「とても美しくてつい」
ロイド・シェッツフェルド・ロンドラードは、早朝の日課である剣の素振りと形の鍛錬を終えて、迎賓館前の庭に置かれたガーデンテーブルの椅子に腰掛けて汗を拭った。
東側の山の稜線が、朝日に照らされて光を放っている。
その庭にも光は差しているが、まだ深く影が覆い明けたばかりの湿った空気があらゆるものを露で濡らしていた。
初夏に差し掛かる季節ではあったが、北方のメッサの朝はまだまだ肌寒い。しかし、彼の生まれた国は、そのメッサよりも北にある為、さして気にはならなかった。
「疲れていますか?」
いつでもその体を崩さない涼やかな声がロイドに話しかけた。
「そんな事は…いや、そうかも知れないな」
一度否定しながらも、ロイドは、認めて青白い空を仰いだ。
「初めての別大陸ですから仕方ありませんよ。長い船旅でもありましたし」
父王や兄の共をして、何度か他国へ赴いた事はあったが、こうしてロイド自身が代表の立場での海外訪問は、初めての事ではあった。カイルの言う通り、肉体的にも精神的にも疲労感は否めない。だが、特に具体的な目的ではなく、各国を見て回るという観光的な旅ではある。国を離れただけで不安を感じる精神と肉体である事にロイドは、自分の弱さを感じ落胆した。隣で汗を拭くカイルのいつもと変わらぬ姿に強かさを感じ羨ましくも思う。
「私は、朝食の準備をしてきましょう」
「ああ」
そう言ってその場を辞した姿にもそつはなかったが、カイルがその朝食を用意しているであろうメイドたちに興味があるのは、長年の付き合いのロイドには透けて見えていた。今近くにカイルの妹のネスカがいない事が彼の羽をより伸ばせる状況にあり、彼女を舟番に残した事を後悔した。
ロイドは、立ち上がりもう少し散策する事にした。故郷を離れてからふた月程経とうとするが、その間一人になれる時間など無かったから、こうしてのんびりとした時間を過ごすのは久しぶりだった。
今ロイドがいる迎賓館の東側の庭は、中央の庭園とは違い、だだっ広い芝生の庭になっている。開放的な庭で、迎えた客に対して大きく手を広げているこの国の雰囲気を思わせた。
この国を手に入れた国が、このルスカールを手中に収める。そう言われる国が、これほど穏やかで開放的な顔をしているとは、ロイドは思っていなかった。実際は、この国を中心としてこの大陸の経済活動が行われている事実はあるし、そこに介在する各国の思惑は穏やかでは無かったが、今この時のロイドの印象はそれだった。
父王からの言葉を思い出していた。
「ルスカールとレーナルスの戦争は、近いうちに起こり得る。それを未然に防げるのならばそれに越した事はない。我が国は、その戦争に反対の立場を取ってきたが、幾つかの国が暗躍し、事を進めていると推測される。今回、其方の旅は公では無く私としての旅だと各国に文書を出しているが、素直にそう捉える国は少ないだろう。ならば、しっかりとルスカールの現状を目に焼き付け、両大陸の共存の道を示せる様見極めてくるのだ。かつて、この世界を導いた祖、ランス・ロンドラードの名に恥じぬ様、心引き締めこの旅へ赴くが良い。旅の無事を祈る」
ここ数十年、ロンドラードの国威は、目に見えて衰えている。かつては、神話の様に語られる創国の英雄ランス・ロンドラードの名の下に政治の中心にいたが、経済が世界を動かす時代になり、産業や物流が盛んになり、出遅れたロンドラードは、明らかな衰退を見せていた。それはかつての威光に驕った結果であった。
かつての戦争により力を得た国が、戦争に反対し阻止しようとしている。
言葉だけ聞けば、先頭に立ち戦争に赴き、その威光を取り戻す事が国が力を取り戻す道に思うが、ランス・ロンドラードは、語られている様な戦争の英雄では無く、大陸間戦争を終わらせた英雄だという認識がロンドラードでは正しいのだ。その想いを引き継ぐ国としては、反戦こそ正しい道なのである。
ロイドは、国勢よりも情勢よりも誇りを重んじる国王の考えに強く心を打たれ、それを自分の使命として心に刻んでいた。
「だが、半数以上の国が戦争を望む中、対立する事で、大陸内の火種となりかねないだろうか…」
数百年にわたる宗教統一戦争があったレーナルスは、まだ内戦や国同士の武力衝突はあるものの、かつてよりは落ち着きを取り戻しつつあった。
だが、落ち着きを取り戻した事で、肥大化を続ける宗教を礎とした権力者の欲は、大陸内では収まらなくなってしまったのだ。それが、大陸間戦争を望む声を大きくしているのだ。
大きな戦争を避ける事で、大陸内の国家間に亀裂が走る事になりかねない。反戦が戦争を生むという矛盾に行きつき、ロイドは、霧の中に彷徨っていた。
「やぁ!やぁ!やぁ!」
散策しながら思索に耽るロイドの耳に、高く響く女性の声が聞こえた。
目を上げると、メイドの格好をした少女が模擬刀を振っているのが見えた。
その違和感を感じる光景に、ロイドは思わず二度見をした。
模擬刀を振る太刀筋は、あまりにも拙く見えたが、振るう少女の表情は真剣そのもので、迷いは見えなかった。
朝日が強く入り込み、その少女の頭の上の方で一つにまとめた髪が揺れる度に光を纏っていた。その黒髪に程近い茶色い髪と集中した真っ直ぐな瞳がとても美しいとロイドは、心奪われた。
ロイドは、考えていた事をすっかり忘れて少女の稽古の様子に見入っていた。
「ふうー」
しばらくして、予定していた数を終えた少女は、模擬刀を下ろして息をついた。
模擬刀を小脇に両手を見て、以前よりも痛くない事にその成果を感じながらも、使った筋肉の疲労と疲労からくる痛みに顔を顰めた。
「よく、剣の稽古をしているのか?」
声をかけられて、少女、サナエは、驚いて「きゃっ」と短く声を上げてしまった。
「すまない、脅かすつもりは無かったんだ」
サナエが声のする方に目を向けると、朝日の中に光る少年が居た。
その彼が、ロンドラードと言う国の王子であると思い出すのに時間がかかったのは、その姿に見惚れただけでは無かった。メルリがカイルと言う騎士にばかりの目がいっている事で、サナエの関心や視線もカイルに行ってしまい、隣の王子の印象がぼやけていたからに他ならない。
サナエは、失礼と分かりながら、その名前が思い出せずに固まった。
「僕は、ロイドだ」
「…サナエと申します。ナッサヘルクの王女、メルリルーク王女に仕えております、ウェイティングメイドです。この様な格好で申し訳ありません」
サナエは、髪も中途半端にエプロンもしていない自分の格好に恥じて謝罪した。
「いや、僕も稽古用の服装で女性の前に立っている無礼をしている。お互い様と許してくれ」
サナエは、照れた様に笑うロイドに赤くなって俯く様に頷いた。その立ち振る舞いや言葉遣いに、マルスとは違うなと比べてしまい、気まずく思った。
「では、わたしはこれで…」
サナエは、模擬刀が邪魔になりながら、スカートを軽く摘んで頭を下げると、その場を辞そうとした。
「君は、良く剣の稽古をしているのか?」
ロイドの言葉に引き止められて、サナエは立ち止まらざるを得なかった。
「…はい。まだ始めてひと月程ですが」
「どうして、使用人の君が?」
「少しでも、主人の力になりたいと思いまして」
ロイドは、分からないと言う顔で、その言葉を受け何かを考えていた。
「それは、王女の暗殺や戦争を想定しての事か?であれば、君では無く、護衛の者を増やすべきだ。君の技量では死体が増えるだけだ」
それは、正しい見解だった。ロイドの言う様に、メルリの命を狙う者が現れた時、それは必ず手練れが現れる。サナエなどものともしないだろう。だが、メルリにもサナエにも魔法がある。少しの時間さえ稼げれば、メルリを逃す事くらいできるはずだとサナエは反論したかった。
「仰る通りです」
サナエは、ロイドの言葉を肯定して微笑んだ。
「では、何故?」
「できないと決めつける前にやってみようと思ったのです。わたしは今まで、何もできないと決めつけて諦めて、自分の命すら諦めていました。その時はそれしか見えなくなっていました。それだけの絶望の中にいましたから…でも、そこからメルリがわたしを引っ張ってくれて…だから、今はできる事をできる限りやってみようと思ったんです」
ロイドは、そのサナエと言う少女に再び目を奪われていた。
「できる事をできる限りか…」
ロイドは、サナエの言葉を反芻した。
「すまない。君を否定する様な事を言ってしまった。謝罪する」
ロイドは、改まった表情で正式に謝罪して、方膝をついた。
「い、いえ、そんな、やめてください。お言葉をかけて頂くだけでも、光栄な事です」
「そうだな、正式な挨拶も無く、女性に声をかけて申し訳なかった。稽古している姿が、とても美しくてつい」
「え?…」
「あ、いや…」
ロイドは、自分が言った内容に後から気が付き、耳まで赤くしてサナエを見られなくなった。
カイルの所為だと、眉を歪めた。
「で、では、わたしは失礼します」
サナエも、どう答えて良いのか分からずに、早足でその場を離れた。
一人残ったロイドは、そのサナエの背中を見ながら、意外と言った言葉に後悔がない事に気が付いた。




