『肯定派と否定派』
何時の時代どんな事柄決め事にも、必ず肯定派と否定派が存在する。
満場一致など、自分の給料を上げるとの議決だけである。
それさえ、影で経営者は反対している。
出来れば給料をゴースト社員に払ったふりをして、脱税しまくりーいの裏金を作りたいいーのが本音である。
否定派の意見は様々である。
しかし、肯定派の言う事は「世界中が戦争をしている時に、日本だけが何もしない訳にはいかない」概ねこんな意味の言い草である。
自分の口から吐き出された言葉の意味が分かっているのか。
もっとましな理由はないのか、馬鹿野郎。
世界中が戦争を準備している時期なら尚の事、日本だからこそやりませんよと言うべきである。
そう言える憲法を持っている国なのだよ諸君。
宗教に節操のない日本人だから言える事があるのだよ。
肯定派に裏金をくれてやって、純粋に戦争で一儲けしようとしている死の商人なら、何も無理して世界恐慌の仲間入りをしてまでリスクの高い商売に走る事はない。
スイスを見習え。
世界大戦の最中でさえ、軍隊は自国を守る事だけに専念していた。
現行法下の自衛隊とほゞ同じ立ち位置だったのがスイスの軍隊である。
議員さんや銭儲けの鬼さん達は、歴史に学ぶ事が苦手な生物とみえる。
中立を押し通した結果はどうだったか、世界の銀行、一番安全な国として高評価を得たではないか。
その評価で一財産作ったではないか。
そうした方が企業イメージをアップさせ、議員の格もグッと上がろうってものだ。
考え直せ。
亜米利加は日本やドイツの金現物を、守ってやると言いながら人質にとっている。
俺に反対したならば、金の現物は返さないと暗に言っている。
国家間の脅迫である。
これに気付いたドイツは、しっかり返してもらっていると、巷の噂で聞いた。
亜米利加人が悪いと言っているのではないから、勘違いするでない。
金塊など世界が崩壊してしまえば価値など無いに等しい。
金塊より必要なのは、人民が生きていく為の食糧でる。
病や怪我に勝つ為の医薬品である。
都会に住む者は日本の農地の現状がどうなっているか等、少しも気にした事はないだろう。
悲惨この上ない。
産れた土地は荒れ放題。
右も左も休耕田じゃあっぁーりませんか。
農地とは登記上の名目だけである。
実際には雑草が生茂り、そこから取れる生産性のある植物は春の七草、秋の七草、キノコタケノコだけである。
どうしてこんな悲惨な農地になったのか。
元をたどれば農業人口の不足・高齢化。
なんてったって東京ー。
田舎暮らしはしんどいばかりにしてしまった結果である。
しまいには、耕作放置地に対する重課税。
好きで耕作放置してんじゃねえわ。
戦争が拡大して原油が入って来なくなったら、自国の石油を使え。
何のために大金かけて税金使って地下資源調査をしたんだ。
日本の地下にだって原油はたんまり眠っている。
生産性が悪いからと放置して、安い輸入原油ばかりを使っている。
金が全ての世の中だ。
地獄の沙汰の金次第。
選挙でわずかばかりの賄賂に目がくらみ、自分の未来を悪魔に売り払っちまった結果がこれだ。
まのったく、あっちもこっちも地獄絵図じゃねえか。
国民を戦争の渦中に巻き込む法律作りに夢中になる前に、もっと他にやる事が沢山あるだろう。
筆者は基本的に否定派だが、否定派の活動をしている方に一言提案したい事が有る。
国会前でデモするのもアピールと言う点では効果的だが、それで解決するかといえば疑問符が付く。
六十年安保闘争の敗北、うつろな七十年代を経験した者ならこの先どうなるかは粗方予想がつく筈だ。
国民の総意など何処吹く風でゴリ押し、数の理論、多数決マジックで可決されるに決まっている。
多数決は国民の真意ではない。
中央に訴えても聞いて貰えない事でも、地方で対面して議論できる議員ならしっかり聞いてくれる。
隣近所のおばはん叔父さん、町内会の会長さん。
力は弱くてもまとまって市会議員の一人二人は説得できる筈だ。
県議会議員でもよろしかろう。
地方議会がことごとく国会決議に反対を表明したら、陰の支配者は今の議会を解散するしかなくなるのではなかろうか。
解散総選挙の繰り返しで、政治の空白ができてしまうリスクは伴うが……。
総理大臣は罷免されず、国務大臣は罷免されるといった一方的な罷免構造の議会では、下手に総理に楯突けばこの先言いたい事も言えない。
したがって我慢している大臣も中にはひょっとしたらいるのか?
しかし総理大臣は地方議員を罷免する権限を持っていない。
一番強く言える立場の者が、自分の直ぐ目の前にいる事を知った上で活動した方が効率的だと思えるのは錯覚か?
すでにやっている方も大勢いる筈。
筆者は何故にやらないかというと、トラブルメーカーで直ぐに頭に血が上ってしまう。
下手したら議員を殴って蹴ってほぼほぼ再起不能にして刑務所行。
活動は逆効果だから自粛している。
兎角頂点に立つ者は、底辺に暮らす者の支えが有って頂上に立っていられる事を忘れてしまうものである。
頂上にぬるま湯を何年かけ続けても、あいつ等は風邪もひかない生態の者ばかりである。
天辺でやりたい放題やって、足元が見えなくなっている御間抜けは、一度足元の土台をそっくりひっくり返してやればいい。
手遅れになる前に……いまさら手遅れも何もあったものではない。
何時でも思い立ったら吉日。
これからでも遅くはない。
中央で万民に訴えるのも一つの方法。
決して否定するものではない。
加えて地方の底の底から湧き上がる地響きを伝えてみてはいかがなものか。
大地を揺るがすのは、手間暇かけてじっくり畑を耕すのに似ている。
見かけの派手さはないし、民衆に訴えかけるインパクトは都会でのデモ行進の比ではない。
地道な作業である。
報道は目の前の派手さばかりに眼を囚われ、肝心な事を蔑ろにするのが仕事だから仕方ないとしても、信じた道の為に活動する者ならば、何処を動かせは何が動くか見極めて舵をきった方が後々の為になる。
筆者はこの場で二三人に訴えて、その二三人が更に二三人に訴えてとネズミ算を狙っている。
2・4・8・16・32・64・128・256・512・1024・2048・4096・8192・16384・32768・65536・130172・262144・524288・1048576・2097152・4194304・8388608・16777216・33554432・67108864・134217728。
たった27回繰り返すだけで、日本の全人口をカバーできた上に世界中に日本人は争いたくないと主張しているのが伝わる。
取り急ぎ我等がやらねばならないのは、日本人は戦う気が無い事をしっかり世界に知らせる事だ。
その点で六十年安保以上を動員しながらも、平和的に行われるデモは大成功だと言える。
シュギョイ!
筆者如きがどれ程叫んでも、誰も聞く耳など持たないが、言う人が言うと世界は動くものだ。
動かせる人にはドンと動かしていただきたい。
ただし、何処かの国のイカレ総理大臣のように、妙な方向にだけは動かしてくれるな。
数の理論で押されているのなら、ちょいと非現実的な極案だが大人子供問わず、国民の一人一人に署名を求めてはどうか。
大学ノートへの連名でもいいじゃないか。
見かけじゃない本当の姿、生きる為に暮らす人民の声は、ノートに書かれた子供の汚い字でも伝わると信じたい。
時間もかかるノート代もかかる。
無名の筆者がいくら騒いだからと、僅かばかりの人間が目にするだけで終るのが必然である。
そんな意見もあるんだなとツイートするのは上等な方で、この期に及んでもまだノンポリしていられる人が過半数なのは、日本がまだ他の国に比べて平和だからだ。
平和なのは良い事だ。
その平和は何によって保たれているか、もう一度ようく考えてみてもいいのではないか。
何もしないでいるから平和なんだと気付いてはくれまいか。
ここでも否定派はいるに違いない。
「生き死にの境界で苦しむ人を見捨てるのですか」と。
人道的支援は別物だべ。
世界で争い続ける人達に、何もしない事の喜びと栄華を見せつけてやるのが、かの大戦で多くの犠牲をはらった日本が本当にやらなければならない事ではなかろうか。
違うか? 俺、何か間違った事言ってるか?
とかなんとか、言いたい放題書いてるけど、そんなに簡単に世の中が変わるなら、戦争なんて起きないんだよな。
何百年も前から同じ事が繰り返し言われてきたんだよな~。
何で分かんないんだろうか。
人類って基本的に戦闘民族なんかな~。
なんかむなしいな~。
酒飲んで寝るか。
何もしない平和だよな。