく眼を三角にしている。


『ふぁっふぇふぇすふぇ! はほほまへひはほに! はほほまへひはほに!』

「口の中身を空にしてから喋れ」


 口元をおさえながらも、空いた方の拳でどんどん机を叩きつつ咆えるアラマに、私は半ば呆れながら返しつつ米を口の中に放り込んだ。

 ちなみに今、私達がいるのはチャカル兵営の食堂ではなくて、市中の酒場兼宿屋の奥座敷だ。

 邪魔の入らない一番上等な席で、一番上等な料理を並べて大いに――少なくとも私は――楽しんでいる。いつもなら一品で済ませている所を、炊いた米の料理以外にも串焼きの肉だの、葡萄の葉らしきもので練った肉と豆のペーストを包んで蒸した料理なども合わせて頼んで実に卓上は賑やかだ。例の葦のストローで吸う茶状の飲み物も傍らに控えている。最初は苦手だったこの味も、最近では気に入りはじめていたのだ。


『しかしですね! あと少し……あと少しでしたのに! あと少しでしたのに!』


 頬の中身を飲み込んだアラマが、頬を怒りに紅潮させながらなおも咆える。高級な晩餐も今の彼女には単なるやけ食いであるらしい。これは収まるまで時間がかかりそうだ。


「別に遺跡は逃げやしないし、ナルセー王もお付きの神官連中も、アラマお望みの……ええと『天路歴程アドノス』とやらは探す理由を持ち合わせちゃいないだろうに」

『そんなことは先刻承知なのです! なのですが! なのですが!』


 アラマはと言えば満面の悔しさとともに今度は両手で机をバンバン叩いている。


『いよいよ神殿に踏み入れるとなった時にさぁ帰れとはあんまりなのです! あんまりなのです! 横暴なのです!』


 そう、彼女の言う通り、ナルセー王とその親衛隊にマゴスの一隊はアフラシヤブの丘に着くやいなや『チャカルのもののふ達よご苦労! マラカンドへと戻って骨を休めよ!』と言い放ったのである。当然、戦利品を当て込んでいたチャカルの戦士たちは抗議の声をあげようとするが、そんなことも想定内だったのかナルセー王は銀貨金貨を以て異議申し立てに応えたのだ。革の袋にはち切れんばかりの金貨に銀貨をつめて、私達へと投げてよこしたのである。傭兵は光り輝く金貨銀貨のためにこそ戦う。報酬が支払われた以上、何も言うことはない。無論、私を含む全てのチャカル戦士が、これだけの報酬を支払って余りある値打ちのブツが廃王宮奥の神殿に隠されていると勘付きながらも、雇い主に逆らってせっかく手にした金銀をみすみす捨てるようなまねはできないと口をつぐんで街への帰路についたのだ。

 私達がこうして旨くて高い飯を囲めるのも、そういった理由からなのだ。他の連中も同じように街に繰り出しているのだが、この店にいるのは私とアラマの二人だけだった。


『まれびと殿は口惜しくないのですか! まれびと殿の使命が、元々御座しました世界に戻るための手立てが、明らかになるやもしれませんでしたのです!』

「……別に今更帰るのを焦っている訳でもないからなぁ」 

『んなぁ!?』


 アラマは意外と眼を見開いたが、これは私の正直な気持ちであった。

 前回、つまりエゼルの村での一件で、なすべきことをなせば帰ることが出来るのは既に知っている。幸いなことに今は西部の荒野へとすぐさま戻らなければならない事情もない。別段焦ることもないから、悠々と構えていようというのが、私の考えであった。

 貰うべきものが貰えるのであれば、退くのも吝かではない。

 ――別に権力者に阿るつもりはない。前の戦争や今の稼業を通して学んだことは、鉛の死神は博愛主義者だということなのだ。銃身から飛び出した青ざめた馬とその騎手は、老いも若きも、貴きも卑しきも、富めるものも貧しきものも、男も女も区別せず、差別などしない。平等に、ただあの世へと誘うだけで、要するに私がトリッガーを弾けば、相手が誰だろうと結局結果は同じということなのだ。ならばこそ、私が恐れる相手など存在しない。

 だからといって、無闇矢鱈に権力者に食ってかかるつもりも私にはなかった。殺ろうと思えばいつでも殺れないことはないが、一仕事終えた後のことも考えると無計画に銃口を向けるのは賢いやり方じゃない。相手は権力者だ。権力者だけに、それを相手取ることはその下に仕える無数の連中をも相手にすることを意味する。なればこそ、準備も覚悟も入念にしなくてはならない。生憎今の私には、そこまでナルセー王に逆らう理由を見出すことは出来なかった。


「まぁなるようになるさ。せっかくの臨時報酬だ。今はこいつを楽しもうぜ」

『ぬぬぬ悠長でありますぬぬぬ』


 アラマは冬を前にしたリスよろしく頬を膨らませるが、私は不満の視線を軽く受け流して料理を口へと運ぶ。彼女も私のつれない態度に詮方無いと諦めたが、依然プンスカ頭から湯気を出しながらも、パンを大きく千切って口いっぱいに頬張った。


『全く、せっかく手塩にかけて一皿一皿作ってんのに、何が不満さね、そこな娘は』


 こんな調子の私とアラマに、新たに声をかける者がいる。

 今やよく知ったその声に私が振り向けば、やはり見覚えのある顔がそこにあった。


「よう。わざわざ酒でもつぎにきてくれたか」

『生憎、あんたが飲みたがらないのはもう覚えたよ』


 ややウェーブのかかった豊かな黒髪に鳶色の目をした線のクッキリとした美貌を擁し、豊かな肢体を胸元の開いたドレスに包んだ妙齢の女。彼女の名はイナンナ。この宿屋兼酒場の女将で、金次第で春も売るのを副業にしている。

 私自身、既に何度か床をともにした間柄だった。商売女にはこっちの尻の毛まで毟る気に満ち満ちた碌でもない女も少なくないが、イナンナは商売を商売と弁えていて気安く付き合える良い女だった。その美貌にひかれてこの酒場兼宿屋も大いに繁盛している。今夜、私達もその売上に貢献している所であったわけだ。

 ……所で、イナンナを見るアラマの視線には、どこか敵意が籠もっているのは気のせいだろうか。


『ほうらよ』


 イナンナは円卓の上へと新たな一皿を加えた。

 見た目は三角形の揚げたパイである。香ばしいその匂いから察するに、中身はひき肉であるだろう。しかし、この涎を誘う一品は私達のいずれもが頼んだ品ではない。


「頼んでないぞ」


 私が言うのに、イナンナはウィンクで応えた。


『オマケさね。今晩は随分と稼がせてもらってるからね』


 言い去る彼女の腰元に目をやりながら、私は彼女が厨房に消えるのを見送った。

 折角なので馳走になろうと、食卓の中央に皿を動かしたわけだが、アラマは何故かふくれっ面でそっぽ向くので、結局私が全部を平らげたのだった。










 結局、この日の晩、私達はチャカルの兵営へと戻ることもなく、イナンナの宿に泊まることにした。金貨を見せれば一番上等な部屋をあてがってくれるし、少なくともここの寝床は兵営のそれよりも遥かに良い。

 ベッドは一つだが無駄に大きいために二人並んで寝ることができる。枕の下にコルトを忍ばせながら、私達は戦いの疲れを癒やすためにも早々に寝床へと潜り込んだ。

 ……アラマのようなうら若く見目麗しい乙女と同じベッドで寝ると聞いて、艶かしいことを想像した諸君には申し訳ないが、その手のことは起こってないし起こす気もない。これまでの道すがら、何度も同じ夜空の下で眠ったなかだが、考えなしに堅気の娘に手を出すほど私は阿呆ではないのだ。商売女相手のように事が簡単なわけではない。


「……ん」


 そういう訳で、何事もなく夜は過ぎ、また朝がやってくる。

 私が目を覚ましたのは、アラマが起き出す微かな物音のためだった。

 薄く瞼を開き、恐らくは私を起こすまいと忍び足で歩くアラマの背中を見た。彼女には悪いが、職業柄眠りは浅く出来ている。この彼女の『朝の日課』も慣れっこな筈なのに、右手は無意識のうちに枕の下の銃把へと伸びていた。


『光の君よ、光の君よ。その流したもう血によりて、我らは永久に救われん……』


 アラマは祈りをささやきながらカーテンの端を僅かに摘み上げて日の出の方角を確認し、この部屋に朝日が注ぐことを確かめてから、いつも下げている雑嚢の中より木椀、銅皿、小瓶をふたつ取り出した。日の出の方へと椀と皿を並べ、それぞれに小瓶の中身を注ぐ。椀には血を、皿には油を注いでいるはずだ。私はそれをよく知っている。

 今までは機会もなかったのでいちいち言及しては来なかったのだが、アラマがやっている祈りの儀式は彼女の日課であり、毎朝やっていることである。既に見慣れているし、だから私は驚くでも奇異に思うでもなく、ただベッドの上で身を起こし枕を背もたれに、アラマの背中や仕草、揺れる銀髪に形の良い臀部をぼんやりと眺めていた。


『畏きかな、畏きかな。不敗の太陽、光の君、真実の神、死から救うもの、浄福を与えるもの、広い牧場の君、ナバルゼ、 アニケトス、 インスペラビリス、 インヴィクトゥス、 そして牡牛を屠るもの、ミスラよ』


 アラマは牛の血に満たされた椀を捧げ持ち、徐々に顔をだす太陽へと捧げた。そして銅皿へと木椀の中身を注ぎ、血と油が充分に混じった所で、彼女は火打ち石を叩いた。

 飛び散る火花に油が灯れば、血と香油の独特の匂いが漂い始める。悪い匂いではない。だが癖がある。私は慣れるまで少々かかった。


『流される血潮は大地を富ませ、燃え盛る炎は闇をぞ祓う……』


 祈りの声は歌のようで、こちらのほうは何度聞いても耳心地が良い。賛美歌とも違う、先住民の雄叫びとも違う、独特の調べがそこにはある。

 彼女の信じる神、ミスラとかいうその神は太陽の神であるらしい。灯された炎はその象徴であるんだそうだ。

 マラカンドまでの最初の旅路の中で、迂闊にも彼女の神について尋ねたことがある。訊いた直後の喜色満面のアラマの表情に私はしまったと思ったがもう後の祭り、言葉の洪水よろしく講釈の波が襲ってきたのは言うまでもない。途中からはうんざりして聞き流そうと努めたが無駄だった。気がつけばそのミスラとかいう神様に無駄に詳しくなってしまっていた。


 遠い昔、まだ神々が天へと昇ってしまう前の時代。

 まだ昼もなく夜もなく、大地は実りに満ちて皆等しく永久の命を持っていた時代。

 アルズーラの首と呼ばれる地の底への入り口から、闇の神アリマニウスがその眷属を率いて突如這い出した。

 世界はまたたく間に夜に覆われ、それは一年と十ヶ月と一日続き、全ての作物は枯れ果て、世界に初めて死がもたらされた。

 人たる者の先祖たちが絶望の淵に沈み、今や生者は残らず絶えんとした時、大岩をうちより割って一柱の神が生まれいでたのだ。ミスラの名をもつその神は燦々と輝いて夜を押し返し昼を生み、闇の神とその軍勢に戦いを挑み、これを打ち破って地の底の獄へと押し戻したのだ。

 夜は去った。だが大地は未だ死に絶えたままだ。

 ミスラは長い夜の時代を生き延びていた最初の雄牛を生け捕り、その首を掻き切って血潮を大地へと撒いた。

 大地は豊かさを取り戻し、こうして人とあらゆる生き物が救われた。

 しかし日々夜が再び戻ってくるように、アリマニウスもまた必ずや戻ってくるであろう。

 ミスラは夜に抗する昼を守るべく、自ら天へと昇った。こうして太陽が生まれたのだ。


 ……まぁだいたいこんな感じの御話だった筈だ。

 そして今、アラマが探し求めているのは、天へと昇ってしまったミスラとこの世とを繋ぐ梯子を作る方法が書かれた本なんだそうだ。


『畏きかな、畏きかな。光の君よ、今朝もおわします。光の君よ、今朝もおわします』


 カーテンの隙間から差し込む陽光を浴びて、なおもアラマは祈っていた。

 だがいつもの調子だとそろそろ儀式も終わりだ、私は欠伸を噛み殺しながら、ベッドより下りて伸びをした。


『……』


 祈りを終えたアラマはカーテンを開き、朝日を部屋へと招き入れると振り返り言った。


『おはようございますです! まれびと殿!』


 陽光を浴びた金の瞳は一層輝き、彼女の明るい笑顔はとても魅力的に見えた。

 今日は良い一日になりそうだ。そんなことを思った。















 ――結論から言うと、今日はいい日になるという予感は完全に私の勘違いに過ぎなかった。

 アラマと二人して朝の街へと繰り出して早々、私達を出迎えたのは木戸の割れる音と、何か重いものが落ちる音。


『イッデェェェェ!?』


 そして明らかに酔っ払いのモノと解る酒灼けした澱んだ声。

 眼を丸くしたアラマと、逆に呆れに眼を細めた私達の前には割れた木戸が転がり、地面へと投げ落とされたような格好の大男の姿がある。 身の丈は6フィートを超え、目方は200ポンドはありそうな太っちょだった。

 右を見れば酒場の木戸が半分外れて、残った側の戸がぎいぎい音を立てている様が目に入った。


「どうした。そっちから喧嘩うってきて、もう終わりかい」


 衆目を集めながら地面でもがく太っちょへと、嘲るように声をかけながらドアを開いて一人の男が新たに現れる。

 私はうんざりした顔でその男のニヤけづらを見た。

 太っちょと同じく酒で赤らんだ頬をしたその男は、つい先日、成り行きそのまま私と轡を並べて戦うことになったもう一人のまれびと、ジャンゴ=フランシス=ジロッティ、通称『キッド』に他ならなかった。


 



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