「冷えますから中へ」
ロイドは、その光景に足が止まざるを得なかった。
迎賓館のその部屋の破壊された扉のあった場所から、大量の水が溢れ出て、辿り着いたばかりのロイドの足を押した。
「何だこれは?」
押し寄せた水に足を取られ、咄嗟に壁に手をつけなければ倒れていただろう。それ程突然の事だった。
こんな場所で水が?
ロイドは、それが今までの経験上あり得る事か考えを巡らせたが思い当たらなかった。
この部屋で何が起こっているのか、彼の理解を超えているのは明らかだった。
魔法?
この大陸でごく稀に扱う事ができる力の存在を聞いた事があった。それは、ロイドの大陸では、御伽噺の様に語り継がれている力。ヘンネルース神聖教では、悪魔の妄想として否定されている力。
そんなものが実際にあると言うのか?しかし、これはそうとしか思えない。
ロイドは、その考えが神の教えに疑問を唱えるに他ならない。だが、彼の自分で確かめるまでは否定しない潔さが、その可能性を彼に考えさせた。
もし魔法だとしたら、襲撃した何者かの力なのか、部屋にいた人物なのか…
ロイドは、触れたことの無い現実に対して慎重になっていた。
そのまま、部屋の中の様子を探った。
「みんな大丈夫?」
イクノの声が聞こえた。
サナエとメルリが水を飲んだらしく咳き込みながら「大丈夫」と応えた。
「すみません。取り逃してしまいました」
イクノは、悔しそうにローブの女が流れて行った窓の外に目をやった。この部屋から逃げたとは言え、逃げ切れるのだろうかとイクノは疑問だった。
「仕方ないわ。わたしだって、びっくりしてしまったもの」
メルリも、あの女がまさかあんな形で逃走を図るなど考えても居なかった。メルリは、破壊された窓の破片が散らばるバルコニーに出ると、スカートに染み込んだ水を絞りながら壊された手すりを避け下を覗き込んだ。そこに女の姿はどこにも無かった。
「危ないよメルリ」
バルコニーに出たメルリを追ってサナエがその腕を掴んだ。
メルリは、その腕を手繰り寄せる様にサナエを抱きしめるた。
「頑張ったねサナエ」
「でも、やられちゃった」
「相手に手傷を与えて冷静さを奪ったわ。わたしも勢い任せだったけど、そのおかげで隙ができたわ」
何より、サレアナが無事に守れた事が誇らしかった。
あの女が何を目的に行動したのかは、判然としなかったが、黒衣の男と何らかの繋がりがあるのだとサナエもメルリも確信していた。器、紛い物、共通して口にした言葉がその思いを強めた。
サナエは、ポランナの行方を追う事になるのならば、メルリを狙う何者かたちと対峙しなければならないのだと知った。
メルリは、女が口にした器の意味を考えていた。ポランナを攫った事、この部屋を襲撃した事。二つの器。魔素を多く持つ人物をそう呼んでいるのだろうかとメルリは推測した。サナエを紛い物と呼んだのも、彼女の魔素はサナエ本人の物だけに由来しない魔素だからだろう。魔素を感知する能力を持ち、それを追っているとしたら、城の地下に存在を強めた魔素の塊の存在が引き寄せたのかも知れない。
だとしたら、自分の存在が、ポランナへの道を繋げるかも知れないとメルリは考えていた。
「メルリ?」
バルコニーから外を眺めるメルリにサナエは不安を感じた。
「冷えますから中へ」
落ち着きを取り戻したマッサマが二人に言った。
「そうね。濡れた格好でこんな風通しの良い部屋にいたら風を引いてしまいますわ。わたしの部屋に行きましょ」
サナエは、それを言われて改めて自分の濡れた姿に気付き恥ずかしくなった。透けてはいないが、人に見られたらたまらないと濡れたスカートをたくし上げて絞った。
「どうやら、みんな無事の様ですね」
そこへ、落ち着いた雰囲気に警戒を解いたロイドが、部屋に入ってきた。
「え…?」
ちょうどサナエがスカートを絞る姿が、マッサマが灯し直した灯の中に居た。たくし上げたスカートの下の白い太ももが、あらわになっているのがロイドの目に映った。
「な…」
さすがにロイドも動揺して、固まった。
「きゃあぁぁぁぁ」
サナエの悲鳴が響き渡った。
「これは、どう言う事だ?」
その光景を目にしたシルバは、眉を顰めた。
大地門の前には、焼け焦げた兵士たちが何人も倒れていた。石の門を飾る布は焼けて落ち、残った布は炎を上げている。その明かりが映し出すのは、瓦礫と焦げた床。その中に、倒れているガルナスとラナックも居た。
一番異様なのは、倒れていた大男が起き上がり、異様に巨大な両腕を振り上げてこちらを見ている事だった。その肌は、赤熱しているかの様な色だった。
「ガハハハハァ!また来たか!」
力を放出した事で、自我を取り戻したゴルバは、新手の登場に嬉しそうに声を上げた。
ジナークは、その声に疲労を感じ取って、急がなければと焦りを覚えた。自分のラナックから受けた傷も癒さなければ、命に迫りかねなかった。
シルバは、門の前にいる見窄らしい老人が何をしているのかが気になった。シルバ自身は、その門の構造がどうなっているのかなど、魔法学的な観点からは何も知らないが、指輪が無ければ開けられないなど、そこまで信頼してはいなかった。高度な魔法知識と技術が有れば、解錠が可能では無いかと、その可能性を否定しないところに、彼の慎重さと思慮深さがあった。
何としてでも、解錠は阻止せねばならない。
シルバは、護衛の盾隊を前に出した。そして射手に大男よりも老人を狙う事を命じると、自らは、大男の前に出た。
「ガハハハ!その息や良し!」
ゴルバは、嬉しそうにシルバに対峙した。
「賊がどの口で言う」
シルバが盾で牽制しながら、ゴルバとの間合いを図った。
ガルナスや疾風の騎士として名高いラナックまでも打ち倒したとすれば、かなりの使い手だとシルバは、ゴルバの力量を測ろうとした。だが、打ち込まれる拳の動きを見て、武人としての研鑽の後は見えなかった。
となれば、別の力…
焦げた遺体や飾り布や壁が、目の前の大男の力によるものだとしたら、二人の苦戦は納得がいった。
大男の右腕に生えている様な石がシルバに嫌な匂いを感じさせていた。
やるしか無いな…
シルバは、気が進まないが、それをしなければならないと覚悟をした。
意識をグッと集中して、手にしている盾と剣の力を解放した。
「冷気よ」
シルバの剣と盾を取り巻く空気が張り詰めた。




