022 ソニア・ワルキューレ
蟲による襲撃の少し後、学院では緊急避難が行われた。
異例の学院の部分開放を行い、鍛錬場に住民を避難させた。第一次防衛戦を外壁とし、その内側にも簡易的に防壁を作り上げる。外壁と簡易防壁の付近の住民を避難させ、戦闘に備える。
そこが第一次避難対象区域。第一次避難対象区域の避難を終えた後、第二次、第三次と避難をさせる。
街では騎士が避難誘導を行い、冒険者達もそれに協力をしている。
「はぁ……今日オフの日なのにぃ……」
「ギルマス、文句言わない! 下の子達が頑張ってるでしょ!」
「だってぇ……」
不満たらたらの表情を浮かべるのは『ソニア・ワルキューレ』の組合長、ソニア・ワルキューレ。なんと、自分の名前を組合名にしているのである。
因みに、高級銘柄店では、社名が創設者の名前である事が多いのでそう珍しい事でも無い。他の組合でも同じような事をしている者は多い。
「今日はかぁいい女の子達とデートする予定だったのにぃ……あぁ……パフィちゃん、ミントちゃん、アリアンちゃん……」
しくしくと悲しそうに泣くソニア。
けれど、避難誘導の手は止めていない。女の子が通るたびにお尻を触るのも忘れない。
「ギルマス! さり気にセクハラしない!!」
「同性ならセクハラじゃ無いもん! お触りだもん!」
「同性でもセクハラはセクハラです!! 許可無く触る事がセクハラなんですよ!!」
「許可を取れば良いって事?」
「時と場所を弁えてくれればね!!」
額に青筋を浮かべながらソニアを叱るのは、ソニア・ワルキューレの副組合長である、ペレリス・ノルディックである。
「うぇぇぇん、ペレちゃんが怒るぅ……」
「当り前です!! ギルマスが変態だなんて、皆に示しがつかないでしょう!!」
「ぶぅぇぇぇぇん!! 変態って言ったぁぁぁぁ!!」
外聞も無く泣きじゃくるソニア。
「鬱陶しい!! 良い歳こいて泣くんじゃありません!!」
泣きじゃくるソニアは、その美しい見た目も相まってか非常に庇護欲をそそる。
騎士の一人も手を差し伸べようとしたけれど、それよりも速くペレリスがソニアの頭を乱暴に叩く。
「びぇぇぇぇぇぇぇぇん!! ペレちゃんが殴ったぁぁぁぁぁ!!」
「殴ってません!! 叩いただけです!!」
「同じですぅ!! 痛かったのには変わりないですぅ!!」
「その威厳の欠片も無い子供じみた語尾を止めなさい!!」
非常事態だというのに喧嘩をする二人。
ギルドメンバーにとってはいつもの光景であるために、二人を無視して自身の仕事に集中する。
今はまだ結界が機能しているから大丈夫だけれど、いつ突破されるかも分からない。
手早く避難誘導を終わらせて、自分達も迎撃態勢を整える必要がある。
「まったく!! 長引く事を覚悟して救援要請まで送ってるんですよ? 各地に散った仲間が今のギルマスを見たらどう思いますか!!」
「ぶうぅ……ギルマスになればハーレムを築けるって思ってたのにぃ……とんだ貧乏くじだぁ……」
途轍もなく不純な動機でギルマスになったソニアに、聞いていた者達は思わず呆れた表情を浮かべている。
「はぁ……新人の子も来るのですよ? 最初くらい、ビシッと格好いいところを見せてあげたらどうですか? 貴女は、戦ってる姿だけは恰好良いんですから」
「え、新人ちゃん来るの? リーシアが勧誘したっていう、期待の新人ちゃん?」
「ええ。強さはリーシアのお墨付きです。近くに居たので、駆け付けてくれるそうですよ」
「嘘! 本当!? やったぁ! 新たなハーレム要員と初対面だぁ!!」
「ギルドメンバーと言いなさい!!」
「いたっ!? うぅぅぅ、またペレちゃんが殴ったぁぁぁ」
びええんと泣き喚くソニア。
こんな頼りなさそうに見える彼女だけれど、その実力は折り紙付き。王国から直接依頼が来る程の実力を持つギルドのマスターである。
彼女が見せるいつもの茶番を見て、逃げる住民達は少しだけ安堵している。
何せ、彼女が慌てていないのだ。そこまで慌てる必要が無い。ゆっくり移動しても問題無い。
そう思わせてくれる。
彼女が自然体なのはいつもの事で、狙ってやった事では無いけれど、ペレリスとしては狙い通りの状況ではある。
ただ、ペレリスとしても気がかりではある。
一度状況を確認しに行ったけれど、今までにない異常事態。魔物の氾濫が可愛く見えるくらいの魔物の数。
現在地からは穴は見えないけれど、少し場所を移して少し高い所に登れば簡単に見えてしまう。
自分達は大丈夫だ。けれど、心の弱い者が見たら耐えられない可能性がある。それは、騎士でも兵士でも同じ事だ。
穴から延々流れ落ちる蟲の滝。朝起きてから夜眠るまで、その蟲が流れ落ちるという事実に、果たして耐えられるだろうか。終わりの無い恐怖に耐えられる者が何人いるだろうか。
勿論、底を尽きる可能性も在る。が、あまり楽観視してはいけないようにも思う。
「ペレちゃーん、表情堅ーい。わたしぃ、笑顔のペレちゃんの方が好きぃ~」
甘い声音で言いながら、ソニアはペレリスにぺっとりと抱き着く。
「暑苦しい!!」
「へぶっ!?」
そんなソニアをペレリスは投げ飛ばす。
「しどいぃ……っ!!」
「私に抱き着く暇があれば、仕事をしてください!」
「ひぃぃん……ペレちゃんの馬鹿ぁ……」
ソニアは起き上がって泣きながら避難誘導を進める。
「……まったく、情けないですね、私は」
ぱんぱんっと自身の頬を叩いて気合を入れなおすペレリス。
どうやら、先を見越して表情が堅くなってしまっていたらしい。
それを気付かれる前に、ソニアが和らげてくれたのだ。
普段の言動こそ頼りなさが滲み出るけれど、ソニアは決して馬鹿では無い。むしろ、人の機微には敏感な方だ。女性限定ではあるけれど。
自分が弱音を吐いても仕方がない。今出来る事をする。それが自分の務めだ。
「さぁ、急がず焦らず! 時間は在ります! ゆっくり移動してください! って、ギルマス!! 女の子のお尻を触らない!!」
「ぶぇぇぇぇん!! ペレちゃんがお尻蹴ったぁぁぁ!!」
〇 〇 〇
住民が避難誘導をしている最中、ルーナは影女に偵察に向かわせていた。
『戻りましたよー。いやぁ、やばいですねぇ……』
帰還した影女は、どう説明したものかと言った表情をする。
『状況は?』
『空に穴が開いてるのは見えてますでしょう? それで、蟲がわんさか落ちてきているのも』
『ああ』
『それが一直線に王都に進軍。迎撃してますけど、圧倒的に数で負けてます。多勢に無勢とはまさにこの事かと』
『そうか』
『そうかって……それだけですか?』
『ああ』
頷いたルーナに、影女は眉を潜める。
『…………倒しに行かないので?』
『何故だ?』
『主様なら朝飯前かと思いまして』
『騎士や兵士が出ているのだろう? であれば、私が出る幕は無いだろう』
『多勢に無勢なのですよ?』
『総兵団長も出るだろう。他にも、パーファシールは粒揃いと聞いた』
『楽観視ですか? それとも、そこまで計算に入ってます?』
『まずは静観だ』
『……静観してる間に、何人死んでもですか?』
『ああ。私の護衛対象は彼女ただ一人だ。騎士や兵士と違って、他を護る義務も無い』
『……』
ルーナの答えに、影女はもの言いたげな表情を浮かべる。
『……助けられる命があっても、主様は助けないのですか?』
影女の言葉に、ルーナは少しの間を置いてから答える。
『私は、決めたのだ。主を護り抜くと』
そのためであれば、何処まででも卑怯になれる。
それが忍びだ。それがルーナだ。
『ああ、そうですか』
ルーナの答えに、影女は不機嫌そうに返す。
影女にどう言葉を返されようとも、ルーナの答えは変わらない。
ルーナの護衛対象は、ミファエル・アリアステルただ一人だけなのだから。




