一分前から、はじまる。
蒲公英さんの「もみのき企画」に参加しました。
『クリスマス』『聖夜』『サンタクロース』
この三つの言葉を使ってはいけません。
アルバイト先のケーキ屋さんが、一年で一番忙しい日。
朝からずっと働きっぱなしのわたしは、売れ残りのケーキを売り切るために、薄暗くなった店先に立っていた。
赤と白のコスプレまでさせられて……。
「いらっしゃいませー。ケーキいかがですかぁ?」
にこやかな笑顔を無理やり作って、歩道を歩く人たちに声をかける。
腕を組んで寄り添うカップル。手をつないで歩く家族連れ。街は色とりどりのイルミネーションに彩られ、誰もがみんな幸せそうに見える。
はぁ……疲れた。早く終わんないかな、バイト。
冷たくなった手をこすり合わせて、店の中の時計をちらりと見る。
一年で一度だけの『今日』が、あと数時間で終わろうとしていた。
「お疲れさまでしたー」
なんとかケーキを売り切って、店を出たのは午後十時を回っていた。
「亜湖ちゃん。このあと暇?」
バイト仲間の先輩に声をかけられ、棒のように固くなった足を止める。
「デートの相手もいないしさぁ、寂しいもの同士でカラオケ行こうかー、なんて話してるんだけど」
げ、これから? って思ったけれど、今日は遅くなるって親には言ってあるし、べつに予定もないし。
「うん、いいですよ」
にっこり笑顔でそう答える。
「行こう、行こう。亜湖ちゃん来たら、瑛士が喜ぶよぉ」
そんなことを言われて、ちょっとどきんとする。
ケーキ屋さんに併設しているカフェで働いている瑛士くんは、わたしよりも二つ年上の大学三年生。
頭が良くて、優しくて、しかもイケメンだって騒がれている瑛士くんが、わたしのことなんて相手にするわけないって、わかっているけど。
バイト先で知り合った先輩たちについて、イルミネーションの街を歩く。
通っている学校はバラバラだけど、先輩たちはみんなおしゃれでカッコよくて、時々こんなふうに、わたしを遊びに誘ってくれる。
高校生の頃はバイト禁止の学校だったし、帰りが遅くなると親がうるさかったから、ちょっぴり夜遊びができるようになったわたしは、なんだかすごくオトナになれた気がしていた。
カラオケ店に入ろうとした時、ポケットの中のケータイが震えた。
「亜湖。お前、今、どこにいるんだよ?」
聞きなれたその声は慎吾だ。わたしはちょっと顔をしかめる。
「どこにいるって……バイトだもん」
「こんな遅くまで? 早く帰ってこいよ」
「うるさいなぁ。これから友達とカラオケ行くの」
「はぁ? これから? お前、今、何時だと思ってんの?」
もう、せっかくいい気分になれかけたのに……なんで慎吾にそんなこと言われなくちゃならないの?
「だからあんたにはカンケーないじゃん。もう、ほっといてよ」
そう言って電話を切る。
「誰? 彼氏?」
隣でくすくす笑いながら、先輩が聞いてくる。
「まさか。近所に住んでる幼なじみです。いちいちわたしの行動監視してて、ウザいったらないの」
「なにそれー? お父さんみたいね」
「もしくはストーカー?」
先輩たちが声を立てて笑い出す。
わたしは小さくため息をついて、ちらりと時計を確認した。
お向かいに住んでいる、ひとつ年下の慎吾とは、幼稚園から高校までずっと一緒だった。
小さい頃は手をつないで幼稚園に通って、大きくなるとわたしの真似をするかのように、同じ学校の同じ部活に入ってきて……だから慎吾とは、自然と毎日、朝も帰りも一緒。
だけどわたしが高校を卒業して、電車で大学へ通い出すと、慎吾と会う機会はめっきり減っていた。
それなのに……わたしの帰りが遅くなると、慎吾は必ず文句を言ってくるのだ。
わたしはもう大学生なのに。
手をつないで歩いた、小さな女の子だったわたしとは違うのに。
バイトだって始めたし、夜遊びだってできるし、彼氏だって……作っちゃうんだから。
雰囲気に流されてカラオケに来たものの、なんとなくはしゃぐ気分にはなれなかった。
歌の上手い瑛士くんの姿を眺めながら、時間を気にしている自分が嫌になる。
朝からずっとケーキを見ていたせいか、目の前に並んだチキンやピザにも、食欲わかないし。
……なんで、わたし、こんなところにいるんだろう。
「亜湖ちゃん、つまんない?」
気がつくと、隣に瑛士くんが座っていた。
「そんなこと、ないですよ?」
「亜湖ちゃんって、彼氏いないんだって? こんなに可愛いのに?」
瑛士くんの肩がわたしの肩に触れたと思ったら、いつの間にか手なんか握られている。
うわ、やだ、なに? なんか、顔もめっちゃ近いし……。
ジュースを飲むふりをして、さりげなくその手を離したら、瑛士くんはおかしそうに笑い出した。
「亜湖ちゃん、男と手ぇつないだこともないの?」
「え?」
「カワイイんだなぁ、ほんとに」
なんかわたし……コドモ扱いされてる?
「あ、ありますっ! 手つないだことくらい!」
ずっとずっと小さな頃だけど……。
「へぇ、あるんだ」
からかうようにそう言って、瑛士くんは、笑いをこらえたような顔をする。
わたしはぎゅっと両手を握りしめ、その場に立ち上がった。
「ごめんなさい。わたしもう帰ります」
華やかな街をひとりで歩く。
カワイイなんて言ってくれた瑛士くんの言葉を、素直に受け取ればいいのに……なにわたし、ひとりで意地張ってるんだろう。
両手をすり合わせて、はぁっと息を吐きかける。
すれ違うのは、幸せそうに微笑み合う恋人たち。
ため息をつきながら、ライトアップされた時計に目を移す。
あと三十分で『今日』が終わる。
「遅い!」
住宅街の薄暗い街灯の下で、いきなり慎吾に怒鳴られた。
「今、何時だと思ってんだよ?」
わたしはぼんやりと、冷えた空気に浮かぶ、慎吾の吐く白い息を見つめる。
「あんた、わたしのこと待ってたの?」
「だって、いつまでたっても電気つかねーし。お前の部屋」
慎吾の部屋とわたしの部屋は、狭い道路を隔てて向かい合っている。
カーテン越しに灯りが灯れば、帰ってきたんだなぁってわかるし、いつまでも真っ暗なままだと、まだ帰って来ないのかぁって、気にはなるけど。
「いちいちチェックしないでよ。もうわたし、子供じゃないんだから」
慎吾がわたしの前で、ふてくされたような顔つきをする。
こんな表情は、小さい頃から変わらない。
「わかった? 受験生はお勉強でもして、さっさと寝なさい」
大人ぶった口調でそう言い背中を向けたら、頭に手袋を投げつけられた。
「ちょっ、なにすんのよ!」
振り返ったわたしの前に差し出された、小さな箱。
これは確か駅前のケーキ屋さんの……。
「売れ残りじゃねーからな」
ぶっきらぼうな態度でそう言って、慎吾はわたしにケーキの箱を押し付ける。
「なに、これ」
「どうせ誰からも、忘れられてるんだろ?」
かじかんだ指先で箱を開け、その中をのぞきこむ。
「一分前。あぶなかった。今日じゃなくちゃ意味ねーもんな」
視線を上げると、ほっとしたように笑う慎吾の顔が見えた。
もしかして、これを渡すためにわたしのことを待ってたの?
「そんじゃ、おやすみっ。女子大生サマ」
「あ、えと……ちょっと待って、慎吾」
ケーキを胸に抱えて、家の門を開けようとしている慎吾を呼び止める。
「一応お礼言っとく。ありがとう」
「……どういたしまして」
振り返ってにやりとわたしに笑いかける慎吾は、もしかしてわたしよりもオトナになっちゃったのかもしれない。
だって、たったこれだけのことで、こんなにドキドキしちゃってるわたしは、まるで中学生みたいじゃないの。
カシャンとかすかな音を残して、慎吾が家に帰って行った。
わたしはその場に立ち止ったまま、小さな箱をそっとのぞきこむ。
今日はもう見飽きたはずの、イチゴのショートケーキがひとつ。その上にチョコレートでできたプレートがちょこんとのっている。
『ハッピーバースデー アコ』
お祭り騒ぎにまぎれて、いつも忘れられてしまうけど……。
一年で一度だけの、わたしの大切な日が、今ちょうど終わった。
「あ、手袋……」
ケーキの箱を抱えながら、足もとに落ちた慎吾の手袋を拾い上げ、上を見上げる。
見慣れた家の二階の窓に、オレンジ色の灯りがぽっと灯った。
「いいや。明日、持って行こう」
お礼に慎吾の好きなクッキーでも、久しぶりに焼いてあげようかな。
そんなことを考えながら、まだぬくもりの残っている手袋を手のひらで包む。
大きな手袋……いつの間にか、こんなに大きくなっちゃったんだ。
そういえば慎吾の手も、この手袋みたいに、あたたかかったっけ……。
日付が変わったばかりの、十二月の夜。
体は寒くて冷え切っていたけど、なんだか気分は、ぽかぽかと心地よかった。