9、臆病者の魔女
「アメリア、ケイ様とはどうだ?」
御者席から話しかけてくれた公爵の声はアメリアの心を落ち着かせた。
婚約した当初から、公爵は会うたびにアメリアのことを気にかけてくれていた。実の父よりも父らしいと思っていたくらいだ。
「えと、大変です」
「ははは。なかなかに捻くれたお方だろう」
「はい。もう慣れましたが」
「もう慣れたのか。さすがだな。わがままを言われるが、根は悪い方じゃない。公爵家のことは気にせず、根気よく付き合ってやってくれ」
公爵はケイのことも敬うべき王子ではなく息子のように話した。
面倒見の良い方だ。パーシバル家と縁を切ったアメリアの後見人にもなってくれている。そんな公爵のことを尊敬していたし、期待に応えたいという思いもあって、ケイ付きの仕事を引き受けたのだ。
「……。……さっきのこと、誰にも言わないでくれませんか?」
ケイにも――セドリックにも、カーターに告白されたことを知られたくなかった。
(って、なんだか後ろ暗いことを隠しているみたいだわ)
仮にも婚約者の父に対して……。アメリアは慌てて否定する。
「あっ、ち、違うんです! やましいことがあるわけじゃないんです!」
「ふうむ?」
「本当です。ただ、……余計な心配を、おかけしたくないだけで」
研究所に入る前から、男女同じフロアがどうのこうの、あの男は距離が近すぎるのではないか云々と口やかましかったセドリックだ。カーターに告白されたなどと知られたら怒り出してしまうかもしれない。ケイに土下座しようとしていたことを思い出してぷるぷると首を振る。セドリックに守られるようなことがあればあるほど、自分が不甲斐なく思えてきてしまう。
「私から息子に対してなにかを言ったりはせんよ。アメリアが黙っていたいのであればその気持ちは尊重しよう」
「……ありがとうございます」
公爵の口調はやんわりと「セドリックに言った方が良い」と言っていた。
やましいことがあると勘違いされてしまうからだろうか。それとも……。
ガラガラと走る馬車の中、アメリアは夕日に目を細めた。
◇
(若いな)
無言になってしまった馬車を背に、公爵は手綱を操った。
若い男女が一つ屋根の下で暮らしていれば惚れた腫れたはよくあることだ。セドリックが知ったらやかましく騒ぎ立てるだろうし、アメリアが変に嫉妬心を煽りたくないと考えていることも想像がつく。
(だが、アメリアよ。想い人に頼ってもらえぬと言うのも悲しいものだぞ)
アメリアはなんでも自分で解決しようとしてしまう。
伯爵家で虐められていた弊害だろう。
――内に籠りがちなアメリアと、攻撃的な態度で他者を遠ざけようとするケイ。
二人は少し似ていると公爵は思っていた。似たところがあるから、何かしらの刺激になるだろうと引き合わせた。
(はてさて、バカ息子はいったい何をしているのやら)
あれはあれで人の心の機微を読むのがへたくそだ。
大きな時流の流れに取り残されてなければいいのだが。
(もうすぐ、ジェイド様が即位なされるしな……)
◇◇◇
「もうすぐジェイドが即位する。変な奴に声かけられても余計なことは喋っちゃだめだからね。わかった、アメリア?」
「わかってますよ」
ベッドの上のケイから説教されたアメリアは、洋梨のコンポートを口元に差し出してやる。
「王宮内には僕を即位させようと画策している馬鹿もいるんだから」
「えっ」
「ちっともわかってないじゃないか。ジェイドが死んだら、王の血を引く息子は僕だけだ。病弱な王様ってことにして僕を離れに押し込めておけば、立派な傀儡の出来上がり、だろう?」
馬鹿だよねぇ、とケイは言う。
「殿下は……、王位にご興味は?」
「あったよ、昔はね。でも、自分の身体のことは自分が一番よくわかっている」
ケイは表面上は元気だが、食欲はかなり落ちていた。
ふう、と溜息をついたケイは、枕の下から便箋を取り出す。
封蝋が捺されたそれをアメリアの方へ押しやられた。
「これは?」
「魔女ちゃんへのラブレター。僕……、もうあんまり長くないから、せめてきみに気持ちを伝えておきたくて」
「っ、殿下……」
「迷惑かな。この気持ち……?」
「……からかわないでください。別人の宛先がしっかり書いてあるではありませんか」
便箋を裏返すとしっかり『ジェイドへ』と書かれている。
「ちょっとくらいときめいた?」
「いいえ」
「だろうね。迷惑そうな顔してたし」
あからさまに拒否したわけではないのだが、人の顔色を読むのがうまいケイはなんでもお見通しらしい。
「それ、きみが直接届けてくれない?」
「え、でも……」
そんなことをしなくても、ジェイドは定期的にこの部屋に来るのに?
公爵家の名前を出せば目通りくらいは叶うかもしれないが、ただの薬師であるアメリアがジェイドの元を訪ねるなんて恐れ多い。それに、アメリアがケイの元にいるのは公にはされていない情報だ。多忙なジェイドに取り次いでもらえるかどうかすら怪しい。
「今日じゃないとダメなんだ。この時間ならまだ間に合う。きみにしか頼めないことなんだ」
切実な顔で頼まれる。
アメリアは「わかりました」と手紙を受け取ってしまった。
「いいね。きみが、必ず直接渡すんだよ」
「はい」
「いい子だ。行きなさい。……ああ、ちょっと待って。こっちへ」
「え、きゃっ」
手を引かれたアメリアはケイのベッドに手をついた。
耳元でちゅっと大きなリップ音をたてられる。
「でん……」
「うまくいくようにおまじない。頼んだよ、僕の愛しい魔女ちゃん」
「……私は殿下のものではありませんが……。承りました」
結局、あまり食事をとってくれなかったな……と思いながらアメリアは退出した。
それよりも今はこの手紙だ。ああまでしてケイが頼むのだから、なにか重要な案件なのかもしれない。しっかりと懐に入れた。
「――もういいよ。出ておいで」
アメリアが退出した後、ケイはクローゼットルームに声をかけた。
扉が開き、顔を出したのは――不機嫌そうな顔をしたセドリックだ。




