「私の為に泣いて下さるのかしら」
創世暦千六百八年。聖冠暦三十二年。
メルリルーク王女が生まれる千年以上前。
ナッサヘルクの第二王女のサリーナは、港に入るその船団を心待ちにしていた。
その船団が港に着港した知らせを受けると、すぐさま部屋を飛び出して向かう程だった。
「ランス様ー!」
侍女にはした無いと言われるのを承知で、大きく手を振ってその彼、ランス・ロンドラードを出迎えた。
「サリーナ」
ランスもまた、待ち切れなかったという表情で無邪気に手を振る美しい少女に手を振って応えた。その様子を見ていた騎士団隊長のゴードス・ガインの咳払いにランスは肩を窄めて、口を大きく動かして、サリーナにまた後でと声を出さずに伝えた。
それを見てサリーナは、不満そうに頬を膨らませた。
サリーナの父王のグナークが治めるナッサヘルクと言う国は、ルスカール大陸の北東の一部を治める国だった。
当時ルスカール大陸は、三十あまりの民族により五十もの国に分かれていた。
大陸北方のヴァンティーユ連峰を中心に生活していたヴァンナットと言う山岳の民が興した国がメッサ、ゼネルカ、ナッサヘルクの三国であった。メッサは、北方、ゼネルカは、山岳地帯、ナッサヘルクは東岸と、それぞれの王を立て国となった。それが創世歴千五百年頃。それから百年余りの時が過ぎていた。同民族の三国は、交流しそれぞれの特徴を活かしてお互いの国を補い合いながら良好な関係を続けていた。
着港した船は、隣の大陸レーナルスの国、ソムス・エルーセスの船で、乗船しているのはその国の若き王、スラント・バーシナルである。まだ二十代半ばの活気溢れる肉体をしているが、その目の奥は遠くを見つめて果て知れぬ雰囲気を持っていた。その彼が王となる数年前から、このナッサヘルクに年に数回訪れるのには訳があった。魔鉱石と言う力を宿した鉱石があったからだった。その扱いには素質が必要とされるが、その戦力は絶大だった。そこに目を付け、鉱石の取引と扱える者の派遣と言う交易をする為だった。
ナッサヘルク側は、当初は周囲国の反対も有り断り続けていたが、ナッサヘルクの王グナークは、スラントの野心的ではあるが自らの夢に向かう真っ直ぐさと、歯に絹を着せぬ振る舞いに、いつしか信頼と尊敬を寄せるようになった。そして三年程前から取引を行う様になっていた。通商が始まっても尚、自ら訪れるスラントに惚れ込み、ナッサヘルク王は、十以上年下の男を友と呼ぶようになった。
「グナーク王、今年の香辛料はかなりできが良く豊作だった。昨年よりもこちらが多く出そう」
「おぉ、それは助かる。近々子どもが産まれると聞いたが、奥方の具合は大丈夫だろうか?こんな所に来ていて良いのか?」
「それは、専門がいる。俺が慌てた所で、それに関しては何の役にも立てまい。二人目ともなれば、いない方が穏やかに済むだろう」
スラントが笑うとグナークもつられて笑った。
「妻としては、気に掛けて側に居てくれるだけでも心強いものですわよ」
ナッサヘルク王妃のエレナは、気楽な夫たちに言葉柔らかくも冷めた口調で言った。
「いや、すまん、男親はつい子どもに関しては任せきりになってしまうな」
「いや、そう言われてしまうと、耳が痛い」
二人の王は、王妃の言葉にバツが悪そうに苦笑いした。
「子どもと言えば、グナークの末の子、マルクスももう五つだな」
「あぁ、長女に似て身体の弱い子ではあったが、最近は体調も良く、剣や弓の稽古もする様になった。其方から貰った薬は良く効いているようだ」
「薬と言うよりは、栄養価の高い木の実だが、それは良かった」
グナークは、玉座から立つと、スラントの元に降りて行き、その肩に手を当てて謝意を伝えた。
「こちらの望む取引をして貰っている以上、何かあっては関係にしこりが生じかねない。何か有れば頼って欲しい」
スラントの言葉に、グナークは涙を浮かべる程極まって何度も頷いた。
「この間、マルクスが兎狩りに連れて行って貰ったのよ。でも、まだ上手く弓も引けないから、ザンザスの馬に乗せて貰って追い立て役をやったのよ」
「それは凄い。僕が同じ歳の頃は馬の大きさに怖がって泣いていたよ」
「まぁ、ランス様も泣く事があるの?」
城の中庭の東家で、サリーナとランスは寄り添い話をしていた。
お互いに違う国で育ち、生活している二人が会えるのは、こうして交易の船が出た時だけだった。それも、騎士として王の護衛と言う名目があるからランスが来られるだけで、それが無ければ手紙のやり取りだけとなってしまう。国を出た事のないサリーナには、隣の大陸は果てしなく遠く、国に戻れば王付きの騎士の端くれとは言え、地方領主の次男でしか無いランスにも、霞んで見える距離だった。
お互い惹かれあっている事が、独りの時よりその距離の哀しさを深め、こうして会っている時に手繰り寄せるかの様に想いは燃え上がっていた。
二人でいる時は、会えなくなる時の事は口に出さない様に互いに気を付けていた。
「僕だって、泣くさ。幼い頃の様に声を上げて泣く事は無いけど、悔しい事や辛い事は起こるものさ」
「ランス様は、私の為に泣いて下さるのかしら」
サリーナが憂いの瞳でランスを見つめた。
ランスは、その表情の儚げな美しさにドキリとした。それと同時にそんな表情をさせたのは自分なのだと自分を責めた。
「サリーナ、君が悲しい時は、僕も悲しい。君が嬉しい時は、僕も嬉しい」
ランスは、サリーナの風にそよぐ柔らかな栗毛をそっと手に取ると、すく様に指先で撫でた。
「僕の悲しみの涙は、君だけのものだ。君の悲しみの涙は、僕だけのものだ。でも、僕たちには、喜びの涙だけが流れると僕は君に誓う」
ランスは、風に遊ぶサリーナの髪を撫で、そしてその小さな耳に触れた。そしてそっと風の様に自分の唇をサリーナの唇に重ねた。
ランスの誓いの口付けに、サリーナの目からスッと涙が流れた。
その夜、ナッサヘルク王から、サリーナとランスの婚約が発表された。
「サリーナ、ランス、許せ。許してくれ」
グナークは、感情薄くそう言った。
「深き眠りの中で彼の者の時を止めよ」
サリーナとランスの婚約の発表がされた日、サリーナとランスは南方へと数日の旅行に行く事になった。提案をしたのはスラントであり、グナークもまたそれを許した。婚約をするとは言え、ランスはまたすぐに一度国に戻らなければならない。ランスがナッサヘルクに来る事になれば、その準備でかなりの間会えなくなるだろうと、二人を不憫に思っての事だった。帰りの船の出港予定を考えると、早速翌日から出かけた方が良いとなり、二人は急かされるまま旅の準備をして、翌朝に旅立った。
婚前の思い出深い旅になるはずだった。だが旅立って四日後、二人は旅行先で何者かに襲われた。それは物取りでは無く、明らかな殺気を二人に向けた。従者を失いながらも逃げ延た。だが、城に戻る途中でどう言う訳か、二人はナッサヘルクの兵士に身柄を拘束され、山中の砦に幽閉された。事情も説明されぬまま、深夜に二人の前に現れたのはグナークだった。
二人の前に立っていたグナークは、二人の知るグナークには思え無かった。
深淵を覗いている様な目が、松明の揺れる灯りの中で二人を見ていた。
何よりも二人を驚かせたのは、グナークは顔中に酷い火傷の痕が広がり、皮膚が引き攣っていた事だった。その火傷は、治癒魔法で処置されてはいたが、治癒が追い付かずそのままになっていた。
魔法を掛けようと二人に向けられた腕も皮膚が骨に張り付いた様になっており、指は人差し指と薬指が途中で欠損していた。
サリーナとランスは、動けぬ様に縛られたままグナークを見つめた。
「お父様!何があったのですか?!どうしてこんな事!」
サリーナは、その父の姿に心配と悲しみを深く感じて泣いた。
「グナーク王!」
サリーナもランスも何が起きたのか理解できなかった。
グナークが、こんな姿になっている理由も何故二人を拘束し、魔法を掛けようとしているのかも。
二人の婚約が発表されたあの夜から数日の間にこの国に起こった事を二人は、知らなかった。
そして、それを知る事も無く、グナークの魔法によって、二人は深い眠りの中に閉じ込められてしまった。
グナーク王の慟哭が夜の山に響き渡った。




