3、セドリック、アメリアの境遇を知る①
「な、なんだそれは! お前は……確か、本邸では研究がしづらいとワガママを言って離れを建てさせたんだろう。家族の足音が煩わしいとか、メイドがいちいち訪ねてくるのが面倒だとかで怒ったという話じゃないか」
「そうなんですか?」
「はあ? しらばっくれるのか? リンジーとキースがそう言っていたんだ」
あの二人がそんなことを吹聴して回っているらしい。
実際は顔も合わせたくないからという理由でこの離れに追いやられた。
アメリアもその方が好都合だと思ったので逆らわなかった。継母や妹弟から意地悪されながら暮らすより、離れで暮らしていた方が気楽でいい。もちろん意地悪がなくなったわけではないが本邸にいたころと比べればかなりましだ。
「…………お前、いつからこんな暮らしをしているんだ」
「いつから……、ええと、もう五年ほどになりますが」
「俺と婚約するよりも前から……⁉ な、なぜ言わなかった!」
「え、特に聞かれませんでしたので……」
さくさくとビスケットを食べたアメリアは朝食を終えた。
小麦粉を練って焼いただけのごくシンプルなものでアメリアの手製だ。家族が留守の時にこっそり調理場を貸してもらって作り溜めしておく。アメリアは少食だし、洗い物もほとんどしなくていいので効率的でもあった。
「セドリック様、とりあえず私は母からの頼まれものを片付けますのでお好きに過ごしていてください。これが終わったら、呪術や毒物の本にセドリック様に似た症状の事例がないか調べてみることにしましょう」
「…………」
セドリックは無言だった。
俺を優先しろ! と怒り出すかと思ったが、粗末な朝食がよほどショックだったのかもしれない。公爵家ではさぞかし豪華な朝食を食べているのだろう……とアメリアは勝手にセドリックの心中を察した。
◇
午前中は薬品づくりに没頭し、ビスケットの昼食を経て本邸に向かった。
セドリックはその間、ずっと静かだった。二食続けてのビスケットがそんなに不満だったのだろうか。
(怒って出て行ってくれても良かったんだけどな……)
その方が気楽なのだが、なぜかアメリアの白衣のポケットに収まって静かにしている。
「あの……、セドリック様。夕食のときに果物か何かをいただいてきますから機嫌を直してください」
「は? 果物などどうでもいい」
「では、ご自分の件が後回しにされているから怒っていらっしゃるのですね。少々お待ちくださいませ」
正直言って、アメリアにとってはセドリックはどうしても救いたい相手でもなんでもないので、必然的に後回しになる。しかし、リスの姿のまま居つかれても迷惑なので、さっさと解決した方が良さそうだ。
(うーん……。呪術系かしら? 昔の魔女は薬で敵をカエルに変えたり、動物の鳴き声しか出せないようにしたっていうし……)
おとぎ話みたいな話だが、そういった禁薬は過去に存在していた。
セドリックは知らないが、パーシバル家は魔女の血を引く一族なのだ。怪しげな薬の作り方は書庫を漁ればいろいろと出てくる。
(今の時間は、リンジーもキースも学校にいるはずよね。見つかったら面倒だし、二人が帰ってくる前にサッと調べ物をしてしまおう)
父の部屋に薬品を届けた後、アメリアはこっそり屋敷の書庫に入った。埃っぽい匂いに、セドリックがポケットから顔を出す。
「なんだここは」
「書庫です。そのお姿を直せそうな文献を探してみます」
「……フン」
「ええと……、毒を盛られたかもしれないとおっしゃっていましたが、どのような味か覚えています?」
「甘かったな。ワインに砂糖が溶かしてあるように感じたんだ」
「甘い。なるほど……。では、恨まれていたり、怪しげな人物に心当たりは?」
「心当たりは、ある」
セドリックはもったいぶった言い方をした。
「どなたです?」
「俺の従兄のフレディだ。本家長子の俺が死んで一番得をするのはあいつだ」
「フレディさん」
「お前も一度会ったことがあるだろう! 奴は公爵家の家督を狙っているんだ。邪魔な俺を消し、父に取り入ってセスティナ公爵家をのっとろうとしているに違いない」
「じゃあやっぱり毒物でリスになってしまったということで……、ひとまず解毒剤を試してみましょうか」
公爵家の争いには興味のないアメリアは禁書の棚から数冊手に取って捲った。
セドリックは苛立ったようにポケットの中で地団太を踏んでいる。
「おいっ、もっと必死になれ! 俺がこのまま元の姿に戻らなかったらお前だって困るだろう!」
「別に困りませんが……」
「はあ? 結婚する相手がいなくなるんだぞ⁉」
「困りません。もともと、私は生涯独身でも構わないと思っていましたし、セドリック様が他の誰かと結婚したいとお考えでしたら婚約破棄していただいても良いと思っていましたので」
「なっ……」
断れるなら断りたいと思っていたと言うと、セドリックはぷるぷると震えだす。獣姿なので顔色を伺えないが、どうやら怒っているようだった。
「お……、俺だってお前のような陰気な女など願い下げで……」
「静かに!」
アメリアはそっとポケットを抑えた。誰かの足音が聞こえたからだ。
「――あれ? ぼそぼそ喋り声が聞こえると思ったら姉さまじゃないか。他に誰かいるの?」
三つ年下の弟のキースだった。書庫の中を見渡しながら近寄ってくる。
「……いないわ。私一人よ」
「あははっ、ついにひとりごとを言うようになっちゃったの? 孤独は人を病ませるんだね」
嫌味には取り合わずにアメリアは話題を変えた。弟は制服姿だが本来ならまだ授業中のはずだ。
「キース、あなた、学校は?」
「今日は学術発表会だよ。僕の出番は午前中で終わったから早く帰ってこられたんだ。それより……」
キースは目ざとくアメリアの手元を見た。
「禁書は、本邸から持ち出し禁止だから」
「…………」
「わかってる? 自分が卑しい女の子どもだってこと。優秀だからって図に乗らないでくれる? ほら、さっさと返して?」
アメリアはキースに本を渡す。受け取ったキースはその本でアメリアの頭を殴りつけた。角が思い切り当たり、アメリアの瞼の裏に火花が散る。
「っ!」
「ねえ、姉さん。桃色睡蓮の球根を乾燥させるのに必要な期間はどうして三日なの? 四日じゃダメなの?」
「は……?」
「今日の学術発表会で質問されちゃった。姉さんのメモだと三日目が一番いいって書いてあったけど、もうちょっと詳しく書き込んでおいてもらえないと困るなあ」
「!」
アメリアはハッとした。
作っている途中の新薬についてのレポートだ。
「キース、あなたまた私のレポートを盗んだの?」
「盗む? この家の物はすべて僕のものだよ? 庭においてやっている分際で生意気な態度をとるのはやめた方がいい」
「きゃっ!」
突き飛ばされたアメリアは転んだ。
ポケットに入っているセドリックを踏みつぶさないように身体を捩じったせいで腰をぶつけてしまう。キースはアメリアの胸倉を掴むと笑った。
「姉さんなんか公爵家に嫁いだところで早々に離縁されるに決まっている。僕のために働いてくれるなら、この家に居場所を作ってあげるよ。……なんてね、あはははっ。ほら、さっさとあの犬小屋に帰れよ」
キースに追い出されるようにしてアメリアは書庫を出た。
離れに帰るとポケットの中でセドリックがキュウと鳴いている。
「あ……すみません。サンザシの薬が切れたんですね、どうぞ」
「…………」
「本は取られちゃいましたが、一応材料は覚えているので大丈夫です」
「お前……。いつも、ああなのか? あんな風に弟から暴力を……。そればかりか、あいつはお前の研究を盗んでいるような発言をしていたじゃないか」