『ケーニヒスベルクの橋』
十八世紀初頭、プロイセン王国の首都ケーニヒスベルクに、プレーゲルという川が流れていた。
この川に架かる七つの橋を、二度通らず全て渡り出発点に戻れるか。
この、ケーニヒスベルグの橋の問題は千七百三十六年に、数学者オイラーが地図を線と点で表現し、その図形を一筆書きできるかの問題とて整理され考えられた。
結果は、一筆書きできないとして解決された。
グラフ理論とトポロジーの起源である。
ただし、世の中には御堅い頭の学者が論理的に不可能とした事でも、実際にやると出来てしまう場合がある。
どんな答えにも例外があるものだ。
実際に、一筆書きする方法が存在している。
源流まで遡って迂回するとか、川を泳いで渡るとか、船に乗って向こう岸に行ったり、思い切って棒高跳びする等々。
こうして経路を一本増やせば、簡単に一筆書きが可能になる。
これは問題の内容に一切違反していない。
正解なのに、一般的ではないとして認められていない。
実に不可解な現象である。
間違っていても学者先生が言えば正解で、さもそれこそが絶対に正しい理論だと決めつけられてしまうのである。
たとえ正解であっても、一般人が正しい答えを出したのでは認めてもらえない。
見るべき処が違っている。
現代社会を鏡に映した様な問題と答えの行き違い。
物事の根源に辿り付き、先頭に立っている人達が広い視野で事に対応できたら、世界は今よりずっと住み易くなるのは分かっている。
何時の時代も、一大事変で苦労するのは底辺でやっと生きている者達である。
そしてその事に気付かない支配者が、有史以来現代まで地球を牛耳ってきた。
何も変わらない。
何も変わっていない。
生物の頂点に立っているかの如く錯覚している人類は、この地球で最も愚かな生物である。
ただし、その愚かさに気付ける生物でもある。
この【気付ける才能】を無駄にしてはいけない。