第16話 ガンマン・オブ・アヴェマリア
迫る土手っ腹目掛け、脇を締めて力を込めて穂先を突き出す。
まったくもって偶然なのだが、うまい具合に相手の鱗の継ぎ目に命中して、殆ど抵抗もなく穂先は標的へと沈み込む。
向こうのほうから飛びかかってきた訳だから、勢いもついている。小槍は蝗人へと深々突き刺さって、断末魔が私の顔間近で響き渡る。そのうるささに視界の端で火花が散るほどだ。
「あ!? クソ! こいつ!」
だが早くも一匹斃したは良いものの、あんまりにも深く刺さり過ぎてしまったがために小槍が抜けない。
私が手間取っている隙を見逃すまいと、他の蝗人どもが襲いかかってくる。
『まれびと殿!』
「わかってる!」
アラマが叫んだ時には、私は空いた手でコルトを抜き終えていた。
肩越しに後ろに銃口を向け、狙うべき相手も見ずに引き金を弾く。真後ろで絶叫が響くのを聞きながら、小槍を右脇に挟み込むと、体ごとねじって横薙ぎに振るう。
右から襲いかかろうとしてきた虫野郎に、串刺しのご同輩を叩きつけ、その反動を利用した左側へももうひと振るい。二度のスィングの勢いに刺さった骸がスっぽぬけ、左側から襲い来た野郎は哀れ、もつれ合うように地に倒れる。コルトをホルスターにしまい、両手で小槍を構え直した。
『キシャァァァァーーッ!』
「うるせぇ!」
叫ぶ新手へと吐き捨てながら、穂先を突き出すも今度は鱗に弾かれる。
しかし私は慌てることもなく、すかさず石突を揮って相手の顔面を殴りつけた。ライフルの銃床で殴るのと同じ要領だ。相手がたたら踏んで攻撃が止まるのを逃さず、再度左手でコルトを抜いて一発お見舞いする。
「アラマ!」
『はい!』
アラマを背後に隠れさせると、彼女を追っていた蝗男の顔面目掛けて小槍を投げつけた。
大きく開いた口の中へと槍は吸い込まれ、半ばまで突き刺さった所で止まる。
右手でコルトを引き抜き苦しむ虫男にトドメを指すと、腕と頭だけを反対側へと向ける。
こちらへと肉薄する四匹目掛け釣瓶撃ちに銃弾をプレゼントすれば、三匹は急所に当たって斃れるも、一匹が不運にも死にきれずまだ向かってこようとする。だからオマケに弾倉に残った一発をくれてやれば、満足して大人しく地に伏した。
――だが、辺りにはまだご満足頂けない招かれざるお客様方がわんさと残っている。
「……何か良い案、あるか?」
『あるならやってますです……』
そりゃそうか。
しかし、行き詰まった状況をなんとかするために動いた先で、さらに行き詰まる破目になるとは……。
両手で構えたコルトの残弾と、飛び道具を警戒してかジリジリと迫る蝗人どもの数とを比べると、しかめっ面になってしまっているのが鏡を見ずとも解る。
サンダラーの鞍に入ったライフルやハウダー・ピストルがあれば、とも思うが、無いものねだりをしてもしようがない。
「ぶっ放しながら、なんとかその呪いを完成させるしか――って、ん?」
私の耳が徐々に大きさを増す、新たな音を捉えた。
それは足音だ。夥しい数の足音だ。
人間のものではない。蹄鉄の音にも似た、硬いものが石とぶつかり合う音だ。
そう、奴らの、蝗人どもの足音だ。
「アラマ、代わりに見てくれ」
『……見えました』
振り返ることもできない私の代わりに、アラマが音の方を振り返り窺った。
告げる彼女の声色は、残念ながらかんばしいものではない。
『王宮の奥から蝗人の群れが……それも大群です!』
「援軍か!」
それもよりにもよって連中の、だ。クソッタレめ。いったい何処からそんなに湧いて出てくる?
『……いえ。でも何だか様子が変なのです』
唾を地面に吐き捨て、胸中で毒づく私へと、続けてアラマが告げたのは意外な事実。
『襲うと言うよりも、まるで逃れているかのような……何か恐ろしい――』
そしてアラマの声は全てを言い切る前に、きゃっ!?という小さく短い悲鳴へと変わった。
私達の右斜め上方を何か大きなモノが飛び越えていって、半ば折れた柱へと激突し爆ぜて、嫌な音を立てた。
迫りつつあった蝗人達は一斉にその方を振り返り、口から形容し難い唸りを発した。
あるいは、人間でいう所の悲鳴に近いものだったのかもしれない。
「……うへぇ」
化け物ですら呻くのも道理だと思った。
柱に投げつけられたトマトのようにへばりついているのは、ぐちゃぐちゃになった蝗人の死骸だったのだから。
前の戦争の時に地獄めいた光景にも――切り落とされた手足の山にも、砲撃を受けて千切れた亡骸にも――慣れっこな私ですら、辟易とするような有様の死体だった。まるで内側から爆ぜでもしたかのような、異様な死体。
『これは……まさか風の噂に伝え聞いた、セリカンの武芸の!?』
アラマはと言えば流石と言うべきか、嫌悪恐怖よりも好奇が勝るらしく、異常な死体の様子に何か心当たりがあるのか驚きの声をあげている。
『大柄杓星! 天の戦車! 東方の三巫女が曳きし棺! その名を冠するその武芸は無手勝流! 素手で重装騎兵すら屠るとうたわれていますあの武芸!』
興奮するアラマに、戰く私の左右を、逃げる蝗人が走り抜けていく。
逃げるべきか戦うべきか、それに迷って動きを止めた虫共の前に、姿を現したのは甲冑を纏わず、例の紺色のゆったりとした衣に、緩やかな白のズボンの格好のグラダッソだった。手には得物はなにもない。
そう言えば独りで廃王宮奥の神殿の門番をしていたことを今更ながら思い出す。
着物が虫どもの血で汚れている所から見るに、どうやらこの男、素手でここまでやって来たらしい。
「……よぉ、元気か?」
『……』
とりあえず軽口を叩いてみるが、やっこさんは特に応ずる様子も見せず、スタスタと居残った間抜け虫共へと歩み寄る。獣なりに警戒して、間合いを開いた蝗共だったが、遂に我慢ができなくなって地を蹴って跳びかかる。
グラダッソの姿が一瞬、霞がかかったようにブレた――。
やっこさんが地面を蹴ったが為の砂埃があがった時には、手近な一匹にセリカン人は既に仕掛けていた。
蝗人の胸元、鱗に覆われていかにも硬そうなその胸元に、グラダッソは掌を軽く押し当てた。
――聞いたことのない音がした。
蝗人の身体が痙攣し、膨らみ、その肉が内側から爆ぜる。
背中が破れて体の中身が吹き出し零れ落ち、ぐしゃぐしゃに崩れた骸が地面に散らばる。
奇妙なのは、掌を受けた筈の鱗には傷一つないこと。まるで鎧をくぐり抜けて内側の肉を断つような、奇妙極まる業。
私は戦慄し、アラマは歓喜した。嬉しそうに、息も荒く講釈してくれる。
『発勁と、言うそうです。鎧を纏った相手に有効な、不可思議なる東方の業。てっきり伝説かとわたくし、思っていたのに、思っていたのにですね! 今! 眼の前でですね! 』
グラダッソが同じ技を幾度か揮えば、蝗人は残らず、綺麗な鱗と崩れた肉に別れて地獄に落ちた。
……もうコイツだけで良いんじゃないか?などと私が殆ど呆れ返ってると、やっこさん、何を思ったかどっかりと地面に胡座かいて座り込み。そのまま眼を瞑ってしまった。
「……」
『……』
私達は顔を見合わせたが、セリカン人の不可思議すぎる行動には互いに何の言葉も見つからなかった。
仕方がないので私が代表してやっこさんに問いかける。
「……何してんだ?」
やや間があってから、グラダッソは眼を瞑ったまま答えた。
『休んでおる』
「そりゃ、見りゃ解るが」
何故に、と続けて問う前に、向こうの方から答えが先に来た。
『儂とて木石で身が成っている訳でもなし。草臥れもする。本日は些か功夫を積みすぎた。終いとする』
言うだけ言って後は完全に黙り込んでしまった。
ようするに素手で化け物の相手をし過ぎて疲れて休みたい、ということらしい。
私達は再度顔を見合わせた。
どうします?とアラマが眼で問うので、私は肩を竦めてみせた。
この曲芸師染みたセリカン人に任せて後ろで見物と洒落込もうかなどと考えたが、甘かったらしい。
イーディスに色男、ついでにキッドの野郎も待ちかねているだろう。
私達は儀式を再開し、アラマの呪いを完成させることにした。
『兵士より獅子へ、蜜を注ぎ捧げます。光の君の劫火を絶やさざるために……。こいねがう。われはこいねがう。広き牧場にありて、よく武装せるミスラへと。武装せる者のなかで栄光をもつこと第一、武装せる者のなかで勝利を博すること第一なる不敗の太陽へと』
アラマが呪文を唱え直し、私に青銅の杯を手渡した。
私はアラマに言われた通りに、杯の中身を細く零し、円を描き、その中に八芒星を描いた。
アラマは星の真ん中に入って跪き、左右の掌で何やら複雑な形を作りながら、最後の呪を唱えた。
『不敗の太陽が輝き、新しき光よそそぐ。みのりおおき大地によって、屠られたる牛、万物を産む。注がれし蜜によりて、獅子よ、いづれ、いづれ!』
瞬間、大地から湧き出るように、無数のライオンが現れ、地に満ちた。
不覚にも腰を抜かしかけた私や、こんな中でも瞑想を続けるグラダッソの横を素通りして、獅子の群れは駆ける。
後は、さして時間がかからなかった。
獅子の群れを前にして、蝗ごときに何ができるだろう。そういうことだ。
「ふぅ~」
キッドが美味そうに紫煙を吸い込み、そして吐き出す。
口に咥えてるのは実に上等そうな葉巻だった。吸わない私にも解るぐらいの品なのに、いったいどこでくすねて来たのやら。同じく吸わない色男が、うかつに風下にいたばっかりにゲホゲホとむせていた。
『火を貰えるか?』
イーディスが口にパイプを咥えながら現れた。
立派な金物のパイプには彫刻が施され、曰くありげな代物であった。
「ん」
キッドは背もたれにしていた壁から身を起こして立ち上がると、マッチを手品のように掌のうちから出して、親指で頭を擦って火を起こした。夕陽の淡い赤のなか、その火は一層紅に輝いて見えた。
『ありがとう』
イーディスは何やら緑がかった煙を吸い込み、そして吐き出した。
タバコではない。タバコとは明らかに違う、どことなく甘ったるい独特の香りがする。
『……ワーム草だ。気力を充実させてくれるんでね。手放せないでいる』
問いたげな私の視線を受けて、イーディスが先手打って答えてくれた。
こういう時に決まって講釈をくれるアラマは流石に疲れ切ったのか、私と同じ壁を背にして眠りこけていた。
戦いは終わり、日が暮れる。
横一列に並べられたチャカル戦士たちの亡骸に、塵芥のように山積みになった蝗人の死骸が、夕陽を浴びて血まみれのような有様を一層強くしている。
生き残った男たちは今夜の宿営に備え、リトヴァのロンジヌスは討ち取った虫男共の首を積み上げ山を拵えていた。グラダッソは相変わらず瞑想にふけり、私達は廃王宮の一角で体を休めている。
アラマの呼び出した獅子たちが蝗人を一掃し終える頃には、ズグダ人の首領ロクシャンの姿は消えていた。
死体は見つからなかったので、恐らくは尻尾巻いて逃げたのだろう。置いていかれたキッドには、わざわざ追いかけるほどの義理もなく、極々自然に私達の一味に加わっていた。
こうして、まれびとが二人、一箇所に揃ったことになる。
ロクシャンはあと二人、別にまれびとが居ると言っていた。残念なことに、キッドはその二人と会っていないらしい。
「……どっちにしろ、背中を預けるなら腕利きのほうが良い」
キッドがそういって青い瞳を向けたのはイーディスのほうだった。
『それはこちらも同じこと。御前と組むのは、吝かではないがね』
彼女のほうもまた、隻眼で頼もしげにキッドを見返している。
どうやら先の共闘で馬があったらしい。同じ戦場にいた色男はと言えば、心底嫌そうな顔でキッドのほうを見ていたから、あるいはイーディスが貴婦人だからかもしれないが。
「お前さんに雇われ人が務まるもんかね?」
私が胡乱げに見つつ訊けば、キッドの野郎はニヤニヤと笑い、タバコの煙で輪を作ってから言った。
「こう見えても牧場で働いてたこともあるんでね。まぁ用心棒ぐらいはお手のモンよ」
……余り信はおけないが、野郎の腕は確かだ。
背中を任せるのは不安だが、肩を並べるぐらいは悪くはあるまい。
『おーい! おーい! 』
そんなことを考えていると、遠くから呼び声がする。
眼を向ければ、欠けず折れず曲がらず崩れず残った数少ないマトモな柱に登った、チャカルの独りが道を指差し叫んでいる。
『ナルセー王がきたぞー! 王の軍勢のおでましだぞー!』
待っていた大将の、ようやくのご到着だ。
私はアラマを軽く揺り動かして起こすと、目をこする彼女と一緒に立ち上がった。
お出迎えの準備を、しなくてはならない。
私は首をコキコキとならし、大きな欠伸を飲み込んだ。