第3話 たぶんアリとキリギリス
昔々……じゃないかもしれませんが、あるところに一匹のキリギリスがおりました。
キリギリスといえばギィーッチョンっと鳴く声が風流であると言われますが、実際は翅をこすって音を出しておりまして、なので「声を出す」というよりは「音を鳴らす」という方が、まあ正しいかもしれません。
ようするに鳴り物、つまり楽器を生まれつき装着しているわけなので、歌い手でなく演奏家として描かれるのは、あながち間違いではないのですね。
まあ、ウンチクはともかく。
ここに出てくるキリギリスも例にもれず、なかなか良い音を奏でるキリギリスらしいキリギリスでした。
夜になれば「ギィーッチョン~ギィーッチョンチョン~」と音を奏でて、皆の耳を楽しませています。
おかげで虫達の憩いの場『クラブ草むら』は連夜大賑わいでした。
今夜も色んな虫達が昼間の疲れを癒しに訪れています。
「キリさま! 今夜の『愛と青春のギィ』、胸にしみましたわ~」
「バラードもよいけど、『ギィギィルンバ』みたいにノリノリなのも好きぃ」
「新曲の『三匹ギィ雄唄』、今までにない作風ですがこれもまた良き! です」
演奏後は観客達にキャアキャア囲まれて、一緒に飲んだ後、最後はその夜気に入った女のコと、どこか懇ろになれる場所へしけこんで……というのが、毎夜のルーティンでした。
もちろん今夜もそのつもりでしたが、キリギリスはふと、店内の隅のテーブルの客に目をやりました。
演奏中も、そのテーブルだけノリが悪くて気になっていたのです。
「お嬢さん、なんだか寂しそうだけど、悩み事かい? よかったら一緒に飲まないか?」
隅のテーブルで一匹、溜息をつきながらグラスを傾けていたのは、夜に見かけるのは珍しい、アリでした。
仕事熱心で勤勉で堅実で……ただあまり娯楽に関心がないらしいアリ達は、夜の社交には興味が薄いらしく、めったに顔を出しません。
「あ、ごめんなさい。せっかくの楽しい雰囲気に水を差してしまったわね」
化粧っ気も飾り気もない、いかにも実直なアリらしい娘さんでした。
一見素っ気なさそうでいて、けれど丁寧で理知的な物腰は、どちらかと言えば享楽的で刹那的なキリギリスの女のコ達とはまた違った好ましさを感じました。
まあ、享楽的で刹那的なところは、キリギリス全般に共通する性質ですから、このキリギリスだって他虫のことは言えません。
逆にだからこそ、このアリの娘さんに惹かれたのかもしれませんね。
「よかったら、愚痴でもなんでも話してみてくれないかい?」
「……実は、職場の異動を打診されて……今の仕事は若い子に譲って、違う仕事につくことになりそうで。まあ、いつかはそうなるって分かっていたんだけど、実際に言われると、やっぱりショックというか、なんか、ね」
若いアリは安全な巣の中で将来の女王アリや幼虫の育成に携わりますが、幼虫が育ってベテランになると、次は巣の外に出て食糧確保に従事することになるのだとか。
「それも大事な仕事なのは、分かっているのよ? ただ、ふと『ああ、私ももうイイ年なんだな』って思っちゃって」
「まだ全然若いと思うけどね」
「もうオバサンよ」
「そうかなあ? 僕はそう思わないし、あと……すごくキレイだな、って思うよ」
「……お世辞でも嬉しいわ」
「お世辞なんかじゃ……こんな風にドキドキしたの、実は初めてなんだよ?」
「キリギリスの言うことは、話半分に聞いておきなさいって言われてるの」
「遊び人なのは否定しないけど。でも、この気持ちは本当だよ……せっかくだから、何か1曲、弾こうか?」
そう言って、キリギリスは甘やかなバラードを弾き始めました。
それは、初恋をテーマにした曲で、アリは、その切ないメロディーに身をゆだね、ちょっと涙を浮かべました。
それから、たまに、キリギリスの演奏を聴きに、アリがお店にやってきました。
そんな夜は、キリギリスも他の雌キリギリス達との交流は早めに切り上げて、アリとの会話を楽しむのでした。
「私の相手なんてしなくてもいいのよ? あなたの素敵な演奏が聴ければ私は幸せなんだから」
「君と話すのが、僕も楽しいんだよ。ねえ、この間の話の続き、聴かせてよ。『ニートのロウソク』だっけ?」
「『2‐6‐2の法則』?」
「そうそれそれ」
「いいわよ。あ、私も、前に言ってた『ムシロP』の制作秘話? あの続きを聴きたいな」
「オッケーオッケー! じゃあ、とっておきの話教えちゃう」
その日が楽しければそれでいいというスタンスで、あまり物事を深く考えることをしてこなかったキリギリスにとって、色んなことに悩んだりつまづいたりしながらも、誠実に前を向いて生きようとするアリの考え方は逆に新鮮でした。
ちょっと難しい内容もあるけれど分からないことも訊けば丁寧に教えてくれるアリの優しさも手伝って、心がほんわかする時間なのでした。
一方、ひたすら真面目にわき目も振らず働き続けてきたアリから見たら自由奔放で後先をあまり考えていないように見えたキリギリスでしたが、話してみると彼には彼なりの信念や哲学がありました。
何よりもアリの話にしっかり耳を傾けてくれたり、アリを楽しませようと心を砕いてくれていることが嬉しかったのです。
二匹の関係はあくまでもプラトニックでしたが、気が付けばその心はとても深く結びついていったのでした。
そして。
秋も深まり、冬がすぐそこまでやってきました。
盛況だった「クラブ草むら」も、もうそろそろ店じまいの季節がやってきました。
「また来年も、遊びにきてね」
あっけらかんと告げるキリギリスの言葉に、アリはじっと黙って、返答しません。
「……また、らい……」
「来年はもうあなたはいないじゃない!」
同じ言葉を繰り返そうとしたキリギリスにかぶせるように、アリは叫びました。
その声は、涙に濡れていました。
「それがキリギリスの寿命さ。さあ、今年最後の演奏を聴いておくれ」
ひたすら明るく返したキリギリスでしたが、言った後に大きく肩で息をしています。
翅はすでにかさつきはじめ、弱弱しく「ギ……ィ」と音を鳴らしました。
それでもキリギリスは懸命に音を奏でました。
消え入りそうな翅の音が、より一層切なく哀しく、けれど、そこに籠められた魂の色が見えるような、そんな情熱的なラブソングでした。
ギィィーン……、と余韻を残して、演奏は終わりました。
しばしの沈黙の後。
最盛期より客足は落ちていましたが、その頃とひけを取らない割れるような拍手が店内に響き渡りました。
「……あり……とう……ご……ざいま……た」
息も絶え絶えに、かすれた声で謝意を述べると、キリギリスはお辞儀をして店を出ていきました。
演奏中からうつむいたままでいたアリは、ハッとして出入口の扉に顔を向けましたが、もうキリギリスの姿はありません。
「ただいまの演奏は、キリギリスさんでした。曲は『ギィの恋の物語』……」
クラブの司会がアナウンスしました。
「サブタイトルは『君に会えて幸せでした、さようなら』……」
ステージを振り向いたアリの瞳から、大きな雫がひとつ、こぼれ落ちました。
昔々……じゃないかもしれませんが、あるところに一匹のアリがおりました。
真面目で実直で、一生懸命仕事に向き合い、たまに若いアリ達を連れて「クラブ草むら」を訪れ、若いキリギリス達の演奏に聴き入り、時には昔聴いた素敵な曲を教えてくれました。
何度も冬を越し、一般的な働きアリの数倍の年数を生きました。
沢山のアリとキリギリスから「ギィのお母さん」と呼ばれ愛されたアリは、やがて穏やかな天寿を迎えたということです。
おしまい。




