「そんなの捨てて来なさい!」
「ねー。ロングがおっさん拾った!」
少し先を行っていたエルシエッタが、ワクワクした顔で振り返り右手を大きく振っていた。
歩き疲れて肩で息をしているメルリたちが何とか顔を上げて見ると、赤毛狼のロングが何かを咥えて赤いふさふさの尻尾を大きく振っている。その頭には、少し前に起きたスフレがしがみつく様に乗っている。
「そんなの捨てて来なさい!」
メルリは、まるで棒を咥えて来たかの様にそう言うと、ロングに襟首を咥えられた男性が「ううっ」と、うめきを上げた。
「生きてる」
エルシエッタは、男性の頭を指先で突いて反応する事を確かめた。
「ロング、元の場所に戻しておいで」
エルシエッタがそう言うと、ロングは、残念そうに尻尾を垂らして男性を引きずって言った。
「ちょっと、待って!」
たまらずサナエが声を上げてそれを止めた。
いくら何でも、戻して放置はサナエの良心が許さなかった。
小走りにロングに近付くと、サナエは男性の様子を見た。
「大丈夫ですか?」
サナエの問いかけに男性は、言葉は出ずに項垂れる様に首を振った。
三、四十代に見える男性の肌は不健康に青白く、髪の毛は白毛混じりの茶色だった。その白髪が、男性を老けて見せているのだろう。肌の色が不健康なのは、体調の問題なのか元々なのかは判断が付かなかったが、どちらにせよ良い事では無いとサナエは真はした。
「ロング、離して」
サナエがお願いするが、ロングは躊躇いエルシエッタを見たり、見つけた場所の方を見たりしていた。
「ロング、離しな」
エルシエッタが言うと、ロングは渋々男性を離した。ロングの体高がエルシエッタの胸程高い為、男性は地面にかなりな勢いで落とされた。
「ぐうっ」
地面に落ちた男性は思わず声を出した。
「こら、ロング」
サナエが怒ってロングを見ると、ロングはショックを受けた顔で耳を垂れて座った。その耳の動きに頭の上のスフレがじゃれ付いた。
男性は、地面に突っ伏して、右頬を強かに打ち付けていた。サナエは、その彼を抱き起す様に仰向けにして、上半身を起こそうとした。だが、力の抜けた身体は重く、上げられなかった。エルシエッタも手伝って男性の上半身を起こして、サナエの持っていた水筒を彼の口元に持っていった。
「飲めますか?」
そう伝えて、水筒を傾けると水を男性の口に流し込んだ。
コクッと水を飲む逃した分かり、サナエは少し安心した。男性の喉が、水を求める様に動きその勢いが余り、ゴホゴホと咳き込んだ。
「ありが…とう…ご…ざいま、す」
呼吸を整えながら絶え絶えに男性が礼を言った。
どうやら脱水症状になりかけていた様だった。
サナエは、ひとまずホッとして、その水を男性に持たせた。男性は、もう一口飲もうと水筒を口に運んだが、何かを思い出しその手を止めた。そして、周りを見回した。
「どうかしましたか?」
「い、いえ…わたしの他に居ませんでしたか…?」
言葉は、落ち着こうとしていたが、その表情は悪い顔色を余計に青ざめさせていた。
「お連れの方ですか?」
サナエが尋ねると、男性は両手で頭を抱え苦しそうに頷いた。
「エルシィ、誰か近くに見えない?」
サナエが言うと、エルシエッタは立ち上がり、辺りを見回した。ナッサヘルク側の遠くから商人の馬車の一団が街道を近づいて来るのが見えたが、近くに人の気配は無い様だった。
「ねぇ、あれ!」
ようやく追いついたメルリが指を差したのは、リゾン湖だった。等間隔に植えられた木の向こうに陽光に光る湖が見える。
メルリの差した先には、湖に浮いている小舟があった。
「ランティ!」
エルシエッタが指示すると、青色烏のランティが飛び立ちその小舟に向かった。
「馬車が来るわ、ここを離れましょう」
サナエは、男性にエルシエッタと二人で肩を貸して湖岸の方に移動した。
ここは、大人に助力や知恵を借りるのが正解ではあっただろうが、メルリの素性を知っている人物に出会うと厄介だと判断した。
並木の所まで来ると、そこから湖岸までは下がった場所になっていた。先程男性を介抱していた場所も、少し小高くなっていたので、湖が見えたのだろう。そこから見ると、船の位置はだいぶ離れていた。二、三人乗りの小舟に見えていた船は、大人十人近く乗れそうに見えた。
船に近付いたランティが、グアッと鳴いて船の周りをぐるっと飛んだ。
「誰か居るみたい」
エルシエッタが言うと、ロングが走り出していた。
スフレは、ピョンとすぐに飛び降りて、サナエの肩に飛び移っていた。
ロングは、躊躇う様子もなく坂道を下り、ドボンと湖に飛び込んだ。そして、スイスイと犬かきであっという間に船の側に泳いで行った。
船の側に着いたロングは、水に浮かぶ船のロープを見つけ、それを咥えると岸に向かって泳ぎ始めた。
「ロング!頑張って」
船を引っ張って泳ぐのは大変らしく、さすがのロングも苦戦している様だったが、それでも船は岸へと近付いて来ていた。
「ミーニア…」
男性は、まだ立てず座ったままその様子を祈る様に見ていた。
その口から発せられた名前は、その船に乗っているであろう人の名前なのだろうと、サナエは思った。そして、その様子から彼の大事な人なのだろうと、その安否が気になった。
その頃、ナッサヘルク城では、マルナが顔を真っ赤にし、怒りを露わに廊下を早足で歩いていた。
その後ろを、泣きそうな顔でリリーナが続いた。マルナの速度にリリーナは追いつかず、しかし走るわけにはいかず足がもつれそうになりなっていた。
「全く、本当に、貴方と言う人は。どうして気がつかなかったのです?」
それはリリーナに先程から何度も言っている言葉だった。最早それは、マルナの苛立ちの呼吸から自然と言葉になっている様だった。
鼻息荒くマルナは、王妃の元へと向かっていた。
メルリが家出をした事がつい先程分かったのだった。
「王妃。マルナで御座います」
部屋の扉をノックすると、中に声をかけた。
すぐさま、中からシーナが「どうぞ」と返答した。
扉を開けて、二人は腰を下げて一礼をすると、室内に入って行った。
「マルナ、何かあったの?まぁ怖い顔をしているわね」
「も、も、申し訳ありません」
マルナは、自分の表情が怒りで固まっていた事にようやく気付いた。何度か深呼吸と手で顔の筋肉をほぐして、何とか冷静な表情を取り戻した。
「で、どうしたの?」
王妃は、悪いと思いながらも少し笑いながら再び尋ねた。
「メルリルーク様が、家出なさいました」
「あらぁ」
王妃は、口に手を当てて驚いた様に振る舞ったが、それ程驚いている様には見えなかった。
「今日は、早い朝食をご所望されて、かなり早くに召し上がったそうで、昼までサナエと魔法の勉強をするとか言っていたそうです」
「私が、ご昼食の準備をして地下室にお呼びに上がりましたら、手紙が置いてありまして…」
リリーナは、マルナに散々聞かれた内容を説明した。
王妃は、別段慌てる様子も無く、二人にニコリと笑いかけた。
「まぁ、予測していた事ですわ。サナエとマルスも付いて行っているのでしょう」
「はい。サナエ姿が見えませんので、おそらくは」
「手紙には何と?」
「婚約したくない事と、しばらく友だちに世話になると…行き先は書いてありませんでした…」
マルナがため息混じりに報告した。
「あの、ここ半年、パンスティークの王女様とお手紙のやり取りをしておりまして、先日もお返事を頂いたばかりです。もしかしたら…」
そのリリーナの報告に、少し王妃の表情が曇った。
「それは、困ったわね…」
「早くそれを言いなさい!」
マルナも表情を硬らせてリリーナを叱った。
リリーナは、驚いて謝るしかできなかった。
「国境を越えたら、連れ戻せないわ。早めに後を追わせましょう。マルナ、ヘレナメルクとカジェスを呼んで」
「分かりました」
マルナは、すぐさま部屋を出て行った。リリーナは、どう立ち回ればいいか分からずに立ち尽くしていると、
「リリーナ、ごめんなさいね。勝手気ままな子で」
と、王妃が謝罪した。
「そそ、そんな、私などが仕えさせて頂いて光栄です」
リリーナは、慌ててそう言った。
「帰ってきたら、しっかり叱っておきますので、これからもよろしくお願いしますね」
「わ、私こそ、至らぬばかりで申し訳ありませんが、ぜぜ、ぜひ、これからも、よ、よろしくお願いいたします」
リリーナが目を白黒させていると、ドアが強くノックされた。
「カジェスです」
それは、メルリの兄、第一王子のカジェスの声だった。
「お入りなさい」
王妃が直々に応えると、シーナが扉を開けて迎えた。
「失礼します」
カジェスは、メルリと同じ様に金髪だが、癖は無く短めに切り揃えられている。眉が凛々しく好青年然としている。
「カジェス、マルナから聞いたと思いますが」
「マルナ?」
カジェスは、マルナと会っていない様で、少し眉を寄せた。
「聞いておりません。私は、ラッドレイスの使者からの報告を受けて参りました」
「そうですか」
カジェスは、王妃の様子に戸惑いながらも、自分の受けた報告をしなければと思い直した。それだけ重要な案件だった。
「ラッドレイスからの船が間も無く入港します。一昨晩よりリゾン湖入り口で我が水軍護衛の上、待機しております。今朝、使者がこちらに到着し、先程、王より入港の許可が降りたところです。が、問題が発生してしております」
「問題?」
「はい。使者からの報告によりますと、ラッドレイスの第四王子のドミーク様が、船から居なくなったそうでして…一昨日には、船で見かけたそうですが…」
「あらぁ」
王妃は、思わず苦笑いしてしまい、手で隠した。
「その王子の捜索の許可を求めております。事の性質上、公にはできず、私の一存で許可を出してしまいましたが、お知りおき頂きたいと思いまして」
その場に居たシーナとリリーナは、どう言う顔をしていいのか分からず、表情を引き攣らせていた。
「二人とも居なくなるとは、困りましたわね…」




