7、恋ってどんなもの?
「――魔女ちゃんは恋をするのが怖いんだね」
自分の思考に没頭していたアメリアははっとした。
ここは自室ではなくケイの御前だ。
世迷言を垂れ流してしまったことを詫びようとしたが、ケイは驚くほど穏やかにアメリアの気持ちを受け止めてくれた。
「わかるよ。親しくなって、相手のことを分かったような気になって、そしていつかその関係に亀裂が入ったら……とても傷つくね」
「……。そんなことになるくらいなら……私は、今のままでいいと思うんです。燃え上がるような恋は終わりがありますが、友情は長く続くものです」
「へえ。魔女ちゃんにはそんなに長く付き合っている友達がいるんだ」
「いません……」
「あっは。じゃあただの想像じゃん!」
ごもっともだ。
でも、王立研究所に身を寄せているアメリアは親しくする相手ができた。レナとカーター。二人は元気だろうか。できれば彼らとは長く友好的な関係を続けたいとは思っている。
「友情だって壊れるときは壊れるよ。憧れは妬みに変わるし、会わなけりゃ相手のことなんてどうでもよくなる。どんな関係だって『絶対』なんてものはないよ」
「……厳しいですね」
「僕の部屋に見舞い客が来ないのと一緒」
自虐的に笑ったが、ケイは滅多に客人をとりつがない。
時には扉越しにひどいことを言って相手を怒らせて追い返すのだ。勤め始めてまだひと月足らずだが、その様子はアメリアも見ていた。
「それは……、殿下が追い返しているからでしょう」
「同情されるのが嫌いだからね」
同情が嫌い。ご機嫌伺いが嫌い。
それは裏を返せば、心の底から信頼をおけるような相手を欲しているようにも思える。
そんなことを言うと否定されるのはわかりきっているので、アメリアは黙っておいた。
「まー、破談にしたくなったらいつでも言って? 適当に僕への不敬罪とかでっち上げて、婚約者くんのことを追放してあげる」
「やめてください」
「うわ~っ、楽しそ~! やばい、ワクワクしてきた! 王都追放もいいけど国外追放でもいいなあ」
「やめてください。殿下、怒りますよ」
本当にやりかねないケイを止める。
ケイは猫のような目で笑った。
「本当に僕がセドリックを国外追放にしたら、きみはどうする?」
「え?」
「王都に残る? それとも……、セドリックについていく?」
「そ、れは」
「……ま、今のきみの顔見たら答えを聞かなくてもなんとなくわかったかな。あー、喋りすぎた。僕もう寝るね」
おやすみ~と一方的ににシーツを被られる。会話終了らしい。
アメリアは食器を片付けながら考えた。
(もしもセドリック様が国外追放されたら、私は――……)
「ケイ? 起きているか?」
コンコン、とノックの音が鳴る。ジェイドの声だ。
ケイはシーツを被ったままで動かない。対応する気はないようだ。
アメリアは扉を開けた。
「……すみません、先ほどまで起きていらっしゃったのですが、もう休むとおっしゃられて……」
多分、起きてはいると思うが、と言外に伝える。
ジェイドは慣れているのか「それならよい」と気遣うように部屋に入った。空になった食器に安堵の表情を見せている
「パーシバル嬢が看ていてくれたのだな。ありがとう。それから……すまない。ケイが貴女の婚約者に対し、ずいぶんな態度をとったらしいな。ケイに変わってお詫び申し上げる」
「そんな、殿下、顔をお上げください……」
アメリアに対して謝られるのも変な感じだなあ、と狼狽えてしまう。婚約者が侮辱されたら、本当はもっと怒ってしかるべきなのだろう……。聞こえているらしいケイは無視を決め込んでいる。
「……捻くれ者の兄で迷惑をかけるが、どうかよろしく頼む」
「微力ながら、お力になれるように尽くします」
「ああ、ではな」
出ていこうとするジェイドに、アメリアは白衣のポケットに入れていたあるものの存在を思い出した。
「あ、殿下。お待ちください!」
ハンカチに包んである『例の物』をそのまま献上する。ジェイドは「これは?」と困惑顔だ。
「ケイ様の依頼を受け、私が作ったものです。殿下に渡すようにと仰せつかっております」
「……ケイが?」
ジェイドはハンカチをそっと開く。中身を確認するとハンカチごと懐へとしまった。
「ケイには『余計な気を回すな』と伝えてくれるか?」
「え」
「だが、ありがたく預かっておく。使うことがないことを祈っておくよ」
これで、……良かったのだろうか。
ベッドの中のケイはただただ静かに丸まっていた。
◇
ケイの脅しを本気にしたわけではないが、アメリアはその日は公爵邸の方に帰った。セドリックは自室にいるというので、ジェイドに詫びられたことを伝えに向かうことにした。……それはちょっぴり口実で、この間の気まずさを払拭するようなきっかけを求めていただけなのかもしれない。
「セドリック様、アメリアです。今、よろしいでしょうか?」
「……………………アメリア?」
たっぷり間をあけて聞き返される。
そして、慌てたように扉が開いた。
「どうしたんだ?」
「あ、……えと、ジェイド殿下に今日お会いしまして……。先日はケイ殿下が無礼な態度をとってすまなかったとの言伝を……」
口にしてから気づく。
あの場にいなかったジェイドに知られているなんて、セドリックにとっては不名誉なことなのでは?
プライドの高いセドリックは気分を害すかもしれないと思ったが、
「ジェイド殿下が? いや、俺の方こそケイ殿下に対し失礼なことをしてしまった。機会があれば、ジェイド殿下にも謝罪に行こうと思っている」
……それは杞憂だった。
(セドリック様、変わられたな……)
傲慢な性格はなりを潜め、落ち着きと聡明さを感じるようになった。
ちらりと室内に目を向けると、セドリックの机には大量の書物と紙が山のように積み上げられている。
「ん? ……ああ、ここ十年間の王宮医試験の過去問題だ。十日以内に全部解いたら入室許可を与えてやるとケイ殿下から言われてな」
「じゅっ……⁉」
ただの嫌がらせとしか思えない。
「セドリック様は王宮での仕事や公爵家の仕事もあるんですから、無理をなさるのはおやめください」
「無理じゃない」
セドリックはきっぱりと言った。
「ケイ殿下の仰ったことはその通りだ。俺は殿下の病状よりも婚約者を気にするような、医官としては最低な奴だ。もしも目の前で殿下とアメリアが危機に陥っていたら、俺は迷わずにアメリアを優先するだろう」
「そんな……、私にそんな価値なんて……」
「俺がそうしたいからそうするんだ」
だから――やらなくてもいいはずの課題をこなすの?
アメリアがケイの部屋にいるから……。
「……お茶を、淹れてきますね」
「ん? いいのか? ありがとう」
部屋を出たアメリアは少しの間その場から動けなかった。
臣下として、医者として、王家を至上のものとして扱うのは当たり前のことだ。
一般的にはセドリックの発言は褒められたものではない。けれど……。
(それを嬉しいと思うなんて、変かしら)
家族に虐げられて育ったアメリアは、絶対的にどこまでも味方でいてくれるというセドリックの言葉に胸がぎゅっとなった。
本当に、セドリックは変わった。
そしてアメリアも。
セドリックに対するこの気持ちはいったいなんと名付ければいいのだろう。
明日は更新お休みです。




