8、アメリア、捕らわれる
食後のデザートを食べず、早々に席を立ったキースとは時間をずらし、アメリアは弟の部屋を訪ねた。
部屋に入れてもらうなんて初めてのことだ。
「やあ、姉さん。わざわざありがとう」
愛想良く微笑んだキースに中に通されると、そこは立派な二間続きの部屋に広々とした研究デスクが置かれた豪華な部屋だった。
「やっぱりこれくらいの広さがないと落ち着けないから」
キースは姉弟格差をアピールするように嫌味を言ったがアメリアは無視をした。
「それで? あなたは何を作ったの?」
「……どうぞ」
古い覚書を渡される。それは惚れ薬の調薬法だった。
「僕はリンジー姉さんに頼まれただけだから。それにしても、こんな古臭いものを良く見つけてきたよね。月光にさらしたチューベローズとか、黒イモリの粉末とか、馬鹿馬鹿しすぎ~」
「リンジーが……」
「たいして頭も良くないのに、公爵家に嫁ぎたいからって必死だよね」
はあ、と溜息をつきながらもキースは強がり続けた。
「材料はある。姉さんなら同じものを作れるよね?」
「作れるわ」
「悪いんだけど作ってくれる? 打ち消す作用の薬を作ろうにも、まずはこの薬を再現してみないと、どこがどう悪かったのかわからないでしょ?」
「そうね。わかったわ」
頷いたアメリアは覚書をもらおうとした。
しかし、キースによってするりと抜き取られてしまった。左の手首にガチャンと手錠を掛けられてしまう。長い鎖で繋がれたもう片方は作り付けの本棚に引っ掛けられた。
「なっ……」
「ここで作って。姉さんがうっかりそのレシピをセスティナ公爵に見せちゃったら困るからさ」
「…………」
「ね? やってくれるよね?」
「……わかったわ」
ぎゅっと拳を握ったアメリアは返事をした。それ以外の選択肢はないのだ。
「良かった~。僕、姉さんの邪魔にならないように今夜は別の部屋で眠るね? 明日の朝までには作っておいてくれると助かるな」
キースはご丁寧に部屋の鍵までかけて出て行った。
作業台も材料も手が届く範囲にある。
アメリアは回りくどく独特な言い回しの手順を一つ一つ確認していった。
「月光にさらしたチューベローズ……、満月の日が望ましいと書いてあるわね。いつ月光にさらしたのかしら。それから黒イモリの粉末……市販品を使ったわね。調薬用ではなく実験用に作られた粉末は粒子が大きすぎるわ。それから、極めつけに乾燥させた桃色睡蓮の球根……」
「――アメリア!」
ぶつぶつ独り言を言いながら調薬しているアメリアの耳にセドリックの声が聞こえた。天井に近い明かり取りの窓の外にリスがいる。
「セドリック様……」
作業台から近い場所にある窓の鍵を開けてやりたいが手が届かない。
鍋をかき混ぜていた杓子を使ってカーテンをめくり、どうにかこうにか鍵を開けた。薬液でカーテンが汚れたがアメリアの知ったことではない。鍵を開けた窓に移動したセドリックは中に入ってきた。
「ちっとも帰ってこないと思ったら……!」
「私がここにいるってよくわかりましたね?」
「キースの野郎が部屋に来たんだ。お前の机にあった研究メモやレポートをごっそり持って行ったんだ」
「ああ……」
あの子はまた……。アメリアは溜息をついてしまう。
ともかく、現状をセドリックに説明した。
「セドリック様が夜会で口にしたというのはおそらく惚れ薬です」
「惚れ薬⁉」
「ええ、どうやらリンジーがキースに頼んで調合させたようです」
「だが、俺はリンジーに惚れてなんかいないぞ!」
「そのようですね。おそらく、キースの調薬に問題があるのです。あの子はずいぶんと雑に作ったようですね。シイの実を使うようにと書いてあるのに、ここにあるのはナラの実です」
「どんぐり……」
「ええ、見た目はどちらもどんぐりですから間違えたのでしょう。その他もろもろの雑さが合わさった結果、惚れ薬ではない別のなにか――人をリスに変えてしまう薬ができてしまったようですね」
ある意味天才だ。
「あいつめ……絶対に許さん」
「と、いうわけで明日には部屋に帰ります。ビスケットやヒマワリ種はご自由に食べてくださって構いませんので、先に休んでいていただけますか?」
アメリアは作業台に向き直った。
しかし、セドリックは帰る気配がなく、うろうろとあちこちを歩き回っている。
「手錠の鍵はどこだ」
「さあ……。キースが持っているのかも」
「っ、お前は……! もっと怒れ!」
「怒ってもどうにもなりませんし。それよりも、キースがいつ戻ってくるかわかりませんし、今夜は大人しくどこかに隠れていてください」
「待ってろ、今すぐに俺が――キュイ、キュキュキュー!」
薬が切れたセドリックが何事か訴えたが、何を言っているのかわからなかった。
それでも心配してくれた気持ちだけは伝わったので微笑んでおく。
「……大丈夫ですから。行ってください」
「キュー!」
セドリックは悔しそうに地団太を踏むと走って出て行った。
(……大丈夫、慣れているもの)
理不尽な扱いを受けることも、弟に研究結果をとられることも慣れている。慣れすぎてしまったくらいだ。
もっと怒れ、とセドリックは言っていたが、怒りたいのは現状ではなくむしろキースの性根で……。
(私は、キースを甘やかしすぎたのかもしれない)
関わるのが面倒で放置しすぎた。キースを図に乗らせてしまったのはアメリアの責任でもあるのかもしれない……。
アメリアは黙々と作業を続けた。
そして、日が昇るころ――
「おはよう、姉さん。成果はどう?」
さわやかな笑顔でキースが戻ってきた。
徹夜明けのアメリアの手元を見て満足そうに笑う。
「さっすが姉さん~! きっちり仕上げてくれるなんて優秀だなあ。とりあえず、実験用のラットも手に入れてきたことだし、さっそく実験ができそうで助かったよ」
ネズミを入れているらしいゲージを置いたキースがアメリアを褒めるように撫でた。
「姉さん、お腹すいたでしょ? ほら、だーい好きなビスケットを持ってきてあげたよ」
アメリアの部屋に保管してあるビスケット缶を目の前に置かれる。
「こそこそ厨房で作るくらい好きなんでしょう?」
「キース、私は約束を守ったわ。部屋に返して」
「もう少し付き合ってよ。ラットを使った研究結果、姉さんも見たいでしょ?」
「いいえ、結構よ。こんな失敗品、見る価値もないわ」
「……失敗品?」
キースは眉を吊り上げる。
「失敗したの? それで部屋に返せとか言ったの? 何様?」
「私はあなたの置いた材料で、あなたが作ったのと同じものを再現したわ。あなたに薬学の才能がないこともよぉくわかった」
「なんだって……!」
カッとなったキースに胸倉を掴まれる。
アメリアは同業者としてはっきりと忠告した。
「あなたの用意した材料、すべて手抜きね。研究だってそう。私のレポートを盗んだところで、それはあなたの成果にはならないわ。ここで心を入れ替えないと、あなたは自分の作った薬で大勢の人を殺しかねない」
「偉そうな口をきくな!」
「こんな薬をセドリック様に飲ませて、もしも命を落としていたらどう責任をとるつもりなの?」
「うるさいっ!」
癇癪を起こしたようにキースは怒鳴る。
「姉面しやがって……。ああ、そうだ。わざわざラットなんか使わなくても、ここにちょうどいいラットがいますね」
キースはアメリアの髪を掴んだ。
「優秀な姉様が調合した薬……、自分で味わってみるというのはいかがです?」