第13話 前世のトラウマをこえて
僕のやったことはと言えば、昨日と同じだ。
絶好のチャンスを得て突っ込んできたウォンの動揺を誘い、その隙を突いて勝負を決める。
違いは、昨日が獣人種への<種族変更>だったのに対し、今日は妖精種に変更したことだけ。
獣人種と妖精種では体格が大きく異なる。スキルはそこまで精密に体を再構築してくれるので、この差を役立てる方法は以前から考えていた。
混血種を基準にして、目線の高さから上下およそ五センチは慎重を変更できる。獣人種から直接妖精種になれば、合わせて十センチ背が小さくなったということになり、顔面目掛けた拳をなんとか屈んで躱すことができたのだった。
まあ、一種の賭けだったことに違いはないけど。
昨日の戦いから僕が妖精種にも変化できる可能性をウォンが考えていたこともあり得たし、そうなれば僕に残された手はなかった。
せいぜい<演技>スキルで揺さぶりをかけるくらいだろうけど、それだともはや戦いではない。
結果として、七、八歳の子にそこまでの推理力はなかったみたいだった。
「昨日のことだけど」
ウォンが静かにしている間に弁明を試みる。また元気になってからだと聞いてもらえないかもしれない。
「僕は『歪な混ざりモノ』っていう称号を持ってて、そのせいで小さな子供には本能的に嫌われるんだ。昨日連れていた二人がいきなり泣いたのはそのせいであって、僕が何かしたわけじゃ……いや、大元の原因は僕なんだけど」
説明が難しい。不慮の事故ではあったけど、責任の半分以上は僕にあるわけだし。
「……だから何が言いたいかというと、ごめん。やろうと思ってやったわけじゃないけど、それでもあの二人を泣かせちゃったのは事実だから。それで僕が謝っていたことを二人に伝えてもらって、できればウォンにも誤解を解いてもらえたらうれしい」
いろいろと遠回しな言い方になったけど、伝わっただろうか。
家族以外の人と話す機会がほとんどないから、いざそうなったときにうまく語ることができない。言い終わって、少し早口すぎたかなと感じた。
「……そ、んなことは、どうでもいい。俺はお前に負けた。二回もだ」
敗北がよほど堪えたのか、ウォンは複雑な感情を必死にのみ込んだいるように見えた。
単純な悔しさ。僕への恨みつらみ。それを晴したいという衝動を自制しようと、震える拳を強く強く握りしめている。
きっとウォンは、ただ年少の仲間を泣かせた僕を成敗するためだけに、戦いを挑んできたわけではない。
同年代の中では頭一つ抜けていたというし、自分の実力に対する自負もあったはずだ。どちらか上か、いや、自分こそが上で昨日の敗北は何かの間違いだったと証明するために、ウォンは僕との対戦を強く望んだのだろう。
見た目からして弱々しく、ぽっと出の僕に二度目の敗北を突きつけられたことで、彼は今激しいショックを受けている。
『猛き者』という称号を授かるほど果敢だった心が、一本の芯を通したアイデンティティが、強風に煽られる高木のようにしなり大きなダメージを受けようとしている。
――あれは運がよかっただけで、次からはもうウォンには勝てないよ。
そんなことを僕の口から行ってしまえば、真っ直ぐだった彼の心はぽっきりと折れてしまうだろう。
自分を負かした相手からの慰めなど聞きたくないだろうし、ましてや称賛なんぞをしてしまえば最大限の侮辱になることなど、戦士でない僕でも分かることだ。
実際に手札を出し切った僕は、もうウォンに勝つ手がなくなったと言っていいだろう。再び渡り合うためには新たなスキルを手に入れるか、純粋に戦闘技術を高めなければならない。
そんな事実は誰が聞いても得のないことだ。
「ウォン、また戦おうよ」
だから、僕は勝者として語り掛ける。
たとえぼろぼろで傍から見たら立場が逆に見えようとも、ふてぶてしく自信に満ちた自分を演じる。
ウォンは、僕の表情からその真意を読み取るだろう。
――君は、負けたからといってそのまま終われるのか?
それは挑発だ。
非力な僕がただ負けず嫌いというだけで意地を見せたのに、そっちはその程度の意気地なしなのか、と。
見るからに負けん気の強そうな少年の瞳に、真っ向からぶつけた。
「……上等だ」
効果は、覿面だった。
「すぐに負けた分を取り返す。首を洗って待っていろ」
対抗心を刺激されたウォンは、鋭い目つきで僕の挑発を受け止めた。そこに敵意は存在する。しかし、不健全な暗さは見当たらなかった。
白狼の将来を担う彼の猛き心は、今回の敗北に見事耐えきってみせたのだ。
「明日の同じ時間にここに来い! 逃げるなよ!」
「あっ、待って……ていうか、明日!? ちょっとは休ませて……」
ウォンは昨日と同じく全力で丘を駆け降っていった。足が速いもので、もうその姿は小さくなっている。
僕は絶望した。
明日か……明日もなのか! というか毎日来るつもりじゃないよね?
僕としては互いに鍛え直して、またいつか戦おうっていうつもりだったんだけどなぁ。おかしいなぁ。そこまで戦いに飢えてるわけじゃないのに。
やっぱりやめ、とかは……できないよね。はぁ……。
「フィー君、今日はかっこよかったわ」
ふわり、と蝶がとまるように優しく背中から僕を抱きしめたのは母さんだった。<治癒魔法>によって傷が癒えていくのを感じる。
親バカフィルターのかかっていない、心からの言葉だ。ましてや頻繁に僕をかわいいと評する母さんの口から、かっこいいという言葉を頂くとは思っていなかった。
「……でもあれは、正々堂々じゃないし」
「反則じゃないんだから、気にすることなんかないわよ。ね、あなた」
「ああ、オレハの言う通りだ。フィージル、お前は間違いなく戦士だった」
父さんの声はやけに真剣味を帯びていた。こちらも本心からのものだと分かる。
「たとえ真正面からでなくとも、全力を出し尽くして貪欲に勝利を求めたことは価値あることだ。知恵を振り絞った戦略はもちろん、最後まで諦めなかったお前を、俺は誇りに思うよ」
「父さん」
「正直、今まで特訓と言っても甘やかしていた。フィージルは多くの白狼のように本能で戦いを求める子じゃないし、オレハの手前、戦士として鍛え上げようとも思っていなかった。力がなくたってフィージルは頭が良いから、生きていく方法はたくさんある」
自分で言っては何だが、僕は二人にとって本当に何にも代えがたい宝物だ。世間的には不気味でも、間違いなく自分たちの愛が結実したものだと、そう思われていることは想像に難くない。
だからこそ父さんは悩んだのだろう。そんな宝物を、白狼の習わしで戦士として育てるべきか否か。戦いとなれば当然命の危機がつきまとうし、子供を失うことへの恐怖は人一倍だっただろう。
結果として、僕は今まで両親に守られてごくごく平穏に時を過ごしてきた。
でも、と父さんは続ける。
「今日のフィージルを見て、心が震えた。俺はやっぱりお前に強くなってほしい」
『鳴神』という神にも認められた戦士は、これまで押し込め続けてきた思いを吐露した。
それは、自分が培ってきた技術を、子供に継承したいという願い。
「戦いに生きろとは言わない。今日見せた優しさは決して捨てないでほしい。だが、それでも俺は、お前の中にある戦士の心をここで終わらせたくはないんだ」
すまなさそうに、しかし一片の希望を込めて、父さんは僕の前世のトラウマを刺激する思いを紡ぐ。
「フィージル、明日からの特訓を、本気のものにしてもいいか? もちろん断っても良い。今まで通りとはいかなくなるから、よく考えて答えてくれ」
その名は期待。親から課せられる、過剰な期待。
――へぇ、九十五点をとったの。それじゃあ、次は百点ね。
――壮也、良い大学を出て、立派な職業に就きなさい。大丈夫、お前なら医者にも宇宙飛行士にもなれるさ。
もう随分と昔のことなのに、脳裏によぎった過去。
こちらのことも考えず、自分たちの理想を当たり前のように押し付けてきた過去の両親。
――高本、今のうちにサインくれよ。もしかしたら将来総理大臣になるかもしれないだろ?
――ありそう! 高本君、『真面目』だしね。総理と同じクラスだったってまわりに自慢できそう!
誰しもが僕に過剰な期待を寄せる。『真面目』だから、勉強ができるから、そんな理由で。
そうした冗談紛いの言葉が、どれだけ僕のプレッシャーになっていたか、旧友たちは一切知らないだろう。
気づくはずもない。
僕が負けず嫌いだったから。弱音を吐かなかったから。
僕はただ失望されないように、彼らの望む通りに振る舞っていたのだ。
今、僕は同じ状況に立たされている。
押し付けではない。しかし、縋るような懇願は無責任であるよりもなおタチが悪い。
一方で、脳裏をよぎるのはこの世界で見たいくつもの光景。それらは暖かく幸せなものばかりだ。僕のまわりには笑顔があふれていた。
その中で唯一、鮮明に記憶に甦る涙があった。深い森の中、僕のために流された大粒の雫たち。
あのとき僕は誓った。優しい両親のために何かをしようと。大切に守られるだけではダメなんだと。
「――はい。僕を鍛えてください」
子ではなく、弟子としてこちらから頼み込む。
この結果は他人の都合に流された果てに辿り着いたものではない。自分の気持ちに素直に考えて、その上で期待に応えたいと思ったのだ。
胸には解放感があふれ、かごから放たれた鳥のように心が自由を謳歌しているようだった。
――僕にもっとも期待を寄せ、その重さで押し潰そうとしていたのは、僕自身だったのかもしれない。
自分の意地のために頑張っていたあの頃と違って、今は心からその期待に応えたい人がいる。
それだけで、僕はどんな苦難も切り抜けられるような気がした。
♢ ♢ ♢
「……すまない」
ディエンテ=バラメント――フィージルの父親――は息子の寝静まった夜、妻に向かって謝罪を口にした。
「俺は昔と何も変わっていない。白狼として、フィージルが一廉の戦士になる夢を捨てきれなかった」
「それ自体はフィー君の身を守ることにもつながるから、悪いとまでは言えないと思うけど」
ディエンテの妻、オレハ=バラメントは困惑気味に返答するが、彼自身は即座にその気遣いを否定した。
「違うんだ。俺は俺の都合でそう望んでいるんだ。いつまでも俺は、身勝手なままだよ」
自分を責める夫の手に、オレハはそっと自分の手を重ねた。
「自分のことをそういう風に言ってはだめよ。私とのこと、後悔しているわけじゃないんでしょう?」
「……ああ、それはもちろんだ」
二人にはまるで物語に語られるような過去が存在している。
強さを追い求めて各地を旅していた一人の男が、立ち寄ったある国の王女に一目惚れし、幸せに結ばれる。そんな王道ストーリー。
ただし、その過程で相手方の親族の理解を得られず、駈け落ちという手段を選んでしまったこと除けば、の話だが。
ましてや相手は王族。即座に『命名神』から『姫攫い』という罪の称号を授かったのは、ディエンテのしでかした事の大きさを表している。
「当時の俺は、強ければなんでもできると考えていた。父の古い考えに従って、ほしいものは自分の手で手に入れるものだと思い込んでいたんだ。母の言うことには耳も貸さずに」
ディエンテの父は白狼の前族長であり、すでに他界している。彼が修行に明け暮れている間に、過去の戦いの傷のせいであっさりと亡くなってしまったのだ。
現在はディエンテの母、すなわちフィージルの祖母であるナリスが族長の座を継ぎ、集落を立ち行かせている。その後釜には別の人物が据えられていた。息子とはいえ、罪人を長にするわけにはいかない。
ナリスがディエンテたちを放置しているのは、あくまで二人の愛が真実であったから。そして、孫であり罪のないフィージルを不幸にさせたくないからに他ならない。
「こうして幸せになれたから思うことだが、こんな強引な手段ではなくもっと違うやり方があったんだ。君のご家族はひどく心配していることだろう」
「あなたの誘いに乗った私にも非はあるわ。だから、あなただけが抱え込まないで」
ああ、自分にはもったいない女性だ。
育ちの良さはもちろんのこと、慎み深く、愛情に満ち溢れ、こんなにも美しい。
このような女性が、よく自分のような粗暴者を好いてくれたものだと、ディエンテは不思議にすら思う。
そう、一目惚れしたのはディエンテだけではない。オレハの方も、この獣人種の男に惚れこんでいるのだ。
「どちらにせよ、どこかで区切りは付けないとだめだろう」
自らの犯した最大の汚点。それを清算しない限り、息子に胸を張れる父親にはなれない。
「フィージルに一通りすべてを伝え終わり次第、俺はエルフィス王国へ行く。そこで罪を償い、叶うならこれからもお前たちといられるよう許しを請うよ」
「あなた……」
ほとんど晴れ間しかなかった一家の中に、初めて陰りが見えた瞬間だった。