第8話 たぶんヘンゼルとグレーテル
昔々、とある森の近くに、ヘンゼルとグレーテルという兄妹がおりました。
ヘンゼルは、おっとり、というか、何をやらせても時間のかかる少年で、両親や周囲の大人に言わせれば「のろま」で「にぶい」愚鈍な子供なのでした。
子供とはいえ貴重な労働力と捉えているこの村の人間にとって、働きが悪いのは足手まといとしか思えず、さらに同じ年頃の男の子に比べて大柄であったものですから、「うどの大木」の名を欲しいままにしていたのでした。
「馬鹿野郎! 兄ちゃんは『ウドーなボク』なんて名乗ってねぇぞ!」
「あ~、『ウドー』じゃなくて~、『うど』だよ? 大きいくせに役立たず、って意味の~、元は東洋の言葉だからね~」
「『うど』?」
「東洋のジマンガという国で食べられる植物だよ~。若いうちは美味しいけど~、育ちすぎると食べられなくなるから~、たとえとして使われているんだって~」
「兄ちゃん、すげーなっ! どこでそんな難しいこと聞いたのさ?」
「あ~、本で読んだからね~」
「森で拾ったやつかぁ! 兄ちゃん、字も読めるしな! ホントにすげぇよ!」
みんなから鈍くさいと邪険にされても、一向に気にせずニコニコ穏やかに笑っているヘンゼルは、村人や両親からも変わり者扱いされていました。
そんな大人たちが顔をしかめるほど口調が乱暴な妹のグレーテルは、けれどそんな兄を大変尊敬していました。
村人のほとんどが読み書きできないこの村で、貼り出された領主さまからの触書とそれを読み上げる村長の音読からヘンゼルは簡単な読み書きを覚えました。
そしてある日森で拾った古い本を読み解こうと自力で文字を読み解いたのです。
失くした人が困らないようにと、本は雨風に当たらぬように木のうろに隠し、木肌を削ってナイフで「ホンハココ」と拙い字を彫り込みました。
毎日そこに通っては、本が持ち帰られていないことを半分落胆、半分は安堵して、少しずつ読み進め、読み終わり、もう何周も読みかえしているのでした。
そんな勤勉で努力家のヘンゼルは、確かに仕事は人より遅く目立って活躍はしていませんでしたが、丁寧に、そして次の人が作業がしやすいように考えて後片付けもしていました。
貧しい村人のほとんどは、大地主の村長の家の畑で小作人として働いていました。
皆で共有している農具や狩り道具もいつも使いやすく整えられていました。
おかげでいつもとても楽に仕事に取り掛かれるのですが、その恩恵を受けている村人はそこには気付いていません。
何だかいつもよりいい塩梅で仕事が始められるな、体調がいいのかな、くらいにしか考えていませんでした。
けれど、ヘンゼルはそれを根に持つこともなく皆が心地よく仕事している様を、いつでも穏やかな笑顔で眺めているのでした。
ただ、「また役にも立たずヘラヘラ笑っているばかりで、気持ち悪い奴だな」なんて小突かれると、やっぱり悲しい気持ちになります。
が、そんな時はグレーテルが「兄ちゃんに何しやがる!」と自分より年上の子供や大人相手に、その幼い体で噛みつかんばかりの勢いで暴れ出すので、それをなだめているうちに悲しい気持ちも忘れてしまうのでした。
さて、その年の秋の終わり。
例年になく実りが乏しかったこの年、村中の家々がろくな冬支度ができないことを憂いていました。
家族皆が満足な食事も取れないのはいつものことでしたが、次の春を迎えられないかもと怯えるほどに蓄えがわずかなのでした。
「このままでは家族皆が野垂れ死にしてしまうよ」
「そうだな……このままじゃ、な」
夜中にこそこそと両親が話しているのを、ヘンゼルは聞いていました。
「グレーテルは、まだ小さいが……女の子だ、何とか生かして……すれば買い手が……」
「そうだね。役立たずの……ヘンゼルだってまだ子供だ……家では……森で……」
「そうだな……森で……狼にでも喰われたことにして……それで……」
小声で所々聞き取れませんでしたが、切れ切れの会話からヘンゼルは、両親が妹のグレーテルを売り飛ばし、役立たずの自分を森に捨てるつもりなのだと推察しました。
自分が森に捨てられるのは、まだいい。
けれど、幼いグレーテルが人買いに売られでもしたら、あの勝気な娘が大人しく言うことを聞くとは思えません。
ひどい折檻を受けるかもしれません。
そうでなくても、売られた娘たちの行く末が明るいものであるはずもないことを、ヘンゼルは知っていました。
どうせ追い出されるなら、グレーテルを連れて逃げた方がずっといい、そう決意しましたが、準備も整わぬうちに、次の朝には森に行こうと父親に言われてしまいました。
父親はグレーテルを家に置いて行こうとしましたが、妹は「いやだ! 兄ちゃんと一緒がいい!」と大暴れして無理やりついて行きました。
いつもはなだめるヘンゼルも、この時ばかりは妹の癇癪に感謝しました。
そうして、父親の目が離れた隙に、いつもののんびりした動きからは考えられない素早さで、グレーテルの手を引いて森の奥に逃げました。
何の打ち合わせもしませんでしたが、兄を信頼しきっているグレーテルは、素直に手を引かれて逃げました。
そうしてたどり着いた森の奥深く。
あっという間に日が暮れて、鬱蒼とした木々の影も手伝って、薄闇で足元もおぼつきません。
むやみに歩き回ることをやめ、ヘンゼルはグレーテルと一緒に大きな木に登りました。
木の上ならば狼からは身を守ることができます。
このまま木の上で夜を過ごすかどうかヘンゼルは悩みました。
狼はともかく、熊は木登りできるので注意が必要ですが、この辺りの森で熊は見かけた話は聞きません。
が、警戒は必要です。
念のため木の実のならない木を選んで登りましたが、もし熊に見つかれば登ってくるかもしれません。
ふと、村と反対方向、つまり森のさらに奥に、灯りが見えました。
もしかしたら、村の大人たちが話していた、魔女の家かもしれません。
『森の奥深くには人食いの魔女が住んでいて、悪い子供たちをさらって食べてしまうよ』
悪さをしたり、言うことを聞かない子供に、村の大人はよく話しては怖がらせようとしました。
仕事の遅いヘンゼルと生意気な口をきくグレーテルは、しょっちゅうおどかされていました。
「まあ、どうせ狼に食べられるかもしれないんだ~、まだ魔女の方が話が通じるかもしれないだけ~、ましかな~?」
そう思いいたると、意を決してヘンゼルは木を下りて、灯りの方向に向かって歩き出しました。
もちろんグレーテルも躊躇なくついて行きます。
やがて、森の中に少しだけ拓けた場所に建つ、一軒の小さな家にたどり着きました。
小さいとはいえ、しっかりした石造りの頑丈な家でした。
村長の家にもないようなガラス窓があり、そこから灯りが見えていて、周囲を明るく照らしていました。
煙突は夜の闇で見えませんが、薪と煮炊きのにおいがしますので、おそらく竈を使っていることでしょう。
「おや、こんな夜更けに誰だい?」
この家の軒先なら、森の獣も近寄ってはこないかも……ヘンゼルがそう考えあぐねていると、中から人が出てきました。
黒いローブに大きなこぶの杖を持ったお年寄りがドアを開けて顔を出しました。
フードを深くかぶっている様子で目元は見えませんが、のっそりとした動きとしゃがれ声から、かなりの年配と思われました。
「あの~、僕ら、森で迷ってしまって~。それで~こちらのお宅の灯りを見つけてこちらへ……。どうか~、一晩だけでも~、軒先を~貸してはいただけませんか~?」
「なあなあ、ばあちゃん、兄ちゃんとあたしを泊めてよ」
「おやまあ、兄の方は礼儀正しいのに、妹はたいそう乱暴な口をきくね」
「そりゃあ、兄ちゃんはとっても利口で物知りだからな」
自分はともかく、ヘンゼルが「礼儀正しい」と誉められたので、グレーテルは鼻を鳴らして胸を張り答えました。
「おやまあ……そんな利口者がこんな夜に森の奥で迷うなんてねえ」
「やむを得ない事情がありまして~……ご迷惑なのは……」
「ああ、もういいから。もう夜も冷えるんだ。こんな子供に軒先なんかで凍えて死なれでもしたら縁起でもない。早くお入り……ほら、いつまでも開けといたら風が入るじゃないか」
そう言うと老婆は二人の子供を家の中に招き入れました。
「ほら、ひとまず暖炉のそばに行きな」
言われるがまま暖炉に近づき、ヘンゼルは自分の体がひどく冷えていたことに気付きました。
見ると、グレーテルの顔も手も青ざめていました。
ヘンゼルは急に心細くなって、グレーテルの冷たい体を抱きしめました。
グレーテルもギュッとヘンゼルを抱き返しました。
あんなに堂々としていたのに、その手は小刻みに震えていました。
分けも分からず森の奥深くに連れてこられ、不安だったに違いありません。
妹を守るためと言いながら、危険な目に遭わせてしまったかもしれない……落ち着いて考えたら、自分がひどく身勝手だったことに気付きました。
本当は、ひとりで逃げることが怖かっただけなのだ、と。
パチパチと薪のはぜる音がして、心地よいぬくもりに体がポカポカしてきました。
自責と後悔と安堵と……いろんな思いがないまぜになって、とろとろと煮えて。
ああ、魔女が鍋をかき混ぜてる音がする。
もう、このまま食べられても仕方ないや。
どうせ死ぬなら、あったかくて、幸せなまま……。
「さあ、人心地ついたら、スープでもお食べ」
老婆の声かけにハッとして、ヘンゼルは老婆に言われるがままテーブルに着きました。
眠たそうなグレーテルも、兄に倣いました。
目の前に置かれたスープ皿からは、ホカホカと湯気が立っています。
ちゃんと具のあるスープです。
それは野菜や腸詰ではなく、小さくちぎったパンでした。
「あり合わせで悪いけど、今日はそんなものしかないんだ。文句言わずお食べ」
ぶっきらぼうな物言いでしたが、パンはちぎってから少し煮込んだのでしょう、器からすすって口に入れた途端、崩れてとけてしまうほど柔らかく、朝から何も食べていない胃に優しく収まりました。
「おいしい……」
思い返せば、昨夜は具のないスープにカビかけの固いパンをほんの三口ほど浸して食べただけでした。
もちろん家でも食べられただけマシではありましたが、似たような食事なのに、どうしてこうも美味しいのでしょうか。
ふと見るとグレーテルはすでに食べきり、ひとしずくでも余計にすすろうと器をくわえて逆さまになるほどひっくり返しています。
「グレーテル~、こちらをお食べ~」
自分の器の中身を見つめて、ぐっと指先に力を込めてから、ヘンゼルは器を妹の前に差し出しました。
「い、いらないよ!」
グレーテルの目に一瞬喜色が走り、そのあと頭をブンブンふって、兄に器を押し返しました。
「いいから~、お前は~、食べ盛りなんだから~……」
「何言ってんだい? アンタだってまだまだ食べ盛りじゃないかい! ほら、お代わりをよそうから器をお貸し!」
老婆はそう言うと、グレーテルの器を取ってスープを注ぎ、「ほら、アンタも」とヘンゼルに向かって顎をしゃくりました。
慌ててヘンゼルがスープを飲み干すと、器をつかみ、スープを注ぎ入れました。
「腹が空き過ぎている時はちょっと足りないくらいがいいからね。今夜はこれでがまんおし」
そう器を返してきた老婆を見て、ヘンゼルは彼女の瞳が白濁していることに気付きました。
おそらくほとんど見えてはいないと思えるのに、のっそりとはいえ、まるで見えているかのように給仕する老婆は、本当に魔女かもしれないと思いました。
「明日は、もう少し何か食べられるものを用意してやろう…‥その代わり、色々手伝っておくれ」
もう、このまま食べられても、いいや……そんな気持ちになっていましたが、まだ明日は生かしておいてもらえるようだと聞いて、不思議なほどホッとしました。
人間って、欲張りだな、そんなことを考えながら、ヘンゼルとグレーテルは暖炉のそばで毛布にくるまり、休みました。
翌朝、ヘンゼルは薪割りをして、グレーテルは水汲みと煮炊きの手伝いをして、それから腸詰と芋の入った美味しいスープをいただきました。
その明くる日は、洗濯や家の掃除をして、またその次の日は竈や煙突の煤を払ったりして、老婆が美味しいお菓子を焼いてくれました。
老婆の家には沢山の本があり、ヘンゼルが字を読めることを知ると、老婆は音読をさせました。
「違う違う、それは『ジマンガ』じゃなくて『ジパング』って読むんだよ」
家の蔵書の内容はすべて覚えているらしく、ヘンゼルの読み間違いも指摘しました。
東洋の話は、老婆の趣味らしく、色々な本がありました。
ヘンゼルが前に拾った本も、どうやら老婆の落とし物のようでした。
「村の近くに戻ったら喰われちまうかもしれないよ」
中身は覚えているから本はもう戻ってこなくていい、と老婆は言いましたが、いつか必ず拾いに行こうとヘンゼルは心に決めました。
老婆の蔵書と知識を得て、生き生きと暮らすヘンゼルの姿を見て、グレーテルは嬉しくてたまりませんでした。
兄が本当はとても賢く考え深いことを認めてくれた老婆の言うことには素直に従い、勝気なところはそのままでしたが、言葉遣いも少し直して家事全般を教わりました。
老婆が生業にしていた薬づくりは覚えきれず、兄の助手にとどまりましたが、家事の方は老婆以上の手腕を発揮し、ことお菓子作りの腕は目を見張るほどでした。
やがて、村と反対側の街道から薬を求めてくるお客さん相手に、お菓子も一緒に売るようになりました。
いつしか老婆の家は『ヘンゼルの薬屋さん』と『グレーテルのお菓子の家』となり、それぞれ優しいお嫁さんと素敵なお婿さんも迎え、皆で仲良く暮らしました。
ああ、そういえば、大きくたくましく育ったヘンゼルがあの本を拾いに村の近くに戻ったら、なんと村は無くなっていました。
子供が誰一人いなくなって、村人もいなくなってしまったそうです。
そこらじゅうの家の竈から子供のものと思しきバラバラの骨が見つかって、
鬼か悪魔にでも襲われたようだ、との噂でした。
「まあ、そういうこともあるさね」
老婆が「喰われちまう」と言ったのは鬼がいることを知っていたのかもしれないと、ヘンゼルは師匠をますます尊敬しました。
「お前たちは、『知らぬが花』でいいのさ」
おしまい。




