悪役令嬢が多すぎる! 出がらし王子の学園書架事件録
一週間ほど前、兄である第三王子リチャードから、めずらしく舞踏会の招待状が届いた。
僕の名はグレッグ。
王国の第七王子だが、才能は六人の兄たちが持っていったらしく、貴族たちからは陰で「出がらし」と呼ばれている。社交が得意でもない僕を、後継者争いでトップに躍り出たリチャードがわざわざ呼ぶ理由など、たいてい、ろくでもない。
しかし、最近妙なことが立て続けに起きていた。僕の秘密の任務上、この件は無視できそうにない。
気が進まなかったが、僕は舞踏会に出席することにした。
会場の音楽が止み、人だかりの中心に視線が集まる。兄が笑っていた。よく通る声で、婚約を破棄すると宣言する。
隣には最近話題の、庶民からの特待生として王立学園に入ってきたマリーがいた。
その正面。同じ学園に通う公爵令嬢のリリアが、うつむき加減で佇んでいる。華やかなドレスの色よりも、握りしめた指先の白さが目につく。
「また婚約破棄ですって」
「今月何度目だったかしら?」
周囲から漏れ聞こえる声に僕は耳を澄ます。
リリア公女からも、
「炎上案件だわ」
などと意味不明な言葉が漏れ出していた。
やはりなにかズレが発生しているのかもしれない。
そして誰かが囁き、誰かが笑う。証拠だの謀略だの、ゆがんだ言葉が空気を汚していく。
リリア公女が不意に顔を上げた。
光に縁取られたまつ毛がふるえ、にじむ瞳が会場をさまよう。視線が、ほんの一瞬、僕で止まった気がする。
胸の奥で静かな何かがきしむ。
これは裁きじゃない。ただの見世物だ。
たとえ彼女に過ちがあったとしても、こういうやり方を選ぶ必要はない。
兄の得意な政治的パフォーマンスかもしれないが、やり過ぎだ。
ポケットの内側で、冷たい金属が指に触れる。『禁じられた書架』の鍵――父である王と、任命してくれた師匠しか知らない、僕のもうひとつの顔。
任務と私情の境界線が、僕の心で不確かになる。
彼女とは半年ほど前、一度だけ会話を交わしたことがある。
「……変わった庭園ね」
学園の隅、図書館裏の小さな薬草畑。
「父の病をなんとかしたくって」
作業着だったし、存在感のない僕を第七王子とは気づいていないだろうと、つい漏らした言葉。
「この世界って回復魔法ばかりなのに、あなた、凄いわね」
リリア公女は楽しそうに微笑むと。
「ポーションが効かないのかな? まあ、生活習慣病よね、あの体格。だったら、こっちの……」
高血圧なら、とか。血糖値が、とか。聞き慣れない言葉を使いながらアドバイスし、ドレスが汚れるのも気にせず作業を手伝ってくれた。
高飛車で高圧的だという学園の噂とはかけ離れていたから、印象に残っている。あの強気で、まっすぐで、少しだけ不器用な目。
今、その目は泣きそうに揺れている。
はたしてこの断罪自体が事実なのだろうか?
居たたまれなくなって視線をそらすと、会場の隅で給仕の少年が困ったようにグラスの塔を見上げていた。
婚約披露のための準備だったのだろう。
僕は少し悩んでから、ポケットの鍵を握りしめる。
兄の使用人相手では第七王子を名乗っても止められる恐れがある。
これは任務なんだと、言い訳がましく心の中で呟く。
もし逸脱だと判断されたら……。そんな思いが頭をよぎったが、彼女の悔しそうな表情が僕を突き動かした。
「ねえそれ、貸してくれないか。ついでにその上着も」
「ど、どちら様で……?」
「管理人です。――禁じられた書架の」
鍵を見た給仕の少年は目を見開き、慌てて頭を垂れた。
鍵には王家の紋章が刻まれ、それを見ると王令が下ったと認識させる強力な暗示魔法がかかる。
この力を使えば、使用者である僕には『禁じられた書架』の管理者としての重い責務が課される。
そして、使命から逸脱した瞬間、鍵は冷たく沈黙し、僕を見放す。それが、この役目の重さだ。
借りた上着に袖を通し、トレイを受け取る。
渦の中心で、息を止めている彼女が見える。
僕はよろめき、第三王子リチャードの目前で派手に転んでみせた。
グラスには保護魔法をかけ、割れないように配慮した。だから、びしょ濡れになった程度は許してほしい。
証拠として提出されていた書面にワインがかかると、なぜか特待生のマリーが目をむく。そして濡れた紙から目を上げると、僕の手元の“何か”を凝視した。
阿鼻叫喚の中、リリア公女と目が合う。驚いて大きく息を吸い込む姿は、まだ少し湿っぽく感じる。
でも、これでよかったんだろう。兄に敵視され、取り返しのつかない問題が起きるかもしれないが――彼女が息を止めているのを見続けるより、ずっといい。
■ ■ ■
「昨夜は、なぜあのようなことをした」
静かな『禁じられた書架』の中で、手のひらサイズの少女がフワフワ漂いながら、問いただすように僕を睨む。
「師匠……何度も言ったじゃないですか。ただの気まぐれです」
「また無駄なフラグを立てよって!」
書架の主であり、代々の管理人の任命者。僕の学問の師匠は『人』じゃない。ときおり理解不能な単語を話すし、あのサイズだ。素性を教えてはくれないが、妖精かなにかなのだろう。
数百年以上この書架の主を務め、多くの『管理者』を導いてきたそうだが、見た目は十代前半の少女にしか見えない。
「争いを好まぬお主が、珍しいことをと思ってのう。それに“予言の書”にもあるが、今介入するのは悪手じゃぞ」
師匠は今日何度目かのため息をつく。
僕はポットを持ち上げ、静かに紅茶を注いだ。“予言の書”とは『攻略本』と書かれた、謎の書のことだ。
カップの縁から立ち上る湯気の向こうで、師匠が古びた背表紙を指で弾く。
「この書にあるだろう」
師匠が指さす、特殊な古代語で書かれた一冊を見る。
表紙には『ドキドキ☆魔法学園パニック! 攻略本』と書かれ、不思議なイラストも添えてある。
脱力する題だが、この手の本に書かれた“ルート”は、時として不愉快なほど現実に一致する。だからこそ、ここでは“予言の書”なのだ。
何種類も存在するこの手の本が、いつどのように影響を及ぼすかは予測できない。
今は『ドキドキ☆魔法学園パニック! 攻略本』が影響を及ぼしており、『基本ルート』と『リチャード・ルート』の一部だけが読める。
しかも“少し前”までしか見えない――それでも十分な性能だ。
「学園に入学してきた特待生は、マリーというのじゃろう。しかも、めったに現れん光属性の持ち主で……」
師匠が開いたページを見ていたら、机の隅にあった水晶が点滅しながらビーッ、ビーッ、ビーッと不快な音を立てた。
「お主以来じゃな。扉の前に人がおる」
僕と師匠が水晶を見ると、そこにはリリア公女が映し出されていた。
「すごいね。鍵なしでここまで来たのなら、あの数式を全部解いたんだ」
『禁じられた書架』へ至るには、図書館内の回廊をくぐりながら、学園でも未解決の数式群を順に解かなくてはならない。
「どうする?」
「お招きしましょう。そういうルールですし」
僕の言葉に頷くと、師匠は空中でくるりと回って姿を消す。
扉を開ける呪文を唱え、前まで歩み寄ると、目を丸くしたリリア公女が立ち尽くしていた。
「グレッグ王子……やっぱり、ハーブ園の時から怪しいと思ってたのよ。あの数式を解くなんて、この世界の人間には無理なはずだし」
そして胸を張って、僕を指さし。
「やっぱりあなたも転生者だったのね!」
自信満々にそんな意味不明な言葉を漏らした。
■ ■ ■
「リケジョだったの、あたし。これでも医学部だったのよ。あれ数IIIレベルの問題でしょ。この世界って、数学IIまで届いていないっていうか、そもそも虚数単位の概念がないよね。複素数平面とか極限とか。久々にやったわ!」
一気にまくし立てるリリア公女は、どこか嬉しそうだ。相変わらず意味がわからない単語が混じるが――まあ、元気そうで何より。
「リリア公女様、どうか落ち着いて。紅茶を淹れますが、お飲みになりますか?」
僕の言葉に、リリア公女は周囲を見回し、テーブル横の椅子にちょこんと腰掛ける。
湯気の上がるティーカップを手渡すと、一口飲んで、やっと落ち着いたように息を吐いた。
「転生者というのはよくわかりませんが、たぶん僕はそうじゃありません。ここは『禁じられた書架』と呼ばれる部屋で、僕はその管理人です」
「進んだ学問を秘匿して、限られた人だけが学んでるの?」
「ちょっと違いますね。王国や教会が禁じた書物、ダンジョンや旧跡から出土した魔導書などを保管するのが、ここの役目です。そして閲覧が許可されるのは、回廊をくぐり抜けながら“試練の問い”にすべて正解した者だけです」
リリア公女は僕の話に首をひねった。
「じゃあ、あなた――グレッグ王子は、自力であの問題を全部解いたの?」
「そうなりますね」
「マジで!?」
大きな声を上げながら、リリア公女が立ち上がる。
「どうか落ち着いてください」
僕がお茶請けのクッキーを差し出すと、不審そうにクッキーと僕の顔を交互に見つめた。
「仲間が。あたしと同じ転生者が見つかったって喜んだけど。うん、それ以上の逸材よね。これなら……」
なにやらぶつぶつつぶやきながら、ようやく椅子に座ってくれた。
おかげで僕は、管理人としての役目の質問を、やっと口にする。
王国の未来。師匠に言わせれば世界の存続さえ左右する『禁じられた書架』には、代々伝わる厳格なルールと管理者の責務があった。
僕はそのルールに則って、リリア公女に質問する。
「あなたはここに、なにを求めてきたのですか? ここには値がつけられぬほどの高額な書も、権力を欲しいままにできるほどの“予言の書”も存在します。そして、それを受け取る権利があなたにはあります」
「その前に、昨夜どうしてあたしを助けてくれたのか、教えて」
そっぽを向きながら恥ずかしそうに言い放つリリア公女は、どこか可愛らしくもあった。
問いに、胸の奥がわずかにざわつく。
理由なんて、言葉にできるほど整っていない。
「公女様を助けたわけではありません。あの雰囲気が嫌だっただけです」
とりあえず答えると、リリア公女が真っ直ぐな目で見つめてきた。
「グレッグって、極度のツンデレで手を焼くキャラだったわよね。でも物語のワイルドカードで、裏ルートまで存在してたし……。ああもう、こんなんだったらちゃんとクリアしとけば良かった! しっかり思い出せないし‼」
また視線を外すと、ぶつぶつと意味不明な言葉をつぶやく。
そして舞踏会のことを思い出したのか。
「まったく、最近、悪役令嬢の断罪ばかりね」
苦笑いを浮かべた。
リリア公女は笑ったが、僕は笑えない。
やはりなにかがズレはじめている。
とりあえず、管理人の役目のひとつは、来訪者を分別すること。
「えーっと、僕の質問に答えていただければ助かるのですが」
僕は気を取り直して、話しをうながした。
金や地位や権力を求める者には――ときに罰ともなる――求められた書を渡し、その後は関わらない。
そうではなく、知識を求める者には入室の許可を授け、同士として知の探求を行う。
それが課せられたルール。
「――あたしは、そんなものを求めて来たんじゃないの。あなたが欲しいの。ねえ、味方になってくれないかな?」
てれたように笑うリリア公女に、困惑してしまう。
えっと、僕ですか?
想定していなかった回答に、師匠の所在を探すと……どこかから、深いため息と「お主、バッドエンド一直線じゃな」という謎の言葉が聞こえてきた。
「ねえ、返事は? なにか受け取れる権利があるんでしょ」
リリア公女が指を絡ませながら、もじもじしだす。
うん、これ、なんだか断っちゃダメな気がする。
管理人としての責務があるし、亡き母から「女の子の本気の願いは、断っちゃダメよ」と言われたこともある。
「承知しました。『禁じられた書架』の管理人として、その責務を果たしましょう。――まずは、昨夜の“真相”を教えてください」
僕がルールに則りそう答えると……パタリと、どこかで師匠が床に落ちたような音が聞こえてきた。
そして師匠のため息と共に、書架の奥で何かがざわめいた気がした。
■ ■ ■
「5歳の頃かな? そこで転んで頭を打ったら、前世の記憶が蘇ったの。で、ここが生前、あたしがプレイした『ドキドキ☆魔法学園パニック!』の中だって気付いたの」
リリア公女は公爵家の広々とした美しい庭園にある、大きな岩を指さしながら優雅に脚を組み替え、スコーンを頬張った。
昨日、『禁じられた書架』で約束した真相を聞くために、呼び出されたこの場所まで来たのだが。どうしてもあの岩を見せたかったのだろうか?
そこはあまり重要じゃないと思うのだが。
豪華なテーブルセットを野外に持ち出し、僕たちは執事さんやメイドさんに囲まれ、午前のティータイムを満喫している。
さらにその後ろには王国の衛兵がいるが、あれは僕たちの警護じゃなくて監視だろう。
犯人を見る目で僕たちを睨んでいる。
邸の正門脇には王城監察官の馬車が常駐し、門兵の数も普段の倍に増えていた。
「父が娘を心配して」――建前はそうだが、実際は屋敷内の軟禁だ。
それでも彼女は、からりと笑ってスコーンにクリームを山盛りにする。
まったく緊張感の欠片もない。この人、自分の置かれた立場がわかっているのだろうか?
婚約破棄された舞踏会以来、彼女は学園を休んでいる。
舞踏会で提出された証拠には、ジョーンズ公爵の国家転覆計画書まであった。
その真相を調べるため、公爵家全員が監視下に置かれている。
公爵家を押さえるとなると、王族か宰相クラスの権力が動いたとみて間違いない。
権力争いが大好きな第二王子と、それを後押しする宰相。
当事者である第三王子のリチャードと、彼をバックアップする有力貴族たち。
あまり思い浮かべたくない面々が脳裏を横切り、うんざりする。
「食べないの? 美味しいわよ」
リリアは微笑みながら、たっぷりとクリームをつけたスコーンを僕に向けてくる。
「余裕だね。没落してもおかしくないのに」
冷えはじめた紅茶を口にしながら、リリア公女から手渡された『証拠』の書類を眺める。
僕が舞踏会でグラスをひっくり返した隙に、リリア公女が何枚か奪い取ったらしい。
抜けているのか、切れ者なのか、判断しづらい人だ。
「大声で泣き叫んで、それでなにか改善できるならそうするわ。それよりこうやって落ち着いて、次の手を考えるべきでしょ」
確かにそうだと頷いて、僕は今までの話を脳内でまとめる。
リリア公女は前世の記憶を持つ「転生者」らしい。
この発言だけなら、腕の良い神父を紹介するところだが、彼女の記憶は書架にある予言の書と一致する部分が多い。
予言の書と彼女の発言の共通点は、特待生のマリーを中心に学園や王国に危機が訪れ、それを彼女が解決する部分だが。
「あたしゲームではマリーを虐める嫌なヤツで、お父様も本当に国家転覆を狙う極悪人なの。いわゆる悪役令嬢って存在ね。だから全力で破滅フラグを回避したの」
リリア公女は前世の記憶を元に、父親であるジョーンズ公爵を改心させ、自身も努力と根性で実力をつける。
そして虐めなどの誤解が起きないように、細心の注意を払いながら学園生活をおくっていたそうだ。
しかしいざ、ゲームの主人公であるマリーが学園に転入してくると。
「不思議な力が働いたとしか思えないのよ。現実がどんどんゲームシナリオに沿って変化しちゃったの。今はリチャード王子の攻略ルートみたいだけど……そこだとあたし、死んじゃうのよね」
なんだそうだ。
『悪役令嬢』とか『破滅フラグ』とか。リリア公女の話には、所々知らない単語があるから、書架に戻ったら調べてみよう。
まあ雰囲気からなんとなく理解できるけど。
「仮にゲームという世界を創造した神のような存在がいて、その力が世界を戻そうとしたのなら、逆らう術が見当たらないな」
「それね、あたしもちょっとそう思ったんだけど、今は違うと確信してる」
「なぜ?」
リリア公女は楽しそうにスコーンを口に放り込むと、ニヤリと微笑む。
「あなたの存在よ、グレッグ王子。最難関で事実上のラスボスとまで言われる攻略対象が、ゲーム序盤からあたしの味方になるなんて。あたしが神なら絶対許さないもの」
リリア公女の言葉で、何かの条件がそろったのだろうか。ポケットの中の『禁じられた書架』の鍵が震えた。
予言の書のまだ見えない頁に、記述が増えたのかもしれない。
僕が気取られないよう、すまし顔をしていると。リリア公女はどさりとスコーンの入った皿を僕の前に置いた。
「恥ずかしいからって内緒にしてるけど、実は甘党なんでしょ。遠慮しないで食べて、グレッグ」
それは亡くなった母と師匠しか知らない事実だ。
僕はため息をつきながら、たっぷりとクリームとジャムをつけてスコーンを口にする。
「素直で宜しい! じゃあ早速、謎解きといきましょう。まずは偽装が不可能なはずの公文書用魔導紙に、なぜそんなデタラメが記載されているのか、よ」
リリア公女は、ワインでふやけた魔導紙を僕の目の前でヒラヒラさせる。
ワインの染みに日の光が反射して、魔法陣のようなものがキラキラ光ったのが気になったが。
とりあえずからかうような態度に、僕は彼女の依頼を受けてしまったことを、少し後悔しはじめた……。
■ ■ ■
リリア公女から魔導紙を受け取り、公爵邸を後にする。
増えたかもしれない『予言の書』の記述も気になる。早速書架に戻り、調べ物や師匠への相談をしようと思ったが。
「コジロウたちが心配するよな」
自宅に戻り、昼食を取ることにした。
王子とは言え、僕は七番目。しかも母は、今は敵国となってしまった東の小国の姫だった。
そのため王位継承権も、兄たちはおろか王弟やその息子たちにも抜かれ、十三位というオマケみたいなもの。
おかげであつかいは慎ましく、王都の隅の古ぼけた小さな屋敷で、二人の使用人と共に暮らしている。
二人の使用人は、執事と護衛騎士を兼任するコジロウと、食事や生活まわり全般をまかなってくれるヨウコ。七十歳を超えてなお、仲の良い夫婦である。
二人は母のお付きとしてこの王国に移り住んだ。コジロウは若かりし頃『大陸三剣』とうたわれた剣豪だったそうだ。
伝説の剣士も寄る年波には勝てないのか、最近では剣術の練習でも三本に一本は僕が取る。
もう引退して余生を楽しむ歳だが、僕の台所事情がそれを許してくれない。
「お坊ちゃま! 大変でございます‼」
屋敷に入るとすぐ、コジロウが大声を上げながら走ってきた。
「どうした、落ち着きなさい」
コジロウは二メートル近い、いまだ鍛えられた巨漢を窮屈そうに執事服に押し込み、白髪交じりの黒髪に黒い瞳で、貫禄のあるヒゲを蓄えている。
そんな彼が慌てふためく姿は、どこか滑稽だ。
正門の前に、四頭立ての豪華な馬車が二台も止まっている。
招かざる客でも来たのだろう。
「リチャードのヤツが、責任を取れと」
いつかは来るだろうと思っていたが、意外と早かったな。
「お客様は?」
「専用客間で、ヨウコが対応しております」
やっぱりそうなるか。
あの客間を使うのは、何年ぶりだっけ。
「プランは?」
「暗殺警戒、第二段階」
コジロウが僕の耳元でささやく。
静かに読書を楽しむのが好きなのに。彼女に関わってから、なにやら賑やかになってしまったようだ。
僕は青く清んだ空を見上げながら、小さくため息をつく。
「出がらしの分際で、兄を待たせるとはけしからんな」
客間に入った瞬間、つまらなさそうにリチャードが吐き捨てた。
後ろに控えていたコジロウが、腰のカタナと呼ばれる東国特有の剣を抜きかけたので、手で制する。
――まだタイミングじゃない。
「所用がありまして屋敷を開けておりました。ご無礼申し訳ありません」
テーブルを挟んだ対面の椅子に座ると、コジロウは不服そうな顔のまま、僕の後ろに立った。
コジロウは怒り心頭のようだが、ヨウコは何食わぬ顔でお茶を配っている。
さすがだなあと、ちょっと惚れ惚れしてしまう。
見回すと兄リチャードの後ろには、騎士が五人、執務服姿の男が三人。
特待生のマリーが来ていないのは残念だが、欲はかけないだろう。
「構わんさ、出来の悪い弟の面倒を見るのも兄の仕事だ」
リチャードは美しい金髪をかき上げ、切れ長の青い瞳で僕を睨む。
「それで兄上、今日はどのようなご用件で」
配られた紅茶に手をつけたのは、兄と、騎士が四人。執務服の男は全員、口元まで持っていった瞬間、顔を歪めた。
身のこなしから手をつけなかった騎士が、一番腕が立ちそうだ。
執務服の男たちは訓練された魔法使いか、暗殺を生業とする輩だろう。
まあ兄が茶を飲んでくれれば、どうとでもなる。
最悪屋敷ごと焼き払ってしまえば良い。
「少々悪戯が過ぎたようだからな、お仕置きだよ。不敬罪で流刑。――で、済ませてやろうかと考えていたんだが、妙な情報を耳にしてな」
僕が話をうながすように微笑むと、その態度に腹を立てたのか、すごみながら言葉を続けた。
「『禁じられた書架の管理人』。自分のことを、そう騙った阿呆がいたそうだ。おまえ程度でも名前ぐらいは知っているだろう?」
僕が頷くと、兄は意気揚々と話を続けた。
「その存在は、王国の守護にして世界の調停者だ。もし本当にその名を騙ったのなら、国王の名を騙ったに等しい。いくら王族の端くれとは言え、死罪は免れんぞ」
ヨウコが一礼して部屋を出た。同時に、魔法結界が部屋を覆う。
この部屋は、賊を捕らえるための特別仕様だ。母の暗殺以降、そんな仕掛けが屋敷中に存在している。
それに気付いた執務服の男たちが立ち上がった。やはり訓練された戦闘員なんだろう。動きにそつがなく、判断が速い。
「包囲されました」「くそっ、なんて結界だ!」「術式がまったく読めん!」
立ち上がった執務服の男たちが慌てふためく。
東国の神秘と言われた魔術師ヨウコさんの腕は、まだ衰えていないようだ。
「とっとと蹴散らせ、グレッグは殺しても構わん!」
やっと状況を察したリチャードが怒鳴りはじめる。
騎士服の男たちが剣を手に取ったが、お茶を飲んだ四人はバタリと音を立てて倒れた。
「ど、毒か⁉」
ティーカップをもって震える兄上に「ただの睡眠薬ですよ」と教えてあげたが、どうやら聞こえていないようだ。
残った一番腕の立ちそうな騎士は、なぜか楽しそうに僕を眺めている。
執務服の三人が懐からナイフを取り出し、僕に向かって飛び出したが。
「フン!」
コジロウが剣を抜くと同時に、バタバタと音を立てて倒れる。
その一閃は風を裂き、床板に白い線を刻む。
「案ずるな、峰打ちじゃ」
コジロウは倒した執務服の男たちを無視して、正眼に構え、いまだ楽しそうに微笑んでいる騎士に剣を向けた。
「おおお、お前! こんなことをして、ただですむと思うな‼ 父上が黙って……」
リチャードが半泣きで訴えながら、パタリと倒れた。
やっと薬が効いたようだ。兄上どうか良い夢を。
まあ確かに、父上のことを考えると頭が痛い。事後処理が大変そうだ。
やれやれと僕が首を振っていたら、動かなかった騎士がやっとしゃべった。
「つまらん仕事だと思っていたが、なかなかに楽しくなった」
彫りの深い三十歳前後の色男は、無精ヒゲをさすりながら、ゆらりと動いた。
隙だらけのように見え、まったく隙が見当たらないその動きに、コジロウが眉根を寄せる。
「俺は王子直轄の騎士じゃない。目付役できた北花壇騎士隊の者です」
「北花壇騎士隊?」
王国には、南花壇騎士団を筆頭に、西花壇、東花壇を名乗る三つの騎士団がある。
それぞれ王国を守護するエース級の騎士団だが、さらにその上には、国王直下の『北花壇騎士隊』が存在すると噂されていた。
公には存在しないとされている少数精鋭で、一騎当千のバケモノの集まり。その実力は、南・西・東の三団合わせた戦力より上だと言われている。
「大陸三剣『闘将コジロウ』殿は衰えておらぬようだし、東国の神秘もご健在のようだ。それ以上にグレッグ王子が不気味でならない」
失礼な! 僕はただの気弱な青年ですよ。
「取引しませんか? リチャード君を俺に預けてくれれば、そのまま帰ります。ダメならちょっと暴れます。グレッグ王子には逃げられるかもしれませんが、コジロウ殿とヨウコ殿の腕一本ぐらいなら奪えそうです」
僕がコジロウを見ると。
「ハッタリではなさそうですな。しかしご命令くだされば、お坊ちゃまを守り、リチャードを人質に取って見せます」
ぐっしょりと汗をかいたコジロウが呟く。
僕は冷えはじめた紅茶を口にしながら、考えを巡らす。
こんなつまらないことでけが人を出すのは愚策だ。リチャードいらないし。
「悪い取引じゃないですね。オマケでそこに倒れている人全部あげますから、質問に答えてくれますか?」
「答えられる範囲で、ひとつだけでしたら」
なるほど。やはり後ろに父上がいるのだろう。なら質問はこれしかない。
「第二王子ヘンリー殿はお元気ですか?」
僕の質問に、騎士は目をぱちくりとさせる。
「質問が悪かったようですね。第二王子ヘンリー殿に、北花壇はどこまで介入していますか?」
言い直すと、その騎士は楽しそうに笑い出した。
「俺が会った時は、お元気そうでしたよ。もっとも今どうなっているかはわからない」
男はそう言って立ち上がると、美丈夫の体躯を綺麗にかがませながら、騎士の最敬礼をした。
「私の名はヒューイ。『氷剣のヒューイ』と呼ばれております。機会があればまたいずれ」
ヒューイの足元に霜が広がり、空気が凍りつく。
氷混じりの風が舞い始め、やがて竜巻のようになる。
その風がおさまると、リチャードを含めた来訪者全員の姿が消えた。
「やっかいな相手ですな。できればもう会いたくない」
コジロウが剣を収める。
しかしその顔は、好敵手に出会った戦士そのもの。どこか楽しげだ。
「コジロウ、表情と言葉が合ってないよ。それに向こうもそんな表情だったね」
僕があきれてそう言うと、コジロウは蓄えたヒゲを楽しそうに撫でた。
僕は完全に冷えてしまった紅茶を一気に飲み込む。さてさて、予想より周囲の行動が早い。――いろいろと急いだ方が良さそうだな。
昼食をあきらめて席を立ち、ポケットに手を入れると……。
鍵がかすかに、熱を帯びていた。
■ ■ ■
僕が禁じられた書架に走り込むと、パタパタと音を立てて師匠が飛んできた。
「どうした? そんなに慌てて」
「師匠、丁度良かった! いくつか聞きたいことが」
舞踏会で特待生のマリーは、ワインがかかった証拠の証書を見て驚いた。そしてその後、僕の手を凝視した。
ワインの染みを日の光にかざすと、妙な魔法反応が見える。
「なんじゃ、なんでも聞いてくれ」
ない胸を張る師匠は可愛らしいが、今そこは重要じゃない。
「魔導紙に書かれた文書を改ざんするのって、不可能なんですよね」
「通常の火・土・風・水の四大魔法では無理じゃな」
「光魔法なら?」
「改ざんとなると不可能じゃ。文字を消すことはできるが、どんなインクも乗らんじゃろう。輝きが強すぎる」
「では、光で“消し”、闇魔法で“書く”なら?」
「理屈では成り立つかもしれんが、そもそも……」
――闇魔法の使い手は、人族にはいない。
光と対局になる闇の魔法は、そもそも生命体に宿らない。
『闇』を操れるのは、既に死んだ人間。魔族に分類されるスケルトンやアンデッド、それにバンパイアだ。
書架から、闇魔法の専門書を取り出す。
「闇魔法って万能ですが、やたら弱点が多かったなって」
「聖水や聖書、ニンニクなんてものもあるが……闇魔法を敵視する、教会の法螺ばかりじゃ」
教会から禁書となった本によれば、アルコールと日の光には一定の効果が認められている。
なら間違いない。
そして最大の弱点は回復魔法。そこは教会の教えと同じだ。
スケルトンやアンデッドは、人族の日常生活には紛れ込めない。目立ちすぎるし、なにより悪臭がひどい。
やはり可能性はバンパイアに絞るべきだろう。
闇魔法の専門書によると、バンパイアを討ち取るには、本名――『真名』を利用した専門の呪文を唱えるか、特殊な杭で心臓を貫くしかないとある。
念の為、呪文をメモしておく。
予言の書を繰り『リチャード・ルート』の黒幕を確認する。
ここまで文字があらわれたことに、ホッと胸をなで下ろす。
黒幕は宰相。しかし予言の書では、太った中年男と書かれていた。
現実の宰相は、妖艶な美女。
このズレは、致命的だ。やはり現実でゲーム以外の力が加わっている。
そういえば、宰相の名前ってなんだったっけ?
悩みながら、さらに頁をめくる。
全ルートをクリアすると開く、裏ルート。通称『グレッグ・ルート』。
いままで何度も確認したが読めなかった頁に、ゆっくりと文字が浮かぶ。
最初に出てきた文字が『男子禁制 淑女オンリー』。
記載されていたのは……。
男同士のあれこれとか。それに挟まるヒロインとか。
なにそれ? 一緒に予言の書を覗き込んでいる師匠の顔が恍惚としているし。
――闇魔法の集団暗示は、誰かが錯覚に気付くと解けてゆく――
ま、まあ、そんな闇魔法の記述もあったのは助かったが。
「うん、見なかったことにするか」
僕はパタンと音を立てて、予言の書を閉じた。
「しかし『男子禁制』って、どこかで……」
何気ない呟きに、師匠がうろたえた。
「なんじゃ、なにか気になることでも?」
このそわそわする態度は、なにかを隠しているときだ。
ふと視線の先、“男子禁制”と札のかかった黒いカーテンの向こうに、妙に薄い本がずらりと並んでいるのが見えた。
邪悪……というより、強烈な謎のオーラ。この感覚は宰相の視線と同じだ!
「あそこですか」
「やめるのじゃ、我が弟子よ。そこは禁断のコーナーじゃ! 思想に偏りがある。読めば頭が痛くなるぞ、いやほんに」
今回の謎を解く鍵はそこにある。と、なぜか僕の直感が訴えてくる。
僕は師匠を振り切って、カーテンを開くと。
――とても残念な真実を発見してしまった。
■ ■ ■
僕が急いでリリア公女に会うために公爵邸に戻ると、正門の警備はさらに厳重になっていた。周辺には、王国騎士団の姿までチラホラ見えるし、人だかりが邪魔でなかなか近づけない。
口々に「あの噂は本当だった」とか「いよいよお取り潰しか?」などと騒いでいる。
野次馬を押しのけながら、間に合うのか? と、あせっていたら。
「グレッグ王子、こちらへ」
聞き覚えのある声に振り返ると、無精ヒゲをさすりながら苦笑いする、ヒューイと名乗った騎士がいた。
「これからジョーンズ公爵の拘束なんですが、あなたがあらわれたら中止して、お通しするようボスから指示がありましてね」
「ボス?」
「まあ、誰かってのは聞かないでください。俺にも立場があるんで」
そんな権限を持つ者は、ひとりしか思い浮かばない。
あいつの手のひらで踊っているような気がして癪だが、しかたがないか。
「で、謎は解けたんですか?」
ヒューイが目配せすると、騎士たちが慌てて野次馬を押しのけ、道を空けた。
そして僕を連れて正門から堂々と入ってゆく。
周囲の警護の騎士たちはヒューイが通過するのを確認すると、背筋を正して敬礼した。
僕はあきれ気味にそれを眺めた後。
「まあだいたい。これってきっと、つまんない茶番なんですよ」
「つまらない茶番って……。俺たち一年以上調査して、手がかりすらつかめなかったんですよ」
苦虫をかみつぶしたような顔のヒューイに、僕は同情する。
「ボスの人柄が悪いんじゃないかな? あの人、とうの昔に気付いていたかもしれない」
「同感です。じゃあ、ボスに王子がそう言ってたって伝えますね」
ヒューイがポンと僕の肩を叩く。
ふと振り返った時には、もう姿がなかった。
主が偏屈だと、部下も偏屈になるんだなあと、深く納得しながら。僕は公爵邸に足を踏み入れた。
庭に設置されていたお茶会会場に、主要人物が集まっていた。
特待生のマリーに、第二王子のヘンリー。その後ろには宰相もいる。
うなだれるように座っているのはジョーンズ公爵だろう。恰幅の良い優しげな中年男は、リリア公女にどこか似ている。
何人か役人姿の男や貴族服の男たちもいるが、きっと関係者だ。
これが禁じられた書架にある『推理小説』なら、クライマックスの謎解きが行われるような雰囲気だ。
まあ、必要なのは謎解きじゃなくて『解呪』だから、問題はないが。
「グレッグ!」
僕を見つけたリリア公女が駆け寄ってくる。ちょっとしおらしいなと思ったら。
「まるで推理小説のクライマックスね。あたし探偵役に憧れていたのよ!」
嬉しげにウインクしてきた。
……やっぱりリリア公女はリリア公女だな。
「あら、グレッグ王子様。なぜこのような場所に?」
宰相が話しかけてくる。
豪奢な黒いドレスに大きな黒い日傘を差し、にこやかに微笑む姿は、妖艶で美しいが……やはり背筋になんか冷たいものが走る。
特待生のマリーは、どこか疲れたように佇んでいて、目の焦点も合っていない。
僕は既に謎が解けているせいか、この異常さに気付ける。――他者の精神を操れる闇魔法って、やはり恐ろしい。
「宰相殿、僕はいくつかあなたに簡単な質問をしにきただけです」
なんとか笑い返すと、宰相はニヤリと微笑んだ。
「なにかしら? 今大切な、大人同士の話し合いの最中なの。手短にお願いね」
「承知しました」
周囲の視線が僕に集中する。なにかを察したのか、リリア公女が僕の後ろで拳を握りしめた。
「ではまずこれを見てください」
ポケットから例の魔導紙を取り出して、自信満々に回復ポーションをかけた。
しかしなんの反応も起きない。
時間がなく、事前に実験できなかったことが悔やまれる。
さてどうしよう? 強引に話題を変えるか、笑って誤魔化すか。
背中を冷や汗が伝う。だが次の瞬間、リリアの声が空気を切り裂いた。
「わかった! 偽装は光魔法と闇魔法の合わせ技だったのね。闇魔法の使い手が、光魔法の使い手であるマリーを操ったのね」
僕が振り返って驚くと、リリア公女が魔導紙を取り上げる。
「光魔法で文字を消して、その上で闇魔法を使ったんなら……回復ポーションは液体だから、光魔法と相殺反応するのかも。直接ぶち当てた方が良いかもね!」
リリア公女は高らかに魔導紙を投げると、短縮詠唱で回復魔法を発動させ、見事に魔導紙に命中させた。
「やっぱり!」
リリア公女が拾い上げた魔導紙からは、闇魔法の文字が消えている。
それをリリア公女が、関係者のひとりに手渡す。きっと裁判関連の役人だろう。「これは審議が覆りますな」とかいって、頷いていた。
ドヤ顔全開のリリア公女にちょっとむかついたが。
「ありがとう、助かったわ」
僕の耳元でそんな事をささやくから……許してやるか。
リリア公女の機転の早さと、魔術の腕にあっけにとられてしまったが。
「こちらこそありがとう」
と、なんとか言葉を返すと、リリア公女は。
「で、次はどうするの?」
と、楽しそうに微笑む。
そうだな、こんなことは素早く終わらせるに限る。
「宰相殿、では初めの質問です。お名前を教えてください」
僕の言葉に、全員がうろたえる。
「そういえば……」「あれ?」「なぜだ、思い出せん」
やがて周囲の人々に、不安と気付きが訪れる。そう……彼女は一度も自分の名前を名乗っていない。王国で一度もだ。
徐々に彼女がかけた『集団暗示』が解けてゆく手応えを感じる。
覚悟を決めた瞳で、宰相が僕を睨む。
さて、ここでトドメだ。
僕は男子禁制棚から回収した“薄い本”をポケットから取り出し、宰相に手渡す。
奥付にあった著者近影イラストは、あまりにも宰相に似ている。そして著者名は、こう記されていた。
「あなたの真名は、『るんるん子』先生ですね」
宰相――いや、『るんるん子』は、その薄い本を受け取ると、膝から崩れ落ちた。
どうやら僕は、賭けに勝ったようだ。
彼女がなにを真名として信じているのか不明だったが、その作品に込めた魂を僕は信じた。作品内容はアレすぎだが。
作品に刻んだ名は、魂名と同義になる――師匠もそう熱く語っていたし。
「わ、私は……ただ、特定の解釈が好きなだけで……その、二次創作が生きがいで」
小さく、すがるような声。
真名を知られ以上、抵抗できないと悟ったのだろう。
特待生のマリーの焦点が合い、周囲の人々が“見知らぬ人”を見る目で元宰相――『るんるん子』を眺めはじめた。
闇の支配は、完全に解かれた。
知らぬ間に近づいていたヒューイに、僕は振り返らず話しかける。
「後は任せます」
「了解しました、グレッグ王子様」
彼はまた仰々しく僕に敬礼したのかもしれないが、どうしても振り返る気になれない。
彼のボスであり、僕の使命の前任者なら、もっと上手く解決できたような気がしてならないからだ。
泣き崩れている『るんるん子』を優しく風が包む。
やがて風と共に、彼女の姿が消える。
こうして僕は、“禁じられた書架”の管理人としての責務を、ひとつ果たした。
■ ■ ■
三日後の昼下がり、僕は公爵家のお茶会に呼び出されていた。
「ちゃんと説明して!」
唇を尖らせるリリアの後ろには、満面の笑みを浮かべるジョーンズ公爵がいる。
公式発表では宰相は病で退任し、後任はジョーンズ公爵が臨時で行うこととなった。どうやら彼も優秀らしく、そのまま宰相に就任しそうな勢いらしい。
第三王子リチャードは、他国への留学が決まった。本人の希望という話だが、裏で誰かが動いたのかもしれない。
関わりたくないから、どうでもよいが。
特待生のマリーは闇魔法の呪縛と戦っていたようで、おぼろげながら、操られていた頃の記憶があったそうだ。
舞踏会でグラスをひっくり返したとき、僕の手を見たのは、特殊な魔法操作に気付いて助けを求めようとしたんだとか。
「ありがとうございます」
と、丁重に屋敷にまで来てお礼を言ってきた。……なぜか独特の視線を感じたので、今後は適切な距離を取ろうと思う。
「説明って?」
「ことの顛末全部よ!」
リリア公女は納得がいかないとばかりに食いついてくる。
この事件は、とある女性が柱の角に頭をぶつけ、前世が“二次写本の作り手”だった記憶を取り戻したことからはじまった。
そして自分が、好きだったゲーム『ドキドキ☆魔法学園パニック!』の派生物で作成した“悪役令嬢の吸血鬼”に転生したと気づき……。
この世界とゲームがズレはじめていたが、どうしても“続き”を見たくて、闇魔法で介入してしまったそうだ。
彼女いわく、リリアの処刑は避けたかったし、特待生のマリーもハッピーエンドになる算段が立ったら、支配を解くつもりだった――との証言だ。
まあ、僕は放っておけば、妙な“筋書き”の主役にされていたみたいだから、完全に許す気はないが。
希少な闇魔法の使い手であり、予言の書に“触れられる”稀有な資質を持つ『るんるん子』を処断するのは惜しい。そう前任の「管理者」に嘆願したら、
「『禁じられた書架』にでも幽閉して、お前が面倒を見ろ」
と、言いつけられた。
リリア公女と言い、『るんるん子』と言い、なんだか僕のまわりには『悪役令嬢』が多すぎる気がする。これ以上、増えないことを祈るばかりだが……。
僕が事件の詳細を報告したら。最近の頻繁に起きる世界のズレを、師匠と前任者が「同時多発悪役令嬢」と名付け、秘密裏に緊急事態宣言を発令した。
公にできない発令だから、動くのはどうせ王国の裏部隊だろう。ヒューイの苦虫をかみつぶしたような顔が、頭に浮かぶ。
「全部ですか……しゃべれる範囲が狭すぎますし、時間もあまりなくて。でもそのうちちゃんと説明できるかもしれません」
「どゆこと?」
「『禁じられた書架』に、また来ますか?」
「もちろんよ、あたしもうメンバーじゃないの? 最近いろいろ楽しくなってきてね。このペースでさ、一緒にどんどん難事件を解決していこうよ!」
リリア公女のそんな態度に、思わず笑いがこぼれてしまう。
彼女にはやはり涙より笑顔が似合う。
「さあさあこれ食べな! グレッグ線細いし。もっとお肉つけなきゃ」
ケーキを盛った皿を、ドンと僕の前に置く。
僕は線が細すぎて、よく男らしくないと言われる。
母の血が反映された彫りの浅い顔に、ブラウンの髪には誇りがあるが、こちらもあまり女性受けが良くない。
やはり兄たちのように金髪で、筋骨隆々な彫りの深い男がモテる。
「リリア公女も、やっぱり兄のような勇ましい感じが好きなのか?」
「なんで?」
「婚約破棄の時、悔しそうだったから」
油断したせいか、そんな言葉が出てしまった。
「リチャードにはぜんぜん興味なかったな。それより公爵家と命の危険が……って、あれ? ねえひょっとして妬いてるの?」
嬉しそうに顔を覗き込んできたリリア公女から、逃げるように僕は席を立つ。
「ではこれで、この後用事があるので。また『禁じられた書架』で会いましょう」
「もっとゆっくりしていけば良いのに、お父様もあなたとお話ししたいって。まったく公爵家のお茶会を袖にするなんて、用事ってなによ!」
「管理人の前任者からの呼び出しで。まあ、断れなくって」
「前任者? だれそれ」
彼女がこれからも『禁じられた書架』に出入りするなら、いずれバレるだろう。
意趣返しにはちょうど良さそうだし。
僕はリリア公女の耳元まで顔を近づけ、そっと呟く。
「国王陛下なんだ」
ちょっと驚いたその顔が面白くって、吹き出しそうになるのをこらえながら……。
僕は問題だらけの父親と、久々に会えることに胸を躍らせた。
はじめて恋愛短編書きました!
元々は、某出版社さんと打ち合わせた連載漫画のプロットなのですが、ちょっと短編で書いてWEBにあげてみようという話になりまして。
全力で読者様に楽しんできただけるものを書き上げました!
ご声援いただければ、なんか動くかもしれません……てか。動くと良いなあ……。
まあ、多くの人が読んで、楽しいと思ってくれたら、それが一番の作者の幸せなのですが!!
そんなこんなで、どうぞ、お願い申し上げます!