「ノックもせずに失礼よ!」
来るっ。
イクノは、剣を抜き放つと下段に構えてジリジリとスタンスを攻撃体制へと整えた。まだ何かが見えたわけではなかったが、迎賓館の広めの廊下の端から端まで意識を広げた。長年鍛錬し、幾つかの戦闘経験が聞きに対する肌感覚を敏感にさせていた。
イクノは、サレアナの部屋の扉の外に立ち、警戒していた。館内だけではなく、城全体が何らかの事態の渦中にある事は、伝わってくる緊張感やざわめきに感じていた。先程の城の方での轟音も気になっていたが、今はメルリたちの護衛が最優先だった。エルラーナの事も気になったが、マッコスが近くにいる筈だと自分に言い聞かせた。懸念が動きを鈍くする事があってはならなかった。
ジワリと汗が流れるのを感じた。いつの間にかイクノの褐色の肌にじっとりとまとわりつく様に汗をかいていた。
鋭敏になった聴覚が足音を捉えた。
この異変の中で、無数の足音と声は聞こえていたが、明らかに意思を持ってその足音はこちらに向かってきていた。まるでメルリたちのいるこの部屋が目的の場所として認識しているかの様だった。
まさか…
イクノは、その印象を思い過ごしであれば良いと願った。
だが、メルリとサナエに危害を加えようとする何者かがいるならばそれは許せない事だ。サレアナと言う、パンスティークの王女が標的であってもだ。少女たちを何者かの都合で苦しめるなどあってはならないとイクノは、足音のする薄闇を睨んだ。
窓から差す月明かりの中にその姿が、窓を通るたびに浮かんだ。
ボロ布の様なローブを纏っている様だった。月明かりに照らされてはいるが、影が意思を持って動いている様な不気味さをイクノは感じた。そこから人とはズレている様な異様な気配を感じていた。
イクノは、見た。
そのローブの下から月明かりに光る双眸を。
それは、イクノを、いや、その背後の部屋を見ていた。
「何者!」
イクノは、威嚇を込めて声を上げた。
イクノを視認した双眸の下の口元が笑むように歪むのをイクノは見た。
「水流の刃」
ローブから微かに声が聞こえた。
すると、構えているイクノの足元に水溜まりが現れた。イクノは、すぐにそれに気が付き、一歩後退したが一瞬遅かった。水が渦巻き、間欠泉の様に吹き上がった。高圧に吹き上がった水は様に鋭くイクノの残った左足を服ごと切り裂いた。足の皮膚に無数の裂傷が走り、血が廊下の絨毯に飛び散った。
「クッ!」
走る痛みにイクノは、片目を歪めたが、倒れずに立っていた。かなりの痛みがあるが、動けぬほどの傷ではなかった。
迫るローブにイクノは、剣を横薙ぎに振った。
「水の盾」
ローブから突き出された手の先に半球型に水が現れた。それがイクノの剣を受け止めた。水の盾は斬撃に強くは無いが、牽制に近いイクノの攻撃に対してその剣速を殺すには十分な効果をもたらした。
「水の矢」
飛散しかけた水の盾をそのまま水の矢としてイクノに向けて放った。
咄嗟にイクノは、剣を引き撃ち落とそうとしたが、一部を切っただけで、水の矢はイクノの左肩を掠めた。それは、肩の鎧を弾きとばした。
その衝撃にイクノは、左足を一歩引いた。ズキンと傷付いた足に痛みが襲いよろけた。
「水の槌」
そこにローブの追撃が容赦無く続いた。
「アアァッ!!」
イクノの眼前に現れた大きな水の球がイクノの顔面にぶつけられた。圧縮された水は重くイクノを押し潰す様に襲いかかり、イクノは急激な圧力に一瞬にして意識を奪われた。
サナエは、扉の外で起きている事が心配で飛び出していきたい衝動と、そこにいるであろう何者かの魔素を肌に感じて足がすくむ体とが葛藤していた。出て行った所で何ができるか分からない上に、メルリとサレアナに危険が及ぶ可能性も高くなる様で行動に自信が持てなかった。あの王子が言っていた事をサナエは思い出して悔しかった。
言う通りだ。わたしの力で何ができるだろうか…
飛び出して行ってもイクノさんの足を引っ張るだけだ…
サナエは、唇を噛んだ。
それでも、できる事はやるって決めたんだ。
今それは、この扉からその何者かが来たならば何としてでも退ける事。
サナエは、鼻から強く息を吸って、腹にためた。
イクノが覚悟を持って騎士として、メルリを護ってくれているのだ。今はそれを信じなければ。万が一が有れば、その時はわたしの出番だ。
その時は、すぐに来てしまった。扉の外で大きな衝撃音が響いた。そして、それに続いて扉が破壊された。
硬い木の扉がひしゃげて破壊されると同時に大量の水が室内に流れ込んできた。
「きゃあああ!!」
サレアナの恐怖が悲鳴となって部屋に響いた。マッサマは、サレアナを、抱きしめながら震えていた。状況は分からないが、恐怖は感じていた。
「ノックもせずに失礼よ!」
メルリは、気丈にローブの者を睨みつけた。
サナエは、剣を抜く事もできずに震える足で立っているのがやっとだった。
「器が二つ、揃っているとは、都合が良い」
「ウツワ…」
サナエは、聞こえた言葉に聞き覚えがあった。
「あの時も、そんな事…」
目の前に居るのは、あの黒衣の男では無い様だが、その言葉が同じものを指しているのだと感じた。
「ポランナを連れて行ったのは貴方たちね…」
サナエの中に怒りが生まれた。
あの時何もできなかった自分への怒り、ポランナと言う女の子を連れ去った怒り。
「ポランナ?…あぁ、間違ってあいつが連れて来た子供の事か…」
サナエは、剣を抜くとローブに斬りかかっていった。
「あの子を返して!」
その切先は、ローブの端を裂いただけで届かなかった。
サナエに人を斬りつける覚悟が足りておらず、踏み込む事ができていなかったのだ。それでも感情に任せて、剣を振った。
「水の礫」
サナエの剣を軽く躱しながらローブが放った水の球がサナエの胸を打った。
「くぁっ」
その衝撃にサナエは、声と唾液を口から吹き出した。防具をつけていないサナエには、かなりの痛みだった。苦しさに何度か咳き込んだ。
「紛い物には用はない!」
紛い物…
サナエは、痛みに目に涙を溜めながらキッとローブを睨んだ。あの黒衣の者も言っていた。それが自分の事を指す言葉だとサナエはハッキリと理解した。
やっぱり、メルリが目的なのね。そんなの絶対にさせない!
サナエは、咳き込んで出た唾液を袖で拭って、そして強い気持ちで剣を構えた。
「メルリには、触れさせない!!やあぁぁぁぁ!!」
サナエは、叫びながら剣を高く構えて、一歩踏み込むと叩きつける様に振り下ろした。
「水の障壁」
ローブとサナエの間に水の壁が現れた。それは、サナエの剣を押し戻す筈だった。だが、サナエの持つ剣が刀身に淡い光を宿し、その壁を物ともせずに切り裂いた。
「な、に!?」
サナエの剣の切先は、ローブに振り下ろされた。
振り下ろされた剣は、ローブのフードを切り裂き、その下の顔の皮膚を縦に切り裂いた。ローブの者は額から頬に掛けて裂傷を負い、顔の左側を血に染めた。
「ぎゃあぁぁぁ!」
予測しなかった痛みにローブは、声を上げた。右手で切られた顔を抑えて右目でサナエを睨みつけた。
ローブのフードが切られた事で露わになった顔が、女性でサナエは一瞬驚いた。それと同時に、自分の手で人を傷付けた事を自覚して手足が震えていた。
「紛い物があぁぁぁ!!」
ローブの女の憎しみを込めた叫びに部屋がビリビリと振動した。




