011 忍び、学院を散策する
そして冒頭に戻る――となる前に、少しだけ事件が起きる。
入学が決まり、制服を受け取って寮まで案内されたルーナ達。
準備する物は特に無く、必要最低限の物は国が用意してくれる。ので、ルーナ達は特に用意する物が無い。
外出に特に制限は無いけれど、門限が付き行き先の申告が必要となる。そして、出る時も入る時も身体検査を行われる。勿論、荷物も検められる。
必要な物は必需品であれば支給され、それ以外の物は自腹だけれど取り寄せもしてくれる。
そもそも、わざわざ自分で買いに行く必要が無いのが御貴族様だ。外出の必要が無いので、特に不便もしない。
「さて……シーザー。こっちは荷解き終わったよ」
「おう、こっちもちょーど終わったところだぜ」
貴族寮は一人一部屋だけれど、一般寮は二人で一部屋である。しかも、二人で生活するのに必要最低限の広さしかないため、あまり快適とは言えない。
とはいえ、調度品の質は良く、寝具も上等な物なので文句を言う者はいない。
ルーナの相手はシーザーであり、互いに少しは気心の知れた中なので気は楽だろう。
「お、お茶あんじゃーん。ツキカゲ、飲むか?」
「うん。ありがとう」
「つっても、期待すんなよ? 素人が淹れんだからよ」
備え付けの小さな台所で、お茶を淹れるシーザー。
シーザーと台所はなんとなく似合っていないと思いながらも、改めて設備の良さに驚く。
公爵領で過ごしていた時も、前世でもこんなに調度品に力を入れている部屋で過ごした事は無い。勿論、この部屋が最上位に豪華という訳では無いのは分かっているけれど、それでも以前の生活からは考えられないくらいに質が良いのは確かだ。
「ほらよ」
「ありがとう」
シーザーからカップを受け取り、一口飲む。
「……」
「おぉ、美味ぇなぁ」
感心したように言葉を漏らすシーザーだけれど、ルーナの感想は真逆だ。
美味しくない。
きっと茶葉は良いのだろう。瓶の蓋を開けた時に香ってきた芳しい匂いからは幾分か落ちる味だった。
特に味は気にしないけれど、期待値を下回る味にがっかりしてしまう。
『なんだ、月影。お前はいつもいつも水ばかり。たまに注文を付けたかと思えば今度は白湯を寄こせだの、お前はお爺ちゃんか! まったく、せっかく私が淹れた茶も飲みやしない! 忍びは自分で用意した物以外口にしないだぁ? お前主の命令は絶対とか言ってただろ! さ、飲め! 私の茶が飲めぬというか!』
自然と以前の主の事を思い出す。
主の命令は絶対。その言葉を出されれば、月影に主が用意した茶を飲まないという選択肢は無かった。
そこから、主の茶だけは飲むようになった。そこからだろう。少しずつ舌が肥えだしたのは。
お茶から始まって、茶菓子。そこから、寂しかろうと言って一緒にご飯も食べた。
思えば、以前の主が自分を忍びから人にしてくれた。それまでは、任務以外に気を配る事なんて無かった。
感情の起伏は、大なり小なりあったのだろうけれど、それが感情であると教えてくれたのは以前の主だった。
正確には教えてくれた訳では無い。ルーナが後になって気付いただけなのだけれど。
ともあれ、中々に肥えた舌を持つルーナだ。せっかくの良い茶葉があるのであれば、美味しくいただきたいものだ。
「次は僕が淹れるよ」
「お、そうか? じゃあ頼むわ」
ゆったり、二人でお茶を楽しむ。
一息ついたところで雇い主であるアリザに手紙の一つでもしたためたいところだけれど、手紙も検閲の対象になる上に、ルーナとアリザの関係を知られてはいけないために手紙を書く事も許されない。
幾つか連絡の方法もあるので大した問題ではないけれど。
「なぁ、ちょっと落ち着いたし散歩でもしねぇか? 校内は自由に動いて良いみたいだしよ。ま、貴族寮とその他特権区域以外は、だけどな」
貴族寮は貴族の子息子女が住む寮。特権区域は、全教師と限られた生徒しか入る事の出来ない場所。今のルーナやシーザーでは入る事は出来ない。
それでも、散策するのは悪い事では無い。
「うん、行こうか」
二人はお茶を流し込むと、早々に部屋を後にする。
一般寮を出て、二人は校内を散策する。
「にしても、やっぱり広ぇな」
「そうだね。訓練場も幾つもあるし、魔法実験棟に研究室、図書館に貴族の交流棟」
「それに庭園に御茶会用の東屋が幾つか、魔法植物の飼育施設まであんのか……」
「厩舎もあるみたいだね。へぇ、今度行ってみようかな」
「おっ、お前馬乗れんの?」
「多少はね」
「じゃ、授業の時にレクチャーしてもらおうかな。俺、まだ乗った事ねぇし」
「お安い御用だよ」
シーザーと他愛の無い言葉を交わしながら、敷地内を練り歩く。
二人と同じような考えをしていた者は多いらしく、新入生が目を輝かせながら校内を歩き回っている。
それと同じように、貴族の子息子女も先輩方に連れられて案内を受けている者が多い。こういったところから、既に貴族の交流は始まっているのだろう。
そして、その中に見知った顔があった。当然だ。なんたって、ルーナは彼女のために此処まで来たのだから。
先輩に連れられて歩くのは、ミファエル・アリアステル。その後ろを、騎士オーウェン・ブルクハルトが歩く。
学院に行きたくないと言っていたので少し心配していたけれど、存外楽しそうに笑みを浮かべているので少し安堵する。
「ほぉ、あの金髪の子可愛いな」
「だね」
「って、その案内してる先輩も可愛い。どうなってんだよ貴族の血筋……。俺の村にあんなに可愛い子居なかったぞ……」
「だいぶ失礼な事言ってるね、シーザー……」
「だってよぉ! 見てみろよあの発育の良さ! 何食ったらあんなになるんだ? あの双子にも見習わせてぇよ」
「しっつれいしちゃうわーい!」
「わいわーい!」
「ほごっ!?」
衝撃を受け、大きく仰け反るシーザー。
シーザーは腰を抑えながら自分を蹴り上げた下手人を見やる。
「お前ら! 急襲すんじゃねぇ!」
「人の悪口言う方が悪い!!」
「お前こそ人類悪!! 女の敵!!」
シーザーを蹴り上げたのはポルルとペルルだった。その後ろでは、あははと苦笑しているアルカがいる。
どうやら、三人も荷解きが終わって学院の散策をしていたようだ。
「今のは、シーザーくんが悪いと思います……」
「右に同じく」
「くっ……反論の余地もねぇが、口より先に足が出るたぁどういう教育受けてらっしゃるんで、お嬢さん方や?」
「うちら、口より速いもの、教えてもらったからさ」
「肉体言語って知ってるかー?」
蹴りの動作と殴りの動作をするポルルとペルル。
「お前ら、絶対他の奴にやるなよ、それ」
「お、サンドバッグ宣言?」
「違うわ! お前等の蹴りが容赦ねぇから、俺とかツキカゲ以外耐えられねぇって話だよ!」
「待って僕を巻き込まないで」
「相棒、死なば諸共、だろ?」
「そこはせめて一蓮托生で」
やいのやいのと騒いでいると、駆け足で誰かが近付いてくる。
「ルーナ!!」
気色ばんだ、愛らしく高い声。
その声に五人は反応しない。この場に、ルーナという人物はいないのだから。
けれど、その足音がルーナの直ぐ傍で止まれば、反応を示さない訳にもいかないだろう。
五人の視線が、少女へと向けられる。
駆け寄ってきた少女――ミファエルは嬉しそうにルーナを見つめて笑みを浮かべる。
「ルーナ! 貴方も入学していたのですね! ふふっ、アリザったらこんなに嬉しい隠し事をするだなんて!」
にこにこと、心底嬉しそうに笑うミファエル。
そんなミファエルに、ルーナは困惑したように言葉を返した。
「あの、どちら様でしょうか……? お会いした事、ありましたか?」
ぴしっとミファエルの笑みが固まった。
 




