「こんにちは?」
少女は、薄暗く湿った空気の中、手にした松明の灯を頼りにその魔鉱窟を進んで行った。
この場所は、盗掘家の間でも入ってはならないと恐れられている場所だった。だが、その少女の好奇心は、周囲が声を顰める程、高まっていた。
少女の名前はユイ。ヴァンナットの特徴である黄色系の肌の色で黒髪の少女だった。長い髪を結い、背中で纏めている。手入れのされていない太い眉に吊り目で、その瞳の色は至極色だった。
彼女は、両親の名前も顔も知らない。だから、ただ、ユイ。その名前も、物心ついた頃自分で何となく名乗り始めた名前だった。それまでは、「おい」とか「お前」とか「ガキ」とか、大雑把に呼ばれる事はあっても個人を特定する様な名称は無かった。だから、町で小さな女の子が飼い猫を呼んだ名前の響きが気に入って、自分の名前にしたのだ。
十四歳になるであろうこの歳まで生きられたのは、運が良かったとしか言うしかない。両親を殺害した盗賊の内の一人の女が、生まれたばかりのユイを自分の子どもとして育てようとした事から、ユイの命は繋がった。
ユイにしてみれば、仇ではあったが両親の記憶が無い以上、どう捉えていいのかいまいちピンと来なかった。ユイを引き取った女も三年後に捕らえられ、獄中で命を落としたと聞く。仲間の居場所を吐かなかった為、苛烈になった拷問で殺されたのだ。その女は、ユイを本当の娘に思い、彼女に女と同じ目に合わせない為だったのかも知れない。
その女に付けられた名前が有ったのだろうが、ユイ本人はその事を覚えてはおらず、周りもまだ役に立たない彼女に興味など無かった。一人になったのは、六つになったであろう頃だった。盗賊団のアジトを魔獣の一団が襲ったのだ。ナッサヘルクの魔獣軍が訓練を行った場所がたまたまその地域だった。集落として国に届け出されている訳でもなく、人里の無いはずのその場所が選ばれたのは不幸な事だったが、魔獣を使役する魔操兵は、盗賊たちがいた事実を知ると喜んだ。殺害しても良い抵抗する標的を得られたのだ。
ユイの目の前で次々と死体が出来上がっていった。彼女はただ怯えるしかできなかったが、運良く崩れた家の中で潰れずに隠れてやり過ごす事ができた。
静かになったアジトの中を、瓦礫から這い出しフラフラと彷徨い歩いた。行く当てなどどこにも無かったが、残された保存食を持てるだけかき集めて、袋に入れて担ぐとアジトを後にした。
それからも地獄だった。まだ幼い彼女が生きて行くには辛すぎた。洞窟や巨木のうろに眠り、常に空腹だった。熟れて落ちた木の実を食べたり、野草を食べて命を繋いだが、何度も死にかけた。獣に襲われる事もあれば、食べた物に毒があったりした。
時折、村を見つけては、物乞いをした。
稀に幼い彼女に食事と寝床を提供してくれる親切な人も居たが、それが叶わない時は、盗むしか無かった。何度か見つかって木の棒で殴られる事もあった。ユイは常に生きる事に必死にならなくてはいけなかった。
それから、生きて行く為に盗掘をする様になった。魔鉱窟で採掘できる魔鉱石は、戦時高く買い取って貰えるのだ。その分危険は伴い、ほとんどが国が管理している為、見つかれば処罰を受ける。それでもユイは、生きる為にそれをしていた。
盗掘家の中でも、手を出すべきでは無いと恐れられているその魔鉱窟に彼女が向かったのは、好奇心が強く反応したのもそうだが、名を上げたいと言う気持ちがあった。同業者には男性が多く、筋力では敵わない。盗掘と言う体力勝負の仕事では、どうしても遅れを取ってしまう。その事で馬鹿にされたり邪魔扱いされるのが気に食わなかった。その上、体つきが女性的になってゆくにつれて、性的に迫られる事も多くなり、その都度相手を痛めつけているが、身の危険は強く感じていた。だから、手っ取り早く名を上げて稼げる仕事がしたかったのだ。
その魔鉱窟は、かなり整備されていた。しかし、魔獣の気配も、罠が仕掛けられている様子も無かった。そこに漂う空気は冷たく湿っているが、何故そこまで恐れられているのか見当も付かなかった。
「何なの?ここは…」
拍子抜けを感じながらも、彼女を警戒させるのは経験だった。
安心など、今までの人生の中で一度も無かったのだ。
整備された階段を降りて行くと、少し開けた部屋があるだけだった。同じ様にその下も更にその下も何も無い部屋があるだけだった。その壁も整えられており、発光する魔石を散りばめられている様だった。
「光よ」
ユイは、壁に手をついて唱えた。すると、壁が光を放ち、部屋全体が明るくなった。
「高度な魔法建築」
ユイは、驚いた。
ユイは、自分の出自こそハッキリしないが、ヴァンナット人で魔素量に恵まれている事を数年前に知った。それまでは、気にした事も無かったが、同業者に魔術を扱う老人がいた事で、知る事になった。魔法も使えるだろうと言われて、興味本位でその老人に師事した。その老人が酒の飲み過ぎで川に落ちて死ぬまでの三ヶ月間と言う短い中で、何とか炎と風の魔法を扱える様になっていた。光の魔法はまだ扱った事は無かったが、既に光の魔法を帯びている壁にきっかけを与えるだけだった為に、ユイにも壁を光らせる事ができたのだ。
だが、その部屋にも何も無かった。盗掘家としては、何の成果も上げられない状況に嫌気が差していた。ここにあった物は既に誰かに持ち出されているのだろう。魔鉱石を掘ろうにも、この壁にツルハシを入れるのは憚られた。
このまま何も無ければ、壁を砕いて持っていこうかしら。と、ユイはため息をついた。
何の成果も上がらないこの場所の噂に余計な枝葉が付いて、恐れられる場所にまで祭り上げられてしまったのだろうとユイは推測し始めていた。だが、これ程高度な壁と作りに何も無いはずがないと、ユイは同時に考えていた。
何らかの目的が必ずある。でなければ不自然すぎる。
その確信めいた思いがユイの足を進めさせていた。
「今までここに来た人が見つけられなかった何かがある」
ユイは、自分に言い聞かせる様に呟くと、更に奥に進んでいった。
そこは、やはり何も無かった。
一つ違ったのは、目の前に扉の様な物がある事だった。
それは扉に見えるが、押して開くのか引いて開くのか、はたまた横にずらして開くのか見ただけでは分からなかった。
扉は、真ん中で縦に分かれており、その中央に文字がより集まった様な模様が刻まれている。ユイは、文字が読めず、それが何を意味するものか全く分からなかったが、師事した老人が持っていた本の中に似たものがあった様に思えた。その文字は一般的なものではなく、魔術的な紋様に使われるものだった。ユイはそこまで思い出せはしなかったが、本で見た即ち、魔術に関わるものだと理解した。
「開け」
紋様に手をつけ、先程壁にやった様にしてみた。
すると、紋様が光を放ったと思うと、ズズズと扉が両側に開いていった。
ユイは、体から急激に力が抜ける感覚を覚えた。
魔素を持ってかれた?
扉を開く為だけに、炎などの魔法を使う時よりも多くの魔素がユイの体から扉の紋様に流れたの事を感じた。
魔素の多めのユイでなければ急激な魔素枯渇で命を落としていたかも知れない。
知識の少ないユイは、その事実も知らずにただ驚いた。
扉が開くと同時に、冷たい空気が流れ出てきた。
ユイは、その寒さに身震いしながら、扉の先へと進んだ。
そこには、棺の様なものが置かれていた。それは、棺の様だが、棺よりも一回り大きい様に思えた。
「この中にお宝が…」
ユイは、自分が間違っていなかった事の証明ができる事と、そこに眠る財に思いを馳せながら、棺の蓋を渾身の力を込めてずらした。
重い蓋を何とかずらすと、より強い冷気がユイの鼻を冷やした。一気に冷えて、痛くなり、顔を背けてすぐ手で鼻を温めた。
持っていた布で顔を覆って、そっと中を覗き込むと、美しい金髪が見えた。
「えっ!?」
予測していたとは言え、その中に横たわる何者かがいた事にユイは驚いた。
驚きながらも、その人物が遺体には見えなかった。まるで生きているかの様な肌の色と髪の艶だった。見えたのは男性だった。
ユイは、一緒に埋葬されているだろう装飾品の有無が気になっていた。遺体など金にならないが、これ程丁寧に埋葬されているのならば、かなりの身分で、高価なものも一緒に入れられているはずだった。
そして、更に蓋をずらすと、男性の隣にもう一人居るのが分かった。それは美しい女性だった。見たところ、ユイとそれ程変わらない歳の様だった。
「綺麗な人」
肌が白く、髪は透き通る様に艶やかな栗色をしている。閉じられた目のまつ毛は長く、形の良い唇は、ふっくらとしている。
見れば見るほど、死んでいる様には見えなかった。
しかし、二人とも、上等な服を着てはいるが、装飾品はほとんど付けてはいない上、棺に入れられてもいなかった。
ユイはガッカリして、息をついてその場に座り込んだ。
「くたびれぞんかぁ」
頭を抱えて、項垂れ、しばらく落ち込んでから、棺の蓋を戻そうと考えた。
服を剥ぎ取る事も考えたが、わたしは、そう言う奴らとは違う。と考え直した。盗みはするが、無節操ではありたく無い。ユイは、そう考えていた。そこに何の違いがあるのかは、ユイ本人の判断や感覚によるところだが、ある一定の線引きをする事で、自分を正当化しようとしていた。落ちきらない。それが彼女の一線だった。
だから、棺の二人をそっとしてあげたいとおもったのだ。
ユイは、気を取り直して立ち上がると、蓋に手をかけた。だが。手をかけたまま、固まった。
「な、ななな、な?」
棺の中の女性が、目を開けてユイを見ていたのだ。
「こんにちは?…?」
その女性も戸惑った様に大きな目をパチクリとさせていた。その瞳は、ユイと同じ至極色だった。
「…おはよう?」
ユイも困惑に顔を引き攣らせながら、何とか言葉を発した。
それが、サリーナとユイの出会いで、初めての挨拶だった。




