前触れ
魔女の森は、夜になると音が死ぬ。
虫の声も、風に揺れる枝の擦過音も、
一定の距離を越えると、まるで切り取られたかのように消える。
その静寂を、
荒い息と、必死に踏みしめる足音が引き裂いていた。
「はぁ……っ、はぁ……っ……!」
森の入口付近で、
先行していた仲間は“消えた”。
悲鳴は上がらなかった。
ただ、影が歪み、音が潰れ、
次の瞬間には――そこに「いなかった」。
「くそ……くそっ……!」
最後尾を走る冒険者が振り返る。
だが、背後には追手の姿は見えない。
見えないのに、
“来ている”と、確信できる圧だけがあった。
その時だった。
――ズン。
地面が、沈んだ。
踏みしめただけで、大地が耐えきれなかった。
木々の向こうから、
重装鎧を纏った“何か”が歩み出てくる。
一歩。
それだけで、根が砕け、土が波打つ。
「……ジェッド……?」
かつての名が、震える声でこぼれた。
だが、返事はない。
鎧の隙間から覗くのは、
人間の眼ではなかった。
濁った赤。
感情のない焦点。
生きているのに、“誰もいない”視線。
重装融合兵――
歩くだけで地面を沈める存在。
「に、逃げろォォッ!!」
叫んだ瞬間、
別方向の木々が“裂けた”。
影が、影を引き裂いて飛び出してくる。
速い。
速さという概念が遅れてくる。
「ミラ……!? うそだろ……!」
高速融合兵。
斬撃のあとに、音が追いつく。
血が飛ぶ前に、体が分断された。
残った者は、もう振り返らない。
振り返った瞬間、終わると本能が理解していた。
次に来たのは、視線だった。
音もなく、矢も飛ばない。
ただ、“見られている”。
木々の隙間を縫うように、
狙撃融合兵が照準を合わせる。
カレン。
彼女だった“もの”は、
もう弓を引いてすらいない。
視線が合った瞬間、
一人の頭部が弾け飛んだ!
「……ひっ……」
最後の一人が、転ぶ。
足がもつれ、腐葉に滑った。
その目の前に、
雷が落ちる。
否、落ちたのではない。
雷が、歩いてきた。
魔導暴走体――フェルナンド。
制御を失った魔力が、
森を焼き、空気を裂き、
生き物の区別なく破壊していく。
「助け……助けてくれ……」
その声は、届かなかった。
だが――
焼け落ちる直前、
“何か”が割り込んだ。
偶然だった。
ただの誤作動。
雷が一瞬、逸れた。
その隙に、
男は転がるように立ち上がり、
森の境界線を越えた。
魔女の森の“外”。
結界が、彼を拒絶するように軋む。
背後で、足音が止まった。
追ってこない。
――いや、追う必要がないのだ。
「……ノク……ティア……」
血に塗れ、
声にならない声で呟きながら、
男は倒れた。
彼は知らない。
自分が持ち帰ったのが、
「侵略の前触れ」そのものだということを。
魔女の森は、再び静寂を取り戻す。
だがその奥では、
リュドーの軍が、確かに動き始めていた。




