4、ケイとセドリック②
「どうしてもこの部屋に出入りしたいっていうなら土下座でもしなよ」
ケイの言葉に空気がぴりついた。
セドリックは――
「わかりました」
すっと両膝をつく。
命乞いでもするかのような体勢にさすがのアメリアも椅子を蹴立てて立ち上がった。
「ちょ、っ、セドリック様!」
いくら第一王子の命令だからと言って屈辱以外の何物でもないだろう。セドリックの側で膝をつくとその肩を押しとどめた。
「殿下、意地悪がすぎますっ」
「意地悪じゃないもーん。忠誠を確かめてるだけだもーん」
二十四歳と聞いているがケイはまるで小さな子どもみたいに笑った。だが、本気でセドリックの土下座を求めていたわけではないらしく、「もういいや、やめやめ。出てって」といい加減にセドリックを追い払った。
「っ、殿下、しかし……」
「僕ってしつこくされると余計に嫌になるんだよね」
食い下がろうとしたセドリックは思い直したように頭を垂れた。
「……わかりました。本日のところはこれで下がらせていただきます」
「本日のところは、ね。はいはい。……あ、アメリアは残ってよ」
セドリックはアメリアの視線を避けるように部屋を出ていく。
リス姿の時に土下座されたことはあったが、あれは小動物姿だから受け入れられたのだ。大の男が床に頭をつける姿など、ましてやプライドの高いセドリックがああまで真剣になるなんて……。
「魔女ちゃん、あの婚約者のどこが良かったの? あ、政略結婚だったんだっけ?」
ケイは馬鹿にしたように言う。
「……可愛いところもあるんですよ」
「『可愛い』ねえ……。例えば、リスの姿になってしまったり、とか?」
「!」
したり顔をされてたじろぐ。
顔合わせの時に「リスになれる薬なら作れますよ」と言ったが、完全にジョークのつもりだった。セドリックがリス姿の時にレポートにさせてくれと言ったものの、未知の毒物ならいざ知らず、弟の調薬失敗の結果なんてパーシバル家とセスティナ家の恥にしかならない上に悪用されたら大変だ。このことは両家しか知らない秘密のはずだった。
「あのねえ、これでも僕は一国の王子だよ? 王家に仕える『影』たちを見くびらないでよね」
国王と王子二人しか知らない内容だと聞いてほっとする。
「あのプライドの高そうな男がきみの手のひらに乗っかったり、木の実をむしゃむしゃ食べたり、一緒に眠ったりしていたわけか~。あはははは、想像するとおっかし~」
「セドリック様は優秀だと聞いています。確かにセスティナ公爵に比べると経験不足ではありますが、医学に関する知識は確かなものです」
「あ、婚約者を馬鹿にされたら一応は怒ってあげるんだね」
「事実です」
公爵邸にいた時にアメリアが依頼を受けている治療薬について話す機会はそれなりにあった。的を得た質問や回答、医学知識はアメリアが接したことのある医官や研究者たちと遜色ない。以前はプライドの高さが鼻につくと思っていたが、それはある意味、努力の証でもあったのだろう。
「まあ、入室許可くらいなら与えてあげてもいいよ。魔女ちゃん次第だけど」
「私次第……ですか」
「そう。……ねえ、ちょっとこっちに来て?」
手招きされたアメリアは警戒しながらベッドサイドに寄る。
ケイはアメリアの手を引いてかがませると耳元に口を寄せた。
「――例の『リス薬』、秘密裏に作ってここに持って来い」
◇
「あ、セドリック様」
その日、研究室ではなく公爵邸に帰ったアメリアはセドリックが帰ってくるのを部屋の前で待っていた。
ずいぶん遅くの帰りだ。
立ち上がると持っていたランプの明かりがジジッと揺れる。
セドリックは驚いたように駆け寄ってきた。
「アメリア……⁉ こんな遅くにどうしたんだ」
「あ、いえ、特に用はないんですが」
「もう夜の十時だぞ。そ、それに、しばらく会えなくなると言っていたじゃないか!」
ケイ専属になってから二、三日は王宮で寝泊まりしていた。
今度は公爵邸で寝泊まりするために帰ってきたのだ。
「ええ、会えなくなります。少し複雑な調薬がしたいので、公爵家にしばらく籠ろうと思っていて。部屋に引き籠りますが、ちゃんと食事と睡眠はとるので心配しないでくださいね」
「そうか、わかった」
「なので、セドリック様のお顔を見ておこうと」
セドリックは口ごもった。
薄暗いので顔色はよくわからないが少々落ち込んでいるようにも見える。
「……今日は無様な姿を見せたな」
「いえ……」
こんなに遅くまで仕事をしていたということは、ケイに言われたことを気にして勉強でもしていたのかもしれない。紫紺病についての資料は公爵家よりも王宮の方が揃っているはずだ。
「……セドリック様の土下座なら見慣れていますし」
「っ、ああそうだなっ! どうせ俺は短絡的で人の心の機微もわからん朴念仁だよ!」
「私のことを心配してくださったんですよね。ありがとうございました」
「……っ」
礼を言うとセドリックはぷいっと顔を逸らした。
怒っていたくせに今度は赤くなってごにょごにょ呟いている。
「べ、別にっ、心配など……」
「私はセドリック様のそういうところ、好きですよ」
「好っ……」
人として好ましいと思っている。
日々ケイの捻じくれっぷりに付き合っているせいで、セドリックのわかりやすさに癒しを感じるほどだった。ケイも随分と悪辣な態度をとっていたが、別にセドリックが憎くてやったわけではないのだろう。
「す、好きと言うのはどういう――」
「では、私はこれで失礼しますね。おやすみなさい、セドリック様」
「――っ、……ああ、どうせお前のことだから大した意味はないんだろうな! 早く休め、この悪女め。俺の心を弄びやがって……!」
心なしか元気になった顔でぶつぶつ文句を垂れている。
セドリックがケイの元に来るようになったら、意地悪の矛先はすべてセドリックに向かいそうだなあと思った。




