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異世界人と紙とペン

 北の大陸、魔族連合の加盟国、カーパ。そのカーパ直轄領、首領都市ブーイとトー山脈を隔てた場所にツェイム領はあった。

 奴隷の息子ミックはその場所で生まれた。

 ミックの両親が思うには三歳くらいまでは普通の男児だったという。

 ――つまりミックがおかしなことを時々、口走る様になったのは四歳頃からだ。

 はじめは些細なことだった。

「ここはどこの国の、いまはSレキで何年でしょう?」

 それまで普通に暮らしていた息子がおかしなことを言ったような気がしたが、子供の言葉だからと父親のクックは適当に答えることにした。

「ここはツェイム領だ。お前は生まれて今年で四歳になる」

 父親がそう言うと「はい。そうなんですね」と息子は何かに納得して、考えるように黙りこくってしまった。

 そのときの息子の様子に父親は気味悪いものを感じたが、とりあえず様子を見ることにした。

 父親が奴隷としての仕事である農作業が休みのとき、息子と町に出かける機会があった。

 息子はガラス細工店の看板を指差して言った。

「アレは何でしょうか」

「看板だな、何の店か分かるように絵が描いてある」

 父親のクックは言った。

「へえ、絵の下に書いてあるのは?」

 ミックが聞いた。

「文字だな」

 とは言ったものの父親のクックもちゃんとした文字は読めなかった。ガラスか何かと書いているのだとは分かる。その店がガラス細工を売っていることは知っているからだ。

「文字?」

 ミックは不思議そうな顔をして聞いてきた。

「言葉を表すものだよ。奴隷の仕事には必要ない。でも、あの店が何の店かは知っておくと良い。ガラス屋さんだよ」

 父親のクックは言った。

「へえ」

 とミックは初めて見るであろうステンドグラスを興味津々の様子で見ていた。

 ときどき変な単語を口走るが、ちゃんと子供らしいところがあると父親のクックは安心した。変な単語を作るのは彼の思いついた遊びか何かだろうと理解した。

 ――まあ、最近変なところもあるが、明後日の誕生日プレゼントはガラスの玩具でいいか、とクックはほくそ笑んだ。

 それから、その日は「アレは何屋?」とミックの質問攻めにあったこと以外は平穏な日常だった。


 そんな事があって一年ほど経ち、六歳になったミックが変な物をほしがり始めた。

 ちょうどまた誕生日間近であった。

「紙とペンというのは高級品でしょうか」

 ミックの言い回しは何かを気遣っているようだが、要はそれが欲しいということだ。

 それをクックもなんとなく察している。遠慮がちに言っているが、遠慮をしないのがこの子の変な所だと、吹き出しそうになるのを我慢した。

「まあ、安くはないわな。お前も知っての通り、ウチは貧乏だから」

「やはり、買えませんか……」

 ミックは残念そうに言った。

「いや、そこまで高くはないが、一番安い物でいいか」

 父親のクックは言った。

「はい」

 と、ミックは笑顔で言った。

「おおう」

 ――正直、困ったなあ。というのがクックの本心である。

 奴隷のクックはそもそもそんなものを買ったこともないし、値段もよく分かっていない。

 紙とかペンというのは平民以上じゃないと基本的には買えないものだというのは奴隷達の認識だ。

 買う必要がないものだし、そもそも興味もないというのもあるが。

 高価だからとか、そういった問題じゃないのだ。そもそも買っていいものかどうかすらよく分かっていない。

 ――仕方ない、自分の雇い主にでも聞いてみるか。

 奴隷は困ったことがあれば、雇い主に相談するというのがこの世界で唯一、奴隷に許された権利であった。

 といっても普通、奴隷は雇い主に相談なんてしない。

 まともに取り合ってもらえないのと、難癖をつけられるか、悩みの種類によっては賃金を減らされるなんて言うのが当たり前のことだからだ。

 だから気楽なようでいて、父親のクックも腹を括っていた。


 その日、いつもの作業を終えたクックは満を持して雇い主のところに行くことにした。

 粗相のないように川で身体を洗い、着る物も家にあるなかで一番きれいな物を着た。

 それなりに作法があるのだ。

 雇い主の家に行くと、ドアを3回ノックした後、十歩下がって、地べたに座り、頭を地面にこすりつけながら待つ。

 そうすると、家からはクックの雇い主であるリィが出てきた。

「何事か」

 と、リィは言った。

「親方様にご相談がございます」

 クックが仰々しく言った。

 それを見たリィも冷や汗を流しながら、驚いた。

 リィが先代から代わってもう二十年になるが、正式な奴隷からの相談を受けるのはこれが初めてだった。

 すぐに思い浮かぶのは賃金のことかな、ということくらいだ。今年は物価が少し上がっていた。

 ――たしか、彼は三代前から自分リィの家で奴隷作業をしている。その彼がこうして相談事に来るというのはよほどのことである。

 クックは粗暴な所もあるが、基本的に奴隷達をまとめて効率良く作業してくれる、それなりの人材なのだ。

 出来れば、大事にしたくないというのがリィの考えでもあった。

「それで」リィは言った。

「紙とペンというのは奴隷が買ってもいいものなのでしょうか」

 クックは言った。

「紙とペン?」

 リィはどこか緊張の糸が解けて笑いそうになるのを我慢した。

「はい。紙とペンにございます。私たち奴隷どもは買っていいものとダメなものがございます。何分、自分はいままで買ったことがないので、お伺いにきた次第です」

 微妙に敬語になっていないクックの言葉遣いも面白かったが、リィも完全に気が抜けてしまった。

 と、同時にそんなことで、という思いで怒りが込み上げてきたが、少し落ち着くことにした。

 彼はどうしようもなく、奴隷なのだ。

「そんなことで、ここまで大事にするとは何事か」

 と、一喝する。

「は、申し訳ございません」クックは言う。

「もういいだろう」とリィは言った。

「はい。それで買ってもよろしいのでしょうか」

 クックは威圧されても負けじと聞いた。

「好きにせよ」とリィは言った。

 そのままリィは家に戻った。

 クックもそこでようやく息を吸った気分になった。

 ――はあ、なんとかなった。親方様は怒ってはいたが、お咎めもなさそうだ。


 その後、この事件はしばらく奴隷達の間で笑い話となり、さらに時を経てミックの英雄譚の序章になるのだが、それは別のお話である。


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