6、アメリアの胸の内
「おお、これはおいしい。ジンジャーエールに近いね!」
改良版・滋養強壮剤を飲んだケイは満足そうだった。ほっとしたアメリアは使用人に温めなおしてもらったスープに匙を入れる。すりつぶした野菜たっぷりのポタージュだ。
「これもきみが?」
「……僭越ながら私が作りました」
「ふーん。じゃあ、食べないわけにはいかないね」
あーんと口を開けたケイにアメリアは匙を運んだ。
配膳を手伝ってくれたメイドがぐっと泣きそうになっているのを視界の端でとらえる。しばらくの間、ケイは食事をとりたがらず、困り果てていたらしい。食欲が落ちていて、なおかつ病人食のような食べ物は厭っていたのだとか。
(この人、わがままに振る舞っているけれど、体調はかなり悪いはず……)
食事がまずいから食べたくない、は食欲がないという意味だ。
話がつまらないから帰って欲しい、は少し休みたいと言う意味。
性格に難があるとジェイドから聞いていたが、少しずつ言葉の裏が読めるようになってきた気がする。今はどうだろう。
(なんにせよ、少しでも食べてくれるならいいことだわ)
換気された部屋には心地よい風が吹き抜けている。
ケイは香水をやめた代わりに、ミントと薔薇のほのかな香りを纏わせるようになった。アメリアが渡したシャンプーや塗り薬を気に入ってくれているようだ。
「魔女ちゃん、元気ないねぇ。何か悩み事?」
「え……いえ、特には……」
「うっそだあ。僕、そういうのカンがいいんだ。例えば……、婚約者くんと何かあった?」
どき。
「ありませんよ」
「今、どきって顔したじゃん」
「いえ、本当に。たいしたことではないので」
「たいしたことないってことはやっぱり何かあったんだね? 何なにナーニ~?」
これは話し終わるまで解放されないな、と悟った。ケイはこういう時、ちょっとしつこい。暇なのだ。
「あ、もちろん秘密は守るよ? だって僕の話し相手はきみかジェイドかセスティナ公爵しかいないんだからね」
さあさあ話せ、こっちは退屈なんだ、と催促されたアメリアは観念した。
「……この間、調薬中に寝落ちてしまったんです。そうしたら、セドリック様がベッドまで運んでくださったんです」
「ほほう、それから?」
「えっと、それだけなんですが……」
「うん。で?」
「えっと、ですからそれだけです。私とセドリック様の間にあったことは」
それだけ? 山も谷もオチもなし? と突っ込まれることを覚悟していたが、ケイは静かに続きを促してきた。
「それだけの事でも、きみが思い悩むようなことがあったんでしょ」
「……」
アメリアは口ごもる。どう説明していいのか自分でもよくわからないのだ。
あの時、セドリックは何もしていないと弁明していた。
不埒な真似をしようとしたわけではないと断言したセドリックの言葉を信じているし、そうでなくてもセドリックが望むのならそれに応えなくてはならないとは思っていた。意識の奥底にはあった。
……だって、「一応」婚約者なのだから。
例えばキスをしたいとでも望まれればそれくらい――応じねば。
だが、実際にアメリアがしたことと言えば、寝癖を直そうと手を伸ばしたセドリックの手を払いのけただけだった。
セドリックはびっくりしていたし、アメリアもびっくりした。
「セドリックに襲われる!」と思ったわけではない。彼はそんなことはしない。ただ、アメリアは……。
「……私は、恋愛に向いていないんだと思います」
ふう、と息を吐く。
思い出すのはパーシバル家に引き取られる前のこと。アメリアは市井で母と暮らしていた。
「私は不義の子です。継母が私にきつく当たるのは当然のことだと思って育ちました。でも、父までが亡き母のことを悪しざまに言うのは……ショックでした」
母は父のことをあまり話したがらなかったが、「あなたのお父様はとてもすごい人だ」「わたしは彼の作った薬で助けられたのだ」と言っていた。
しかし、父は継母に対し、「少し優しくしたらアメリアの母がのぼせ上がってしまったのだ」などと説明していた。
父も最低だが母も母だ。
この男の何が良かったのだろう。
結婚に対する夢も希望もなくなったアメリアは、その後、セスティナ公爵家からの婚約の申し出も一度は断った。だが、どうしても断れず、「そこまで言うなら」と渋々受け入れた。公爵には「私に結婚は向きません」と先に伝えてある。それでもアメリアがいいと言われたのだから、アメリアは優秀な子どもを産むためだけの役割として求められているのだろうと納得したのだ。
「だから、これまで恋愛や結婚のことはあまり考えずに研究に没頭するように暮らしていました。でも、セドリック様が優しくなられてからは、正直戸惑っていて……」
「嫌なの?」
「嫌ではないです。嫌ではないから、困るんです」
以前のようにもっと雑に扱ってくれたら、アメリアだって粛々と受け入れたのに。
キスされようが、何をされようが、そういう役目なんだからしかたがない、と。
――セドリックがベッドに運んでくれたと言ったとき、アメリアはなんだか自分が途方もなくちっぽけな存在になってしまったような気がした。
この身体が自分を運んでくれたのか。
見慣れたはずのセドリックの腕や手はがっしりとしていて、肩幅は広くて、美しい青の瞳には慈しむような色が浮かんでいる。嫌ではない。求められるなら応えなければ。ああ、でも。
『少し優しくしたら向こうがのぼせ上がってしまったのだ』
いつかセドリックもあんな言葉を言うのだろうか。
冷ややかに。嘲笑って。
怖くなってセドリックの手を振り払ってしまった。彼はアメリアの寝癖を直そうとしてくれていただけだったのに、過剰なまでに拒絶してしまった。
「――魔女ちゃんは恋をするのが怖いんだね」




