016 忍び、話を詰める 2
ベッドに腰掛けたミファエルに、ルーナは紅茶を淹れる。
お茶が無いと話したくないというので、仕方なしに自分で準備をした。幸い、アリザという良いお手本があったため、美味しく紅茶を淹れる事が出来る。
「アリザの味……」
「真似ただけだ。彼女の方が、茶を淹れるのは上手だ」
「そうなのですね。でも、ルーナの淹れてくれたお茶も美味しいです」
にこっと嬉しそうに笑みを浮かべるミファエル。
「それで、話とは何でしょう?」
「今後と今についてだ。主、私の名を外で出すのは止めろ。何のために私が見えない脅威になっていると思っている」
ルーナとしては名前の流出も抑えたい。ルーナの情報の一切を遮断したいのだ。
「それは、ええ、分かりました。お昼の反応を見れば、私にも理解できますとも」
えっへんと胸を張るミファエル。
が、どうにもルーナとは別の解釈をしているように思える。
「つまり、私との関係を秘密にしたいのですね? ええ、分かりましたとも。よくよく考えれば、どうしてルーナを他人に自慢できましょう! 盗られでもしたら大変です! ルーナが誰にも名を知られたく無いのは、私だけの騎士で居てくれるという事! つまりはそう言う事なのでしょう?」
きらきらと少しの曇りも無い目でルーナを見るミファエル。
しかし、そう言う事ではない。ミファエルの騎士としてではなく、ミファエルの忍びとしての判断だ。騎士であればオーウェン一人いれば事足りる。
「違う。私は騎士では無い」
「騎士となると言ったでは無いですか!」
「言ってない」
事実、騎士になるとは一言も言ってはいない。
ルーナが否定をすれば、ミファエルはむぅっと不満げに頬を膨らませる。
「私は忍びだ。主の影だ。故に表には出ない」
「何故ですか? 私を護るのであれば、騎士でも良いではないですか!」
「では聞くが、騎士が不意打ちをするか?」
「いえ……」
「私はする。汚れ仕事でも引き受ける。それが必要と思えば、何でもする。騎士道に反する事でも、だ」
嘘ではない。それくらいの事はやって来た。これからやるのにも躊躇いは無い。
「私は騎士にはなれない。それを、私は自覚している」
「……嫌です」
「主の意向は関係無い。これは、私の選んだ生き方だ」
「では……それでは誰がルーナを見てくれるのですか?」
悲しそうに、ミファエルは眉を下げる。
「誰かが誰かに好かれる世の中にしたい。もし仮に、私の理想が実現したとして、ルーナを誰が愛してくれるのですか? きっと、ルーナのような生き方をしていたら、誰にも愛されないです……」
だからミファエルの騎士にでもなれば、人から尊敬される者になれば、誰かから必要とされ、誰かに好かれ、誰かに愛される。
日陰を行き、誰にも知られず、誰にも見られない。そんな生き方では、誰にも知られない。ルーナという人物を、誰も憶えてはくれない。
「それで良い。それが私の生き方だ」
「良くないです! 絶対に良くないです!」
「これは私の選んだ事だ。主とて口出し無用」
「口出しします! 主なんですから!」
ぷっくりと頬を膨らませるミファエル。
両者とも譲る気が無いのであれば、話を続けたところで無意味だ。
「ともかく、外で私の名を出すな。私が私の情報を出す時は、その必要がある時だけだ。その判断は私に任せて貰いたい」
誤認させるためにあえて偽りの情報を流す事もある。その辻褄を合わせるために、情報を出す時は全てルーナの独断で決めたい。
ミファエルはルーナの情報を出さない。そうすれば、ルーナとミファエルで辻褄を合わせる必要が無い。ルーナ一人で完結できる。
「それと、兵士科との接触は控えろ。貴族として、らしくない。良いな?」
「…………」
むくれた顔でルーナを見るミファエル。納得の行っていない様子を隠しもしない。
むくれる理由を、ルーナは察する事が出来る。けれど、解決を出来るのは自分では無い。
「主。私は主に安心を与える事は出来ない。それは、主が自分で見付けるものだからだ」
「……っ。別に、不安だなんて思ってないです……」
そうは言うけれど、ミファエルはルーナから視線を逸らす。
「私が提供できるのは、主の安全だ。それだけは、保証しよう」
そう言い残し、ルーナは影に消える。
ミファエルの近くにアリザはいない。ミファエルには親しい令嬢もいなければ、親しい従者もいない。
自分を護ってくれ、自分が名を与えたルーナと一緒に居て安心したいという気持ちがある。
酷かもしれないけれど、ミファエルは頑張る道を選んだ。であれば、安易な道に逃がす訳には行かない。
誰もが誰かに好かれる世の中にしたいのであれば、まずは自分が誰かを好きになり、誰かに好きになってもらう必要があるだろう。
『後は任せる』
『うっわぁ……女の子傷付けるだけ傷付けて放置ですか? ひっくー』
『自分で選んだ道だ。簡単に諦めるようであればそれまでだ』
『それ、主殿基準で考えてませんか? 主殿、自分が他人より強い事をもっと鑑みた方が良いですよ?』
『同じ事だ。強く無ければ進めない道だ』
『年齢考えてあげましょうよ』
『考えた上で、だ』
大丈夫だと、判断した。少なくとも、以前の主と同じ夢を見るのであれば、前提は同じだ。
ルーナは後の事を影女に任せ、学院内の訓練場へと向かった。
木剣を影から取りだし、剣を振るう。
何度も、何度も、何度も、何度も。
身体に動きを馴染ませるように、何度も、何度も。
今までは必要な時しか剣を振るわなかった。その分を補うように、一振り一振りを意識しながら剣を振るう。
相手が欲しいとは思うけれど、今のルーナは実戦でしか己を磨く事は出来ない。
此処には忍びの里は無い。ルーナもまた、真に一人なのだ。
孤独は無い。後悔は無い。こうなる事は分かっていたから。
これがルーナの選んだ道だ。大願成就のための茨の道。
『月影……其方は、辛くは無いのか……? 其方を真に知る者など、この世に五人もいまい。私とて、その五人の中には居ないのだ。……私であれば、耐えられない。其方は、辛くは無いのか?』
以前の主と会って暫くして、そんな事を言われた。
ルーナは寂しくは無いと答えた。それが本心だった。
そう言う風に育てられた。それに、里長は我が子のように可愛がってくれた。それで、十分だった。
だから、寂しくなんて無い。誰に知られずとも、自分は確かに誰かの中に居たのだから。
それ以上は求めない。それ以上は必要無い。それだけ、満ち足りているのだから。
『そうか……そうか……。其方は強いな』
寂しそうに、主は笑う。
『……いや、強いともまた違うのかもしれぬな。其方もまた、知らぬだけなのかもしれぬな』
知らぬとは、何のことか。
その問いに、主は笑って答えた。
『それを見つけるのも、またお前の人生だろうさ。そうさな……見つかったら、私にも教えてくれ。其方と同じく、大事にしよう。まぁ、それが私であれば……やぶさかでは無いがな』
花のように主は笑った。
その言葉の意味は、今になっても分からない。
「……知らぬだけ、か……」
多くを知った。全てでは無いけれど、それでも、多くの事を知ったのだ。
あの時の言葉の真意を、終ぞ知る事は無かった。
誰にも教わらず、自らも見付けられない。
今になって気に留める主の言葉。
今更思い出すという事は、それが自分にとって必要な事なのかもしれない。
何必要なのかも、まだ分からないけれど。




