プロローグ
『人間になりたいだけなのに、俺のメイドが強すぎる』
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目を覚ますと、世界は黒く、ぬるりと冷たかった。
動けない。呼吸もできない。
いや、そもそも――呼吸する器官がない?
「……どこだ、ここ」
喉が動かない。声が出ない。
頭に響いたのは、自分自身の思考だけだった。
──ぬちゃ、ぬちゃ。
地面を這う感触が伝わる。自分が、粘液の塊になっていることを理解するまでに、そう時間はかからなかった。
「……は? これ、俺か?」
見下ろす顔もない。だが視界はある。不思議な“球体”の中心から、森の中を映していた。
黒くぬるついた身体。身体と言っていいのかも怪しい。
それが、岩のようなものの上を這いずって進んでいる。
「スライム……? って、おいおい……」
現実世界での記憶は、まだ鮮明に残っていた。
俺は、マサキ。
社会から脱落し、親にも見放され、仕事もできず、誰とも話さず、
ついに死ぬ覚悟で樹海へ行った。
あれは夢だったのか。死んで、こんな異形の“何か”にでも転生したのか。
いや、夢なら目が覚めてくれよ。
──ピコン。
脳裏に、突然“ウィンドウ”のようなものが浮かんだ。
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【ステータス】
種族:ブラックスライム
状態:安定
HP:15/15
MP:220/220
魅力:99(MAX)
筋力:2
知力:5
言語能力:-
創造錬金術:所持(唯一)
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「……魅力だけMAX!?」
どこに誰を惹きつける要素があるんだ、この見た目に。
しかも言語能力ゼロ。
「……喋れねぇ……詰んでる……」
それでも、考えることはできる。
どこかに行こう。どこかに何かいるかもしれない。
死ぬために来た樹海で、生きるために這いずり始める。
──そんな皮肉な、俺の第二の人生。いや、第二の……スライム生。
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そして、見た。
遠くの木々の先、炎と叫びが上がる。
甲高い金属音。
奇声。
血の匂い。
奴隷商のキャラバンが、ゴブリンの群れに襲われていた。
逃げ惑う人影。叫ぶ女の声。
……動け、マサキ。
お前の中にある“創造錬金術”が、何かを作れるなら。
たとえ、喋れず、戦えず、伝える術がゼスチャーしかなくても。
今、この粘液の身体が――誰かを救えるなら。
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――旅の始まりは、ぬるりと静かに幕を開ける。