2、訪問してきたリスの正体は
「本当にセドリック様ですか? いったい、どうしてこんな……」
お可愛らしい姿に?
セドリックだと名乗るリスは怒鳴った。
「知らん! お前が帰った後、俺も具合が悪くなって帰ったんだ。今思えば、あの時飲んだワインの味は少し妙だった。毒だ、毒が盛られていたんだ! そして家に帰って眠って起きたらこんな姿になっているじゃないか!」
キューキュー鳴いたところで家族の誰もセドリックだとは思わない。
むしろ、どこから入ってきたんだと叱られ、窓の外に放り出されてしまったそうだ。
「それで行く当てもなく私のところにいらっしゃったと?」
「お前は薬学の専門家だ。もしも俺に毒が盛られていたのならお前なら解毒できるかと――いや、待てよ? お前か? お前が俺に毒を盛ったんだろう!」
指をさして怒鳴られる。
今まで高身長のセドリックに怒鳴られるのは威圧されているようで嫌だったが、手のひらサイズの小動物に怒鳴られても恐怖は感じない。
「まさか。私は帰れと言われてすぐに帰ったんですよ。セドリック様に毒を盛ることなんてできません」
「ではなぜ見計らったかのようにさっきの薬を出したのだ。事前に用意していたんじゃないのか! 俺を……こんな姿にして、復讐のつもりなんだろう!」
「復讐?」
「お前につらく当たってきたことを詫びさせたかったのか? そんなことくらいでいいならいくらでも詫びてやる。だから早く元に戻せっ」
そんなことを言われても困る。
セドリックは自分がめちゃくちゃなことを言っている自覚もないらしい。アメリアは溜息をついた。
「……残念ですが、私は何も知りません」
「ふざけるな、なんとかしろ!」
「そんなことを申されましても……。ひとまず、お屋敷に帰ってセスティナ公爵に事情を説明してはいかがです? 今のところ、話せるようにはなったわけですし……」
「それは」
やかましく鳴いていたセドリックは口ごもった。
口元を抑え、ぱくぱくと開け閉めしたかと思うと、「キュウウゥゥ……」という鳴き声が漏れた。絶望した顔で虚空を見つめている。
「セドリック様?」
「…………キュ……」
「あ、もしかして薬の効果が切れたんでしょうか? もう一度舐めますか?」
アメリアが先ほどの匙を差し出すとセドリックは力なくそれを舐めた。ややあって話しだす。
「馬鹿な……こんなことがあってたまるか……」
「あら、薬は一定時間しか効果がないんですね。もう少し濃度を上げた方がいいのかしら」
「ふざけるな……俺、俺は、一生この野ネズミのような姿なのか……?」
悲しみに打ちひしがれる姿はやや哀れだった。
というか、見た目が可愛いリスの姿なので、しょんぼりしているとヨシヨシ撫でたくなってしまう。
「セドリック様、元気を出して下さい」
「…………」
「ひとまず……、公爵家に連絡を入れますね?」
ここで騒いでいても仕方がないだろうし、アメリアだってセドリックと一緒にいたいわけではない。だが、セドリックは首を振った。
「やめろ。家に連絡は入れるな」
「なぜです? 突然セドリック様が行方不明になったら皆さん心配なさいますよ?」
「いいからやめろ、やめてくれ。こんな訳の分からん不名誉な姿になったと知られるくらいなら失踪したとでも思われていた方がましだ」
セドリックは頑なに連絡を入れるなと言った。
「そうですか……。では、えっと……、庭にブナや樫の木がありますので、そちらで過ごされますか?」
「は? お前は婚約者を外に放り出すつもりなのか? こんな真夜中に!」
「え? だって、ここは私の部屋ですし……」
「なんて薄情な女だ! やはりきみは最低だな! 俺が野良猫や鳥の餌食になっても構わないというのか!」
「…………」
「わ、悪かった。すべて俺が悪い。……頼む。どうかこの部屋においてくれ」
アメリアが何かを言う前にセドリックは土下座した。
これまで冷たく当たってくるセドリックのことが嫌いだったし、リスの姿になっていたところで知ったことではないが、つぶらな瞳ともふもふのしっぽに免じて滞在を許可してやることにした。
「わかりました。……でも、文句は言わないでくださいね」
「文句を言いたくなるような待遇をするつもりなのか」
「それは私ではなく……、いいえ。なんでもありません。とにかく今夜は寝ましょう。もしかしたら目が覚めたら元に戻っているかもしれませんよ」
「……そうだな」
アメリアは部屋にあった籠の中にハンカチやタオルを敷いてやった。セドリック用の即席簡易ベッドだ。セドリックは小声で「すまない」「感謝する」とぼそぼそ言い、意気消沈したままで眠りについた。
◇◇◇
「アメリアッ! いつまで眠っているの、この愚図ッ!」
翌朝。
けたたましく開いたドアに飛び起きたのはセドリックの方だった。アメリアは慣れているので「おはようございます、おかあさま」と冷静に返す。
継母はアメリアの机の上に数冊の本をドンと置いた。
「明日までにこの文献にある傷薬を作成しなさい! 現代・五十年前・百年前の調薬法で作るのよ。できたらお父様の部屋へもっていきなさい。大学院の講義で使うものなのだから手を抜くんじゃありませんよ!」
「わかりました」
「それとこれは何?」
継母の視線は籠の中にいるリスに釘付けだ。睨まれたセドリックは硬直している。
「ゆうべ迷い込んできたので保護しました」
「フン、きったないリスだこと! 本邸の方に連れ込んだら、毛皮を剥いでやるからそのつもりでね」
継母が去ったあと、サンザシの薬を舐めたセドリックは信じられないものを見たとでも言う表情で語り出す。
「は、伯爵夫人は機嫌が悪いのか? 俺と話すときはもっと上品で落ち着いた方なのに……。それに、怒られるほど遅い時刻ではないだろう。まだ朝の七時前じゃないか」
「……。母を怒らせたくないので、本邸には絶対に近寄らないでくださいねセドリック様」
疲れが取れていないらしいセドリックは眠そうに身体を動かし、未だ獣姿のままの自分の手足にがっくり来ていた。時間経過で戻るほど甘くはないらしい。
「セドリック様、朝食なんですが……」
「ああ。俺に構わず食べに行け。ついでに俺用に何か食べるものを用意してきてほしい」
「……すみません、ビスケットと水で構いませんか?」
「は? この俺にビスケットと水だと?」
朝食の準備をしたアメリアにセドリックは呆然としていた。
保存用の缶から取り出したビスケット数枚を皿に出し、やかんから水を注ぐ。セドリック用には小さく砕き、水は……とりあえず、サンザシの薬と同じように匙に掬って置いた。
「なんだこれは。お前、こんな粗末なものを食べているのか?」
「はい」
「そうまでしてこの建物に引き籠っていたいのか? どこまで陰気なやつなんだ!」
「私は夕食の時間しか本邸に入ることを許されていませんので、朝食と昼食は基本的にこんなものです」
「は……? 本邸に入ることを許されていない……だと……」
セドリックは驚いたように目を見開いた。