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第08話 シュガー・コルト




『スピタメン家のロクシャン……それはつまり、「オルタック」の……』


 黒人が言い出した名前を前に、アラマが少し震える声で呟いた「オルタック」なる単語。

 それがまるで魔法の言葉でもあったかのように、酒場の喧騒は嘘のように静かになった。皆がギョッととした顔で私達のほうを見る。そして黒人の姿を認めるやいなや、唸りが聞こえそうな勢いで視線をそらした。

 何事もなかったかのように、再び喧騒が始まる。どうやら「オルタック」なる代物は、かかわり合いになるのが喜ばしくない類のものであるらしい。


「……」

『……』

『……』


 私も、アラマも、黒人も、誰も口をきかない。私は黒人を、黒人は私を見つめ、アラマの金色の瞳だけが、無頼漢二人の間を何度も行き来する。嫌な沈黙が、私達の間を流れていた。

 私はゆっくりと撃鉄を起こした。

 カチリ、と私には聞き慣れた音が鳴り響けば、その聞きなれぬ音に観衆共は無関心の演技も忘れてこちらへと目を向ける。

 不可思議なるまれびとの武器、ガンを見慣れぬ彼らと言えど、そこに込められた殺意は解るのだろう。

 視線を外した後も、流し目に私達の様子を窺っているのを感じる。

 いつここが修羅場鉄火場になるのかと、冷や汗脂汗を流しながら固唾を呑んでいる。

 アラマは普段の快活さはどこかに吹き飛んで、青い顔をして表情を固くしている。

 全く顔色が変わらないのは私と、目の前の黒人だけであった。

 恐らくはほんの数秒の事だろうが、緊張によって引き伸ばされた空気が、まるで数分数時間のような緩やかさで過ぎていく。

 私は引き金に指を引っ掛け、撃鉄に親指を再びかけた。

 トリッガーを絞れば、アラマが緊張に肩をビクリと震わせる。

 撃鉄が落ち――た所を親指が押さえ込む。銃口を天井に向けながら、私はハンマーを静かに戻した。

 短銃身コルトをホルスターに戻しながら、私は言った。


「……行こうじゃないか。そのロクシャンとかって野郎の所に」


 アラマは驚いたように私の方を見たが、私はただ片目をつむって返してみせた。

 私はまれびと、余所者だ。この街の裏事情など知る由もない。

 ならば暫くは状況に流されて、様子を静かに観る他はない。少なくとも、今は。









 飯屋の店主に一ドル銀貨を投げ渡し、私たちは騒がしい店をあとにした。

 すいすいと進む黒人の背を私たちは追う。

 マラカンドの夜の喧騒はいつしかまわりから消え去って、夜の帳が降りて薄暗い路地へと入り込んでいた。

 黒人のあとを追いかけるのがやっとで、細かい道筋など覚える暇もない。

 と、言うよりも黒人は私たちに道を覚えさせたくないらしい。ことさらに何度も角を曲がるのはそのせいだろう。


『……よろしいのですか? 本当に? ついて行ってなどして?』


 やや私の後方を歩いていたアラマが足を速めて隣り合うと、囁き声で聞いてきた。

 彼女には珍しく、その声色に恐れの色が混じっているのが私には気にかかる。


「ロクシャンとかいう野郎は、そんなにもヤバい野郎なのか?」

『ヤバいなどというものではありません! 超ヤバいのです! 悪魔ダエーワよりも忌まわしいのです!』


 囁き声なのに感嘆符の付きそうな強い語気で喋るという器用な調子で、アラマは私に講釈してくれた。


『ロクシャンはスピタメン家の頭領で、このマラカンド最大のオルタックの総元締めなのです! このマラカンドではナルセー王とその重臣たちを除けば、彼に逆らえる者などいはしないのです! 』

「……まず、そのオルタックというのがわからん」


 私が正直に問えば、アラマは歩きながら丁寧に説明をしてくれた。

 彼女の言葉を掻い摘んで言えば次のようになる。

 オルタックというのは要するに隊商の組合で、流れの露天商などは別にして、マラカンドの住民で自分の店棚を持つ者は全てこれに属さねばならず、属さねば商うことが許されない。

 オルタックはこれに属する商人あきんど達を保護する。特に隊商は護衛を雇ったりなどと元手がかさむために個人でこれを組むのは色々と面倒が多いが、オルタックを通せば属するもの同士共同で隊商を組める利点があるわけだ。

 いっぽうでオルタックは商人達を様々な掟で縛り付け、またその頭領への上納金を払うことを強いる。

 まぁ要するにどこにでもありそうな話で、西部でも、サルーンの主や雑貨屋の主が街の顔役になって同業者連中を従えているのはどこも同じだ。違うのは、従えている商人の数ぐらいのものだろう。


『オルタックそのものはあきないの盛んな所ならばどこにでもあるのですが、マラカンドのオルタックは少々事情が違うのです』


 アラマが続けて話してくれたのは、マラカンドの少々複雑な事情だった。

 東方のセリカンと西方のミクリガルズルとを結ぶ結節点、レギスタン。さらにその中間に位置する街、マラカンド。 この地の住人たるズグダ人達は、古くから東と西とを仲介する商いに勤しんできた。

 しかし東西の富が行き交うマラカンドの地を、その周辺の国々が見逃すはずもない。レギスタンはその四方より度々侵攻を受け、異郷の王たちの軍門に幾度となく下ってきたのだ。

 だがズグダの民は強かだった。異民族の王たちを幾度となく迎え入れようとも、その下で商いを通じてしぶとく生き残り続けたのだ。

 ナルセー王と、彼に率いられたエーラーン人により攻め込まれて以来、このマラカンドは彼らの支配下にある。だがここでなされる商いは、相も変わらずズグダ人達が握り続けている。オルタックは、このズグダ商人達の組合なのだ。


『このマラカンドはズグダ人とエーラーン人との微妙な力の均衡の上に成り立っているのです。そしてエーラーン人の王がナルセー王ならば、ズグダ人の王と呼ぶべき者がスピタメン家のロクシャン、その人なのです』


 そして、そのズグダ人の王に私は今呼び出されている訳だ。

 ようやく事情が飲み込めた。

 要するにズグダ人達はエーラーン人達に対し牽制しているのだ。

 ナルセー王がまれびとである私を抱き込んだのを見て、その私に一言いっておかねば気が済まないのだ。


『……着いたぞ』


 事情が飲み込めた所で、ズグダ人達の頭目とやらの所に辿り着いたらしい。

 思考の海から注意を引っ張り上げれば、一見して何の変哲もない極々見慣れた家屋のひとつが目の前にある。飾りもなく、装いもない、なんてこと無いマラカンドではどこでも見るような建物だ。

 黒人は私達のほうを振り返りもせずに門をくぐって中へと姿を消した。

 相変わらず不安そうな眼で私を見てくるアラマには、肩をすくめてみせて黒人に続いた。


 





 外から見た印象とは真っ向反対に、通された家の内装は豪華絢爛そのものだった。

 床に敷かれた絨毯、壁にかけられたタペストリーはいずれも海よりも深い青に染められ、その表面には金糸の刺繍が複雑極まる文様を描いている。絡み合った蔓草、絡み合う獅子と鹿、翼を広げた猛禽に、手が八本もあるような異形の神像……恐らくは全て一流の職人の手になるものだろう。一時間見続けていても飽きないような見事さだ。

 しかしその見事な職人仕事をゆっくり鑑賞している暇は私たちにはない。

 案内役の黒人は相変わらずスタスタと進んでいるし、入り組んだ通路を追いかけるのは骨が折れるからだ。

 何度めか解らない曲がり角をこえれば、狹い廊下が終わってようやく開けた部屋にでた。

 木製の丸机と椅子が置かれた部屋の向こう側には新たな入り口があるが、そこはやはり青色の見事なカーテンで覆われている。私には気配で解った。あのカーテンの裏側にロクシャンが控えている。


『ここから先は、まれびと独りで行け』


 黒人が新たな入り口の傍らに立って言った。

 私が言われるままにカーテンを潜ろうとするのを、アラマが引き留めようとするのを、私は視線で制した。

 もうここまで来たからには、会って帰らなければ甲斐がない。私は苦笑いを残して青の帳を越えた。無論、ダスターコートの下にコルトを忍ばせながら。

 招かれた部屋は最初真っ暗であったが、すぐに明かりが灯って視界がひらけた。

 ひらけると同時に、部屋の主の声が響き渡る。


『ようこそ参られた、異界よりの旅人よ。ズグダの民のならいによりて、あなたを歓待いたしましょう』


 柔らかく温かみに溢れた声の持ち主を見た時、私は顔に出さずとも少々驚いた。

 恐ろしいほどの巨漢だった。身の丈は私よりも頭一つ分ほど大きく、その背丈と同じぐらいに巨大な腹はバッファローのように膨れ上がっている。肥満、という単語はこの男のためにある言葉かと思うほどの太鼓腹だ。

 鼻は高く彫りは深く、落ち窪んだ眼窩の中には切れ長の黒い瞳がある。口も顎も立派な髭に覆われているが、その下にある微笑みははっきりと見て取ることができる。視線もまた、微笑みに似つかわしい優しげなものだった。

 人好きのする顔である。

 だからこそ、私は神経を研ぎすませて身構える。

 アラマが、道すがらに教えてくれた、ズグダ人の習わしを思い出したからだ。


『ズグダの民は、赤子が生まれると必ず、その口には甘露を含ませ、その掌にはにかわを握らせるのです。長じてから口からは甘言が紡げるように、その手に掴んだ富を手放さぬように』


 まさしく、そうやって生まれ、そうやって育ってきたことが直感的に私には解った。決して油断をしてはならない相手だと。


『わたしは家祖スピタメンより数えること二十四代目、一族の長を任されしロクシャンと申すもの。加えて僅かながら商いにも勤しんでいる者でございます』


 右手を胸元に当てながら、ロクシャンは一礼した。

 その巨体に似合わぬしなやかさの持ち主で、その一礼は流れるように見事だった。

 身にまとった黄色のゆったりとした衣の裾が優雅に揺れる。頭に載せた黒いとんがり帽子が礼を印象付ける。


『あまりにも突然にあなた様をこちらに招いた無礼はあやまりましょう。されど言い伝えに名高きまれびと殿がこの街を訪れたとあっては、自分もあきんどの端くれ、おもてなしの一つもせねば面目が立ちません』


 ロクシャンがパンパンと手を叩けば、部屋の左右の帳がサッと開いた。

 色が土色であったが為に、私は不覚にも左右の帳を壁と勘違いし、えらく狭い部屋に招かれたなと想っていた所だったのだ。私にもその存在を感じさせなかった帳のうちの人々は、その体を薄絹に纏った女達だった。最低限の部分のみを覆い――とは言ってもその下が透けて見えている――、伸ばした髪を頭頂部付近で金の冠で纏め、その体には色とりどりの長い絹帯を絡ませている。その背後にはギターのような楽器を持った同じような格好の女達がいて、一斉にそれらを奏でさせ始めた。

 薄衣姿の女たちは、身に絡ませた絹帯をはためかせ、情熱的な曲に合わせて複雑な踊りを舞う。

 腰を胸を揺らし、くるくるとまわり、腕を蛇のようにくねらせる。

 揃いも揃って美人ばかりで、おまけにその肢体は実に艷やかだ。一人一人が並の娼館ならば看板をはるような女たちだが、私の心は全くといっていいほどに弾まなかった。

 この女たちの誰一人が、開かれる前の帳の裏で物音一つ立てず気配を完全に殺していた事実に、私はむしろ恐れすら抱いていた。銃把を握る指の間に、汗が浮かぶのが自分でも解るのだ。

 ただの商売女などではない。その豊かな乳房や腰つき、艶めかしい唇や瞳の下に、いったいなにを隠しているのか知れたものではない。


『さぁ、大いに楽しんでいってください』


 踊る女達の間から、やはり音もなく銀の水差しを携え同じような格好の女給仕達が姿を現す。

 あからさまに男を誘惑することを意識した、扇情的な足の運びだが、私は表向きになど騙されない。

 よくよく見れば、軍人のように整った歩みだ。仕込まれている、明らかに。

 私はロクシャンへと向けて銃を握っていない方の掌を向けて制す仕草をした。

 もう色々と充分だ。


「あぶねぇあぶねぇ。……ここじゃあ、おちおち酒にも女にもうつつをぬかせねぇ。尻の毛まで抜かれそうだ」


 私は酒池肉林に背を向け――るとそのまま背中から刺されそうなので、ゆっくりとロクシャンのほうを向いたまま後ずさった。幸いなことに、まだ退路は塞がれていない。


『……残念ですな。もてなしの気持ちが伝わらないとは』

「生憎だが、腹に何を詰めているかも解らねぇ相手とは楽しく飲めないタチなんでね」


 心底残念そうな顔をするロクシャンへと向けて私が言えば、やっこさん、そのでっぷりと膨らんだ腹をポンと叩いてこう言ってのけた。


『何をおっしゃいますか。この腹に詰まっているのは、ただ真心のみですよ』


 それを聞いて私は、いよいよ確信した。

 こいつは一番信用してはならない類の人間だ、と。













『よろしかったのですか!? ロクシャンのもてなしを断ったりなどして!?』


 夜道を歩きながら、かたわらでアラマがそんな風にまくし立てる。

 全く行くなら行くで慌てるし、帰るなら帰るでふためくしで、実に騒がしい娘っ子である。


「仲良くおしゃべりしてお茶でもする空気でもなかったんでね」


 私はそうとだけ返して、歩みを早足に変えた。アラマは慌てて私の隣へと追いついてくる。

 結局、私はあのあと酒を一滴も飲まず、女たちに指一本触れることなくロクシャンの屋敷を脱した。

 間違ったことをしたとは思っていない。あのまま素直にもてなしを受ければ、何が待っていたか解らない。

 ただ――。


「……」

『どうしたのですか?』


 唐突に立ち止まって振り返った私にアラマが問うが、私は「なんでもない」とだけ返して再び歩み出す。


「バカタレが」


 私は小さく自分へと向けてそう言った。

 いざ虎口を逃れて落ち着きを取り戻した心に浮かんだのは、あの踊り子たちの艶めかしい姿だ。

 私は思わず考えていた。少々残念……いや、大いに勿体無かったかもしれない、と。

 そんなことを思う私の顔を見て、何故かアラマは不機嫌そうに顔をしかめるのだった。



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