006 アーレス邸にて(7月5日アーレス)
アーレスの自宅は、クルセタの町の外れにある。外れといっても、ただの外れではない。15分ほど山道を行った先の山奥にあるのである。
そこは、アーレスが幼少時代から過ごした家である。旅行家である両親は世界中を旅しておりめったに帰ってこない。
そのため、アーレスは、使用人であるジェンキンス夫妻に育てられてきたのである。
そして、現在、アーレスも両親と同じようにほとんど家にいないため、その家に実質的に住んでいるのはジェンキンス夫妻である。
結局、クルセタ街道を通らなかった為、時間が予想以上にかかってしまい、自宅についたのは暗くなる直前だった。もう少し遅くなったら、もう一泊森の中でしなきゃならないところだった。
思った以上に話し好きなエレナ姫も、さすがに言葉が少ない。
なにぶん、相手は生粋のお姫様だ。街道から外れた道なき道を10キロ以上歩けばそうなってしまうだろう。
「あと少しでつくからな」
「はい」
声をかけられたエレナは、にこりと笑って答えた。まだ、笑顔を返す根性はあるらしい。
半日一緒に歩いたが、休憩の度に、色々質問され、お互いのことをそれなりに知ることができた。その休憩の時の話が、長すぎたことも遅くなってしまった一因である。
「着いたぞ」
森が開け木造の建物が現れる。山の中にあるのに立派な建物である。森を切り開いて造られたそのスペースには、ある程度自給自足が出来るように野菜が植えた畑がある。
そして、玄関のところには、火のついたランタンが掲げられていた。
考えてみれば、予定外の事件はあったが、今日帰る予定だと夫妻には伝えていたである。
夫妻は、帰ってくるアーレスのためにランタンを掲げてくれていたのである。
「す、少し待ってもらえますか」
いざ玄関のところまで来たときにエレナはそう言った。何をするのかと思ったら、髪の毛を手串でなおしたり、乱れた服を手で整え始めたのである。さすがは女の子であるとアーレスは感心する。
だが、彼女の準備が整う前にドアが開いてしまった。
「遅かったじゃないかい」
そう言って、女性が出てくる。ジェンキンス夫妻の妻のマリアである。白髪が目立つようになってきた彼女は、もともと本家、つまり、セリュー子爵家の使用人であった。現在の子爵の実の妹であるアーレスの母親が結婚した際、同じく使用人であった夫とともにこの家に移ってきたのである。
それ以来、夫婦でこの家を守ってきてくれた。
「そのアーレス様に助けていただいたエレナと申します。これから、よろしくお願いします」
エレナは、アーレスの後ろから横に出てマリアに頭を下げた。
「あんた。アーレスが、彼女をつれてきたよ!」
そのエレナの様子を見たマリアが、家の中に向かってそう叫んだのであった。
それを聞いてアーレスは慌て、エレナは顔を赤くするのであった。
「全く。早とちりしやがって」
そう言ったのはマリアの夫ジェラルドであった。
「だって、アーレスが女の子を連れてくるなんてはじめてだし、そろそろ結婚してもおかしくないからねぇ」
マリアは、料理を温めなおしながら言う。
「マリア。何かエレナが着れるものなかったっけ?昔、フィーねえが泊りに来たときの服があったと思うんだけど」
アーレスは、上の階からおりてきて言う。上の自分の部屋で服を着替えてきたのだ。
2階建てのこの家は、下の階にジェンキンス夫妻それぞれの部屋、応接室、リビング、それと台所、洗面所や風呂などもある。上の階は、5部屋あるが、そこはアーレスの部屋と物置となっている両親の部屋、同じく物置になりかけている3部屋の客室がある。
「あー。確かどこかにあったね。後で探すから、あんたはエレナさんの様子を見てきてあげな」
マリアはそう言うが、「見てきてあげな」と言われても。と、ジェラルドの方を見た。ジェラルドは年甲斐もなく、行って来いと言わんばかりに親指を立てた。
エレナはというと、アーレスの為に沸かしておいたというお風呂に入っているはずである。両親が、拘りに拘りぬいた木製の風呂である。なんでも、東方の国を旅した時に感動して、特注した風呂らしい。
だが、水を汲むのと薪を割るのが面倒なので、アーレスが帰ってきた時しか沸かさないのだ。今回は、今日帰ると出かけるときに伝えておいたから用意しておいてくれたのである。もっとも、こうやって帰ってきた際には、薪割と水汲みをアーレスがすることになっている。
コンコン、と、アーレスは洗面所のドアを叩いた。特に鍵がついているわけでもない為、開けようと思えば開けられるのだが、さすがにそれはまずい。
お風呂に入っていれば、気づかない可能性もあり、反応が無いのではないかと思ったが、予想に反して、すぐにドアが開いた。
先ほどとなんも変わりなく服を着たままのエレナが、ドアの向こうから出てくる。
「・・・その・・・どうすればいいかわからなくて・・・今から聞きに行こうかと・・・」
彼女は、沈んだ声で言う。お風呂すら一人で入れない自分の不甲斐なさに恥ずかしく思っている様である。まあ、それも仕方ない事である。彼女は王宮で暮らし、身の回りは侍女たちがやってくれたり教えてくれたりしていたのであろう。
中を見ると一応、湯船のふたがとられたりしていたので、自分でやってお風呂に入るのか考えていたのであろう。
「大丈夫ですよ・・・」
アーレスは、そんな彼女に対して、妹ができた気分になり、説明をはじめた。
「まずここは服を脱ぐところで、このかごに脱いだ服をいれといてくれ。後で着替えを用意するけど、もしかしたら着られないかもしれないから、濡らさないように注意して」
まず、脱衣所でそう説明する。エレナは、それくらいわかると多少不満そうな顔をする。その顔もかわいらしい。
「その壺は手を洗うための水が入っているから手を洗う時はこの桶で汲んで使って、それで、あっちの奥にある壺はトイレだから、用が済んだら、あそこに盛ってある土をかけてくれ」
続いて脱衣所に置いてある壺に関して説明する。エレナは、トイレと言われたとき、顔を赤らめて、少しもじもじとした。昨日、漏らしてしまったことを思い出しているのかもしれない。
「で、こっちが浴槽でお湯が張ってあるから、こっちにある壺には水が入ってるから熱かったら、その桶で水汲んで浴槽に入れれば冷めるから」
そう言いながら、アーレスは浴槽に手を入れてみたが、すぐに手をひっこめる。かなり熱かったのである。アーレスは、絶句しエレナ姫を見たが、エレナも手を抑えるようにして見つめていたため、しばらく見つめあう形になる。どうやら、彼女も一度、お湯に手にいれ体験済みだったらしい。
「上の方だけ熱い場合があるから、その時はこの棒でかき混ぜて」
と、アーレスは苦笑いしながらおいてあった棒でくるくるとお湯をかき混ぜた。
それからで、もう一度、そーっと手をつけてみる。多少、熱かったがこれくらいなら入れそうな温度であった。
エレナは、その様子を見ていたが「わかりました」と言う。
「じゃあ、後でマリアに服を置いといてもらうから、ゆっくり入って」
と、言ってアーレスは浴室を出ようとする。
「あ・・・あの」
出ていこうとしたアーレスにエレナは声をかける。アーレスは、その声に反応して振り返るが、エレナは、「や・・・やっぱいいです」と、慌てて首と手を振るのであった。




