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君が神になるならば
わたしも天上の人となろう
君が地に堕ちるなら
私も獣のものとなろう
そして君が
人でありたいと願うなら
その時は、共にその夢をみよう
「全く失敗したなあ」
ここは冷たく暗い石の牢獄である。ただの牢獄ではない。「天上の国」と呼ばれる炎シュリオン、その北の果てにある要塞であり牢獄でもある「エビルの鎖」であった。
「どうやって脱獄しようか」
いまだかつて、その牢獄から生きて逃げ延びたものはいない。
「天人なんかに飼われたくはないが、こんな所で朽ちるのもごめんだ」
この炎シュリオンにおいて、人は3つに分けられた。只人、天人、獣人である。天人と呼ばれるものたちは、生まれ持つ神力によって国を掌握し、只人は武力を知らず、その力にひれ伏すのみであった。そして、それに対抗する力を持つ故に、常に追われているのが少数の獣人たちである。
この男もそんな獣人のひとりであった。
「がちゃり」
今までのん気に独り言を唱えていた男はどきりとして振り返る。てっきり独りだと思っていた牢獄の中で鎖の音がしたのだ。それほどに光の入らぬ場所ということでもある。
「誰かいるのか」
だが、闇に溶け込んだ気配からは何の返事もない。匂いの篭った牢獄内ではまともに鼻も聞かないが、確かに何かいる様子である。仕方なく、男は大胆にもその闇に近づいてみる。手足の鎖は重く堅牢だったが、労内を歩ける程度には長く自由がきいたのだ。ガチャガチャと鳴る鎖の音をうっとおしく思いながらも、ずかずかと歩く。
「おい、返事くらいしろ」
そういって闇に手を突っ込み、そこにいたものを、わずかに差し込む光の下へ引きずり出す。それはこのような牢獄には不釣合いな幼い子供であった。
「生きてんのか、お前」
子供は仰向けに転がったまま、ぴくりともしない。この牢獄で過ごした時間が決して短くはないにだろう。幼いこどもがポロ布を纏い惚けている姿は、孤独に生きてきた男からみても気持ちの良いものではなかった。何年も風呂にも入っていないのだろう、顔は泥に汚れ、身体は鶏がらのように細かった。ただ、肩まで絡まり延ばしっぱなしにされたその黒髪はなぜか艶やかで、男の目を惹いた。
「へえ、綺麗な髪だな」
返事は期待してないが、思わずそう漏らす。
「・・・・・・!」
その途端、その子供は思いがけず首を振り暴れだした。とっさに男は押さえようとするが、思いがけぬ程の強い力で抵抗をされる。もちろん、この屈強な男の前では無意味であったが、その小さな身体にこんなにも力が残っていたのかと驚かされたのだ。
「うぁああああっ」
さらに、その子供は男の腕の中で暴れ、言葉を失った獣のように吼えて泣き出す。それからすぐに力尽きて倒れたが。眠っても尚、うなされて痛々しい姿を見せるばかりである。男はそれを見かね、不器用ながらも懸命に、優しく寝かしつけてやるのだった。
「大丈夫だ。大丈夫だから安心して眠れ」
男は、結局一睡もできないまま牢獄の一日目を明かした。脱獄どころか、鎖さえ外せず、一日中、柄にもない優しい声を出し続けて疲労困憊のていである。
「なんだってこんな事になったんだか」
だが、自分の言った言葉が、どうもこの子供の辛い記憶を引き出してしまったようなのだ。ちょっぴりの罪悪感と、興味、そして同情なのだろうか。とにかく放っておけなかったというのが一番近い。興味というのは、一晩傍にいて気付いた肌の色である。泥に汚れてはいるが、この子供の肌はひどく白かった。それは、獣人にはありえない異質な姿である。
「なんだか似てるんだよな」
男もまた、獣人にしてはおかしな姿をしていた。その強靭な身体つきや、2メートルほどもある身長、黒い肌はまさしく獣人である。しかし、ただひとつ腰まである髪の毛だけが異質であった。まるで天人のような白銀の髪が、たてがみのように光を放って広がっている。
「色のある髪の毛を持つ天人っていうのは聞いたことがないし、そもそもエビルの鎖の天人様が繋がれる筈ないよな」
しかし、この子供の獣人らしい部分といえばその黒い髪だけであり、その儚げな雰囲気もまるで天人であった。只人との混血だろうか、まれにそういった子供がいると聞く。
「いや、そういった子供には力がないはず。それにしては長くここで生き延びていすぎるな」
只人と力のある種が交わると、必ず子供は只人として生まれる。理由は分からないが、そのおかげで天人は選民意識を非常に強く持っており、戯れに手を出す以外には只人を遠ざけ、同じ天人と婚姻を結び子孫を残してきたのだ。仮にこの子供が只人であったとしたら、ここで生きていられる筈はなかった。ここでは、食べるものも飲むものも与えられない、地獄の牢獄なのだ。この子供は弱っているとはいえ、精神的な減退が大きく、生死に関わるほど衰弱している訳ではなかった。どれだけここにいるかは分からないが、少なくともただの人ではありえない。さらにいえば、天人は身体力だけいえば只人にも劣る。こんなところで生きていられるのは獣と呼ばれる者だけだ。
「なんにしろおまえも、異端な存在っていう訳だな」
これが二人の出会いであった。