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Gin

ブラックルシアン

作者: 志摩



 冬休みに入ってから始めた飲み屋のバイトで、やっとお客を見る余裕ができたころ。

 ある日のことだった。その客は一番奥のテーブル席に座し、二人で飲んでいた。

「――誠実(まさみ)、今日はどうしたの?」

「ちょっとな、色々あったんだよ」

 テーブルには徳利と二つの杯があった。

 俺はその席に焼き鳥を運んだ。

「色々?」

「あぁ、部下がミスしたんだ」

 男、誠実は酒を呷った。干された杯に、女が注いだ。

「弱いんだから、ほどほどにしなさいよ?」

「分かってる。別に泥酔してもお前がいれば何とかなる」

「はいはい。分かりました」

 女も誠実に負けぬ勢いで自分の杯を干す。

「くっそ、俺の指示通りに動かないで、それでミス? ふざけんな。責任取るこっちの身にもなれよ、この野郎」

 誠実の空になった杯いっぱいに、女はまた酒を注ぐ。

「寝坊はするし、遅刻の連絡もまちまちだし、会社をなんだと思ってるんだ! 学校じゃねぇっつぅの!」

 小さな声ながら、そこには強い怒りが込められていた。

「そうね、学生気分が抜けないのかもね? 一年生でしょ?」

「そうだぁ? 高卒だよ。でも、もうすぐ一年だぞ? 一年だぞ!」

 誠実はまた一気に杯を干す、なみなみと注がれていた酒を。その頬はすぐに赤らんでいった。

 彼らの話は大学の授業に寝坊でまともに行けていない、さらには将来のよく見えていない俺の耳には痛いものだった。

「そぅ。でもあんたももう二十五でしょ? ちょっとくらい大目に見たら?」

「社会は厳しいのさぁ、責任ってのは大変なんだよ。下の奴の分、俺が負う。それにしたって、俺にも上司はいる。その人はもっと、責任、取らなきゃなんない」

 誠実は女に杯を差し出す。女は溜息をつき、またなみなみと酒を注ぐ。

「誠実、そろそろかしら?」

「ぁあ? まだ飲むぞぉ?」

 呂律が回らなくなってきている。

 また誠実は酒を呷る。干された杯を、テーブルに勢いよく置いた。

「なぁ、聞いてくれよ? 今日、俺の部下がミスしてさぁ。責任取らなきゃなんのって…………」

 女は杯を呷った。焼き鳥を一人食べながら。

「聞いてんのかぁ?」

「はいはい」

 誠実は怪訝そうに女を見るが、すぐに視線は逸れる。

「頑張ってくれよ、一年生。俺も最初は、色々やっちまった」

「うん」

 テーブルの上に腕を組み、そこに頭を下ろす。

「先輩に、面倒見てもらったんだぁ」

「うん」

「……俺だってそんぐらい、してやるよぅ」

「うん」

「…………」

 女は最後の杯を呷った。上品な動作で立ち上がると何故かこっちに歩いてくる。

「お兄さん、この男頼める?」

「――はい?」

「適当に起こしてやって」

「……はい。閉店前に起こせばいいんですね?」

「お願いね。私はちょっと用事があって、連れていけないの。一緒に朝を待てないの。ごめんなさいね」

 女は会計を済ませ、先に立ち去って行った。

 若いだろうにくたくたのスーツを着て、酔いのまわりも早いし、相当お疲れのようだ。仕方なくテーブル席から奥にあるソファに運ぶ。いわゆる従業員の休憩場だがそこに寝かせろと言うのが、様子を一緒に見ていた店長からの指示だった。

 社会人は大変だな、なりたくないなとしみじみ思った。



 ある日のことだった。

(たける)さん、まだ飲むの?」

「もちろん!」

 おそらく大学生だろう、カップルが来た。

 男の方、尊はもう顔が赤くなっており、女の方はそんな尊を心配そうに見ていた。一人で歩くのが難しいらしく、女に支えられていた。

 空いているのはカウンター席のみだったので、そちらに案内した。尊が椅子から落ちないかが心配だったが、仕方がない。

 二人はアレキサンダーを飲んだ。

「今日はごめんね、連れだしちゃって」

「いいえ」

「本当にごめんよ」

「別にいいですよ」

 尊の方は謝ってばかりだ、それも泣きそうな顔で。カップルだろうに微妙な雰囲気を漂わせている。別れ話でもしそうだった。

「どうして来てくれたの?」

「電話がかかってきて、呼ばれたからですよ?」

「そうだよね、ごめんね」

「構いませんよ、ちょうど暇でしたからねぇ。それに、そちらの奢りなので」

「うん、ごめんね」

 尊の態度がひどかった。ぼそぼそと、相手の顔を見ずに、その言葉は反対側にいる俺の方に放たれる。見ているこっちがイライラしてくる。二人は一度も視線を交わさない、俺の方が一体どうしたものかと困ってしまう。

 顔に出ないように努力しながらちらちら見ていると、俯き加減の尊が口を開いた。

「今日ね、彼女にふられたんだよ」

「そうですか」

「うん、ごめんね。こんな話で」

「いいえ」

「いつも聞いてもらってばかりで」

「大丈夫ですよ。誰かに言ったりしないから」

 尊の方はもう、うとうととしている。限界までもう少しだろう。女の方はだんだんと表情がなくなってきていた。酔いではなく厭きれから、そう、不満を隠しきれていないのだろう。尊に女の様子を悟る余裕はない。

「ははっ。いや、別に言われても仕方ないと思ってるから。構わないさ」

 尊はずっと寂しそうに微笑んでいる。それ以外の表情は出来ないかのように。

「それに、言えないです」

「……そうだね」

「これで別れ話を聞くのは八人目です」

「ははっ、もうそんなになるかぁ。俺自身、気がついてなかったなぁ」

「そうですか」

 それは悪癖のようだった。尊はそんな現実を空笑いで受け流すくらいに何とも思っていないようだ。

「私、尊さんと会って、まだ一年経ってないんだけど」

「そうだねぇ。でも、俺、来年いないし」

「そうですね。サヨナラですね」

「そうだねぇ」

 女の方はさっぱりしている。尊は態度だけでなく話し方までぐずぐずになってきていた。

 サヨナラということは今、四年生ということになる。俺より年上なのか、この男は。酷い、あまりにも酷過ぎるんじゃないか。来年、社会人になるとは思えない。

「……ねぇねぇ、付き合わない? 俺たち」

「無理ですね」

「そう言わずに」

「無理ですね」

「ねぇ」

「無理ですねぇ」

 どうしてここまで食いつくのか、問いたくなるほどに尊はしつこい。女の方の断り方も驚くほど冷たかった。

「それ、誰かと別れる度に言いますよね」

「そうかも、しれない。でもね俺には、君しか……君しかいないんだよ」

 男はカウンターに突っ伏していた。一方、女は一人で飲み続ける。

「どんなに良いことを言っても、ね。言葉だけなのよ、だからひたすらに無理です」

「全く、年下なのに遠慮がないなぁ」

「敬えるところを見つけられないので」

「まぁ、そこが良いんだけど」

「前はもうちょっと格好良かったですよ」

「うん、ありがとう」

 最後の一言で機嫌が直ってしまったらしい尊の顔には嬉しそうな笑みがあった。尊は少々精神を病んでいるように見える。そして人として色々誤っている気がする。

「言葉が出ないほどに、気持ち悪いですよ」

「うん。それももう、何回も言われてるよね」

 気がついているならその性格を直せばよいのに。

「……行きましょうか」

「うん」

 女に導かれ二人は歩いてきた。尊は金を支払おうとするが手元が安定しない。財布を落としてしまうほどだった。

「ごめんなさいね」

 結局女の方が尊の財布から支払った。その間に男は床に崩れ落ちてしまう。

「まじで?」

 女は溜息をつく。そんな女の気持ちが痛いほど分かる。一方の尊は床ですやすやと眠っていた。

「大丈夫ですか?」

「えぇ、知人が迎えに来ることになってるわ。ありがとう」

 すぐに男が迎えに来て、尊は二人に両側から支えられるようにして連れていかれる。女は「迷惑をかけました」と言い残し、迎えに来た男に愚痴を言いながら去って行った。



 ある日のことだった。

「久しぶりだなぁ。こんなところで会うとは思わなかったよ」

「そうですねぇ。私も村崎先生に会うなんて、これっぽっちも思ってませんでした」

 話を聞いているとどうやら高校の担任と生徒らしい。先生が一人で飲んでいたところに、同じく一人で入ってきた生徒が声をかけたのだった。

「全くお前は、昔から俺の言うことを聞かない」

「そうですね、注意されても聞かなかった記憶しか出てこないなぁ」

「そうそう」

 二人して大笑いである。

 仲良くおでんを注文して食べていた。

「それなりに成績とってたからなぁ。態度は悪かったけど」

「やることやってたから、良いでしょ?」

「それだよ、それ。ときどき敬語なくなんのな」

 村崎は少し嫌そうな顔をしている。生徒の方は含み笑いで受け流している。

「男子なんか、司って呼び捨てだったし」

「そうだよ。あいつら俺のことなめやがって」

「だって年の差そんなにないしね。……童顔だし、背も低いしねぇ。そうそう、声も高いしねぇ。女子にも司ちゃんとか言われてたもんねぇ」

「うわっ、それ言うなよ!」

 どうやら色々と気にしているようだ。生徒の方は遠慮せずぐさぐさと、先生の心に針を刺していく。

「ははは。やっぱりからかうの、面白いな」

「やめろよ! 俺は一応、先生だぞ!」

「はいはい。分かってますよ」

「それより、一人とか悲しいね。もう三十路なのにねぇ」

「……くぅ。何も言えん」

 村崎は口をとがらせ拗ねている。生徒の方は品よく落ち着いていて、おそらく年齢よりも上に見える。同じ年だと言われればそうかと納得してしまうだろう。

「全く、恋愛に臆病なんだから。少しは私を見習ったらいいのに」

「いや、無理だから。誰にでも話しかけられるようなお前だからそうなんだろ。お前は真面目な俺を見習えし」

「あの時――」

「どうせ俺には無理だったよ」

「ふられたもんね」

「うっせ!」

 恋愛には積極的な生徒と、奥手な先生の恋愛談というところであろうか。酒の席ではありがちな話だ。

「先生は怖がりだからねぇ。もう少し自信を持ったらいいんじゃ?」

「お前の自信はどこから来るのか、気になって仕方ないよ」

「そうするのが一番なのです」

「それができたらこうなっていない」

「はははっ。いやー面白くて仕方がない」

「くぅ。笑うなよぅ!」

 村崎は最後まで、そう店を出るその時まで生徒にからかわれていた。



 ある日のことだった。

 店の前で開店準備をしていたら、女が男に腰を支えられ、もたれるようにして歩いてきた。

「ほらほら、しっかり」

「はぁい。分かってる」

 まだ夕方であるこの時分に、もう酔っていたのである。どこか別の店でもう既に飲んできたのだろうか。 二人とも頬がほんのりと赤くなっていた。

「あっはは。お前、絶対一人で歩けねぇからな」

「五月蠅いし! 今日は飲むのぉ! 付き合ってくれるって言ったもん。責任持っていっぱい飲ませろ!」

 理不尽な要求である。

 まだ暗くなり始めたばかりの町に、夜の風を運んでくるかのような二人だった。漂ってくる妖艶な雰囲気から二人に見とれていると、男と目が合ってしまった。

「お兄ちゃん、もう開く?」

「はい、大丈夫です。どうぞ」

 二人はうちの店を目指して歩いてきたようだった。開く時間を見計らって来たらしい。

「ちゃんと座れるとこで、多分こいつ寝るから」

 にやにや顔で女を見ながら言った。見つめられた女は噛みつかんばかりに話す。

「寝なーい! 家帰ってからもぉ、飲むからぁ!」

「あぁ、はいはい。また俺が面倒見なきゃなんないのか。明日の朝まで、だりぃなぁ」

「そこまでが酒に付き合うってことでしょ! 当たり前、当たり前。それに休みだし! だから今日誘ったんだもん!」

「あぁ、はいはい。俺は休みにしたよ、お前のために」

「ありがとぅ、大っ嫌い。それでまたこき使うんだ!」

 二人の関係がつかめない。恋人に見えるが一癖も二癖もありそうだ。危ない匂いがする。

 店に入り、入り口のすぐ傍のテーブル席に案内した。この五月蠅い女が早く帰ってくれるのを期待して。

「とりあえず、ビールだな」

「私も! 酔い覚ましのビール!」

 二人とも酒が好きそうだ。座って少しすると女はだんだん落ち着いてきた。恐ろしい回復力だ。

 ビールを受け取り、一杯目が飲み終わる頃には、普通に話せるくらいまでになった。

「――今日は飲む、そう朝まで」

「寝なければな」

 男に笑われるが、さっきのように噛みつくことはなかった。ただ拗ねて睨んでいるだけである。さっきのあれは酔いのせいということか。

「大丈夫ですよ。せっかく護さんが一緒なんだから。いっぱい飲まなきゃ損です」

「そう?」

 男、護はその言葉を信じるそぶりを見せずに、ひたすらにやにやしていた。どうやら敬語が使えたらしい女はぷりぷりと怒っていた。

 話を聞いていて分かったことだが、護は女の上司らしく、転勤で違う部署に務めることになってしばらく会っていなかったそうだ。先ほどの雰囲気から察するに、ただならぬ関係に見えるのだが、どうやらそうでもないらしい。

「護さん、自分の分は自分で払って。私は奢るほど余裕ないです」

「ちょっと期待したんだけど。まぁ年下に奢らせるのもねぇ、不味い気もする」

「そうそう、明日の昼までいるんだったら、家でご飯食べてって良いですよ。せっかく来てもらったから、色々サービスします」

「色々ね。ん、食ってくかなぁ。多分朝飯だけど」

「多分ね」

 いったいどのくらい飲むのだろうかと思っていたが、なんとビールを飲んだだけで帰ると言い出した。何杯も飲んでいったが。

 どうやら金銭的に厳しいので、家に帰ってから本格的に飲むらしい。女はビールを飲み進めることで酔いが醒めたらしく、一人で歩けるまでに回復していた。全く意味が分からない。

「ごめんね、お兄ちゃん。五月蠅かったでしょ」

 護は一言謝ってから帰った。女も隣でにこにこと手を振っていた。

 確かに五月蠅かったが、見ていて非常に面白かったのでいいとしようと思う。

 女はたいして酔っていないのに、店に来たとき同様に護の手は腰に添えられていた。その関係はただの上司と部下ではなさそうだった。



 ある日のことだった。

 結婚式の打ち上げということでうちの店は貸切にされていた。そんな中、ある二人が騒ぐ集団を離れ、カウンターで静かに飲んでいた。

「何でこんなに騒がしいんだろう、ね」

「結婚式、久々に会う、馬鹿騒ぎしたい。以上の理由から」

「はぁ。うん、そうだろうね」

「うん」

 二人ともにぎやかな場が苦手なのか、ひっそりと他の人に絡まれないように気配を殺しているようだった。食べ物はテーブルにあるが、飲み物は注文自由になっているので、二人はただ飲んでいるだけだった。

「やっぱりあいつ、結婚早かったな」

「うん。クラスでも言ってたよね、絶対早いって。子供は去年産まれたんでしょ? 十九かな?」

「だな」

 なるほど、するとこの場にいるのは皆同級生でもって二十歳くらいということか。しかし二人だけで人の輪から離れているのを見ると、この二人もそういう仲なのではないかと要らぬ考えがよぎって仕方ない。

「隼君、こっちきたのどれくらいぶり?」

「高校卒業してこっち出てから、初めて帰ってきたかな」

「へぇ。地元に進学のあたしはずっとここだよ」

「そっか」

 隼がそう答えるが、その後しばらく沈黙が流れる。お互いに話を振らない。学生時代に付き合っていて、今はなんだか気まずい仲、なのだろうか。

「どうなんだ?」

 隼がぼそっと呟いた。

「何が?」

「……新しい男はできたか?」

 女は答えなかった。

 やっぱりか、面白い展開になってきたな。俺は心の中で大笑いしていた。顔に出ていないか心配になるほどに。

「男、ねぇ。今はもう誰とも付き合ってないわよ」

「そうか」

「えぇ」

 また沈黙である。なんだか少々空気が痛くなってきた。

「俺の――」

「関係ないわ」

「……そうか」

 女はその先を言って欲しくないようだった。男の言葉を遮っての言葉だった。

「こらあ!」

 いきなり後ろから顔を真っ赤にした男が乱入してきた。

「なんだよ」

「どうしたの?」

 二人の顔からどんどんやる気がなくなっていった。

「今日はお前らのためのパーティじゃねぇぞ! こっちこいよ!」

 そう言って二人は連れて行かれた。非常に忙しい夜だった。



 ある日のことだった。

「一郎君、遊びに来たよ」

「くそが、何しにきやがった」

 大学の同級生である、ちょっと気になっている女だった。それは俺がこのバイトを始めてからそうなったというもので、別に一目ぼれとかそんな可愛い恋愛ではない。というか気になっているだけで、好きではない。ん? だがしかし嫌いではないから不思議なもんだ。

「お前よく来るなぁ、金は平気なのかよ?」

「一郎君、私はお客さんですよ?」

 勝手にカウンター席に座り、隣にいた店長に手を振る。俺の問いは含み笑いで流されている、全くこの女は。店長の姪っ子だからって偉そうに。

「はいはい、いつも足を運んでいただき、まことにありがとうございます」

「ん、よろしい。好きで来ているんだから大丈夫よ。それに半分くらいは店長の奢りだし」

「働いてるし?」

「えぇ。バイトだけど、記者の卵だもの」

 知り合いに記者がいるらしく手伝いをしていたこいつは、大学に入って本格的にそっちの道を目指しているようだ。それにしても嫌味な言い方だ。それは店長にもあれなんじゃないのか? しかしそんなことを言うと、俺の方がうまい具合に悪者にされるので黙っておく。頑張って笑顔を作って受け流そう。

「あぁ、護さん? だっけ?」

「えぇ、良い人よ」

「あれは? 誠実さん?」

「あの人はただの幼馴染。普通に会社勤め」

「そうですか」

 二人で話していると、店長がロック・グラスを持ってくる。

「はい、ブラック・ルシアン」

「ありがとう。今日は奢りでお願い、店長」

 ウィンクをしておねだりしている。店長はそれを笑顔で受け止める。女という生き物は怖くて仕方がない。

「はいはい、またホワイトと交互に。四杯ね」

「うん、二と二。合計四」

「よく飲むよな」

「一郎君は弱いからね、止めときなさい」

 この女に酒を教えたのは店長らしい。そのためか異様に酒に詳しく、恐ろしく強い。この酒も俺は一口だけで遠慮させていただいた。ホワイトならまだ飲めるが。

「そういえば、あのしつこい先輩どうなった?」

「ん? 尊さん? 新しい彼女、できたんじゃないの?」

「いや、聞かれても困るけど」

「ここ、きてないの?」

 考えてみるが、こいつに連れてこられた以外見た記憶はない。

「見てないな」

「そう。じゃ、知らない」

 悪魔のような、黒い輝きを持つ満面の笑みで答える。まぁ関わりたくないというのが本音なのだろう。

「大変だな、付き合う男が多いと」

「んー? 誰とも付き合ってないよ、私」

「ん?」

「本当に、人を愛せないの」

 笑いながら言いやがる。この女狐め、何をそんな当たり前な嘘をつく。隠す必要もないだろうに、俺はこの目で見ているんだから。

「どう考えても、護さんはそうだろう。何とか先生も、結婚式んときのクラスメイトも。明らかになんかあった感バリバリだし。サークルでもお前のこと噂になってたりするなぁ」

「どんなのよ?」

「どんなって、誰かと付き合ってるんじゃないかな……ってやつばっかり」

「その感じだと、全部不確定なものね。『多分』とか『きっと』とか、そんなでしょ」

「そうだけど……」

「一郎君、ジンは放っておきなさい。仕事仕事」

「はーい」

 店長に言われ、真面目に真面目にと自分に言い聞かせる。こいつはいつも絡んでくる、俺もついつい相手をするから、店長にはその度その度怒られてしまう。

 ――ジン、『尋』と書く、今は亡き酒好きの父が付けた名らしい。娘さんはその名の通り色んな意味で強い子に育っていますよ。好きな酒はウォッカのようですけど。

何故だか分からないがサークルで声をかけられ、ここのバイトに誘われた。それまで俺はこいつの存在に気がついていなかった。こんなに派手なやつなのに、そう思い観察するとまるで空気のようだった。いるのにいない、そんな感じ。俺以外にも気がついていない奴は多いだろう。

 ここの仕事はそれなりに楽しくやっている。今はただの雑用だが良い仕事だと思うし、ここに就職しても良い気がしてきている。こいつとの付き合いも長くなりそうだからな。それがちょっと楽しみになっている。

「俺もブラック・ルシアンくらい飲めないと」

「そうね。それがいいわ」

 くそぅ。酒が強いからってなんでそんなに強気なんだ、こいつは。昔からこうなのか? そういえば誰かがそんな話をしていたような。

「ジンが飲めるくらい強ければ……」

「それどういう意味よ」

 声高らかに笑われてしまった。


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