3、ケイとセドリック①
◇
「殿下、どうか今一度ご決断を!」
古式ゆかしく髪を両サイドでカールさせた中年男がケイのベッドサイドで頭を下げた。わさわさした髪がカツラであることをケイは知っている。
「何度言っても僕の考えは変わらないよ。いくらお前たちが支援してくれると言っても限界があるだろう」
「そんなことはありません! それに、民たちも殿下のお元気そうな姿を見たら安心するでしょうし」
この男はケイの病名を知らない。
幼い頃からケイは虚弱体質だったため、大人になっても臥せりやすい体質なのだと信じているのだ。
「……元気そう、ね」
男はハッとしたように口を押さえた。
「も、申し訳ありません。けしてそのような意味では」
「どのような意味? 仮病使ってさぼりがちの王子とでも思ってるってこと? うわ~、傷つくなぁ……」
はあ、とわざとらしく枕に頭を投げ出したケイは男を追い払った。
「ああ、なんだかショックでまた熱が出てきたみたい。もう帰ってくれる?」
「っ、すぐに侍医を……」
「あー、呼ばなくていい呼ばなくていい。今日は優秀な薬師ちゃんが来てくれる予定だから」
「優秀な薬師……?」
男の疑問の声に合わせて部屋の扉がノックされた。「アメリア様がお見えです」とメイドの知らせの声に、ケイは嬉しそうに入室を許可する。
「どうぞ~!」
「失礼します、ケイ殿下。っ、すみません、来客中でしたか……」
「いーのいーの。もう帰るところだから」
存在を軽んじられた男がムッとするのを横目で見ながら、ケイはアメリアを歓迎した。まるでピクニックにでも行くみたいに籐の蓋つきバスケットを持って現れた姿にわくわくしてしまう。
◇
「うん、まずいっ」
すがすがしいほどのケイの笑顔にアメリアはうなだれた。
食欲が落ちていると聞いたので、滋養強壮剤を作ってきたのだ。生薬は舌にぴりぴりくるような苦みがあるため、「美味しく」なるように甘さも追加したのだが……。
「甘さで誤魔化しすぎな気がする。ジンジャーエールみたいにしてくれたほうが飲みやすいかも」
「あ、なるほど。ジンジャーエール……」
「もしくは、魔女ちゃんが口移しで俺に飲ませてくれるとか」
色っぽくウインクされたが首を振った。
「……それはお断りします」
「ケチ~。いいじゃん、減るもんじゃないし」
「一応婚約者のいる身ですので」
十六年生きてきて滅多に使ったことのない断り文句を口にした。
なるほど、こういう時に婚約者がいるのは便利だなと感心してしまう。そんなアメリアの心を読んだようにケイはニタリと意地悪な笑い方をした。
「一応、ね~。そんな言い方されたら婚約者はショックなんじゃない? 好意はないって言っているようなもんじゃん」
ぎゅっと手を握られてびっくりしてしまう。
病人とはいえケイは男だ。骨ばった大きな手のひらはアメリアの手を簡単に包み込んでしまう。
「婚約者が密室で男と二人っきり。婚約者クンは納得してくれたの?」
「いいえ」
――ものすごく不満たらたらだった。
忙しくなるからしばらく会えないと言うと激しく取り乱し、事情を聞けば未婚の男女が二人っきりになるなんて云々と文句を垂れていた。しかし、アメリアを推薦したのはセドリックの父親であるし、ジェイドからの命令であっては逆らえない。
「怒っていました」
「あははは、魔女ちゃん愛されてるんだねぇ~」
「それは……、どうでしょうか?」
セドリックがアメリアを気にかけてくれるのはこれまでの罪滅ぼしだと思っている。無関心が転じて過保護になってしまっているだけなのだ。
「僕で良ければいつでも当て馬役になってあげるよ」
笑ったケイがアメリアの髪をひと房掬って口づけた。薄い翡翠色の瞳を猫のように細めている。見目麗しいケイがそんな顔をするとどんな女の子でもくらくらしてしまうだろう。
「殿下……」
「なぁに?」
「……昨日も思ったのですが、香水のつけすぎではありませんか?」
そう、くらくらする。
酔いそうな匂いにアメリアはうっぷと口元を押さえた。
職業柄強い匂いに耐性はあると思っていたが、人工的な薔薇の匂いはきつい。
「ええ? だって、香水つけてないと僕って臭いでしょ。お風呂だって毎日入れないしさ~、部屋も消毒臭くなるし」
それだけじゃない。壊死した皮膚から臭いがすることもあるらしい、と勉強してきたアメリアはバスケットからごそごそと小瓶を取り出した。
「良かったらこちらをお使いください。これは洗い流す必要のないシャンプーです。それからこちらは血行を良くするクリーム」
「ああ、クリームは知ってる。前の薬師にも勧められたし」
「の、改良版です。独特の薬臭さや消毒臭さを消し、ほのかに香るアロマを足してみました。薔薇の香りがお好きなのかと思ったので、とりあえず今回は薔薇を作ってみたのですが……」
「僕のために作ってくれたの?」
「はい」
ケイは驚いた顔をしていた。
「へええ、すごいね……。ありがとう」
「私はケイ様付きの薬師ですから」
慰め相手の女として側にいるわけではない、と言外に言うとケイは吹き出した。
「ぷっ、あははは……。そりゃあ婚約者くんも怒るわけだ。婚約者の頭の中が別の男のことでいっぱいなんて面白くないだろうね」
「?」
「気に入ったよ、アメリア。ずっと僕の側にいてほしいな」
にこっ、と笑うケイにぽかんとしていると部屋の扉がノックされた。
「はぁ……。今日は来客が多いなぁ……。誰~?」
ぼやいたケイに聞き覚えのある声が答えた。
「王宮医官のセドリックと申します。ケイ殿下の侍医を務めているセスティナ公爵家の嫡子でございます」
「え……」
セドリック様?
アメリアが驚いているとケイが入室許可を与えた。
ぴしりと髪を固め、恭しく礼をしたセドリックが入って来る。
「本日から父の補佐をすることになりました。今後、殿下の診療にも私が同席させていただくことになりますのでご挨拶に伺った次第でございます」
「え。要らない」
ケイはずばりと切り捨てた。
セドリックもアメリアも固まってしまう。
「補佐はいらない。侍医はセスティナ公爵だけでいい」
「し、しかし……」
「優秀な薬師ちゃんもいてくれるしね」
アメリアの手をとったケイは微笑む。
セドリックの額にぴきりと青筋が浮かんだ。
「その薬師は私の婚約者です」
「うん、知ってる。セスティナ公爵の推薦だもん。とってもいい子だよね~?」
ケイはアメリアの婚約者がセドリックだととっくに知っていたらしい。
婚約していることを知っているくせに随分と思わせぶりな態度をとってくる。からかわれているのが、王族のロイヤルジョーク的なつもりなのか……。やや呆れたようにケイになされるがままになっているとますますセドリックの眉間に皺が寄った。
(この手を振り払えって言いたいのだろうけど、さすがに不敬が過ぎますって……)
さすさすとアメリアの手を握るケイは意地悪な顔をした。
「なぜ僕がお前を拒むか分かる?」
「私では信用ならないと言うことでしょうか」
「そうだよ。だってきみは僕に興味がない。ただ婚約者が心配で側にいたいだけだ。そんな奴に診察されたいと思う?」
部屋の温度がぐっと下がったような気がした。
ケイの目は冷ややかだった。
「っ、そういう、わけではっ……」
「ふふっ、素直な反応だね。わかりやすい性格の奴は嫌いじゃない。でも、お前は僕に必要ない」
床を指さしてケイは言う。
「どうしてもこの部屋に出入りしたいっていうなら土下座でもしなよ」




