第27話 ブラック
陰鬱とした檻の中で、男は瞠目して座す。
闇のような静けさに包まれて思考に溺れていれば、おのずと浮かぶのは在りし日の自分。
『俺と、ともに来てはくれないだろうか』
そう誘い出したのは彼の方からだった。
彼女と出会い、彼女が心に住み着いてしまってから、早急に去ろうとしていた国での滞在日数が10、20と増えていき、彼女と言葉を交わす機会を何度も得た。
幸いなことに彼女も男のことを気に入っているようだった。同じ思いを抱く者どうし、これを運命と言わずして何と言うのだろう。
男は幸せの絶頂期にあった。傲慢にも自分が世界の中心であるように思えた。
だがそんなものは当人たちにとってだけのもの。ましてや驚いたことに女は王の一族だった。男も集落の長の子ではあったが、そんなものとは比べ物にならない。種族差のせいもあって、当然二人の逢瀬に良い顔はされなかった。
ゆえに男は強引な手段を選んだ。彼女を手放すという選択肢などなかった。
たとえ将来苦しむことになろうとも、二人はこの時この瞬間の幸福を求めたのだ。
力を至上とする文化で育った男はそれが正しいと思っていた。
だが彼は知らなかった。それがいわゆる若さゆえの過ちであったということを。
彼は知らなかった。脆弱な硝子細工だと思っていたものたちが、鋭利な切っ先を隠し持っていたということを。
追撃は苛烈を極めた。休む暇もなく乱舞する魔法の嵐。命の危機を感じたのは一度や二度ではなく、このとき彼は己の肉体の未熟を思い知った。
そして逃げ延びた先で子を授かり、ようやく己の精神の未熟を悟った。
牢に入れられ罰せられるという現在の屈辱はすべて因果応報であった。
(だが、俺は必ず戻るぞ。オレハとフィージルの下へ、胸を張って)
ディエンテは何度目かの決意を胸に刻む。
暗い檻の中はカビや苔とも無縁だ。湿度が高くないというのもそうだが、この地に食い込んだ呪いが生命の繁殖を妨げているのだ。
ゆえに特別過ごしにくいということもあるが、かといってよい環境というわけでもない。
ディエンテに科せられた罰は、この呪われた大地での貧相な生活とその復興の一助となることだった。
乾いた地面を耕し栄養分を撒く。破壊の名残である瓦礫を撤去する。レンガを積んで新たな建物をつくる。やることはいくらでもあった。
獣人種の罪人がここに投獄されることなど滅多にないので、ディエンテはその身体能力を期待されてか多くの仕事を振り分けられている。それが正当な労役の量なのか、それとも看守の嫌がらせなのかは分からなかったが。
いずれにせよ限界まで体を酷使される毎日はディエンテにとっても厳しいものだった。もちろん、それで彼が手を抜くことは一切ない。すべては、償いのため、そして愛する者たちと再び相見えるために。
「……そう思って耐えてたんだがな」
ディエンテの瞼がゆっくりと開かれた。獣の目は闇を切り裂きその向こう側に夢に見た姿を映し出す。
「そうね。あなたは強いから。きっと、何年かけても一人でやり遂げてしまうんでしょうね」
まるで一年ぶりにその声を耳にしたかのように胸は感傷に響く。
「でも、私は駄目だったわ。聞いてくれる? 私ったら、あなたがいなくなった途端に不安になって寝込んじゃったの」
「それはまた……大丈夫だったのかい?」
「ええ。フィー君のおかげよ。フィー君が私をここまで連れて来てくれたの」
「そうか。まったく、あいつは」
うまく言葉が紡げなかった。呆れてみせたのはポーズでしかなく、こみ上げてくる嬉しさが唇の端を波立たせる。
「一緒に償いましょう。フィー君が待ってるわ」
「いいのかい? どれくらいかかるか分からないよ?」
「大丈夫よ。父様も母様もみんな私たちのことを祝福してくれているんだもの。あともう少しで『命名神』様も許してくださるはずよ」
そういってあの日から変わらぬままの少女は檻の反対側に辿り着いた。格子の隙間から手を差し入れた。
「花を咲かせましょう。この枯れた大地に、私たちの未来を祝福するきれいな花を」
♢ ♢ ♢
こん、こんと軽い調子でされたノックに、しかしあちら側からの反応はなかった。
「もしかして留守ですかね……」
そう心配する僕だったが、構わずカザハさんはノックを続ける。
こんこんという音がトントンという堅い音に変わり、ドンドンという荒々しい音になってようやく扉の向こうからどすどすと足音が聞こえてきた。
「うっせーんだよ! 誰だ、こんな時間に! 目ん玉もがれてーのか、アアン!?」
勢いよく扉をぶち開けて現れたのは妖精種の少女。しかし頭髪は白くぼさぼさで、目の下に隈をつくってひどく眠たげかつ怒っていた。服装はほつれの多いシャツ一枚で、うん、実にきわどい。
しかし口調が完全にチンピラのそれである。色気は皆無だった。
「申し訳ありません。聞こえていないのかと思いまして」
「ぜってーわざとだろ!? 叩き起こす気満々だったろ!? こっちゃ昼は寝る時間なの! 想像してみろ! 夜寝てるときに叩き起こされるやつの気持ちを!」
テンション高っ。言いたいことは分かるけど。
というか護衛のヘロンさんとヘレンさんが跪いて、皇后であるカザハさんが形の上では遜るって、まさかこの人が……
「まあまあ、今日はお客さんを連れてきたの。フィージル君、この方が『魔導神』様よ」
やっぱりかぁぁああ! 母さんやイリナから話を聞いて過度な期待はもたないようにしてたけど、想像以上に人間味があるというか残念な印象なんだけど!
これで1200歳って、どういうこと!?
「きゃぁくぅだぁ!? ばっきゃろ、つーからにはちったあ面白れぇ魔法持ちなんだろうなぁ、アア!?」
ぎろっと鋭い眼がこちらに向けられる。うっ、さすがは神様、身を竦ませられるようだ……というよりも目つきが悪すぎてびびる。
にしても神様だから当たり前かもしれないけど<混入>スキルは効いてないみたいだ。
「んんー? ほうほう……へぇ、なるほどぉ」
遠慮なくじろじろと見てくる『魔導神』様。残念ながら魔法はひとつも持ってないんだけどやばいだろうか……
しかし意外にも興味は示されている様子。見た目は何の変哲もない妖精種なんだけど。
「よし」
「はい?」
「確保ォォォオオオ!!」
「うええええ!?」
『魔導神』様が叫んだ途端、レンガ造りの平屋内が一気に慌ただしくなった。複数の足音が響き渡り、こちらに向かって近づいてくる!
「あるじさまぁ、獲物はどこでぇ!?」
「この子供だ。連れて行け」
「ラジャアァ!」
慌ただしく現れた3人の妖精種の男はみんな『魔導神』様と同じく目元に濃い隈をつくり、目をぎらつかせて体をふらつかせていた。
これまで眠っていたのかパジャマ姿だ。そんな3人がゾンビのように僕へと両手を伸ばす!
「いや、ちょっと待って! 助けて、カザハさん!」
「カザハ、褒美をやろう。何がいい?」
「そうですね~ではお肌をつやつやにしてください」
「カザハさん!? えっ、うそでしょ!?」
まさか僕を売ったのか!? ていうかあなた神様に頼むまでもなくお肌つやつやでしょうが!
その間にも僕は3人に担ぎ上げられ、すでに扉を半分くぐっていた。
「じゃあフィージル君、しばらくここで面倒を見てもらってくださいね。私も政務がありますので」
「いやぁぁあああ!」
僕の悲鳴は誰にも聞き留められることなく、そのまま薄暗い建物の中に吸い込まれていった。
「ちょっ、ほんとすみません、すぐ帰りますんで許してください」
「暴れるな、手枷をもってこい」
「手間取らせるなよ。こっちは睡眠時間削ってるんだ」
あれよあれよという間に血色の悪そうな男たちによって椅子に拘束されてしまった。両手をベルトで肘掛けに固定され動くことができない。
「よぉし、寝るぞ」
「まだ三時間はいけるな」
「おやすみzzz……」
「いや、寝ないで!?」
ひと仕事を終えたといった感じで3人はそれぞれ床で毛布にくるまって眠ってしまった。
というか何ここ? 床にはあちこちに紙や物が散乱し、飲みさしと思われるカップが放置されたテーブル、部屋の隅には乱雑に箱が積まれている。
掃除がいきとどいているとは思えず、そんな中で雑魚寝をする男(一応美少年)たち……
あれ、床に黒い染みが……薄暗くてよく見えないけどあれって……血痕?
「やばいやばいやばい、解剖される、誰か本気で助けて!?」
「うっせーな! 叫ばれると頭ガンガンすんだよ! うう、ほら見ろ、頭いてぇ……」
僕以上にうるさい声をあげながら室内に入ってきたのは『魔導神』様だった。とっさに「頭が痛いのは自業自得でしょうが」と反射的に無礼な口を利かなかった自分を褒めてやりたい。
そしてこれだけうるさくしても身じろぎ一つしない男たちを見て闇の深さを感じた。
「けひひ。怖がる必要はねーよ。傷ひとつつけることなく帰してやるからよぉ。ま・あ? その頃に頭がどうなってるかは知らねぇがなぁ」
マッドだ! この神、マッドなサイエンティストだ!
不気味に笑いながらナイフをくるくる回している姿に本格的な危機感を覚える。
「い、いやあ、僕なんて大したことないですよ? そこらの凡俗と同じですって」
「つれないこと言うなよぉ。妖精種と獣人種の混血なんて見たことも聞いたこともねぇ。ほら、興味がそそるだろ?」
うわぁ、バレてらぁ。さすがは神様だなぁ。
「なんでバレてるってか? そういう魔法だよ、魔法。なぁ、フィージル=バラメント君?」
うわぁ、名前はともかく家名までバレてらぁ。
「でも僕魔法なんて使えませんし」
「そんなの分からねぇぜ? こう、うまい具合に精神に負担をかければ、オレのまだ知らない新しい魔法に目覚めるかもしれねぇだろ?」
「精神論! この部屋の惨状を見て無事で済むなんて信じられませんよ!」
拘束具とか、血痕とか。そこらへん探せば拷問器具とか出てきそう。
「ああ? もしかしてこの血痕のことかぁ? 心配すんな、これは被験者のモンじゃねぇ」
「今被験者って言いましたよね?」
『魔導神』様が僕の視線を追って床の黒い染みについて言及する。気になる言葉はあったものの、本当に身の危険はないのか……?
「これはここで惰眠をむさぼる下僕どもが心労で吐いた血だ」
「ただのブラック企業じゃないですか!」
いったい何させてるの、この神!? 男たちの異常な様子も納得だわ!
「何言ってんのか知らねーけど、こいつらの扱いを怒ってんならお門違いだぜ。オレはこいつらに頼まれて眷属にしてやってんだ。寿命をなくして、死にかけてもきっちり治してやってんだから、代わりにオレがどうこいつらを扱おうと勝手だろ?」
眷属って……『六柱神』だけがもつ<眷属>スキルか? その在り方を縛られる代わりに大きな力を授けられると言われているけど、こうも羨ましくない眷属がいるだろうか。寿命がなくなる代わりに半死半生になってるんですが。
「下僕の心配をしてる場合かぁ? けひひ、久しぶりに面白れぇオモチャだ。こりゃあ寝てなんかいられねぇよなぁ?」
『魔導神』様の目は血走っていた。白髪の不健康な少女がナイフ片手に迫ってくるというホラー。
僕はすべてを諦めた。




