『インフォームド・コンセント』
『インフォームド・コンセント』
インフォームド・コンセントという言葉がある。
医療に対する患者の認識が変わって来て、ここのところ頻繁に使われるようになってきた。
主に病院や医師が患者に対して十分な説明をする事を指して言うのだが、本来は「正しい情報を得た、もしくは伝えた上での合意」を意味する概念の事を言っている。
ここで一番重要なのは【得た、もしくは伝えた】情報が正しいかどうかである。
この、正しい情報を得る為・伝える為、双方には最善の努力と対応が求められている。
説明する医師や病院ばかりではなく、患者も正しい情報を得る為に納得するまで質問し、説明を求めなければならないのがインフォームド・コンセント。
説明の有る無しに関わらず、説明を求める努力をしたかどうか、そこまでやった上での合意なのかどうかが、医療行為で問題が発生した時の【合意】の意味となる。
つまり互いに最高レベルの理解の為の努力をしなければならないのである。
どちらか一方がこの努力を怠ったのでは、この合意は成立していない事になる。
以前、病院で脳のCT撮影をした時に、異常ありませんとの医師の一言で診察が終わってしまった。
その時に見せられたCT画像の頭蓋骨後頭部に、不審な影があったので、後日画像をもらって自宅のシャウカステンで確認したら、やはり頭蓋後部中央に骨折痕が有った。
XPの場合は頭蓋骨線状骨折影は2年程度で画像に映らなくなってしまうのだが、CTの場合は5年位は写し出される。
これがMRIだともっと長くて、修復された骨折痕は周囲の骨と成分割合が違ってくるので、丁寧に観察すれば一生写し出す事が可能だ。
数年前の事故で骨折していたと判断できたのは、この画像があったからなのだが、脳神経外科は脳しか見ない。
なので、頭蓋に骨折痕が有っても「異常ないです」と患者に説明する。
医師からすれば異常無しなのだが、患者にすれば異常有りとなる。
この認識の違いを埋める為の作業がインフォームド・コンセントと思っていただければ分かり易いか分かり難いか。
骨折痕に対して何の説明もしなかった脳神経外科医の所に行って説明を求めたのだが、この医師が病院の副院長であるというプライドが邪魔したのか、看護師の手前「そこは骨折痕ではなくて」と、頭蓋骨の骨格モデルを持ち出してきて指したのが頭蓋骨にあるギザギザの線の所。
ランダム形縫合という線を指している。
馬鹿野郎!
いくら俺が馬鹿でも、ランダム形縫合は頭蓋後頭の真ん中には無いくらい分かる。
「それはないでしょう」と更に説明を求めたら「二度と来るな」と病院から締め出された。
出入り禁止である。
診断書を書いてくれと言ったが、異常無しだから書けないとか。
異常無しの診断書だって書けるのだが、医師というのは自分を特別な人間だと思い込んでしまう癖がある。
患者を馬鹿扱いした優越感が、生命エネルギーの半分を占めている人種のようである。
総ての医師がそうだと言っているのではないから、正常な医師の皆様は怒ってくれるな……。
インフォームド・コンセントの説明・質問内容は恐ろしく広範囲で、治療や医療行為の対象となる総ての名称・内容・期待される結果は当然のようにひな形としてある。
加えて代替治療、副作用や成功率、費用、予後まで。
更に【正確な情報】を与えられる事が望まれている。
特に、投薬・手術・検査などの医療行為については、患者が治療や臨床試験・治験の内容について正確で解り易い説明を受け十分理解した(informed)上で、自らの自由意思で治療方針について(consent)合意するべきものであるとされている。
この合意も単なる「同意」でなく、説明を受けたら恐ろしくなったからと治療を拒否することもインフォームド・コンセントに含まれるている。
私は一度輸血を拒否したら、医師は本当に輸血をしなかった。
死にそうになったので家族が「こいつは血が足りなくてまともに物事を考える能力が無い」と医師に訴え、家族が代理で同意書にサインをして輸血された。
とりあえずそのおかげで今は生きている。
自らの自由意思による合意とあるが、これは本人に正しい判断能力が有ってのこと。
判断できる能力が欠如しているとか、意識がなかったりしたら代理人でも同意、拒否が可能であるのは当然だ。
英語本来の意味は「あらゆる」法的契約に適用されている概念なのだが、日本でこの語を用いる場合は医療行為に対して使用される。
ただし、法廷などでの法解釈概念としては、日本でも同様の認識である。
概念であるインフォームドコンセントでは【説明と理解】があった上での【合意】という。
説明・理解・合意のいずれも欠けていないことが重要である。
どれか一つが欠けても最終的な合意はたんなる同意であり、法的に効力のある合意とは言えないという事になる。
「合 意 consent」とは、医師・患者双方の意見の一致・コンセンサスという意味。
提案された治療方針を、患者が受け入れるという意味ではない。
医師の提案を患者が拒否し、医師が治療方針を変えるのも合意である。
医療について十分な知識が無い患者がよくやってしまう間違いが、先生に全部お任せしますといった大手ゼネコンみたいな丸投げ治療。
分からないからとはなっから諦めて十分に理解しようとしない態度や、医師が中途半端いい加減いい塩梅な説明で同意させるのは、不十分を通り越して犯罪に限りなく近いインフォームド・コンセントである。
一方で、患者が十分な説明を受けてもなお治療方針を「拒否」し、医師がそれを受け入れた場合は合法的インフォームド・コンセントとなる。
つまりインフォームド・コンセントは、昔からいた困った医者に対する戒めみたいなもので、患者に対して横暴で「俺はお前より偉いんだから俺の言うとうりにしていればいいんだよ」といった医師の間違った【権威】に基づいた医療を【改め】患者の権利と意志を最大限尊重するという理念に基づいている。
説明する側は利点だけではなく、予期される合併症等のリスクについても十分な説明をしなければならない。
良い事ばかり言って同意させておいて、同意書があるのだからこちらの勝ちとばかり、あとは野となれ山となれは通用しない。
代替方法についても十分な説明を行い同意を得るべきである。
この同意はいつでも撤回できることが最低限の条件として整備されるべきであり、こうすることで自由意志で治療を受た事になる。
一般的医療行為に限らず、実験的な要素の高い臨床・治験については、特にインフォームド・コンセントは重要視されている。
ヘルシンキ宣言で、インフォームド・コンセントの必要性を勧告している。
ヘルシンキ宣言は、ナチス・ドイツの人体実験への反省から生まれたニュルンベルク綱領をもとにしている。
日本では、1997年の医療法改正で【医療者は適切な説明を行って医療を受ける者の理解を得るよう努力する義務】が明記された。
国際法的にも、2006年のジョグジャカルタ原則にその必要性と重要性が明記さている。
近年の日本では、不十分なインフォームド・コンセントで患者に損害を与えた場合、民事訴訟で医療従事者側に対する損害賠償が認められる傾向にある。
裁判に勝つ負けるより、信用第一の医師にとって訴えられたという事実こそが痛手のようではあるが……。
かなり前の事だが、特定疾患に対する医療費助成金についての法改正が行われ、それまで無料で受けられていた潰瘍性大腸炎の治療が有料になった。
勿論、医療費助成に関する法改訂は国会の仕事で【民主的な方法】によって議論決議された結果であるから従うのは致し方ないとしても、この料金変更については厚生労働省からそこまでしなくてもと言うほどの説明書類が送られて来た。
病院に行けばこれまた通知が来たからいいよと言っても「説明義務がありますから」と、通知と同じ様な説明をうけた。
料金についての説明もまたインフォームド・コンセントの一部なのである。
無料だった治療費が有料になる時には十分な説明が必要なので、有料化する事によってどの様な利益とリスクが発生するかを説明しなければならないのだ。
この医療費に関しては、それまでの医療サービスはまったく変わらないのに有料になるのだからリスクしかないような気がしてならないのだよ。
私の場合は所得が0円の申告だから、医療費と薬代込みで一度に2500円が上限なんだけどね。
それでもちと痛い出費だっんだな。
最近は何某かの稼ぎがあって、5000円の上限になっている。
かなりの痛手だ。
実験的な要素の高い臨床試験・治験については特にヘルシンキ宣言でインフォームド・コンセントの必要性を勧告しているというのは先ほど記したとうりであるが、正確に伝えることはもとより、本当に患者が理解納得するためには、患者のメンタルや価値観、理解能力に十分配慮した【わかりやすい説明】が必要不可欠で、専門用語の乱用は望ましくない。
実験的医療行為において、治療に参加した患者の個人情報は、以後研究の為に必要とあれば開示して良い事になっているが、これに同意したからと言ってその個人情報を売っていいという事に同意した物では無い。
本来、これからの医療発展の為の礎となるのならばと、無償で情報提供に同意した個人の医療情報を売るといった行為自体いかがなものかと思うのだが、医療機器を売る業者や薬を売りたい薬屋などは料金を支払ってでも情報が欲しいところだ。
今、テレビで【JIN-仁】見ながら書いてます。
「このさい金になる物なら何でも売っちゃいましょう」と、医師の中には非常識な考えを行動に移す不届き者がいないとも限らない。
こうなって来ると、当初の同意内容条件が現状とまったく違ってくるのであるから、新にインフォームド・コンセントを行い、患者の同意を得る義務が発生してくるのは言うまでも無く、幼稚園児でも分かる事だ。
はたして、貴方の知っている医師にどれだけインフォームドコンセントに積極的取り組みをしている方がいるでしょうか。
私は三桁に近い多くの医師に関わってきましたが、本人が意識しているいないは別として、話好きな医師が一人だけいます。
参考サイト
ウィキペディア フリー百科事典
http://ja.wikipedia.org/wiki/