12、主のいなくなった部屋
◇
今頃、無事に儀式は始まっているだろうか――。
ケイの身体を支えながら、セドリックは離れへと足を進めた。
『ジェイドは来ます、必ず』
自信満々にケイが宣言した通り、ほどなくしてジェイドは現れた。
ケイは役目を果たしたとばかりにその場を離れ、セドリックもそれに従った。
人目がなくなるとケイは壁に寄りかかる。体力の限界なのだろう。人を呼ぼうとしたセドリックだが、ケイは厳しくそれを制した。
誰も呼ぶな。
ぜいぜいと息を乱しながらも自力で離れに帰るつもりらしい。
手を貸そうとしたセドリックをケイはうっとうしそうに追い払った。
「もういい。お前の役目は終わったから、どっかに行っていいよ」
「はいそうですかと放っておけるとお思いですか」
「思う。僕はお前が嫌いだし、お前も僕が嫌いでしょ?」
セドリックは肩にケイの腕を回した。
「あなたを放置したらアメリアが悲しみます」
「……そうかも。僕ってアメリアに大事に思われてるし~?」
「殿下がどう思われていようと、アメリアの婚約者は俺ですけどね」
「は? 何その婚約者面。うざっ」
「彼女の悲しむ顔は見たくないので、大人しく手を貸されていてください」
「男と密着しても嬉しくない。どうせならアメリアに寄りかかりたかった」
嘯くケイにセドリックは鼻で笑った。
「大ウソつきですね。あなたは自分が弱っている姿を見せるのがお嫌いでしょう。こんな姿、アメリアには絶対に見せたくないと思っているはずです」
「……僕のことわかったような顔しないでくれる? ホントそういうの大っ嫌い」
悪態をつきながらもケイは大人しく手を貸されている。
しばらく黙っていたケイだが、やがて口を開いた。
「公爵には、僕が死んでも一年間は秘匿するようにと命じてある。お前も協力しろよ」
「なぜです?」
「王家直系の人間がジェイド一人になったらあいつに暗殺者が殺到するだろ。代変わりして安定するまでは、『影ながら支える兄がいる』と思わせておいた方が良いんだよ。ウジェールみたいな不穏分子をあぶりだすのにもちょうどいいしな」
はあ、はあ、と荒い息をするケイは、自分がもう永くないことを知っている。
ケイ本人だけではない。主治医である父も、側で薬を作っていたアメリアもきっとわかっていたに違いない。
(ああ、俺は)
いつも力不足だな。
ここ最近は後悔してばかりだ。セスティナ公爵家の跡取りだからとちやほやされていた数年間、なんて無駄に過ごしてきたことか。
「セドリック。なぜもっと早く公爵の助手として働かなかった」
「申し訳ありません。返す言葉もありません」
叱責を甘んじて受け入れると。
「……もう少し早く会いたかったよ。お前やアメリアに」
笑ったケイは大きく噎せ込むとその場に膝を折った。
「殿下!」
――一月後、ケイはひっそりとこの世を去った。
◇◇◇
カサブランカの花を手に、アメリアは白亜の離れへと向かう。
馴染みの使用人たちは快くケイの寝室へと通してくれた。
清潔に保たれたベッドの中は空っぽだ。しかし、窓は開けられ、心地よい風が部屋を通っていく。
「こんにちは、ケイ殿下」
ああ、アメリア。来てくれたんだね、という声が今にもバルコニーから聞こえてきそうだ。影ながらケイの看病をしていた者たちは、今もケイが生きていたころと変わらずにこの離れに勤めている。
じきに彼らは退職金と引き換えに王都を離れることになっていた。
表向きは『ケイは療養のために王都を離れる』という理由だ。本人の遺言通り、第一王子ケイの死はしばらくの間は秘匿されることになっている。
「アメリア、ここに来ていたのか」
「セドリック様」
顔を出したセドリックの顔はすこしやつれている。
なぜか、ケイの希望で最期を看取ったのはセドリックだったらしい。
アメリアごときが側にいられるわけがないことはわかっていたが、せっせと薬を調合してきたアメリアでも、血のつながった兄弟でもあるジェイドでもない。セドリックを指名し、最後に何を話したのかはわからないが――まさか、死の間際までセドリックをぼろくそに罵ったわけではないだろう――その後からセドリックは落ち込んでいるようにも見えた。
「研究所に顔を出したら今日は来ていないと言われてな」
「あ、ええ。早く戻らないといけないとは思っているのですが」
アメリアが抜けたせいで研究所には迷惑をかけてしまったが、煮詰まっていたレナはだいぶ調子を取り戻していた。今すぐアメリアが帰らないといけないという雰囲気でもない。
カーターは話したそうにアメリアの様子を窺っていたが、意識して二人にならないように徹底していた。セドリックがいるのに、自分に好意を寄せてくれているらしい男性と二人きりになってはいけない――なんて、これまでのアメリアには思いもしなかったことだ。
近いうちにカーターにはきっぱりと断らねばならないし、次の仕事のためにも早く頭を切り替えないといけない。せっかく望んで入った研究所なのだから。
……と、頭ではわかってはいるが、自分が薬を作った相手の死に立ち会ったのは初めてで、どうにもそんな気分にはなれなかった。
「……ケイ殿下が亡くなられて気が抜けてしまったみたいで。今帰ってもミスを連発しそうな気がしてならないんです」
「そうか……」
「セドリック様は私に何か御用でしょうか?」
わざわざ探しに来てくれるのだから、何か用事があるのだろう。
セドリックは何やら言いにくそうに視線をさまよわせた。
「その、……お前に大切な話があってだな」
「はい」
「……。俺は、近いうちに公爵領に帰るつもりでいるんだ。『ケイ殿下の療養先は公爵領』ということにしてあるからな。俺が、その、主治医と言う体裁で王宮からは暇をいただくんだ」
アメリアは驚いた。
「もしかして、ケイ殿下が最後にセドリック様にそう託されたのですか?」
「ああ」
「そうなんですね。……セドリック様が、公爵領に……。しばらく会えなくなりそうですね」
研究所に入るからしばらく会えなくなる、と言った時とは違う。
年に一度、会えるか会えないかの距離だ。
遠いな、と感じたアメリアの胸がちくりと痛んだ。
(だけど、『お仕事』だもの。仕方がないわ)
わかっているのに、なぜだか切ない。
だが、セドリックは思いもよらないことを口にした。
「アメリア、俺と一緒に公爵領に来てくれないか?」




