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「嬉しい・・・」


「私はミーニアと申します」


 ロングが岸まで引っ張って来た船の中には、細身の女性が横たわっていた。彼女は、眠っていただけで、男性の様に疲弊はしていなかった。引き上げられ、目を覚ますと水を少し飲んでから、メルリたちを見回して自己紹介した。


「良かった」


 サナエは、彼女が平気そうなのを見て安堵の息を吐いた。

 ミーニアは、ベージュ色の簡素なドレスにレースのついたエプロンをしていて、どこかの貴族のメイドだろうとサナエは考えた。となると、仕えているのは、ロングの拾った顔色の悪い男性なのだろうかと思った。


「で、どうしてこんな事になっていたの?」


 メルリが二人を見て、率直に聞いた。

 ミーニアは、男性と顔を一度合わせて、少し困ったような顔をした。


「あの…」


 男性は、どう答えたらいいのか考えているようだった。その手が鼻の辺りを触るような仕草をした。男性はそこにあるはずの物が指先に当たらず少し慌てた素振りをした。


「あ、ドミ…眼鏡はこちらです」


 男性の仕草に気が付いたミーニアがエプロンのポケットから丸いフレームの眼鏡を取り出して渡した。

 男性は、それを受け取り掛けると、気持ちが落ち着いたらしく、少し表情が明るくなった。どうやら、余り周りが見えていなかったのが不安を呼び表情に出ていたようだった。

 男性は、呼吸を深く吸うと、質問したメルリを見た。


「助けていただいてありがとうございます。私は、ラッドレイスの…学者をしておりますド…ドレストと申します」


 言葉に詰まる度、眼鏡のフレームを触る癖があるらしく、メルリたちは、嘘が下手な人だと感じながらもそこには言及しなかった。


「こちらは、ミーニアと言い、私の身の回りの手伝いや助手をしてもらっています」


 自称ドレストの話によると、親の計らいで研究の為にラッドレイスから船でナッサヘルクに来たものの、実は親の本当の目論見は、お世話になる先方の娘との見合いだと知り、二人で夜中に手漕ぎの船で逃げ出したのだと言う。

 朝方、船の中で二人は寝てしまい流されたと言う。先に目を覚ましたドレストは、船を岸に付けようとした。だが、慣れない操船は上手くいかなかった。ドレストがローブを持って岸に飛び移ったが、それまでの疲労と元々体力が無く、ロープを引っ張って坂を登り切れずに力尽き、気を失ってしまったらしい。

 船に残されたミーニアは、目を覚ますとドレストがおらず、慌てて船を岸まで漕ごうとしたが、慌てすぎオールを二本とも水の中に落としてしまったようだ。途方に暮れたが、どうにも出来ずに一日中船の中にいたようだった。そしていつの間にか疲れて眠ってしまったらしい。

 流れのほとんどない場所で岸から少し離れる程度で済んだのは奇跡だった。

 

「本当にありがとうございました」


 ミーニアが深々と膝を突いて礼を言った。


「で、これからどうするの?」


 メルリには、この二人が今後の計画など無いように見えていた。実際に考えてもいなかった様で、二人はお互いに目を合わせて押し黙ってしまった。


「いい加減ね。そんなでは、ついて来たミーニアが可哀想だわ」


 ふんっとドレストに言い放つメルリの横でサナエは、目的があっても、道中行き当たりばったりな人もいるけど…と苦く笑った。


「だったら、わたしたちが行く湖畔の港まで一緒に行ってあげるわ。そこからどうするか決めればいいわ」


 メルリは、どうやら不本意な見合い話から逃げ出したと言う話に共感した様だった。それに、頼り無い事この上ないドレストに同行するミーニアに同情してもいた。


「主人の我儘に付き合うなんて、貴女、お人好しね」


 それを聞いていたマルスは、眉をひそめサナエに同情的な視線を送った。


「ともかく!お腹が空いたから、お昼ご飯を食べましょう」


 町から遠ざかる事を優先してすっかり昼時を過ぎていた。それを思い出したメルリの腹がグググッと鳴った。





 遅い昼食を済ませると、一行は湖港の町に向かって歩き始めた。

 メルリは、二人にメリッサと名乗っていた。使用人が居る時点で、ドレストが裕福で地位の有る家庭の出なのは明白で、メルリルークと言う名前を聞いたら素性が分かってしまう可能性はあったが、今の所、メルリの容姿を見ても気が付かないのを見ると、それ程高い身分の出ではないのかも知れないとメルリは考えていた。


「ドレストは、何の研究をしているの?」


 メルリは、ドレストがどんな人物か知っておきたくて質問をした。


「植物です。ラッドレイスは、国土の半分は森に覆われています。とても美しい森が多く、わたしはその魅力に取り憑かれてしまったのです。いや、ナッサヘルクの湿地帯も、東の森もとても興味深いですよ。それこそ、東西南北違う植生が見られて、フィールドワークにはもってこいの場所です」


 メルリも興味のあるジャンルではあるが、ドレストの陶酔した様な表情と話し方にそれ以上聞くのは面倒臭そうだと感じた。


「だったら、結婚してこちらに住むのも悪くない話ではないの?」


「いえ、それとこれとは……わわ、私が相手に受け入れられるなんて思えませんし…その、でも、私は…」


 話しながらドレストは、チラチラとミーニアを見ていた。メルリはそれを意志がハッキリせず、助けを求めている様に見えていた。


「話がまとまるかまとまらないかは、会ってみないと分からないじゃない。もしかして、それが怖くて逃げ出したの?」


 メルリには、ドレストの逃げ腰に見える態度に苛立ちを覚えていた。船から手漕ぎの船で逃げ出してくるなんて、勇気と意思が有ると思っていたから、ガッカリしたのだ。


「い、いえ、そう言う訳とは少し違って…つまり、その…」


 ドレストは、それを口に出す事ができずに、もどかしく指を動かしていた。

 年齢が半分以下の少女に問い詰められている状況に情けなくもあった。


「ドレストは、ミーニアが好きで一緒に出て来たんだろ!」


 少し離れて話を聞いていたエルシエッタが、ニッコリと笑いながら言った。

 ドレストは、ワタワタと両手を振り乱したが、否定もできず挙動不審な動きだった。

 それは、少し後ろをサナエと歩くミーニアにも聞こえており、彼女は顔を赤くして俯いてしまった。

 サナエは、その事実を察してはいたが、正式に明かされた事にときめいていた。

 一方、言葉にしてしまったエルシエッタは、両人の反応に戸惑ってしまっていた。


「え?え?違うの?」


 と、ドレストに思わずエルシエッタは聞いた。

 ドレストは、俯き気味に眼鏡をカタカタと指で震わせながら青白い顔に赤みが差していた。


「ち、違いま…せん…」


 小声で絞り出す様にドレストが言うと、真っ赤になっていたミーニアは、両手で顔を覆い泣き出した。

 ドレストは、泣き出したミーニアに驚いて顔を向けた。嫌だったかも知れないとショックを受けながらも、先程の言葉を取り下げようと思ったが、言葉は出てこなかった。だが、それで良かったとすぐに思った。


「嬉しい…」


 涙声のミーニアのその言葉がドレストにも聞こえて、彼の目にも涙が滲んだ。


「なーんだ!ちゃんと理由があるじゃない!」


 メルリは、ドレストの事を一気に見直した。

 そのメルリの心の端に銀髪の青年の顔が浮かびフッと消えた。メルリは自分でもよく分からない寂しさが心を一瞬吹き抜けたのを感じて、切なくなった。


 一行の視界の先に湖港の町の輪郭が見えていた。


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